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チャリティー活動

2000/01/29

関西学院大学・高等部のアメリカンフットボール部などは1月29日、1998年に始めたチャリティー活動の収益金50万円を、震災遺児を支援している「あしなが育英会レインボーハウス」に寄付した。

 チャリティー活動の中心になったのは、OB松田茂俊氏(1976卒、まつだ歯科医院院長)。高等部アメリカンフットボール部と遠征などで交流のあるハワイ・カウアイ島の人たちが、阪神・淡路大震災の際に音楽CDを作成して販売するチャリティー活動を進めてくれたことを知り、CD販売の日本での代行を買って出た。大学・高等部アメリカンフットボール部、中学部タッチフットボール部、後援会やOB会などにCD購入を呼びかけ、99年末までに50万円の収益をあげた。

 寄与式は午後2時から神戸市東難区のレインボーハウスで行われた。松田氏とともに、奥田真吾主将ら大学の部員7人が参加し、震災遺児のおかれている状況やレインボーハウスの活動などの説明を聞き、館内を見学した。

 

CDチャリティの趣旨と経緯


ファイターズ チャリティー2000

<趣旨>

 1999年、関西学院大学ファイターズは、挑戦者であることを実践し、学生チャンピオンとなることができました。
 私たちは、恵まれた環境のなかで思い切りスポーツに取り組むこと許されていますが、すぐ近くで、同じ様な年齢の仲間が、厳しい現実に立ち向かっていることを忘れてはならないと思います。
 ともすれば、フットボールに熱中するあまり、周囲のことから目を背け、自ら社会との隔壁をもうけて、自分は一生懸命フットボールにだけ取り組んでいればいいと勘違いしてしまいます。
 最も古いもの、最も新しいもの、そして社会に奉仕する者だけが、社会に必要とされ長く存在することができます。フットボールを通じて、歴史を守り、先進的な思考を実践し、社会に奉仕すること無くして、私たちの社会的存在意義は無いと考えます。
 恵まれた環境への感謝と、挑戦者であり続けることのできる喜びを、震災で大きな試練を負うことになった同年代の仲間に分かち、ファイターズの新たなる挑戦への記念とします。

写真

<これまでの経緯>

1972年 関西学院高等部アメリカンフットボール部が日本初のハワイ遠征。高等部3年生だった松田成俊らは、カウアイ島にてホームステイ、試合、パーティー等、素晴らしい体験を得る。
 同じく高等部3年生だった小川良一(WR)は、関西学院大学卒業後、アイオア州パーマーカレッジにてカイロプラクティックドクターの資格を取得し、その後、憧れのカウアイ島にて開業。
1994年 カウアイ島を大型ハリケーン「イニキ」が襲い大きな被害を受ける。関西学院高等部の有志が見舞い金を集めて送る。小川良一も新築中の家の屋根が飛ぶなど大きな被害を受ける。
1995年 阪神・淡路大震災。電話も繋がらず、被災地内で友人の安否確認ができないとき、小川良一がカウアイから同級生らの安否確認をする。
1997年 12月 小川良一が関学の甲子園ボウル出場を機に帰国した際、カウアイのアマチュア音楽家たちがCDを作って販売し、その収益を阪神大震災の被災者にのために送ることを目的としたチャリティー活動をしてくれている事を松田が聞く。小川一家、その妹夫婦もサポートしている事を知る。
1998年 1月 まだたくさんのCDが売れ残っている事を聞き、カウアイの人々がイニキ以来深刻な不況の中で、神戸の事を気遣いチャリティーしてくれていることに感激し、日本にそのCDを送ってもらう。関西学院中学部、高等部、大学のファィターズ、後援会、OB会と、まつだ歯科医院に連なる者でCDチャリティー開始。
1998年 8月 カウアイ高校は関西学院高等部の創部。50周年記念試合に日本遠征を予定していたが不景気による経済的事情のため遠征中止
1999年 12月 関西学院大学ファイターズ 甲子園ボウル優勝
2000年 1月 レインボーハウスに50万円寄贈

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