石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2014/12
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(37)足下のゴミ
投稿日時:2014/12/23(火) 22:21
先週の金曜日、授業の前に、学生会館の1階一番奥にある部室の前を通りかかったら、部室の横手にある倉庫のドアに新しい張り紙があった。A4判の紙には、少し角張った字で「足下のゴミ一つ拾えぬほどの人間に何ができましょうか……」と書かれていた。
「おお、やるなあ」「勝っても浮かれず、しっかり足下を見ているヤツがいる」「誰が書いたのか。多分、4年生のマネジャーが下級生に注意を促したんだろう」。そう思って、たまたま通りがかった4年生トレーナーの辻本君に聞いてみた。
「○○が書いたんです」。答えを聞いて驚いた。ひっくり返りそうになったといってもよい。「えっ、彼が……」。絶句していると「そうなんです。自分たちが用具を置き、着替えもする場所だから、いつも整理・整頓しておきたい。そのためには利用する人間全員に、そのことに注意を促したい。そういってこの張り紙をしてもいいですか、と聞かれたから、いいよと言ったんです」と辻本君。
ますます驚いた。1年生が先頭に立って先輩たちに整理・整頓を呼び掛ける。それも上級生や監督、コーチに注意された結果ではなく、自発的にそういう行動を起こす。そのことにまず驚いた。もう一つは、1年生のそうした自発的な行為が「当たり前」になっているほど、このチームの風通しがよいことに驚愕した。
日ごろから上級生、下級生の隔てなく、部員同士がフランクに言葉を交わし、練習にも互いに要求し合って取り組んでいる姿はいつも見ている。それは少なくとも僕が練習を見せてもらうようになったこの10数年に限っては、ごく当たり前の光景である。そういう上下分け隔てなく、同じ目標に向かってチャレンジしていくところに、このチームの素晴らしさがあることは、試合前のグラウンドの清掃や日ごろの練習の準備などを材料に、このコラムにも何度か書いてきた。
しかし、下級生が部員全員に注意を喚起する言葉を自発的に張り出すなんてことは、初めて聞いた。チームの一員として、大人としてのマナーを守ることの重要性が1年生にいたるまで徹底しているからだろう。
この話から、幕末、幕府と激しく対立し、興廃の瀬戸際に立たされた長州藩にあって、急きょ、高杉晋作が結成し、強力な軍事力を振るった奇兵隊の「諭示」を思い出した。「諭示」とは、隊員の心得、というようなものだが、そこには「農事の妨げをするな」「狭い道で牛馬に出合ったら道をよけて速やかに通させるように」「田畑を踏み荒らすな」「言葉使いは丁寧に」など、武人としてのマナーを守れということが7か条にわたって書かれている。そして最後、7条目には「強き百万といえども恐れず、弱き民は一人と雖も恐れ候こと、武道の本意と候こと」とある。
武人たる者は、その武力を背景に弱い民、百姓に威張り散らすのではなく、自ら身を慎み、その行いをもって、民、百姓を味方に付けなさい。弱い農民の手本になるような行いがあってこそ、彼らに支持され、戦いにも勝てる。そう言っているのである。
そういえば、鳥内監督もことあるごとに「一人前の大人として恥ずかしくない行動をしなさい」「グラウンドにいるときだけがファイターズではない。私生活から学校の行き帰りまでを含めて君たちはファイターズの人間である。その一員として、ふさわしい行動をしなさい」と部員に注意を喚起されている。
部員たちもまた、グラウンドに下りる前には「平郡君のヤマモモ」に頭を下げ、その下にある碑文を読んで、心を新たにしている。そういう自発的な行動が、誰に強制されることなく「当たり前」になっているから、僕のような爺さんにも、快く挨拶をしてくれるのだろう。
そういう土壌があるから、チームとしての精神性も自ずから高められていく。今季、強力なライバルたちを相手に、終始、堂々とした試合を続けてこられたのは、そうして鍛えたチームとしてのたたずまい、高い精神性、モラルがあったからではないか。
そう考えていくと、1年生が張り出した一枚の注意書きにも、このチームの本領が表現されていることがよく分かるではないか。
以上、ファイターズの本当の強さは、グラウンドで奮闘している場面だけでは測れないぞ、と言う話でした。このエピソードを知って「いいね!」と思われた人は、ぜひとも1月3日、東京ドームに足を運んで下さい。そして上級生、下級生の垣根を越えた学びの場で、足下のゴミにも目を配って成長し続ける好漢たちの奮闘を心から応援して下さい。お願いします。
「おお、やるなあ」「勝っても浮かれず、しっかり足下を見ているヤツがいる」「誰が書いたのか。多分、4年生のマネジャーが下級生に注意を促したんだろう」。そう思って、たまたま通りがかった4年生トレーナーの辻本君に聞いてみた。
「○○が書いたんです」。答えを聞いて驚いた。ひっくり返りそうになったといってもよい。「えっ、彼が……」。絶句していると「そうなんです。自分たちが用具を置き、着替えもする場所だから、いつも整理・整頓しておきたい。そのためには利用する人間全員に、そのことに注意を促したい。そういってこの張り紙をしてもいいですか、と聞かれたから、いいよと言ったんです」と辻本君。
ますます驚いた。1年生が先頭に立って先輩たちに整理・整頓を呼び掛ける。それも上級生や監督、コーチに注意された結果ではなく、自発的にそういう行動を起こす。そのことにまず驚いた。もう一つは、1年生のそうした自発的な行為が「当たり前」になっているほど、このチームの風通しがよいことに驚愕した。
日ごろから上級生、下級生の隔てなく、部員同士がフランクに言葉を交わし、練習にも互いに要求し合って取り組んでいる姿はいつも見ている。それは少なくとも僕が練習を見せてもらうようになったこの10数年に限っては、ごく当たり前の光景である。そういう上下分け隔てなく、同じ目標に向かってチャレンジしていくところに、このチームの素晴らしさがあることは、試合前のグラウンドの清掃や日ごろの練習の準備などを材料に、このコラムにも何度か書いてきた。
しかし、下級生が部員全員に注意を喚起する言葉を自発的に張り出すなんてことは、初めて聞いた。チームの一員として、大人としてのマナーを守ることの重要性が1年生にいたるまで徹底しているからだろう。
この話から、幕末、幕府と激しく対立し、興廃の瀬戸際に立たされた長州藩にあって、急きょ、高杉晋作が結成し、強力な軍事力を振るった奇兵隊の「諭示」を思い出した。「諭示」とは、隊員の心得、というようなものだが、そこには「農事の妨げをするな」「狭い道で牛馬に出合ったら道をよけて速やかに通させるように」「田畑を踏み荒らすな」「言葉使いは丁寧に」など、武人としてのマナーを守れということが7か条にわたって書かれている。そして最後、7条目には「強き百万といえども恐れず、弱き民は一人と雖も恐れ候こと、武道の本意と候こと」とある。
武人たる者は、その武力を背景に弱い民、百姓に威張り散らすのではなく、自ら身を慎み、その行いをもって、民、百姓を味方に付けなさい。弱い農民の手本になるような行いがあってこそ、彼らに支持され、戦いにも勝てる。そう言っているのである。
そういえば、鳥内監督もことあるごとに「一人前の大人として恥ずかしくない行動をしなさい」「グラウンドにいるときだけがファイターズではない。私生活から学校の行き帰りまでを含めて君たちはファイターズの人間である。その一員として、ふさわしい行動をしなさい」と部員に注意を喚起されている。
部員たちもまた、グラウンドに下りる前には「平郡君のヤマモモ」に頭を下げ、その下にある碑文を読んで、心を新たにしている。そういう自発的な行動が、誰に強制されることなく「当たり前」になっているから、僕のような爺さんにも、快く挨拶をしてくれるのだろう。
そういう土壌があるから、チームとしての精神性も自ずから高められていく。今季、強力なライバルたちを相手に、終始、堂々とした試合を続けてこられたのは、そうして鍛えたチームとしてのたたずまい、高い精神性、モラルがあったからではないか。
そう考えていくと、1年生が張り出した一枚の注意書きにも、このチームの本領が表現されていることがよく分かるではないか。
以上、ファイターズの本当の強さは、グラウンドで奮闘している場面だけでは測れないぞ、と言う話でした。このエピソードを知って「いいね!」と思われた人は、ぜひとも1月3日、東京ドームに足を運んで下さい。そして上級生、下級生の垣根を越えた学びの場で、足下のゴミにも目を配って成長し続ける好漢たちの奮闘を心から応援して下さい。お願いします。
(36)強い絆、熱い仲間
投稿日時:2014/12/17(水) 07:34
ファイターズ55-10フェニックス。第69回甲子園ボウル。数えて28回目となるライバル日本大学との決戦は、関西学院大学が大差で制した。
獲得した距離は、ファイターズが516ヤード(ラン319、パス197)、フェニックスが246ヤード(ラン60、パス186)。これに加えてファイターズには3回のインターセプトと2回のファンブルリカバーがある。その点までを考慮すると、ファイターズが終始、試合を支配し続けたと言っても過言ではない。実際、スタンドから応援している僕たちも、ファイターズが立ち上がり、RB橋本君と鷺野君の強力な中央突破で陣地を進め、立て続けに2本のTDを獲得したあたりから、気持ちに余裕が出てきた。
しかし、グラウンドで戦っている選手にとっては、攻守ともにひとつひとつのプレーを遂行するのに必死だったに違いない。
なにしろ相手は、日大である。攻守とも強力なタレントが揃っている。一発で試合の流れを変えてしまうプレーもあるに違いない。実際、リードしているとはいえ、第2Qには10点を返された。
そういう状況にあっても、ファイターズの面々は焦らず、おごらず、自らに与えられた使命をプレーで表現した。大量のリードに支えられて登場した交代選手(そこにはけがなどで試合にする機会を失っていた4年生もいたし、今後のために甲子園の舞台を経験させておきたい下級生も数多くいた)もまた、それぞれの持ち味を発揮した。思い描いた通りのパフォーマンスを見せた者(例えば強力なラッシュで10ヤードのQBサックを決めたDL國安君、あわやインターセプトという、パスカバーをを見せたDB市川君)もいた。普段はサイドラインからサインを送っている控えQBの前田君も、ほんの数プレーだったが、甲子園の晴れ舞台に立つ機会が得られた。
そういう選手たちの活躍は、観客の目の前で繰り広げられ、中継のテレビが写し出している。とくに活躍した選手を表彰する甲子園ボウルの最優秀選手にはRB橋本君、年間最優秀選手に贈られるチャック・ミルズ杯にはRB鷺野君が輝き、彼らへのインタビューも行われた。
試合会場にお見えになった方はもちろん、テレビで観戦されていた方々も、そうしたファイターズの選手たちの躍動を目の当たりにされている。試合で活躍した選手たちのことは、翌日の新聞も丁寧に伝えていた。
だから、僕はこの場を借りて、そのように広く顕彰されることのない場面を2、3紹介したい。
それは試合開始直前、レフト側入場口に並んだ選手たちが大会役員から入場の合図を待つ間に見せた三つの行動である。一つは、先頭に並んでいた副将の小野君が、高ぶった気持ちを抑えきれないように同じLBの後輩、作道君に声を掛けた。言葉は聞こえなかったが、一言「頼むぞ」といったように見えた。
彼は、先日の西日本代表決定戦で負傷し、しばらくはチーム練習から遠ざかっていた。この日の試合には先発で出場したが、日ごろのパフォーマンスができるかどうか、不安を抱えていたに違いない。その悔しさと不安を「頼むぞ」という一言に込め、後輩の活躍にチームの命運を託した副将の胸の内。短いやりとりに万感の思いを託した言葉に、日ごろから兄弟のように練習している仲間との強い絆を垣間見た気がした。
強い絆といえば、WR横山君を囲む4年生の仕草にも、胸を打つものがあった。横山君もまた立命戦で傷つき、しばらくチーム練習に加わっていない。WRのパートリーダーであり、ロングスナップを投げる場面では欠かせない選手として、練習には参加していたが、彼も自身の回復状況に不安を抱えたままの出場だった。
緊張した表情の彼に、隣にいた同じパートで彼より頭一つほど背の高い樋之本君が彼の肩を抱き、何かをささやいた。多分「今日は俺に任せておけ。必ず勝って、ライスボウルの舞台に立たせる」というような約束をしていたのだろう。それを聞く横山君も「頼んだぞ」と気持ちのこもった目で樋之本君や副将の松島君を見つめた。ここにも、普段から寝食をともにして互いを刺激し、向上させてきた4年生ならではの「一言で通じ合える」強い絆があった。
開会のセレモニーの直前、入場を待つほんの短い時間に交わされた気持ちのこもった交情。そこでは、文字通り目と目、顔と顔で互いの意志を通じあう選手同士の濃密な関係が描き出されていた。
こうした関係は、グラウンドでの練習だけでなく、ミーティングや食事などの時間も含めて、日ごろから濃密な時間を共有し、同じ目的に向かってベクトルを一致させている仲間だからこそであろう。そういう仲間がいるから、どんなに厳しい局面になっても心は折れないし、逆に厳しい場面になればなるほど力が発揮できるのだろう。ここにこそファイターズの強さがあると、見ていた僕は胸が熱くなった。
感激しているうちに、今度は先頭の鷺野主将と目があった。思わず右手に握り拳を作ってエールを送ると、彼も握り拳を上げ、にこっと笑ってくれた。「大丈夫! 主将には余裕がある。この試合はもらった」と思った瞬間だった。
獲得した距離は、ファイターズが516ヤード(ラン319、パス197)、フェニックスが246ヤード(ラン60、パス186)。これに加えてファイターズには3回のインターセプトと2回のファンブルリカバーがある。その点までを考慮すると、ファイターズが終始、試合を支配し続けたと言っても過言ではない。実際、スタンドから応援している僕たちも、ファイターズが立ち上がり、RB橋本君と鷺野君の強力な中央突破で陣地を進め、立て続けに2本のTDを獲得したあたりから、気持ちに余裕が出てきた。
しかし、グラウンドで戦っている選手にとっては、攻守ともにひとつひとつのプレーを遂行するのに必死だったに違いない。
なにしろ相手は、日大である。攻守とも強力なタレントが揃っている。一発で試合の流れを変えてしまうプレーもあるに違いない。実際、リードしているとはいえ、第2Qには10点を返された。
そういう状況にあっても、ファイターズの面々は焦らず、おごらず、自らに与えられた使命をプレーで表現した。大量のリードに支えられて登場した交代選手(そこにはけがなどで試合にする機会を失っていた4年生もいたし、今後のために甲子園の舞台を経験させておきたい下級生も数多くいた)もまた、それぞれの持ち味を発揮した。思い描いた通りのパフォーマンスを見せた者(例えば強力なラッシュで10ヤードのQBサックを決めたDL國安君、あわやインターセプトという、パスカバーをを見せたDB市川君)もいた。普段はサイドラインからサインを送っている控えQBの前田君も、ほんの数プレーだったが、甲子園の晴れ舞台に立つ機会が得られた。
そういう選手たちの活躍は、観客の目の前で繰り広げられ、中継のテレビが写し出している。とくに活躍した選手を表彰する甲子園ボウルの最優秀選手にはRB橋本君、年間最優秀選手に贈られるチャック・ミルズ杯にはRB鷺野君が輝き、彼らへのインタビューも行われた。
試合会場にお見えになった方はもちろん、テレビで観戦されていた方々も、そうしたファイターズの選手たちの躍動を目の当たりにされている。試合で活躍した選手たちのことは、翌日の新聞も丁寧に伝えていた。
だから、僕はこの場を借りて、そのように広く顕彰されることのない場面を2、3紹介したい。
それは試合開始直前、レフト側入場口に並んだ選手たちが大会役員から入場の合図を待つ間に見せた三つの行動である。一つは、先頭に並んでいた副将の小野君が、高ぶった気持ちを抑えきれないように同じLBの後輩、作道君に声を掛けた。言葉は聞こえなかったが、一言「頼むぞ」といったように見えた。
彼は、先日の西日本代表決定戦で負傷し、しばらくはチーム練習から遠ざかっていた。この日の試合には先発で出場したが、日ごろのパフォーマンスができるかどうか、不安を抱えていたに違いない。その悔しさと不安を「頼むぞ」という一言に込め、後輩の活躍にチームの命運を託した副将の胸の内。短いやりとりに万感の思いを託した言葉に、日ごろから兄弟のように練習している仲間との強い絆を垣間見た気がした。
強い絆といえば、WR横山君を囲む4年生の仕草にも、胸を打つものがあった。横山君もまた立命戦で傷つき、しばらくチーム練習に加わっていない。WRのパートリーダーであり、ロングスナップを投げる場面では欠かせない選手として、練習には参加していたが、彼も自身の回復状況に不安を抱えたままの出場だった。
緊張した表情の彼に、隣にいた同じパートで彼より頭一つほど背の高い樋之本君が彼の肩を抱き、何かをささやいた。多分「今日は俺に任せておけ。必ず勝って、ライスボウルの舞台に立たせる」というような約束をしていたのだろう。それを聞く横山君も「頼んだぞ」と気持ちのこもった目で樋之本君や副将の松島君を見つめた。ここにも、普段から寝食をともにして互いを刺激し、向上させてきた4年生ならではの「一言で通じ合える」強い絆があった。
開会のセレモニーの直前、入場を待つほんの短い時間に交わされた気持ちのこもった交情。そこでは、文字通り目と目、顔と顔で互いの意志を通じあう選手同士の濃密な関係が描き出されていた。
こうした関係は、グラウンドでの練習だけでなく、ミーティングや食事などの時間も含めて、日ごろから濃密な時間を共有し、同じ目的に向かってベクトルを一致させている仲間だからこそであろう。そういう仲間がいるから、どんなに厳しい局面になっても心は折れないし、逆に厳しい場面になればなるほど力が発揮できるのだろう。ここにこそファイターズの強さがあると、見ていた僕は胸が熱くなった。
感激しているうちに、今度は先頭の鷺野主将と目があった。思わず右手に握り拳を作ってエールを送ると、彼も握り拳を上げ、にこっと笑ってくれた。「大丈夫! 主将には余裕がある。この試合はもらった」と思った瞬間だった。
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