石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2017/11
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(30)がんばろう!
投稿日時:2017/11/29(水) 00:20
気分が落ち込んだとき、仕事で行き詰まったとき、僕には思い出しては読み返す詩がいくつかある。三好達治の「乳母車」や萩原朔太郎の「純情小曲集」。宮沢賢治が死の床で書き残した「雨ニモマケズ」にある「西ニ疲レタ母アレバ、行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ…ササムサノナツハオロオロアルキ」という心情にも心惹かれる。
それでも気が晴れないときには、特効薬がある。それが大学時代に出合った吉本隆明の「ちひさな群れへの挨拶」である。
1952年に発表された長い詩だが、そこにはこんな印象的なフレーズがある。
......
ぼくでてゆく
無数の敵のど真ん中へ
ぼくは疲れてゐる
が、ぼくの瞋(いか)りは無尽蔵だ
ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたふれたら一つの直接性がたふれる
もたれあうことをきらった反抗がたふれる
......
このフレーズを一人、静かに繰り返していると、疲れ切った体が生き返り、落ち込んだ気持ちが高ぶってくる。「よーし、もう一丁やったろかい」という勇気が湧いてくる。
今夜もまた、この詩に励まされてこのコラムを書いている。
先日の立命戦で敗れた時、僕はしばらく気持ちの整理ができなかった。もちろん、互いに意地と誇りをかけて戦う試合だから、勝つこともあるし、負けることもある。そんなことは決まり切ったことだし、実際にファイターズが敗れた試合も、何度もこの目で見ている。
けれども、先日の敗戦は特別だった。立ち上がりの相手の攻撃で強烈なパンチをかまされ、その痛手から立ち直れないまま、気がつけば試合が終わっていたからだ。
「もっとやれるはずだ」「ここで尻尾を巻くようなチームじゃないだろう」という歯がゆい気持ちと、怖れていたことが現実になったという、どこか冷めたような気持ちが交錯する。
スタンドから応援している僕でさえ、そんな気持ちになるのだから、実際に戦っている選手の心情はさらに複雑だったろう。「俺たちはもっとやれるはずだ」「どこから突破口を開くのか」と自分に問い、「ともかく目の前の相手を圧倒しよう」「一対一で勝つ」と自らを叱咤し、仲間を鼓舞して戦ったに違いない。
けれども負けは負け。目の前の敵に敗れ、戦術でも対抗出来なかったことは、スコアボードに表示された数字が示している。
この現実からどう立ち上がるのか。途中、名古屋大学との試合があり、次なる立命戦に全力を集中できなかったチームをどう立て直すのか。
選手、スタッフはもちろん、監督もコーチも懸命に考え、打開策を練っているはずだ。次の決戦までの限られた時間に何を選択し、何を捨てるのか。自分たちに弱点があるとすれば、それをどのようにつぶしていくのか。相手に付け入る隙があると見たら、そこをどのように突き、打ち破っていくのか。12月3日まで、残された時間は短いが、いまが勝負の時だ。気力、知力、体力のすべてを投入して取り組む時間である。
ファイターズの諸君
無尽蔵の瞋り(まなじりを決した怒り)を 抱いて戦え
極限に耐えた孤独を解放せよ
苛酷に耐えた肉体をぶつけろ
君が倒れたら一つの直接性が倒れる
もたれ合うことを嫌った反抗が倒れる
12月3日、万博記念競技場での決戦。それは、ファイターズがファイターズであるための決戦である。僕はその決戦に臨む諸君に心からの声援を送る。
ファイターズに連なるすべての人たちも同様であろう。がんばろう!
それでも気が晴れないときには、特効薬がある。それが大学時代に出合った吉本隆明の「ちひさな群れへの挨拶」である。
1952年に発表された長い詩だが、そこにはこんな印象的なフレーズがある。
......
ぼくでてゆく
無数の敵のど真ん中へ
ぼくは疲れてゐる
が、ぼくの瞋(いか)りは無尽蔵だ
ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたふれたら一つの直接性がたふれる
もたれあうことをきらった反抗がたふれる
......
このフレーズを一人、静かに繰り返していると、疲れ切った体が生き返り、落ち込んだ気持ちが高ぶってくる。「よーし、もう一丁やったろかい」という勇気が湧いてくる。
今夜もまた、この詩に励まされてこのコラムを書いている。
先日の立命戦で敗れた時、僕はしばらく気持ちの整理ができなかった。もちろん、互いに意地と誇りをかけて戦う試合だから、勝つこともあるし、負けることもある。そんなことは決まり切ったことだし、実際にファイターズが敗れた試合も、何度もこの目で見ている。
けれども、先日の敗戦は特別だった。立ち上がりの相手の攻撃で強烈なパンチをかまされ、その痛手から立ち直れないまま、気がつけば試合が終わっていたからだ。
「もっとやれるはずだ」「ここで尻尾を巻くようなチームじゃないだろう」という歯がゆい気持ちと、怖れていたことが現実になったという、どこか冷めたような気持ちが交錯する。
スタンドから応援している僕でさえ、そんな気持ちになるのだから、実際に戦っている選手の心情はさらに複雑だったろう。「俺たちはもっとやれるはずだ」「どこから突破口を開くのか」と自分に問い、「ともかく目の前の相手を圧倒しよう」「一対一で勝つ」と自らを叱咤し、仲間を鼓舞して戦ったに違いない。
けれども負けは負け。目の前の敵に敗れ、戦術でも対抗出来なかったことは、スコアボードに表示された数字が示している。
この現実からどう立ち上がるのか。途中、名古屋大学との試合があり、次なる立命戦に全力を集中できなかったチームをどう立て直すのか。
選手、スタッフはもちろん、監督もコーチも懸命に考え、打開策を練っているはずだ。次の決戦までの限られた時間に何を選択し、何を捨てるのか。自分たちに弱点があるとすれば、それをどのようにつぶしていくのか。相手に付け入る隙があると見たら、そこをどのように突き、打ち破っていくのか。12月3日まで、残された時間は短いが、いまが勝負の時だ。気力、知力、体力のすべてを投入して取り組む時間である。
ファイターズの諸君
無尽蔵の瞋り(まなじりを決した怒り)を 抱いて戦え
極限に耐えた孤独を解放せよ
苛酷に耐えた肉体をぶつけろ
君が倒れたら一つの直接性が倒れる
もたれ合うことを嫌った反抗が倒れる
12月3日、万博記念競技場での決戦。それは、ファイターズがファイターズであるための決戦である。僕はその決戦に臨む諸君に心からの声援を送る。
ファイターズに連なるすべての人たちも同様であろう。がんばろう!
(29)悔しさの総量
投稿日時:2017/11/21(火) 07:48
悪い予感ほどよく当たる。関西リーグの優勝をかけた日曜日の立命戦がまさにそれだった。
試合開始のはるか前に家を出発。開門待ちの列に並んでいる時から、その予感が芽生え、徐々に大きくなっていく。ただし、その正体はまだ分からない。
スタンドに入り、いつも通りファイターズが開設するFM放送の放送席に着き、昼飯代わりにサンドイッチを食べる。やがて、放送機材の準備をしてくれるマネジャーの山本君と三浦さんが到着。用意してくれた立命の先発メンバー表を渡してくれる。それを見た瞬間、悪い予感の正体が分かった。
相手のメンバー表には攻撃に7人、守備には10人の4年生が並んでいる。パンターまで含めれば、合計18人だ。
つまり、昨シーズンの2度にわたるファイターズとの決戦で、2度とも敗れるという辛い経験をしたメンバーが4年生だけで18人、3年生も含めると22人もいるのだ。彼らが昨年、この万博陸上競技場で味わった屈辱と無念。それを胸に抱きしめてこの1年間、必死懸命に過ごしてきたメンバーがずらりと並んで雪辱の機会をうかがっているのである。
対するファイターズの先発メンバー中、4年生は攻撃に5人、守備に4人。1昨年、立命に敗れた時の悔しい気持ちを実際に戦って知っている選手は、3年生を含めても10人前後しかいない。つまり、同じように攻守11人ずつのメンバーを揃えて戦っても、チームとしての悔しさの総量に、圧倒的な差があるのだ。
もちろん、悔しさの総量によって勝敗が分かれるということはない。勝ったチームは自分たちの取り組みが勝利につながったと自信を深め、迷わずにそれまでの取り組みを深化させてくる。逆に、敗れたチームは、自分たちのやり方に迷いが生じ、それによって貴重な時間を無駄にすることもある。「悔しさの総量が勝敗を分ける」なんていう、非科学的な主張には何の根拠もない。僕が勝手に思っているだけだ。
しかし、僕は知っている。1昨年の11月、長居のヤンマースタジアムで立命に30-27で敗れた後、その試合に出場していた当時3年生の山岸君や伊豆君、岡本君らがその後の1年間、どんな気持ちで練習に取り組み、日々どんな行動をとってきたかということを。大きなけがに悩まされながらも、必死に治療に務め、最後の立命戦に照準を合わせて戦列に戻ってきたディフェンスの松本君、小池君、松嶋君。オフェンスでも松井君、藏野君、そしてランニングバックの橋本君、野々垣君、加藤君らがけがで戦列を離れた。彼らがけがと戦い、苦労して戦列に戻り、最後の最後で最高のパフォーマンスを発揮してくれた背後には「2度とあんな悔しい思いをしたくない」「今度は絶対に勝つ。2度戦えというのなら2度とも勝つ」という強い気持ちがあったことは、彼らの行動が示している。
例えば主将になった山岸君は、手首に故障を抱えながら、常にチーム練習の始まるはるか前から一人黙々とダミーを相手に練習を続けた。それも常に相手の切り札であるRB西村君やQB西山君の動きを想定し、いかに素早くスタートを切り、思い切ったヒットができるかだけを念頭に、延々と、納得いくまで練習し続けていた。その成果を昨年の2度にわたるライバルとの戦いで遺憾なく発揮して西村君のランを完封し、相手のファンブルを誘ったり、セーフティを奪ったりしたのは、いまも目に焼き付いている。
伊豆君も同様だ。3年生の時、スタメンで出場しながらチームを勝利に導けなかった悔しさをバネに、レシーバー陣にパスを投げ続け、自らのパス力を向上させると同時に、レシーバー陣を鍛え続けた。今年活躍している4年生と3年生のレシーバーは、彼が育てたといっても過言ではなかろう。
こうしたメンバーの取り組みと、それを支えてきたエネルギーの源を尋ねると、そこには純粋に「勝ちたい」という気持ちと同時に「去年の雪辱をする」「あの悔しさを2度と味わいたくない」という強い気持ちがあったことは、想像に難くない。
昨年のシーズン終了後、山岸君とゆっくり話したとき、彼は「七斗をはね飛ばし、QBをサックしてセーフティーをとったときは、最高でした。気持ちよかった」と、心からの笑顔で語ってくれた。
全力を尽くして勝利を求めるのがスポーツマンの本能である。悔しい思いは二度としたくない、というのもまた、その悔しさを体験した者だからいえることだろう。そう考えれば「悔しさの総量が、勝敗を分ける」という僕の言い分にも、多少の説得力があるのではないか。
次なる立命との決戦では、ファイターズの方が「悔しさの総量」では上回るはずだ。もちろん、その前に名古屋大学との戦いに勝つことが求められるが、それはそれ、常に今回の雪辱を意識して次なる取り組みを進めてもらいたい。
時間は限られている。前回の戦い方の反省は必要だが、敗れたことを後悔しているゆとりはない。ひたすら前を向き、この1年間に準備してきたことのすべてを発揮してほしい。チームの全員が悔しさをエネルギーにして取り組めば道は開ける。僕はそれを信じている。
試合開始のはるか前に家を出発。開門待ちの列に並んでいる時から、その予感が芽生え、徐々に大きくなっていく。ただし、その正体はまだ分からない。
スタンドに入り、いつも通りファイターズが開設するFM放送の放送席に着き、昼飯代わりにサンドイッチを食べる。やがて、放送機材の準備をしてくれるマネジャーの山本君と三浦さんが到着。用意してくれた立命の先発メンバー表を渡してくれる。それを見た瞬間、悪い予感の正体が分かった。
相手のメンバー表には攻撃に7人、守備には10人の4年生が並んでいる。パンターまで含めれば、合計18人だ。
つまり、昨シーズンの2度にわたるファイターズとの決戦で、2度とも敗れるという辛い経験をしたメンバーが4年生だけで18人、3年生も含めると22人もいるのだ。彼らが昨年、この万博陸上競技場で味わった屈辱と無念。それを胸に抱きしめてこの1年間、必死懸命に過ごしてきたメンバーがずらりと並んで雪辱の機会をうかがっているのである。
対するファイターズの先発メンバー中、4年生は攻撃に5人、守備に4人。1昨年、立命に敗れた時の悔しい気持ちを実際に戦って知っている選手は、3年生を含めても10人前後しかいない。つまり、同じように攻守11人ずつのメンバーを揃えて戦っても、チームとしての悔しさの総量に、圧倒的な差があるのだ。
もちろん、悔しさの総量によって勝敗が分かれるということはない。勝ったチームは自分たちの取り組みが勝利につながったと自信を深め、迷わずにそれまでの取り組みを深化させてくる。逆に、敗れたチームは、自分たちのやり方に迷いが生じ、それによって貴重な時間を無駄にすることもある。「悔しさの総量が勝敗を分ける」なんていう、非科学的な主張には何の根拠もない。僕が勝手に思っているだけだ。
しかし、僕は知っている。1昨年の11月、長居のヤンマースタジアムで立命に30-27で敗れた後、その試合に出場していた当時3年生の山岸君や伊豆君、岡本君らがその後の1年間、どんな気持ちで練習に取り組み、日々どんな行動をとってきたかということを。大きなけがに悩まされながらも、必死に治療に務め、最後の立命戦に照準を合わせて戦列に戻ってきたディフェンスの松本君、小池君、松嶋君。オフェンスでも松井君、藏野君、そしてランニングバックの橋本君、野々垣君、加藤君らがけがで戦列を離れた。彼らがけがと戦い、苦労して戦列に戻り、最後の最後で最高のパフォーマンスを発揮してくれた背後には「2度とあんな悔しい思いをしたくない」「今度は絶対に勝つ。2度戦えというのなら2度とも勝つ」という強い気持ちがあったことは、彼らの行動が示している。
例えば主将になった山岸君は、手首に故障を抱えながら、常にチーム練習の始まるはるか前から一人黙々とダミーを相手に練習を続けた。それも常に相手の切り札であるRB西村君やQB西山君の動きを想定し、いかに素早くスタートを切り、思い切ったヒットができるかだけを念頭に、延々と、納得いくまで練習し続けていた。その成果を昨年の2度にわたるライバルとの戦いで遺憾なく発揮して西村君のランを完封し、相手のファンブルを誘ったり、セーフティを奪ったりしたのは、いまも目に焼き付いている。
伊豆君も同様だ。3年生の時、スタメンで出場しながらチームを勝利に導けなかった悔しさをバネに、レシーバー陣にパスを投げ続け、自らのパス力を向上させると同時に、レシーバー陣を鍛え続けた。今年活躍している4年生と3年生のレシーバーは、彼が育てたといっても過言ではなかろう。
こうしたメンバーの取り組みと、それを支えてきたエネルギーの源を尋ねると、そこには純粋に「勝ちたい」という気持ちと同時に「去年の雪辱をする」「あの悔しさを2度と味わいたくない」という強い気持ちがあったことは、想像に難くない。
昨年のシーズン終了後、山岸君とゆっくり話したとき、彼は「七斗をはね飛ばし、QBをサックしてセーフティーをとったときは、最高でした。気持ちよかった」と、心からの笑顔で語ってくれた。
全力を尽くして勝利を求めるのがスポーツマンの本能である。悔しい思いは二度としたくない、というのもまた、その悔しさを体験した者だからいえることだろう。そう考えれば「悔しさの総量が、勝敗を分ける」という僕の言い分にも、多少の説得力があるのではないか。
次なる立命との決戦では、ファイターズの方が「悔しさの総量」では上回るはずだ。もちろん、その前に名古屋大学との戦いに勝つことが求められるが、それはそれ、常に今回の雪辱を意識して次なる取り組みを進めてもらいたい。
時間は限られている。前回の戦い方の反省は必要だが、敗れたことを後悔しているゆとりはない。ひたすら前を向き、この1年間に準備してきたことのすべてを発揮してほしい。チームの全員が悔しさをエネルギーにして取り組めば道は開ける。僕はそれを信じている。
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