石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2018/12
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(32)祈りと浪花節
投稿日時:2018/12/24(月) 21:49
「ファイターズはよく祈る」と、ファイターズの顧問であり、関西学院の宗教総主事やファイターズの副部長を務められた前島宗甫先生が神学部の「後援会便り」にお書きになっている。
こんな内容である。
? 1月末の卒業生壮行会、4月1日、新チームの練習スタート時、8月1日は秋本番の練習に向けて、そして春、秋のそれぞれの試合前、最終のライスボウルまで勝ち上がると、祈りの時間は都合20回近くなる。
? 始まりは1977年11月。後に「涙の日生球場」と語り次がれる京大との激戦の前に、チームドクターだった今は亡き杉本公允医師(塚口教会員)が自然発生的に選手たちと祈られたのがきっかけ。その後、元コーチで宗教センターの職員だった古結章司さんが渡米された際カレッジの試合で祈りが持たれていることを知り、取り入れることを進言。ビッグゲームなどで祈りが行われるようになった。
? 2003年の夏、平郡雷太君が急死した。(ファイターズの副部長だった私は)学生らの要望で記念会を行い、それ以降、試合の直前に祈るようになった。以来今日まで全試合前に行われている。私は退職した後も顧問に任じられ、祈りを担当してきた。これは部長や監督が命じたものではない。部員たちの自主性による。毎年新チームになると、主務が「今年もお願いします」と依頼に来る。
? 試合開始10分前。選手、コーチ、スタッフ全員が集まる。プレッシャーが最高にかかる瞬間である。聖書を読み、それにちなんで語り掛け、祈る。その間、約2分と決めている。選手たちのテンションの高さは半端ではない。クールダウンさせつつ、モチベーションは下げない。「腑に落ちる」言葉が求められる。
? 学生たちはどう受け止めているだろうか。「気持ちがぐっと引き締まる瞬間」(2011年、長島義明副将)、「一つになるために必要な時間」(2014年、鷺野聡主将)……。
以上のようなことを書き「ファイターズは祈りを育ててきた。学生たちが自らの思い、志を育ててきた。グラウンドでまたミーティングで思いをぶつけ合い体現してきた」「強いファイターズであると同時にファイター一人一人の人間性が問われる。関西学院という教育機関の課外教育の意味がここにある」と結ばれている。
前島先生の祈りだけではない。ファイターズでは、毎年新しいシーズンが始まる前、鳥内監督が新しく4年生になる一人一人の部員と時間を掛けて面談し「どんな男になんねん」「どんな風にチームに貢献すんねん」と問い掛けられる。ビッグゲームの試合前日には必ず4年生とホテルに泊まり込み、選手一人一人の覚悟を問われる。
小野宏ディレクターは、コーチの時代、これまたビッグゲームの前には第3フィールドの中央に選手を集め、「堂々と勝ち、堂々と負けよ」から始まるカール・ダイムの詩を読み上げ、戦いに挑む戦士の士気を鼓舞されていた。それぞれが魂の深いところに問い掛けるスピリチュアルな試みであり「やらされる」フットボールではなく、「部員自らが思い、志を育てる」手助けである。
こんな風に書いていくと、ファイターズはなんと窮屈なチームだろう、と早とちりされるかもしれない。しかし、現場でチームに寄り添っていると、決してそんなことはない。
この前の甲子園ボウル。試合終了間際のファイターズの攻撃シリーズを思い浮かべてみると、それが即座に理解されるはずだ。
残り時間約1分30秒。得点は37-20でファイターズがリード。タッチダウンを2本とっても追いつかない局面でファイターズの攻撃が始まる。相手陣45ヤードからの第一プレーはQB西野からWR阿部への34ヤードパス。ゴール前11ヤードからの攻撃ではRB富永に立て続けにボールを持たせて第4ダウン残り1ヤード。相手ゴールまで残り2ヤードという局面で足の負傷で試合に出られないRB山口がチームメートに支えられるようにしてRBのポジションに着く。
ファイターズファンが陣取ったレフト側アルプス席と外野席から万雷の拍手が送られる。立命との決戦で鮮やかな独走TDを挙げただけでなく、今季の攻撃陣を終始リードしてきた彼をどうしても甲子園のグラウンドに立たせたいというコーチとチームメートの思いを汲んだベンチの計らいだった。
試合後、グラウンドに降り、喜びで顔をくしゃくしゃにしているQB奥野やRB中村らの右腕にそれぞれマジックで「34」と書き込まれているのを見、それが山口自身の手で書き込まれたと聞いたとき、僕は思わず「よっしゃー。これがファイターズや」とコブシを握った。
近くの大村コーチに聞くと「早稲田さんに失礼かとも思ったんですけど、どうしても最後の場面ではけがで苦労したメンバーを出したかった。山口はもちろん、最後にけがをした西野にも思い切りパスを投げさせられたし、この1年以上、ずっとけがで苦しみながらパートを引っ張ってきた富永も走らせることができた。4年生最後の甲子園。努力してきたヤツが思い残すことのないようにしてやりたかった」という答えが返ってきた。
まるで浪花節の世界である。けれども、ファイターズにとっては、こうした浪花節のよう気配りは珍しいことではない。2013年、日大と戦った甲子園ボウルでは直前に大けがをした池田雄紀君を副将の鳥内将希君や主将の池永健人君らが抱きかかえるようにしてサイドラインに並ばせたし、翌年はこれまた甲子園ボウル直前にけがをしたWRの横山公則君を周囲の4年生が包み込むようにして入場門を入っていった。
共同通信の宍戸博昭さん(日大OB)が最近の自身のコラムにこんなことを書いておられる。「全盛期の日大は、篠竹監督の個人商店、ファイターズは組織で勝負する総合商社」「ゲームプラン、プレーのデザイン、コールを含めて、よくコーチングされた関学の選手は相手の弱点を見逃さないしたたかさと高い遂行力を備えていた」……。
少々褒めすぎのような気もするが、選手に高い精神性を求め、魂の根幹に触れる祈りと、人間の感情に訴え、熱き血を奮い立たせ、涙を共有する浪花節が共存し、融合するファイターズのたたずまいに接していると、なるほど、これが総合商社と呼ばれる理由かも知れないという気がしてきた。
こんな内容である。
? 1月末の卒業生壮行会、4月1日、新チームの練習スタート時、8月1日は秋本番の練習に向けて、そして春、秋のそれぞれの試合前、最終のライスボウルまで勝ち上がると、祈りの時間は都合20回近くなる。
? 始まりは1977年11月。後に「涙の日生球場」と語り次がれる京大との激戦の前に、チームドクターだった今は亡き杉本公允医師(塚口教会員)が自然発生的に選手たちと祈られたのがきっかけ。その後、元コーチで宗教センターの職員だった古結章司さんが渡米された際カレッジの試合で祈りが持たれていることを知り、取り入れることを進言。ビッグゲームなどで祈りが行われるようになった。
? 2003年の夏、平郡雷太君が急死した。(ファイターズの副部長だった私は)学生らの要望で記念会を行い、それ以降、試合の直前に祈るようになった。以来今日まで全試合前に行われている。私は退職した後も顧問に任じられ、祈りを担当してきた。これは部長や監督が命じたものではない。部員たちの自主性による。毎年新チームになると、主務が「今年もお願いします」と依頼に来る。
? 試合開始10分前。選手、コーチ、スタッフ全員が集まる。プレッシャーが最高にかかる瞬間である。聖書を読み、それにちなんで語り掛け、祈る。その間、約2分と決めている。選手たちのテンションの高さは半端ではない。クールダウンさせつつ、モチベーションは下げない。「腑に落ちる」言葉が求められる。
? 学生たちはどう受け止めているだろうか。「気持ちがぐっと引き締まる瞬間」(2011年、長島義明副将)、「一つになるために必要な時間」(2014年、鷺野聡主将)……。
以上のようなことを書き「ファイターズは祈りを育ててきた。学生たちが自らの思い、志を育ててきた。グラウンドでまたミーティングで思いをぶつけ合い体現してきた」「強いファイターズであると同時にファイター一人一人の人間性が問われる。関西学院という教育機関の課外教育の意味がここにある」と結ばれている。
前島先生の祈りだけではない。ファイターズでは、毎年新しいシーズンが始まる前、鳥内監督が新しく4年生になる一人一人の部員と時間を掛けて面談し「どんな男になんねん」「どんな風にチームに貢献すんねん」と問い掛けられる。ビッグゲームの試合前日には必ず4年生とホテルに泊まり込み、選手一人一人の覚悟を問われる。
小野宏ディレクターは、コーチの時代、これまたビッグゲームの前には第3フィールドの中央に選手を集め、「堂々と勝ち、堂々と負けよ」から始まるカール・ダイムの詩を読み上げ、戦いに挑む戦士の士気を鼓舞されていた。それぞれが魂の深いところに問い掛けるスピリチュアルな試みであり「やらされる」フットボールではなく、「部員自らが思い、志を育てる」手助けである。
こんな風に書いていくと、ファイターズはなんと窮屈なチームだろう、と早とちりされるかもしれない。しかし、現場でチームに寄り添っていると、決してそんなことはない。
この前の甲子園ボウル。試合終了間際のファイターズの攻撃シリーズを思い浮かべてみると、それが即座に理解されるはずだ。
残り時間約1分30秒。得点は37-20でファイターズがリード。タッチダウンを2本とっても追いつかない局面でファイターズの攻撃が始まる。相手陣45ヤードからの第一プレーはQB西野からWR阿部への34ヤードパス。ゴール前11ヤードからの攻撃ではRB富永に立て続けにボールを持たせて第4ダウン残り1ヤード。相手ゴールまで残り2ヤードという局面で足の負傷で試合に出られないRB山口がチームメートに支えられるようにしてRBのポジションに着く。
ファイターズファンが陣取ったレフト側アルプス席と外野席から万雷の拍手が送られる。立命との決戦で鮮やかな独走TDを挙げただけでなく、今季の攻撃陣を終始リードしてきた彼をどうしても甲子園のグラウンドに立たせたいというコーチとチームメートの思いを汲んだベンチの計らいだった。
試合後、グラウンドに降り、喜びで顔をくしゃくしゃにしているQB奥野やRB中村らの右腕にそれぞれマジックで「34」と書き込まれているのを見、それが山口自身の手で書き込まれたと聞いたとき、僕は思わず「よっしゃー。これがファイターズや」とコブシを握った。
近くの大村コーチに聞くと「早稲田さんに失礼かとも思ったんですけど、どうしても最後の場面ではけがで苦労したメンバーを出したかった。山口はもちろん、最後にけがをした西野にも思い切りパスを投げさせられたし、この1年以上、ずっとけがで苦しみながらパートを引っ張ってきた富永も走らせることができた。4年生最後の甲子園。努力してきたヤツが思い残すことのないようにしてやりたかった」という答えが返ってきた。
まるで浪花節の世界である。けれども、ファイターズにとっては、こうした浪花節のよう気配りは珍しいことではない。2013年、日大と戦った甲子園ボウルでは直前に大けがをした池田雄紀君を副将の鳥内将希君や主将の池永健人君らが抱きかかえるようにしてサイドラインに並ばせたし、翌年はこれまた甲子園ボウル直前にけがをしたWRの横山公則君を周囲の4年生が包み込むようにして入場門を入っていった。
共同通信の宍戸博昭さん(日大OB)が最近の自身のコラムにこんなことを書いておられる。「全盛期の日大は、篠竹監督の個人商店、ファイターズは組織で勝負する総合商社」「ゲームプラン、プレーのデザイン、コールを含めて、よくコーチングされた関学の選手は相手の弱点を見逃さないしたたかさと高い遂行力を備えていた」……。
少々褒めすぎのような気もするが、選手に高い精神性を求め、魂の根幹に触れる祈りと、人間の感情に訴え、熱き血を奮い立たせ、涙を共有する浪花節が共存し、融合するファイターズのたたずまいに接していると、なるほど、これが総合商社と呼ばれる理由かも知れないという気がしてきた。
(31)「日本1」
投稿日時:2018/12/17(月) 10:54
甲子園ボウルの激闘が終わり、インタビューや表彰式が終わった後の最後のハドルで、光藤主将が腹の底から絞り出すように声を張り上げた。「ニホン イチ」。しばらく間を置いて「オレらが日本1や」と続ける。その言葉の力強さに、苦しみの中でも決して折れることなく戦ってきた「チーム光藤」の万感の思いがこもっていた。
2年振りに顔を合わせた早稲田は、前評判通りの強さだった。攻撃では高いパス能力を持つQBとたぐいまれなスピード、捕球力を持ち合わせた複数のレシーバーがおり、突破力を持ったRBも複数いる。主将を中心とした守備のラインも強力だ。全体的にやや前よりに位置したLBの動きも鋭い。
こういうやっかいな相手に、どこから突破口を開くのか。とにかく立ち上がりの攻防が勝負だ。そう思いながらキックオフを待つ。 幸いなことにファイターズのレシーブから試合が始まる。自陣26ヤードから最初のシリーズ。さて、どう攻めるかと注目した第1プレーはQB奥野からWR阿部へのパス。それが見事に通ってダウンを更新。次はRB中村がするするっと抜け出して13ヤードのラン。わずか2プレーで相手陣に入る。次のパスは通らなかったが、今度はRB渡邊が右オープンを抜けて駆け上がり、一気にゴール前1ヤードまで攻め込む。ここできっちり中村が中央へのダイブを決める。K安藤のキックも、お約束のように決まって7-0。わずか6プレーで欲しかった先制点を奪い、チーム全体に落ち着きをもたらす。
しかし、相手も強い。最初の攻撃シリーズからランとパスをバランスよく織り交ぜて一気に攻め込んで来る。途中、ファイターズはDL三笠が強烈なQBサックで相手を追い込んだが、相手はそれにひるまず、思い切りのよいパスを投げ込んで陣地を進め、これまたわずか8プレーで同点。
懸念していた通り、やっかいな相手だ。難しい試合のなるぞ、と懸念していた矢先、DB畑中が絶妙のインターセプトを決める。地面すれすれの低いパスに、一瞬の迷いもなく飛び込み、ボールを確保する。
この好機に、安藤がFGを決めて10-7。再ファイターズがリード。
圧巻は2Qに入ってからの攻守の動き。まずは開始早々、安藤が2本目のFGを決めて13-7。この前後から守備のリズムがよくなり、DB荒川のパスカット、三笠の2本目のQBサックなどが飛び出す。極めつけは、その次のプレー。第4ダウンで蹴った相手パントをLB板敷がブロック、こぼれたボールをLB海崎が確保し、16ヤードをリターンして相手ゴール前1ヤードに迫る。
その好機にQB光藤がするするとラインの穴をついてTD。勢いに乗ったファイターズは次の攻撃シリーズでもRB三宅が41ヤードの独走TDを決め、27-7とリード。そのまま前半終了。
後半になってもファイターズの攻守のリズムは崩れない。最終的には相手に2本のTDを許したが、ファイターズもしっかりTDとFGで10点を追加し、37-20で試合終了。昨年、日大を相手に敗戦を喫した悔しさを晴らした。
さて、勝因はどこにあるのだろう。結果はすべてグラウンドにあるという。
その視点で見れば、まずは守備陣の健闘が挙げられる。リズムに乗れば、ランでもパスでも、一気にTDまで持ち込む能力のある選手を揃えた早稲田を相手に、彼らはその力を存分に発揮させないまま、試合終了まで耐え続けた。1列目の中央を支えた藤本、エンドから再三、スピードに乗ってQBに襲いかかり、二つのQBサックと、生涯初めてというインターセプトを記録した三笠。これぞ最前列を守る豪傑というプレーで、相手の選択肢を一気に狭めてしまった。
2列目の中心を担った海崎、繁治の2年生コンビ。さらにはDLとの兼任で能力を開花させた二人の3年生、大竹と板敷の活躍も光った。3列目は4年生の横澤、西原、荒川、木村が適切な反応で相手のボールキャリアに食いつき、最後の砦を3年生の畑中が守った
攻撃陣の動きも安定していた。先発したQB奥野はもちろん、途中から出場した光藤と西野がそれぞれの持ち味を発揮して攻撃のリズムをつくり上げた。松井、小田、阿部という傑出したメンバーが代表するレシーバー陣が的確なブロックと捕球でそれを支えた。OLもシーズン当初はバタバタしていたが、リーグ戦の後半から、見違えるような安定感をみせた。RB陣では大黒柱の山口がけがで欠場したが、その穴を同じ4年生の中村や傑出したスピードを持つ3年生の渡邊、2年生の三宅が埋め、痛手を感じさせなかった。
キッカーの安藤、スナッパーの鈴木、ホールダーの中岡を中心としたキッキングチームの安定感も素晴らしかった。
このように名前を挙げて行くと、今季のファイターズには、甲子園という舞台で輝いた星が数え切れないほどいることが分かる。傑出した能力を持った「豪傑」と呼ぶにふさわしいプレーヤーもいるし、彗星のように表れた新星もいる。グラウンドに立つそれぞれの選手がそれぞれの分野で活躍する場面を自らつかみ取り、あるいは仲間を輝かせた。そういう集団であるからこそ、やっかいな相手にも真っ向から立ち向かい、勝負を決することができたのだろう。
それを証明したのがこの日、第3ダウンロングという場面で再三登用され、相手攻撃陣に果敢に切り込んでいったDL斎藤らの活躍であろう。
これは今季の関西リーグを振り返ってもいえることだが、対戦相手はそれぞれに強力だった。守備のラインが傑出していた近大、闘志を前面に出して挑みかかってきた京大、ファイターズ守備陣を翻弄し、ほとんど勝利を手にしていた関大、例年通り攻守ともに強力なメンバーを揃えた立命。そしてこの日、その高い能力の片鱗を随所で見せた早稲田。
こういう強豪を相手に、ファイターズがどうして勝ち、日本1になれたのか。僕自身、まだ十分に納得できる答は出せていないが、あえていえば、次のようなことではなかろうか。
一つは自らグラウンドに活躍の場を求めた選手達の精進と努力。それを支えたマネジャーやトレーナー、アナライジングスタッフの献身。それによって技量がアップし、試合ごとに活躍の場が広がって、選手自らが半歩、一歩と前進し続けたからではないか。
二つ目は、そうした選手たちの力量を見極め、それぞれの力を生かす攻め方、守り方を決めていったベンチの采配やコーチ陣の能力の高さである。その要求を受け止め、自ら活躍の場を求めた選手たちのフットボール理解力の向上も勝利に大きく貢献したはずだ。
さらにいえば歴代のチームが培ってきたチームのたたずまい、OBの方々の物心両面の支援も含めて、ファイターズはそれぞれの分野でほんの少しずつかもしれないが、ライバルたちを上回っていたのではないか。
そのトータルがこの日、甲子園で戦う権利をもたらし、その勝者となる道を開いたのだろう。試合終了後のハドルで、光藤主将が「日本1」と雄叫びを上げ、しばらく間を置いて「俺たちが日本1や」と叫んだ言葉にはそれだけの重みがある。
2年振りに顔を合わせた早稲田は、前評判通りの強さだった。攻撃では高いパス能力を持つQBとたぐいまれなスピード、捕球力を持ち合わせた複数のレシーバーがおり、突破力を持ったRBも複数いる。主将を中心とした守備のラインも強力だ。全体的にやや前よりに位置したLBの動きも鋭い。
こういうやっかいな相手に、どこから突破口を開くのか。とにかく立ち上がりの攻防が勝負だ。そう思いながらキックオフを待つ。 幸いなことにファイターズのレシーブから試合が始まる。自陣26ヤードから最初のシリーズ。さて、どう攻めるかと注目した第1プレーはQB奥野からWR阿部へのパス。それが見事に通ってダウンを更新。次はRB中村がするするっと抜け出して13ヤードのラン。わずか2プレーで相手陣に入る。次のパスは通らなかったが、今度はRB渡邊が右オープンを抜けて駆け上がり、一気にゴール前1ヤードまで攻め込む。ここできっちり中村が中央へのダイブを決める。K安藤のキックも、お約束のように決まって7-0。わずか6プレーで欲しかった先制点を奪い、チーム全体に落ち着きをもたらす。
しかし、相手も強い。最初の攻撃シリーズからランとパスをバランスよく織り交ぜて一気に攻め込んで来る。途中、ファイターズはDL三笠が強烈なQBサックで相手を追い込んだが、相手はそれにひるまず、思い切りのよいパスを投げ込んで陣地を進め、これまたわずか8プレーで同点。
懸念していた通り、やっかいな相手だ。難しい試合のなるぞ、と懸念していた矢先、DB畑中が絶妙のインターセプトを決める。地面すれすれの低いパスに、一瞬の迷いもなく飛び込み、ボールを確保する。
この好機に、安藤がFGを決めて10-7。再ファイターズがリード。
圧巻は2Qに入ってからの攻守の動き。まずは開始早々、安藤が2本目のFGを決めて13-7。この前後から守備のリズムがよくなり、DB荒川のパスカット、三笠の2本目のQBサックなどが飛び出す。極めつけは、その次のプレー。第4ダウンで蹴った相手パントをLB板敷がブロック、こぼれたボールをLB海崎が確保し、16ヤードをリターンして相手ゴール前1ヤードに迫る。
その好機にQB光藤がするするとラインの穴をついてTD。勢いに乗ったファイターズは次の攻撃シリーズでもRB三宅が41ヤードの独走TDを決め、27-7とリード。そのまま前半終了。
後半になってもファイターズの攻守のリズムは崩れない。最終的には相手に2本のTDを許したが、ファイターズもしっかりTDとFGで10点を追加し、37-20で試合終了。昨年、日大を相手に敗戦を喫した悔しさを晴らした。
さて、勝因はどこにあるのだろう。結果はすべてグラウンドにあるという。
その視点で見れば、まずは守備陣の健闘が挙げられる。リズムに乗れば、ランでもパスでも、一気にTDまで持ち込む能力のある選手を揃えた早稲田を相手に、彼らはその力を存分に発揮させないまま、試合終了まで耐え続けた。1列目の中央を支えた藤本、エンドから再三、スピードに乗ってQBに襲いかかり、二つのQBサックと、生涯初めてというインターセプトを記録した三笠。これぞ最前列を守る豪傑というプレーで、相手の選択肢を一気に狭めてしまった。
2列目の中心を担った海崎、繁治の2年生コンビ。さらにはDLとの兼任で能力を開花させた二人の3年生、大竹と板敷の活躍も光った。3列目は4年生の横澤、西原、荒川、木村が適切な反応で相手のボールキャリアに食いつき、最後の砦を3年生の畑中が守った
攻撃陣の動きも安定していた。先発したQB奥野はもちろん、途中から出場した光藤と西野がそれぞれの持ち味を発揮して攻撃のリズムをつくり上げた。松井、小田、阿部という傑出したメンバーが代表するレシーバー陣が的確なブロックと捕球でそれを支えた。OLもシーズン当初はバタバタしていたが、リーグ戦の後半から、見違えるような安定感をみせた。RB陣では大黒柱の山口がけがで欠場したが、その穴を同じ4年生の中村や傑出したスピードを持つ3年生の渡邊、2年生の三宅が埋め、痛手を感じさせなかった。
キッカーの安藤、スナッパーの鈴木、ホールダーの中岡を中心としたキッキングチームの安定感も素晴らしかった。
このように名前を挙げて行くと、今季のファイターズには、甲子園という舞台で輝いた星が数え切れないほどいることが分かる。傑出した能力を持った「豪傑」と呼ぶにふさわしいプレーヤーもいるし、彗星のように表れた新星もいる。グラウンドに立つそれぞれの選手がそれぞれの分野で活躍する場面を自らつかみ取り、あるいは仲間を輝かせた。そういう集団であるからこそ、やっかいな相手にも真っ向から立ち向かい、勝負を決することができたのだろう。
それを証明したのがこの日、第3ダウンロングという場面で再三登用され、相手攻撃陣に果敢に切り込んでいったDL斎藤らの活躍であろう。
これは今季の関西リーグを振り返ってもいえることだが、対戦相手はそれぞれに強力だった。守備のラインが傑出していた近大、闘志を前面に出して挑みかかってきた京大、ファイターズ守備陣を翻弄し、ほとんど勝利を手にしていた関大、例年通り攻守ともに強力なメンバーを揃えた立命。そしてこの日、その高い能力の片鱗を随所で見せた早稲田。
こういう強豪を相手に、ファイターズがどうして勝ち、日本1になれたのか。僕自身、まだ十分に納得できる答は出せていないが、あえていえば、次のようなことではなかろうか。
一つは自らグラウンドに活躍の場を求めた選手達の精進と努力。それを支えたマネジャーやトレーナー、アナライジングスタッフの献身。それによって技量がアップし、試合ごとに活躍の場が広がって、選手自らが半歩、一歩と前進し続けたからではないか。
二つ目は、そうした選手たちの力量を見極め、それぞれの力を生かす攻め方、守り方を決めていったベンチの采配やコーチ陣の能力の高さである。その要求を受け止め、自ら活躍の場を求めた選手たちのフットボール理解力の向上も勝利に大きく貢献したはずだ。
さらにいえば歴代のチームが培ってきたチームのたたずまい、OBの方々の物心両面の支援も含めて、ファイターズはそれぞれの分野でほんの少しずつかもしれないが、ライバルたちを上回っていたのではないか。
そのトータルがこの日、甲子園で戦う権利をもたらし、その勝者となる道を開いたのだろう。試合終了後のハドルで、光藤主将が「日本1」と雄叫びを上げ、しばらく間を置いて「俺たちが日本1や」と叫んだ言葉にはそれだけの重みがある。
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