石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2009/7
<<前へ |
(15)真夏の勉強会
投稿日時:2009/07/27(月) 18:13
忙しい。めちゃくちゃ忙しい。
仕事や会合の予定を書き込んだ愛用の手帳を見ると、これが還暦をとっくに過ぎたじいさんのスケジュールかと思うほど、予定が立て込んでいる。
この1カ月ほどの間に、和歌山県田辺市で開かれたシンポジウムのコメンテーター、友人からから頼まれた京都嵯峨芸術大学での特別講義、和歌山県の教員研修の講師などを立て続けにこなしてきた。先日は和歌山県の橋本高校で、体育館を埋めた高校生と併設の中学生を相手に「夏休みには思いっきり本を読もう」とゲキを飛ばしてきた。週が開ければ、全国高校野球大会の運営委員会がある。
小さな新聞社とはいえ、フルタイムで働いているから、会社の仕事も手が抜けない。これはどこの事業所でも同じだと思うが、人が集まれば、大なり小なり必ず問題が起きる。それを解決するのは管理職の仕事。この季節はまた、株主総会はあるし、入社試験の面接もしなければならない。
毎日の紙面をつくる仕事には、もちろん全力投球。忙しいからといって、読者の期待を裏切るわけにはいかない。
そのうえに、週末には、関西学院で仕事が待っている。体がいくつあっても足りない。
けれどもその合間を縫って、この時期には毎年、スポーツ推薦でファイターズを目指す高校生に小論文を指導する「寺子屋」を開講しなければならない。夏休みの練習を終えた高校生に集まってもらい、小論文の書き方の入門編を教えるのである。彼らが無事、推薦入試の関門を突破できるように、文章の書き方を教え、物事をとらえる感受性とか想像力とかについて、多少でも役に立てそうな話をするのである。
この勉強会を始めて今年で11年目になる。
最初は、僕がまだ朝日新聞社の論説委員をしている時で、教える相手も少なかった。仕事が一段落する時間に新聞社まで来てもらい、社内の喫茶室やビルの地下にある喫茶店で面談しながら、個別指導をしていた。教え方は手探りだったし、なにより僕自身が未熟だった。けれども、最初に担当した塾生が平郡雷太、池谷陽平という、とびきりセンスのよい生徒だったので、思った以上に効果が上がった。
それに自信を得て、翌年からは指導の手引きを作り、それを基に分かりやすく教える工夫をした。佐岡君や石田貴祐君の代である。平郡君や池谷君とは違って、やんちゃで勉強嫌いの面々だったが、その代わり、本気になって取り組むと上達は早い。毎回、わいわい言いながら勉強会を続けたことを思い出す。
今年も10人ほどの高校生が集まってもらい、週末ごとに勉強会を続けている。宮本敬士ディレクター補佐や歴代のリクルート担当マネジャー(今年は3年生の橋本拓真君)の熱心な協力で、適切な会場が確保できているし、教室の運営も軌道に乗ってきた。人数が多くなったから、当初のような徹底した個人指導はできないけれども、それでも「書くこと」だけはしっかり教えているつもりである。
小論文を書くとは、文章を通した自己表現であり、コミュニケーションである。せっかくあこがれのファイターズに入ったとしても、自分を表現できず、チームメートやコーチ、スタッフとコミュニケーションがとれないようでは、成長はおぼつかない。その前に、充実した大学生活を送ることが困難になるだろう。それでは入学しても意味がない。
だから、推薦入試には必ず小論文試験が科せられる。当然である。大学は勉強するところであり、自分を磨き、高める場所である。4年間、充実した学生生活を送り、社会に役立つ人間として巣立って行くためには、学問に対する好奇心とか、未知のモノに対する探求心とか、自らを高めたいという向上心とかが不可欠である。
運動能力が優れているというだけで、無条件で合格を保証することが、そういう探求心や向上心を刺激することにつながるとは、僕には到底思えない。苦しくとも、しっかり勉強し、自らの能力を鍛えて試験に臨み、その関門を突破してこそ、大学生活はより実り多く豊かになると僕は信じている。
だからこそ、どんなに忙しくても、時間を確保して高校生に「書くこと」について教え、「考えること」の大切さについて、くどくどと説いているのである。そういう勉強会に取り組むことで、明日のファイターズを担う面々が、成長のきっかけをつかんでくれたらと願っているのである。
仕事や会合の予定を書き込んだ愛用の手帳を見ると、これが還暦をとっくに過ぎたじいさんのスケジュールかと思うほど、予定が立て込んでいる。
この1カ月ほどの間に、和歌山県田辺市で開かれたシンポジウムのコメンテーター、友人からから頼まれた京都嵯峨芸術大学での特別講義、和歌山県の教員研修の講師などを立て続けにこなしてきた。先日は和歌山県の橋本高校で、体育館を埋めた高校生と併設の中学生を相手に「夏休みには思いっきり本を読もう」とゲキを飛ばしてきた。週が開ければ、全国高校野球大会の運営委員会がある。
小さな新聞社とはいえ、フルタイムで働いているから、会社の仕事も手が抜けない。これはどこの事業所でも同じだと思うが、人が集まれば、大なり小なり必ず問題が起きる。それを解決するのは管理職の仕事。この季節はまた、株主総会はあるし、入社試験の面接もしなければならない。
毎日の紙面をつくる仕事には、もちろん全力投球。忙しいからといって、読者の期待を裏切るわけにはいかない。
そのうえに、週末には、関西学院で仕事が待っている。体がいくつあっても足りない。
けれどもその合間を縫って、この時期には毎年、スポーツ推薦でファイターズを目指す高校生に小論文を指導する「寺子屋」を開講しなければならない。夏休みの練習を終えた高校生に集まってもらい、小論文の書き方の入門編を教えるのである。彼らが無事、推薦入試の関門を突破できるように、文章の書き方を教え、物事をとらえる感受性とか想像力とかについて、多少でも役に立てそうな話をするのである。
この勉強会を始めて今年で11年目になる。
最初は、僕がまだ朝日新聞社の論説委員をしている時で、教える相手も少なかった。仕事が一段落する時間に新聞社まで来てもらい、社内の喫茶室やビルの地下にある喫茶店で面談しながら、個別指導をしていた。教え方は手探りだったし、なにより僕自身が未熟だった。けれども、最初に担当した塾生が平郡雷太、池谷陽平という、とびきりセンスのよい生徒だったので、思った以上に効果が上がった。
それに自信を得て、翌年からは指導の手引きを作り、それを基に分かりやすく教える工夫をした。佐岡君や石田貴祐君の代である。平郡君や池谷君とは違って、やんちゃで勉強嫌いの面々だったが、その代わり、本気になって取り組むと上達は早い。毎回、わいわい言いながら勉強会を続けたことを思い出す。
今年も10人ほどの高校生が集まってもらい、週末ごとに勉強会を続けている。宮本敬士ディレクター補佐や歴代のリクルート担当マネジャー(今年は3年生の橋本拓真君)の熱心な協力で、適切な会場が確保できているし、教室の運営も軌道に乗ってきた。人数が多くなったから、当初のような徹底した個人指導はできないけれども、それでも「書くこと」だけはしっかり教えているつもりである。
小論文を書くとは、文章を通した自己表現であり、コミュニケーションである。せっかくあこがれのファイターズに入ったとしても、自分を表現できず、チームメートやコーチ、スタッフとコミュニケーションがとれないようでは、成長はおぼつかない。その前に、充実した大学生活を送ることが困難になるだろう。それでは入学しても意味がない。
だから、推薦入試には必ず小論文試験が科せられる。当然である。大学は勉強するところであり、自分を磨き、高める場所である。4年間、充実した学生生活を送り、社会に役立つ人間として巣立って行くためには、学問に対する好奇心とか、未知のモノに対する探求心とか、自らを高めたいという向上心とかが不可欠である。
運動能力が優れているというだけで、無条件で合格を保証することが、そういう探求心や向上心を刺激することにつながるとは、僕には到底思えない。苦しくとも、しっかり勉強し、自らの能力を鍛えて試験に臨み、その関門を突破してこそ、大学生活はより実り多く豊かになると僕は信じている。
だからこそ、どんなに忙しくても、時間を確保して高校生に「書くこと」について教え、「考えること」の大切さについて、くどくどと説いているのである。そういう勉強会に取り組むことで、明日のファイターズを担う面々が、成長のきっかけをつかんでくれたらと願っているのである。
(14)「どうした関学」といわれて
投稿日時:2009/07/13(月) 16:31
いま発売中のタッチダウン誌に「どうした関学」という小さな特集記事がある。お読みになっていない方のために、ポイントだけをお伝えしよう。
結論から言えば、その記事は春のシーズンのファイターズの戦いぶりを振り返り「どうした?関学」と問いかけているのである。
今季のファイターズは、初戦の日体大戦こそ大差で勝ったが、続く日大と京大の試合は、終盤にかろうじて逆転勝ち。内容的には、ともに押しまくられていた。唯一、社会人との戦いとなったアサヒ飲料戦は、なすすべなく大敗。東京に出掛けて戦った明治大戦も、相手に存分に走られて敗れ、最後の関大戦も終始リードを許し、最後の攻撃シリーズでなんとか逆転勝ち。
こういう戦いの足跡を振り返って「どうした?関学」と疑問を投げ掛け、本当の力はどの辺にあるのか、もたつきの原因はどこにあるのかと探っているのである。
たしかに今季の戦いぶりを見る限り、ファイターズのひ弱さは際立っている。その辺りのことは、このコラムの9回目や12回目にも書いてきた。僕自身が「どうした?ファイターズ」と聞きたいぐらいだ。
タッチダウン誌では、主将の新谷君や副将の亀井君へのインタビューを紹介したり、大村コーチの発言を補足したりしながら「どうした」の内容を突き止めようとしていた。しかし、当然のことながら、そう簡単に原因が突き止められるわけではない。その前に、本当に実力が落ちているのかどうかも検証できないだろう。
第一、監督をはじめコーチ陣があたふたしていない。僕のような素人がスタンドから見ていると、かなり今季は苦しそうだと見えるのだが、内部をよく知る監督やコーチから見れば、それほど心配することではないのかもしれない。例年になく2年生や1年生に成長を期待できるタレントがそろっていることで、チーム内の競争が激しくなり、夏から秋にかけてチーム力が飛躍的に上昇する手応えをつかんでいるのかもしれない。
あるいは、いまは昨年とは根本的に異なるチーム作りをしている途上であり、春の試合結果や内容は、そんなに気にしていないのかもしれない。「どうした関学」と問われても、本当のことは答えたくない、あるいは答えようがないのである。あえて答えを求めても「秋のシーズンを見てください」というのが正解かもしれない。
ならば、春のシーズンを振り返って、外野からとやかく言っても仕方がない。
それよりも、選手たちにとって、少しは実のあること、成長につながるかもしれないことを言っておく方がまだ生産的だろう。
こんな話がある。紹介したい。
先日、和歌山県田辺市で、関学の「教育フォーラム」が開かれ、関学の教授で精神科医の野田正彰さんが講演をされた。タイトルは「現代の子どもを考える」。題名の通り、現代という、子どもにとって生きにくい社会をどう生きるか、という内容の話だった。1時間半ほどの内容の濃い話だったが、その結論の部分で、野田先生は「私たちが生きていくために大切なこと」として次のようなことを話された。
一つは、情報化社会の中で、単なる知識は流れる情報と同じですぐに古くなってしまう。だからこそ知識に偏るのではなく、生きていくモチーフ、意欲が必要です。社会と接する中で、子どもは「あんな事がしたい」「こんな風になりたい」と思っています。その社会性を広げ、大人が一緒になって楽しむことが必要ではないでしょうか。だからモチベーションを持つことが最も大切なことです。自分の成長過程で得たそれぞれの物語から、自分の関心を高めていくという確かなモノを持つことが必要なのです。
もう一つある。人と人との信頼を形成する判断力を大切にすることです。「有名な会社に行っている」ということは、人を判断する材料にはなりません。自分なりの判断力を持つことが必要なのです。
そういう話だった。
これは「子どもが生きていくために必要なこと」として話をされたのだが、それを「ファイターズで成長するために必要なこと」と置き換えて考えれば、分かりやすい。
つまり、アメリカンフットボールに志したころはだれも「あんな選手になりたい」「あんなプレーがしてみたい」と思ったはずだ。自ら選んだ、その憧れというか目標に向かって意欲的に取り組むことが、自分を高めることにつながり、それが確固たる自信になって社会を生きていく力になるはずである。
もう一つの自分の判断力を磨く、自分なりの物差しを身につけることは、人と人との信頼を形成することから始まる。それもまたアメフットという競技の根底を成す事柄である。仲間への信頼、コーチと選手との信頼関係、自分自身への信頼。それを築き上げるためには、自らが立ち上がるしかない。自分自身に厳しい課題を課し、それを実現して見せなければ、周囲の信頼は得られない。口先だけでは通用しないのである。
アメフットには、まったく門外漢の先生の話だったが、こう考えると、ファイターズの諸君にとっても、示唆に富む内容が一杯含まれていた。あえて紹介させていただいた理由である。
結論から言えば、その記事は春のシーズンのファイターズの戦いぶりを振り返り「どうした?関学」と問いかけているのである。
今季のファイターズは、初戦の日体大戦こそ大差で勝ったが、続く日大と京大の試合は、終盤にかろうじて逆転勝ち。内容的には、ともに押しまくられていた。唯一、社会人との戦いとなったアサヒ飲料戦は、なすすべなく大敗。東京に出掛けて戦った明治大戦も、相手に存分に走られて敗れ、最後の関大戦も終始リードを許し、最後の攻撃シリーズでなんとか逆転勝ち。
こういう戦いの足跡を振り返って「どうした?関学」と疑問を投げ掛け、本当の力はどの辺にあるのか、もたつきの原因はどこにあるのかと探っているのである。
たしかに今季の戦いぶりを見る限り、ファイターズのひ弱さは際立っている。その辺りのことは、このコラムの9回目や12回目にも書いてきた。僕自身が「どうした?ファイターズ」と聞きたいぐらいだ。
タッチダウン誌では、主将の新谷君や副将の亀井君へのインタビューを紹介したり、大村コーチの発言を補足したりしながら「どうした」の内容を突き止めようとしていた。しかし、当然のことながら、そう簡単に原因が突き止められるわけではない。その前に、本当に実力が落ちているのかどうかも検証できないだろう。
第一、監督をはじめコーチ陣があたふたしていない。僕のような素人がスタンドから見ていると、かなり今季は苦しそうだと見えるのだが、内部をよく知る監督やコーチから見れば、それほど心配することではないのかもしれない。例年になく2年生や1年生に成長を期待できるタレントがそろっていることで、チーム内の競争が激しくなり、夏から秋にかけてチーム力が飛躍的に上昇する手応えをつかんでいるのかもしれない。
あるいは、いまは昨年とは根本的に異なるチーム作りをしている途上であり、春の試合結果や内容は、そんなに気にしていないのかもしれない。「どうした関学」と問われても、本当のことは答えたくない、あるいは答えようがないのである。あえて答えを求めても「秋のシーズンを見てください」というのが正解かもしれない。
ならば、春のシーズンを振り返って、外野からとやかく言っても仕方がない。
それよりも、選手たちにとって、少しは実のあること、成長につながるかもしれないことを言っておく方がまだ生産的だろう。
こんな話がある。紹介したい。
先日、和歌山県田辺市で、関学の「教育フォーラム」が開かれ、関学の教授で精神科医の野田正彰さんが講演をされた。タイトルは「現代の子どもを考える」。題名の通り、現代という、子どもにとって生きにくい社会をどう生きるか、という内容の話だった。1時間半ほどの内容の濃い話だったが、その結論の部分で、野田先生は「私たちが生きていくために大切なこと」として次のようなことを話された。
一つは、情報化社会の中で、単なる知識は流れる情報と同じですぐに古くなってしまう。だからこそ知識に偏るのではなく、生きていくモチーフ、意欲が必要です。社会と接する中で、子どもは「あんな事がしたい」「こんな風になりたい」と思っています。その社会性を広げ、大人が一緒になって楽しむことが必要ではないでしょうか。だからモチベーションを持つことが最も大切なことです。自分の成長過程で得たそれぞれの物語から、自分の関心を高めていくという確かなモノを持つことが必要なのです。
もう一つある。人と人との信頼を形成する判断力を大切にすることです。「有名な会社に行っている」ということは、人を判断する材料にはなりません。自分なりの判断力を持つことが必要なのです。
そういう話だった。
これは「子どもが生きていくために必要なこと」として話をされたのだが、それを「ファイターズで成長するために必要なこと」と置き換えて考えれば、分かりやすい。
つまり、アメリカンフットボールに志したころはだれも「あんな選手になりたい」「あんなプレーがしてみたい」と思ったはずだ。自ら選んだ、その憧れというか目標に向かって意欲的に取り組むことが、自分を高めることにつながり、それが確固たる自信になって社会を生きていく力になるはずである。
もう一つの自分の判断力を磨く、自分なりの物差しを身につけることは、人と人との信頼を形成することから始まる。それもまたアメフットという競技の根底を成す事柄である。仲間への信頼、コーチと選手との信頼関係、自分自身への信頼。それを築き上げるためには、自らが立ち上がるしかない。自分自身に厳しい課題を課し、それを実現して見せなければ、周囲の信頼は得られない。口先だけでは通用しないのである。
アメフットには、まったく門外漢の先生の話だったが、こう考えると、ファイターズの諸君にとっても、示唆に富む内容が一杯含まれていた。あえて紹介させていただいた理由である。
«前へ |
2009年7月
<<前月 | 翌月>> |
| |
| |
|