主務ブログ2024 2009/4
“厳しさ”
投稿日時:2009/04/11(土) 00:40
桜の花と新入生達にキャンパスが彩られ、活気があふれる時期になりました。三年前を懐かしく感じます。こんにちは、主務の三井です。
さて、今回は、前回お話ししていた通り、“厳しさ”の本質について書きたいと思います。
“厳しい”。デジタル大辞泉によると、「1.厳格で少しのゆるみも許さないさま。厳重である。2.いいかげんな対処が許されないさま。困難が多くて、大変なさま。3.自然現象などの程度が著しいさま。4.物事の状態が緊張・緊迫しているさま。…」となっています。厳しいと一言で言っても、これほどの意味を含んでいるのです。では、日本一を目指す取り組みの上で、“厳しく取り組む”とはどういうことなのでしょうか?
私は、上記の1.と2.の“厳しい”が当てはまると思います。練習中に少しのゆるみも許してはいけないし、いいかげんな練習やいいかげんな仕事も許してはいけません。要は、妥協なく取り組むということだと思います。
妥協なく取り組むという事が“厳しい”ということだとしても、厳しくするということと、しんどくするということとは全くの別物であると思います。厳しくした結果、しんどいという事はあるかもしれません(というか、ほぼ間違いなくしんどいのですが)。しかし、練習や行動の本質をとらえて、その本質を妥協なく追求し続けるということが真の厳しさのであると思います。ただただしんどいことをするというのは訳が違います。
また、“厳しい”とは二元的な意味をはらんだ言葉です。自らに課す厳しさと、周りに対して要求する厳しさです。この両方を部員全員が持ち合わせなければなりません。ストレングスコーチの油谷さんが「自分が決めたことをやり通すのが一番厳しい」とミーティングの際話してくれましたが、確かに自分が決めたことを完璧にやり通すことは、自分に対して相当厳しくないとできないことです。しかし、自分に対して一切の妥協なくやり切れる人間なんて、滅多にいるものではありません。自分ではやっているつもりでも、周りから見ればもっと厳しく取り組めるということは多々あります。だからこそ、他人に対しても厳しくならなければならないのです。自分に厳しくなりきれていないものを、戒めていかなくてはならない。そうすることで、お互いが自らに対して厳しくなっていけると考えます。
とは言うものの、絶対に勘違いしてはならないのは、自分に対して厳しくしようともせずに、他人に対してのみ厳しくするのでは全く意味がないということです。まずは、自分に対して厳しくすることが始まりです。自分が妥協なく取り組もうとすることです。その上で他人に対しても厳しくすることで、その人の言葉に重みが出てくるのです。
この4月に大村さんが新たにコーチに就任しました。大村さんのお陰で、確実に環境は“厳しい”ものに変化しました。しかし、コーチの力を借りての変化だけでは日本一には届きません。我々、部員一人一人が変わらなければなりません。
初戦まで後一週間強。昨年立命に負けてから今までの自分達の取り組み、大村さんが来てくださってからの成長した部分、まだまだ足りない部分など様々なものが顕著に出ると思います。次回はそのもろもろについて書きたいと思います。
では、今回はこの辺りで失礼致します。
さて、今回は、前回お話ししていた通り、“厳しさ”の本質について書きたいと思います。
“厳しい”。デジタル大辞泉によると、「1.厳格で少しのゆるみも許さないさま。厳重である。2.いいかげんな対処が許されないさま。困難が多くて、大変なさま。3.自然現象などの程度が著しいさま。4.物事の状態が緊張・緊迫しているさま。…」となっています。厳しいと一言で言っても、これほどの意味を含んでいるのです。では、日本一を目指す取り組みの上で、“厳しく取り組む”とはどういうことなのでしょうか?
私は、上記の1.と2.の“厳しい”が当てはまると思います。練習中に少しのゆるみも許してはいけないし、いいかげんな練習やいいかげんな仕事も許してはいけません。要は、妥協なく取り組むということだと思います。
妥協なく取り組むという事が“厳しい”ということだとしても、厳しくするということと、しんどくするということとは全くの別物であると思います。厳しくした結果、しんどいという事はあるかもしれません(というか、ほぼ間違いなくしんどいのですが)。しかし、練習や行動の本質をとらえて、その本質を妥協なく追求し続けるということが真の厳しさのであると思います。ただただしんどいことをするというのは訳が違います。
また、“厳しい”とは二元的な意味をはらんだ言葉です。自らに課す厳しさと、周りに対して要求する厳しさです。この両方を部員全員が持ち合わせなければなりません。ストレングスコーチの油谷さんが「自分が決めたことをやり通すのが一番厳しい」とミーティングの際話してくれましたが、確かに自分が決めたことを完璧にやり通すことは、自分に対して相当厳しくないとできないことです。しかし、自分に対して一切の妥協なくやり切れる人間なんて、滅多にいるものではありません。自分ではやっているつもりでも、周りから見ればもっと厳しく取り組めるということは多々あります。だからこそ、他人に対しても厳しくならなければならないのです。自分に厳しくなりきれていないものを、戒めていかなくてはならない。そうすることで、お互いが自らに対して厳しくなっていけると考えます。
とは言うものの、絶対に勘違いしてはならないのは、自分に対して厳しくしようともせずに、他人に対してのみ厳しくするのでは全く意味がないということです。まずは、自分に対して厳しくすることが始まりです。自分が妥協なく取り組もうとすることです。その上で他人に対しても厳しくすることで、その人の言葉に重みが出てくるのです。
この4月に大村さんが新たにコーチに就任しました。大村さんのお陰で、確実に環境は“厳しい”ものに変化しました。しかし、コーチの力を借りての変化だけでは日本一には届きません。我々、部員一人一人が変わらなければなりません。
初戦まで後一週間強。昨年立命に負けてから今までの自分達の取り組み、大村さんが来てくださってからの成長した部分、まだまだ足りない部分など様々なものが顕著に出ると思います。次回はそのもろもろについて書きたいと思います。
では、今回はこの辺りで失礼致します。
“厳しさ”
投稿日時:2009/04/11(土) 00:40
桜の花と新入生達にキャンパスが彩られ、活気があふれる時期になりました。三年前を懐かしく感じます。こんにちは、主務の三井です。
さて、今回は、前回お話ししていた通り、“厳しさ”の本質について書きたいと思います。
“厳しい”。デジタル大辞泉によると、「1.厳格で少しのゆるみも許さないさま。厳重である。2.いいかげんな対処が許されないさま。困難が多くて、大変なさま。3.自然現象などの程度が著しいさま。4.物事の状態が緊張・緊迫しているさま。…」となっています。厳しいと一言で言っても、これほどの意味を含んでいるのです。では、日本一を目指す取り組みの上で、“厳しく取り組む”とはどういうことなのでしょうか?
私は、上記の1.と2.の“厳しい”が当てはまると思います。練習中に少しのゆるみも許してはいけないし、いいかげんな練習やいいかげんな仕事も許してはいけません。要は、妥協なく取り組むということだと思います。
妥協なく取り組むという事が“厳しい”ということだとしても、厳しくするということと、しんどくするということとは全くの別物であると思います。厳しくした結果、しんどいという事はあるかもしれません(というか、ほぼ間違いなくしんどいのですが)。しかし、練習や行動の本質をとらえて、その本質を妥協なく追求し続けるということが真の厳しさのであると思います。ただただしんどいことをするというのは訳が違います。
また、“厳しい”とは二元的な意味をはらんだ言葉です。自らに課す厳しさと、周りに対して要求する厳しさです。この両方を部員全員が持ち合わせなければなりません。ストレングスコーチの油谷さんが「自分が決めたことをやり通すのが一番厳しい」とミーティングの際話してくれましたが、確かに自分が決めたことを完璧にやり通すことは、自分に対して相当厳しくないとできないことです。しかし、自分に対して一切の妥協なくやり切れる人間なんて、滅多にいるものではありません。自分ではやっているつもりでも、周りから見ればもっと厳しく取り組めるということは多々あります。だからこそ、他人に対しても厳しくならなければならないのです。自分に厳しくなりきれていないものを、戒めていかなくてはならない。そうすることで、お互いが自らに対して厳しくなっていけると考えます。
とは言うものの、絶対に勘違いしてはならないのは、自分に対して厳しくしようともせずに、他人に対してのみ厳しくするのでは全く意味がないということです。まずは、自分に対して厳しくすることが始まりです。自分が妥協なく取り組もうとすることです。その上で他人に対しても厳しくすることで、その人の言葉に重みが出てくるのです。
この4月に大村さんが新たにコーチに就任しました。大村さんのお陰で、確実に環境は“厳しい”ものに変化しました。しかし、コーチの力を借りての変化だけでは日本一には届きません。我々、部員一人一人が変わらなければなりません。
初戦まで後一週間強。昨年立命に負けてから今までの自分達の取り組み、大村さんが来てくださってからの成長した部分、まだまだ足りない部分など様々なものが顕著に出ると思います。次回はそのもろもろについて書きたいと思います。
では、今回はこの辺りで失礼致します。
さて、今回は、前回お話ししていた通り、“厳しさ”の本質について書きたいと思います。
“厳しい”。デジタル大辞泉によると、「1.厳格で少しのゆるみも許さないさま。厳重である。2.いいかげんな対処が許されないさま。困難が多くて、大変なさま。3.自然現象などの程度が著しいさま。4.物事の状態が緊張・緊迫しているさま。…」となっています。厳しいと一言で言っても、これほどの意味を含んでいるのです。では、日本一を目指す取り組みの上で、“厳しく取り組む”とはどういうことなのでしょうか?
私は、上記の1.と2.の“厳しい”が当てはまると思います。練習中に少しのゆるみも許してはいけないし、いいかげんな練習やいいかげんな仕事も許してはいけません。要は、妥協なく取り組むということだと思います。
妥協なく取り組むという事が“厳しい”ということだとしても、厳しくするということと、しんどくするということとは全くの別物であると思います。厳しくした結果、しんどいという事はあるかもしれません(というか、ほぼ間違いなくしんどいのですが)。しかし、練習や行動の本質をとらえて、その本質を妥協なく追求し続けるということが真の厳しさのであると思います。ただただしんどいことをするというのは訳が違います。
また、“厳しい”とは二元的な意味をはらんだ言葉です。自らに課す厳しさと、周りに対して要求する厳しさです。この両方を部員全員が持ち合わせなければなりません。ストレングスコーチの油谷さんが「自分が決めたことをやり通すのが一番厳しい」とミーティングの際話してくれましたが、確かに自分が決めたことを完璧にやり通すことは、自分に対して相当厳しくないとできないことです。しかし、自分に対して一切の妥協なくやり切れる人間なんて、滅多にいるものではありません。自分ではやっているつもりでも、周りから見ればもっと厳しく取り組めるということは多々あります。だからこそ、他人に対しても厳しくならなければならないのです。自分に厳しくなりきれていないものを、戒めていかなくてはならない。そうすることで、お互いが自らに対して厳しくなっていけると考えます。
とは言うものの、絶対に勘違いしてはならないのは、自分に対して厳しくしようともせずに、他人に対してのみ厳しくするのでは全く意味がないということです。まずは、自分に対して厳しくすることが始まりです。自分が妥協なく取り組もうとすることです。その上で他人に対しても厳しくすることで、その人の言葉に重みが出てくるのです。
この4月に大村さんが新たにコーチに就任しました。大村さんのお陰で、確実に環境は“厳しい”ものに変化しました。しかし、コーチの力を借りての変化だけでは日本一には届きません。我々、部員一人一人が変わらなければなりません。
初戦まで後一週間強。昨年立命に負けてから今までの自分達の取り組み、大村さんが来てくださってからの成長した部分、まだまだ足りない部分など様々なものが顕著に出ると思います。次回はそのもろもろについて書きたいと思います。
では、今回はこの辺りで失礼致します。