主務ブログ2024
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「オオカミの群れ」
投稿日時:2017/06/26(月) 22:49
先日、私の中学時代の恩師から「No.2理論―最も大切な成功法則」(西田文朗)という本を薦めていただきました。主な内容は組織におけるNo.2の重要性についてですが、その中に我々の春シーズンを振り返ったような、考えさせられる文面が記されていました。
「オオカミの群れにもボスがいて、手強い相手と戦う時には見事な連携プレーを見せる。しかし、彼らは仲間に指示を出したり、落ち込んでいる仲間を勇気付けたりしない。これは、本能的な一体感があるがゆえである。人間は、このような本能的な連携プレーができないからこそ目標を掲げ、それを確実に、効果的に行うのである」
春シーズンを終え、これまでの我々を見つめなおした時、まさにこの本における「オオカミの群れ」になってしまっていたのではないかと痛感しました。たただやみくもに練習するだけ。気持ち、気持ちと声を荒げて言うだけ。監督がパナソニック戦の試合後、「気持ちだけで試合に勝てるわけがない」とおっしゃった事が全てであったと思います。
春シーズン、学生相手には勝利したものの、その勝利は次に繋がるものだったのだろうか。パナソニックの敗戦を心の底から悔やんでいる者がどれだけいるのだろうか。勝利と敗北から何を得たのか。
自分たちは弱い。その分やらなければならないことは山積みです。しかし、何事もただやみくもにこなせばいいという訳ではないということを春シーズン通して感じました。自分たちが例年以上に弱いという事実を受け入れつつも、「何を、いつまでに、どのように達成するのか」と冷静に計画的に考える力、これこそが私自身を含めたチーム、特に4年生に足りていません。
気持ちを発揮するための土台作りができるか否かは8月の練習開始までの期間にかかっています。もう一度、一人一人が自分自身を見つめなおし、「あとはやるだけ」という思いで8月を迎えられるよう取り組んでまいります。
「オオカミの群れにもボスがいて、手強い相手と戦う時には見事な連携プレーを見せる。しかし、彼らは仲間に指示を出したり、落ち込んでいる仲間を勇気付けたりしない。これは、本能的な一体感があるがゆえである。人間は、このような本能的な連携プレーができないからこそ目標を掲げ、それを確実に、効果的に行うのである」
春シーズンを終え、これまでの我々を見つめなおした時、まさにこの本における「オオカミの群れ」になってしまっていたのではないかと痛感しました。たただやみくもに練習するだけ。気持ち、気持ちと声を荒げて言うだけ。監督がパナソニック戦の試合後、「気持ちだけで試合に勝てるわけがない」とおっしゃった事が全てであったと思います。
春シーズン、学生相手には勝利したものの、その勝利は次に繋がるものだったのだろうか。パナソニックの敗戦を心の底から悔やんでいる者がどれだけいるのだろうか。勝利と敗北から何を得たのか。
自分たちは弱い。その分やらなければならないことは山積みです。しかし、何事もただやみくもにこなせばいいという訳ではないということを春シーズン通して感じました。自分たちが例年以上に弱いという事実を受け入れつつも、「何を、いつまでに、どのように達成するのか」と冷静に計画的に考える力、これこそが私自身を含めたチーム、特に4年生に足りていません。
気持ちを発揮するための土台作りができるか否かは8月の練習開始までの期間にかかっています。もう一度、一人一人が自分自身を見つめなおし、「あとはやるだけ」という思いで8月を迎えられるよう取り組んでまいります。
自責と他責
投稿日時:2017/05/14(日) 08:23
更新が遅くなり申し訳ありません。
今回は、現在のチーム状況について書かせていただきます。
先日、アシスタントコーチである島野さんから4年生に向けて、「自責と他責」という題目の文書をいただきました。その中に、現在のチーム状況を表したような一文がありました。
「今のあなたに、RBがファンブルするのも、LBがミスタックルするのも、キックが外れるのも、全て自分の責任だと言えますか?それが出来てこそ、本当の仲間、大人のチーム、日本一のチームになれると思っています。」
この言葉を自分自身、チームに当てはめるとどうだろうか?私には思い当たる節があります。高校時代の最終戦、敗れたときに真っ先に沸き出た感情が、「あいつが」「お前が」という他責なものでありました。今回の島野さんの言葉を読んだうえで振り返ってみると、負けた時に他人の責任だと思っている時点で、負けるべくして負けたのではないか、また、「仲間のミスは俺のミス」と胸を張って言えないほどの取り組みであった自分に憤りを感じました。
チームで起こる問題・課題・ミスに対して、何人が、どれだけ我が事のように考えて取り組んでいるのか。昨年から主力が多く抜ける分、上級生・下級生など関係なく、同じレベルでミスに対して要求しようと4年生で決めて取り組んできました。ただ、それは結果的に言いっ放しになっていたのではないか、ミスをした仲間に対して罵声を浴びせていただけではなかったか。「優しく接しなさい」という訳ではありません。生ぬるい優しさではなく、時には厳しくもある「仲間を思った指摘」が、我々のチームにはまだまだ足りていないのではないか、と思います。
言いっぱなしで終わらせるのではなく、仲間が同じミス・問題を二度と起こさないよう練習に付き合う、何故そうなったかを一緒に考える。毎年言われていることですが、一部の人間だけが動いて変わることではありません。「おまえが」「あいつが」というような他責な環境ではなく、より多くの部員がお互いに興味を持ち、「あいつのミスは俺のミス」と言えるだけの覚悟を持てるような環境を作るべくこれからも精進して参ります。
今回は、現在のチーム状況について書かせていただきます。
先日、アシスタントコーチである島野さんから4年生に向けて、「自責と他責」という題目の文書をいただきました。その中に、現在のチーム状況を表したような一文がありました。
「今のあなたに、RBがファンブルするのも、LBがミスタックルするのも、キックが外れるのも、全て自分の責任だと言えますか?それが出来てこそ、本当の仲間、大人のチーム、日本一のチームになれると思っています。」
この言葉を自分自身、チームに当てはめるとどうだろうか?私には思い当たる節があります。高校時代の最終戦、敗れたときに真っ先に沸き出た感情が、「あいつが」「お前が」という他責なものでありました。今回の島野さんの言葉を読んだうえで振り返ってみると、負けた時に他人の責任だと思っている時点で、負けるべくして負けたのではないか、また、「仲間のミスは俺のミス」と胸を張って言えないほどの取り組みであった自分に憤りを感じました。
チームで起こる問題・課題・ミスに対して、何人が、どれだけ我が事のように考えて取り組んでいるのか。昨年から主力が多く抜ける分、上級生・下級生など関係なく、同じレベルでミスに対して要求しようと4年生で決めて取り組んできました。ただ、それは結果的に言いっ放しになっていたのではないか、ミスをした仲間に対して罵声を浴びせていただけではなかったか。「優しく接しなさい」という訳ではありません。生ぬるい優しさではなく、時には厳しくもある「仲間を思った指摘」が、我々のチームにはまだまだ足りていないのではないか、と思います。
言いっぱなしで終わらせるのではなく、仲間が同じミス・問題を二度と起こさないよう練習に付き合う、何故そうなったかを一緒に考える。毎年言われていることですが、一部の人間だけが動いて変わることではありません。「おまえが」「あいつが」というような他責な環境ではなく、より多くの部員がお互いに興味を持ち、「あいつのミスは俺のミス」と言えるだけの覚悟を持てるような環境を作るべくこれからも精進して参ります。
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