石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2015/9/10
(22)はや京大戦
投稿日時:2015/09/10(木) 08:56
まだ9月。フットボールシーズンは始まったばかりというのに、今週末はもう京大との戦いである。毎年、シーズン最後の関京戦で雌雄を決していた往事を知る人間にとっては「なんじゃ、こりゃ!」というしかない。
振り返れば、ファイターズとギャングスターズの戦力が拮抗し、互いに食うか食われるかの戦いをスタートさせたのは、1975年から。ファイターズは最上級生にQB玉野、RB谷口、WR小川というスター選手を擁し、甲子園ボウルでも連覇をスタートさせていた。
当時、僕は朝日新聞の阪神支局員で、関学も重要な取材源にしていたから、フットボール部にもちょこっと顔を出し、監督だった武田先生に「何かニュースになることはないですかね」なんて聞いていた。そのとき、初めて書いたのが、いまでいうスナッパー、吉川宏さんの話。「フットボールには、目立たないけれども、重要な役割を受け持つ選手がいる。キッカーもそうだし、キッカーに安定したボールを供給するスナッパーもそうだ」といって、武田先生から紹介されたのがきっかけだった。
その記事が首尾よく写真付きで社会面に掲載され、それがきっかけで、チームが甲子園ボウルで勝利した後、武田先生を「ひと」欄で紹介するという、支局の下積み記者にしては望外な幸運にも恵まれた。
76年には、京大出身の新人記者を連れ出して「母校の活躍ぶりをよく見ておきなさい」なんて調子こいていたら、あにはからんや結果は0-21。あまりの出来事に、西宮球場からの帰りのことはすべて記憶にない。
そういう試合を重ねることで関京戦は、関西リーグの天下を分ける戦いと注目され、毎年、3万人から4万人もの観客が詰めかけるキラーカードとなった。
そんな京大との決戦について書き始めると夜が明ける。そこで今夜は、どうしても現役の諸君に伝えておきたい試合を二つ取り上げてみたい。
一つは1983年、両チームとも全勝で迎えたリーグ最終戦。ファイターズが28-30で敗れた試合である。その日、ファイターズはエースQB小野をけがで欠き、1年生の芝川が先発したが、前半で14-30とリードを許していた。後半になっても、ファイターズは反撃のきっかけをつかめない。苦し紛れに3Q半ば、数日前まで松葉杖をついていた小野を起用、局面の転換を図る。
すると、それまで京大の強力な守備陣に抑えられていたオフェンス陣が奮起。走れなくても4年生エースがフィールドに立ったことで、生まれ変わったような攻撃を展開する。前半、押しまくられていたディフェンスも相手を完封。試合の主導権を取り戻し、ついに2本のTDを決めて28-30と追い上げた。差は2点。残り時間は少ない。当然、2ポイントコンバージョンでを選択、小野がパスを投じる。
そこで相手がインターフェアの反則。小野ディレクターによると、これは意図的にとった反則だという。ゴールまでの半分、1.5ヤード地点にボールを進めところで、ベンチが選択したのは、足首の捻挫で思うように動けないエースQBではなく、元気のよい1年生QBにボールを持たせて飛び込ませるランプレー。しかし、わずかに届かず、試合終了。優勝はかなわなかった。
当時もいまも、僕はベンチの作戦を批判するのは好みではない。勝敗は外野の声ではなくグラウンドに帰すと信じているが、この場面だけは別である。なぜ後半、チームを炎の集団に変えた選手を交代させたのか、勝負には勢いこそが肝心なのに、その流れを理屈で断ち切ってしまったのかと、今も残念でならない。
この話は、小野さんとはもう50回以上は話したことだが、勝負の綾は、理屈だけではない。勢い、集団の圧力、ある種の熱狂状態があってはじめて、選手は120%の力を発揮し、その総和であるチームは150%の力を発揮できる。そこから必勝の道が開けると、僕は信じて疑わないのである。
もう一つ、記憶から消えない試合がある。2004年、佐岡主将の代が宿敵立命館を破った直後に迎えた京大戦である。その前節、2年連続で敗れていた立命と死闘を演じ、30-28で勝ったばかりのファイターズは、試合直後からどこかちぐはぐだった。立ち上がりから主導権を握っていたが、相手パントをゴール前でリターナーがファンブルし、攻撃権を奪われたのをきっかけに、あれよあれよという間に14点を奪われ、逆転されてしまった。
相手の得点は、リターナーのファンブル、QBのバックパスの失敗という、ともにファイターズのミスにつけ込んだもの。攻め合い、守り合いでは、圧倒的にファイターズが押していただけに、勝負の怖さを存分に思い知らされた。まさかあの立命に勝ったチームが、そのときすでに優勝戦線から脱落していた京大に敗れるなんて、ファイターズのファンも選手も想像だにしていなかったに違いない。
しかし、そういうことが起きるのが京大との戦いである。それは1970年代後半からの両チームの歴史が証明している。それを語り継ぐ歴史の証人も、監督、コーチ、スタッフに何人も存在する。いや現役選手以外の全員がその証人と言ってもよい。
そういう歴史を刻んできたチームとの戦いである。開幕2節目の試合だといって、ゆめゆめ軽視できる相手ではない。必勝の決意で臨んでもらいたい。
振り返れば、ファイターズとギャングスターズの戦力が拮抗し、互いに食うか食われるかの戦いをスタートさせたのは、1975年から。ファイターズは最上級生にQB玉野、RB谷口、WR小川というスター選手を擁し、甲子園ボウルでも連覇をスタートさせていた。
当時、僕は朝日新聞の阪神支局員で、関学も重要な取材源にしていたから、フットボール部にもちょこっと顔を出し、監督だった武田先生に「何かニュースになることはないですかね」なんて聞いていた。そのとき、初めて書いたのが、いまでいうスナッパー、吉川宏さんの話。「フットボールには、目立たないけれども、重要な役割を受け持つ選手がいる。キッカーもそうだし、キッカーに安定したボールを供給するスナッパーもそうだ」といって、武田先生から紹介されたのがきっかけだった。
その記事が首尾よく写真付きで社会面に掲載され、それがきっかけで、チームが甲子園ボウルで勝利した後、武田先生を「ひと」欄で紹介するという、支局の下積み記者にしては望外な幸運にも恵まれた。
76年には、京大出身の新人記者を連れ出して「母校の活躍ぶりをよく見ておきなさい」なんて調子こいていたら、あにはからんや結果は0-21。あまりの出来事に、西宮球場からの帰りのことはすべて記憶にない。
そういう試合を重ねることで関京戦は、関西リーグの天下を分ける戦いと注目され、毎年、3万人から4万人もの観客が詰めかけるキラーカードとなった。
そんな京大との決戦について書き始めると夜が明ける。そこで今夜は、どうしても現役の諸君に伝えておきたい試合を二つ取り上げてみたい。
一つは1983年、両チームとも全勝で迎えたリーグ最終戦。ファイターズが28-30で敗れた試合である。その日、ファイターズはエースQB小野をけがで欠き、1年生の芝川が先発したが、前半で14-30とリードを許していた。後半になっても、ファイターズは反撃のきっかけをつかめない。苦し紛れに3Q半ば、数日前まで松葉杖をついていた小野を起用、局面の転換を図る。
すると、それまで京大の強力な守備陣に抑えられていたオフェンス陣が奮起。走れなくても4年生エースがフィールドに立ったことで、生まれ変わったような攻撃を展開する。前半、押しまくられていたディフェンスも相手を完封。試合の主導権を取り戻し、ついに2本のTDを決めて28-30と追い上げた。差は2点。残り時間は少ない。当然、2ポイントコンバージョンでを選択、小野がパスを投じる。
そこで相手がインターフェアの反則。小野ディレクターによると、これは意図的にとった反則だという。ゴールまでの半分、1.5ヤード地点にボールを進めところで、ベンチが選択したのは、足首の捻挫で思うように動けないエースQBではなく、元気のよい1年生QBにボールを持たせて飛び込ませるランプレー。しかし、わずかに届かず、試合終了。優勝はかなわなかった。
当時もいまも、僕はベンチの作戦を批判するのは好みではない。勝敗は外野の声ではなくグラウンドに帰すと信じているが、この場面だけは別である。なぜ後半、チームを炎の集団に変えた選手を交代させたのか、勝負には勢いこそが肝心なのに、その流れを理屈で断ち切ってしまったのかと、今も残念でならない。
この話は、小野さんとはもう50回以上は話したことだが、勝負の綾は、理屈だけではない。勢い、集団の圧力、ある種の熱狂状態があってはじめて、選手は120%の力を発揮し、その総和であるチームは150%の力を発揮できる。そこから必勝の道が開けると、僕は信じて疑わないのである。
もう一つ、記憶から消えない試合がある。2004年、佐岡主将の代が宿敵立命館を破った直後に迎えた京大戦である。その前節、2年連続で敗れていた立命と死闘を演じ、30-28で勝ったばかりのファイターズは、試合直後からどこかちぐはぐだった。立ち上がりから主導権を握っていたが、相手パントをゴール前でリターナーがファンブルし、攻撃権を奪われたのをきっかけに、あれよあれよという間に14点を奪われ、逆転されてしまった。
相手の得点は、リターナーのファンブル、QBのバックパスの失敗という、ともにファイターズのミスにつけ込んだもの。攻め合い、守り合いでは、圧倒的にファイターズが押していただけに、勝負の怖さを存分に思い知らされた。まさかあの立命に勝ったチームが、そのときすでに優勝戦線から脱落していた京大に敗れるなんて、ファイターズのファンも選手も想像だにしていなかったに違いない。
しかし、そういうことが起きるのが京大との戦いである。それは1970年代後半からの両チームの歴史が証明している。それを語り継ぐ歴史の証人も、監督、コーチ、スタッフに何人も存在する。いや現役選手以外の全員がその証人と言ってもよい。
そういう歴史を刻んできたチームとの戦いである。開幕2節目の試合だといって、ゆめゆめ軽視できる相手ではない。必勝の決意で臨んでもらいたい。
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