石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2014/7
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(17)真夏の勉強会
投稿日時:2014/07/25(金) 17:38
暑い!今日も朝から気温は30度を超し、すぐにも35度を超えそうな勢いだ。
家にエアコンは備えているが、あの原発事故以来、自分一人の時は、冷房も暖房も使わない(ついでにいえばテレビも見ない。紀州・田辺の家ではテレビそのものを放逐してしまった)。だから、頼りは窓から入って来る風だけ。今も短パンとシャツ一枚でパソコンに向かっている。
しかし、さすがに暑い。ムキになって熱いコーヒーを飲み、自分にむち打ちながらこのコラムを書いている。
そんな暑さの中で、学生諸君はいま、前期試験の終盤戦。彼らもムキになって試験の準備をし、日々難しい試験と格闘している。グラウンドに出掛けても、大学生の姿はほとんど見掛けない。大半の単位を取り終わっている4年生がミーティングをしているぐらいだ。8月1日から始まる真夏のトレーニングを控えて、いまはひたすら勉強に専念しているようだ。
勉強といえば、スポーツ推薦でファイターズにチャレンジしてくれる高校生にとっても、今が追い込みの時期だ。推薦入試には小論文試験があるので、リクルート担当マネジャーの西村君やアシスタントディレクターの宮本さんが世話をして、その勉強会を毎週、続けているのである。
夕方、それぞれの学校の練習が終わった後で西宮市に集まり、これは冷房の効いた教室で毎回、800字の小論文を書く。
講師は不肖、私が務めている。小論文とはどういうものか、採点する人はどういうところに注目して点を付けるのか、自分の思ったこと、考えたことをどのようにして文章にすればいいのか、というようなことについて、分かりやすく説明する。書きあげた小論文を添削し、それぞれに講評を書き込む。大学の授業でやっていることを、そのまま高校生に向けてやっているようなものだ。
問題は、勉強会の回数である。高校生はあちこちから集まって来るので、週に何回も開催できない。それに、夏休みには長期の合宿もある。願書の締め切りが早いので、志望理由書を書くなどの出願手続きも並行して進めなければならない。何より、彼らのにはすぐに秋の大会が控えている。それぞれがチームの主力選手なので、勉強会だからといって、そうたびたびチームを離れるわけにはいかない。だから、短期集中で教えるしかない。
だが、小論文の指導も、フットボールの指導と同じで、二つ三つポイントをアドバイスすれば、それで完了、という性格のものではない。もの考え方、社会に対する関心の持ち方、さらにいえば、人生観とか、哲学とか、そういうもろもろがあって、そこからにじみ出してくること、噴出してくることを掬い上げるのが文章を書くということ。そういう奥行きのあることを「ハウツー」で教えようというのだから、はなから無理がある。
大学生の場合、前期、後期とも、10数回の授業があるので、いろんな課題が出せるし、授業を通じた交流も進む。その結果、授業が終わる頃には、学生たちもある程度の自信というか、手応えを持てるようになる。
それを半分以下の時間で手にしてもらおうというのだから、結構難しいミッションである。しかし、高校生たちには「ファイターズでアメフットをしたい」という強い動機がある。これがエネルギーになっているから、勉強会には全員が集中して取り組んでくれる。その気持ちがあるから、たとえ回数は少なく、時間も短くても、勉強会の効果は決して小さくない、と僕は思っている。
この勉強会は、平郡君と池谷君が高校3年生の時からスタートしたので、今季でもう16年目になる。その間、少ない年でも5人、多い年には10人以上、合計すると100人以上の高校生と接してきたが、時代が移っても彼らの「ファイターズでフットボールをしたい」という気持ちには、少しの変化もない。それどころか、最近は関東方面の高校生を含め、自ら志願してファイターズの門を叩いてくれる高校生が増えているので、学習意欲という点では、全く問題ない。その意欲をより高めるために、少しばかり油を差すのが、僕の仕事である。そう思うと、暑さの中、勉強会に向かうのも苦にならない。
さあ、今日も夕方から勉強会だ。早めに行って、冷房の効いた教室で本を読みながら、高校生が集まるのを待つことにしようかい。
家にエアコンは備えているが、あの原発事故以来、自分一人の時は、冷房も暖房も使わない(ついでにいえばテレビも見ない。紀州・田辺の家ではテレビそのものを放逐してしまった)。だから、頼りは窓から入って来る風だけ。今も短パンとシャツ一枚でパソコンに向かっている。
しかし、さすがに暑い。ムキになって熱いコーヒーを飲み、自分にむち打ちながらこのコラムを書いている。
そんな暑さの中で、学生諸君はいま、前期試験の終盤戦。彼らもムキになって試験の準備をし、日々難しい試験と格闘している。グラウンドに出掛けても、大学生の姿はほとんど見掛けない。大半の単位を取り終わっている4年生がミーティングをしているぐらいだ。8月1日から始まる真夏のトレーニングを控えて、いまはひたすら勉強に専念しているようだ。
勉強といえば、スポーツ推薦でファイターズにチャレンジしてくれる高校生にとっても、今が追い込みの時期だ。推薦入試には小論文試験があるので、リクルート担当マネジャーの西村君やアシスタントディレクターの宮本さんが世話をして、その勉強会を毎週、続けているのである。
夕方、それぞれの学校の練習が終わった後で西宮市に集まり、これは冷房の効いた教室で毎回、800字の小論文を書く。
講師は不肖、私が務めている。小論文とはどういうものか、採点する人はどういうところに注目して点を付けるのか、自分の思ったこと、考えたことをどのようにして文章にすればいいのか、というようなことについて、分かりやすく説明する。書きあげた小論文を添削し、それぞれに講評を書き込む。大学の授業でやっていることを、そのまま高校生に向けてやっているようなものだ。
問題は、勉強会の回数である。高校生はあちこちから集まって来るので、週に何回も開催できない。それに、夏休みには長期の合宿もある。願書の締め切りが早いので、志望理由書を書くなどの出願手続きも並行して進めなければならない。何より、彼らのにはすぐに秋の大会が控えている。それぞれがチームの主力選手なので、勉強会だからといって、そうたびたびチームを離れるわけにはいかない。だから、短期集中で教えるしかない。
だが、小論文の指導も、フットボールの指導と同じで、二つ三つポイントをアドバイスすれば、それで完了、という性格のものではない。もの考え方、社会に対する関心の持ち方、さらにいえば、人生観とか、哲学とか、そういうもろもろがあって、そこからにじみ出してくること、噴出してくることを掬い上げるのが文章を書くということ。そういう奥行きのあることを「ハウツー」で教えようというのだから、はなから無理がある。
大学生の場合、前期、後期とも、10数回の授業があるので、いろんな課題が出せるし、授業を通じた交流も進む。その結果、授業が終わる頃には、学生たちもある程度の自信というか、手応えを持てるようになる。
それを半分以下の時間で手にしてもらおうというのだから、結構難しいミッションである。しかし、高校生たちには「ファイターズでアメフットをしたい」という強い動機がある。これがエネルギーになっているから、勉強会には全員が集中して取り組んでくれる。その気持ちがあるから、たとえ回数は少なく、時間も短くても、勉強会の効果は決して小さくない、と僕は思っている。
この勉強会は、平郡君と池谷君が高校3年生の時からスタートしたので、今季でもう16年目になる。その間、少ない年でも5人、多い年には10人以上、合計すると100人以上の高校生と接してきたが、時代が移っても彼らの「ファイターズでフットボールをしたい」という気持ちには、少しの変化もない。それどころか、最近は関東方面の高校生を含め、自ら志願してファイターズの門を叩いてくれる高校生が増えているので、学習意欲という点では、全く問題ない。その意欲をより高めるために、少しばかり油を差すのが、僕の仕事である。そう思うと、暑さの中、勉強会に向かうのも苦にならない。
さあ、今日も夕方から勉強会だ。早めに行って、冷房の効いた教室で本を読みながら、高校生が集まるのを待つことにしようかい。
(16)直木賞のことなど
投稿日時:2014/07/18(金) 14:17
親友の黒川博行さんが直木賞に決まった。日本のエンターテイメント小説の書き手の中では屈指の手練れだが、なぜか直木賞には縁がなく、これまで5回も候補に挙がりながら、受賞を逸してきた。
けれども、今回の「破門」は、これまで以上に完成度が高く、僕は候補作に決まった時点で「今季の直木賞はこれで決まり」と、本人にも言い、周囲にもそれを公言してきた。誰よりも早くお祝いの気持ちをと、選考会当日に届くようにお祝いの品も贈った。
予想通りだった。選考会のある17日の夕方は、甲東園の駅近くで関西学院の先生たちがつくるサークル「アメフト探検会」の集まりに参加させてもらっていたが、食事中にそのうれしい知らせが届いた。最初は黒川さんの奥さんから、続いて受賞作の装丁をしているブックデザイナーの多田和博さんから、さらに親しくしている文藝春秋の常務やうちの娘からも電話が入った。
黒川さんの奥さんと言えば、僕が紀伊民報に掲載しているコラムを集めた「水鉄砲抄」の表紙の絵を描いてくれている日本画家だし、その本の装丁をしてくれているのが多田さんだ。多田さんはファイターズのホームページに書いているコラムを集めた「栄光への軌跡」の装丁を、いつも無料で引き受けてくれている。
そういう、何かと縁のある仲間が作った本が直木賞に輝いた。うれしい。目出度い。思わず「めでた、めでたぁの、若松さぁまぁよう」と歌い出したくなるほどだった。
実は、今でこそ僕は、ファイターズに血をたぎらせる「困ったおっさん」だが、その昔、朝日新聞社で記者をしていた頃は「大阪本社で一番の読書狂」として知られていた。新聞紙上に毎週1回、勝手な気ままな書評を10年以上も連載していたし、内藤陳さんが率いる「日本冒険小説協会」の熱心な会員でもあった。僕が担当していた書評で「今年の直木賞は『マークスの山』の?村薫さんで決まり」と出版直後に断言し、それが当たって、周囲から驚かれたこともある。
70歳を目前にして、読書量はさすがに少なくなったが、それでも年間200冊以上は読んでいる。その読書が書く力を養い、考える力を鍛えてくれる。
僕はいま、週末には関西学院大学の非常勤講師として、学生たちに小論文の指導をしているが、その根っこにあるのがこうした狂ったような読書の習慣と新聞記者としての熟練である。こうした経験があるから「自分の考えを深めること」「その考えを文章によって相手に伝えること」「そのためには、論理的な思考力を養わなければならない」なんぞという、およそ大雑把な授業でも、みんながまじめに聞いてくれるのである。
友人の直木賞受賞から、僕の読書体験、そして小論文指導と話は拡散するばかり。いっこうにファイターズのコラムにはなってこない。われながらあきれ果てた話だが、もう少しおつきあいを願いたい。必ずファイターズの話に引き戻します。
閑話休題。
小論文指導の話を続ける。春学期も秋学期も、最後の授業では必ず「この講座を受講して」という題で、学生たちに授業の感想を書いてもらうが、それを読むと、学生たちがいま何を求めているかがよく分かる。
彼らの求めていることをひとことでいうと、それは成長の実感である。春学期、彼らは文章を書くことに取り組んだ。はじめは書くことに自信がなかったが、何かのきっかけで「あっ、そうか。こう書けばいいんだ」というような実感を手にする。その実感を手にすると、次には見違えるような文章を書いてくる。成長の実感が自信になり、自らの内に秘めていた能力を開発することにつながるのである。
その際、大事なことがある。先生が言うだけの人なのか、それとも実際に手本を見せられる人なのか、ということだ。
例えば先日の授業では、福井地裁で画期的な判決があったのを受けて「原発について考える」という課題を与えた。学生たちはテレビで聞いたことなどを基に、苦しみながらなんとか60分間の制限時間内に800字の小論文を仕上げた。けれども、自信を持って書ききったという顔をしている子はほとんどいない。
そんな彼らに翌週、同じテーマで僕が新聞に書いたコラムのコピーを配布した。「君らに書けというだけでは、説得力がない。だから僕も同じテーマに挑戦し、それを新聞のコラムに発表した。これを読んでいただければ、僕が添削したり、講評を書いたりしていることにも、多少の説得力は出てくるでしょう」という注釈付きである。
すると、学生たちはなるほど、とうなずいてくれる。「同じテーマなのに、自分の小論文は欠陥だらけ、ところが先生の書いた文章は易しく書いているのに説得力がある。文章も読みやすい。この違いはどこにあるのか」「自分も先生の書くような文章が書いてみたい。がんばろう」ということになる。
「学ぶ」は「真似」ぶ。身近に手本があれば、成長のきっかけをつかむ機会は多い。きっかけをつかめば、目標が具体的に意識できる。成長を実感した瞬間に道が開ける。そういう循環である。
まるで、ファイターズの選手、スタッフの成長の軌跡と同じではないか。身近に手本を探し、それを真似ながら鍛錬する。何かで、成長の手応えをつかんだら、それがさらなる成長のエネルギーになる。選手として飛躍するのも、文章を書くのも、その意味では全く同じである。
以上、今回は私事ばかりで、まことに恐縮だが、親友の直木賞受賞という慶事に免じてご寛恕を。
けれども、今回の「破門」は、これまで以上に完成度が高く、僕は候補作に決まった時点で「今季の直木賞はこれで決まり」と、本人にも言い、周囲にもそれを公言してきた。誰よりも早くお祝いの気持ちをと、選考会当日に届くようにお祝いの品も贈った。
予想通りだった。選考会のある17日の夕方は、甲東園の駅近くで関西学院の先生たちがつくるサークル「アメフト探検会」の集まりに参加させてもらっていたが、食事中にそのうれしい知らせが届いた。最初は黒川さんの奥さんから、続いて受賞作の装丁をしているブックデザイナーの多田和博さんから、さらに親しくしている文藝春秋の常務やうちの娘からも電話が入った。
黒川さんの奥さんと言えば、僕が紀伊民報に掲載しているコラムを集めた「水鉄砲抄」の表紙の絵を描いてくれている日本画家だし、その本の装丁をしてくれているのが多田さんだ。多田さんはファイターズのホームページに書いているコラムを集めた「栄光への軌跡」の装丁を、いつも無料で引き受けてくれている。
そういう、何かと縁のある仲間が作った本が直木賞に輝いた。うれしい。目出度い。思わず「めでた、めでたぁの、若松さぁまぁよう」と歌い出したくなるほどだった。
実は、今でこそ僕は、ファイターズに血をたぎらせる「困ったおっさん」だが、その昔、朝日新聞社で記者をしていた頃は「大阪本社で一番の読書狂」として知られていた。新聞紙上に毎週1回、勝手な気ままな書評を10年以上も連載していたし、内藤陳さんが率いる「日本冒険小説協会」の熱心な会員でもあった。僕が担当していた書評で「今年の直木賞は『マークスの山』の?村薫さんで決まり」と出版直後に断言し、それが当たって、周囲から驚かれたこともある。
70歳を目前にして、読書量はさすがに少なくなったが、それでも年間200冊以上は読んでいる。その読書が書く力を養い、考える力を鍛えてくれる。
僕はいま、週末には関西学院大学の非常勤講師として、学生たちに小論文の指導をしているが、その根っこにあるのがこうした狂ったような読書の習慣と新聞記者としての熟練である。こうした経験があるから「自分の考えを深めること」「その考えを文章によって相手に伝えること」「そのためには、論理的な思考力を養わなければならない」なんぞという、およそ大雑把な授業でも、みんながまじめに聞いてくれるのである。
友人の直木賞受賞から、僕の読書体験、そして小論文指導と話は拡散するばかり。いっこうにファイターズのコラムにはなってこない。われながらあきれ果てた話だが、もう少しおつきあいを願いたい。必ずファイターズの話に引き戻します。
閑話休題。
小論文指導の話を続ける。春学期も秋学期も、最後の授業では必ず「この講座を受講して」という題で、学生たちに授業の感想を書いてもらうが、それを読むと、学生たちがいま何を求めているかがよく分かる。
彼らの求めていることをひとことでいうと、それは成長の実感である。春学期、彼らは文章を書くことに取り組んだ。はじめは書くことに自信がなかったが、何かのきっかけで「あっ、そうか。こう書けばいいんだ」というような実感を手にする。その実感を手にすると、次には見違えるような文章を書いてくる。成長の実感が自信になり、自らの内に秘めていた能力を開発することにつながるのである。
その際、大事なことがある。先生が言うだけの人なのか、それとも実際に手本を見せられる人なのか、ということだ。
例えば先日の授業では、福井地裁で画期的な判決があったのを受けて「原発について考える」という課題を与えた。学生たちはテレビで聞いたことなどを基に、苦しみながらなんとか60分間の制限時間内に800字の小論文を仕上げた。けれども、自信を持って書ききったという顔をしている子はほとんどいない。
そんな彼らに翌週、同じテーマで僕が新聞に書いたコラムのコピーを配布した。「君らに書けというだけでは、説得力がない。だから僕も同じテーマに挑戦し、それを新聞のコラムに発表した。これを読んでいただければ、僕が添削したり、講評を書いたりしていることにも、多少の説得力は出てくるでしょう」という注釈付きである。
すると、学生たちはなるほど、とうなずいてくれる。「同じテーマなのに、自分の小論文は欠陥だらけ、ところが先生の書いた文章は易しく書いているのに説得力がある。文章も読みやすい。この違いはどこにあるのか」「自分も先生の書くような文章が書いてみたい。がんばろう」ということになる。
「学ぶ」は「真似」ぶ。身近に手本があれば、成長のきっかけをつかむ機会は多い。きっかけをつかめば、目標が具体的に意識できる。成長を実感した瞬間に道が開ける。そういう循環である。
まるで、ファイターズの選手、スタッフの成長の軌跡と同じではないか。身近に手本を探し、それを真似ながら鍛錬する。何かで、成長の手応えをつかんだら、それがさらなる成長のエネルギーになる。選手として飛躍するのも、文章を書くのも、その意味では全く同じである。
以上、今回は私事ばかりで、まことに恐縮だが、親友の直木賞受賞という慶事に免じてご寛恕を。
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