石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2013/9
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(23)いま、でしょう
投稿日時:2013/09/25(水) 12:19
先週末、数人のマネジャー、トレーナーらと焼き肉屋に出掛けた。日ごろ、リクルート活動のお手伝いなどを通じて、密接な関係にあるにもかかわらず、じっくり話し込んだことがなかったので、激励会を兼ねて食事をともにしようという目的だった。
その話を聞きつけて「それなら、僕にも話したいことがある」と駆けつけてくれたアシスタントコーチの香山君も交え「食べ放題コース」に舌鼓を打ちながら、あれやこれやと話し込んだ。
みんな胸にしまい込んでいることがたくさんあるようだった。マネジャーやトレーナーという仕事柄、選手のプレーそのものの論評はしにくい。けれども、4年生として、同じ学年の幹部たち、あるいは下級生たちの練習に対する取り組み方については、言いたいことがいっぱいある。練習をマネジメントする立場、選手を鍛える立場からは、指摘しなければならないことがいくつも見えている。そういう自負があるのだろう。彼らの舌鋒は鋭かった。
加えて、コーチの香山君からも厳しい現状認識と鋭い指摘が個人名を挙げて具体的に出された。自分が4年生の時に取り組んだ内容、昨年コーチとして見たチームと、現状との違い。その指摘が一つ一つ具体的になされるから、説得力がある。いつしか食事会が遠慮のない「反省ミーティング」のような雰囲気になってきた。
詳しい内容を話せば、このコラムの注目度は一気に上がるだろう。でも、チームにとっては内緒にしたい、ここだけの話にしておきたいことが一杯含まれている。とうていすべての話を書けることではない。
それでも、こんなエピソードなら差し障りはないだろう。紹介する。それは香山君が4年生の時、毎晩のように幹部で話し合い、時には議論が感情的になって「○○(同級生の幹部)に殺されるかと思った」という場面があったという話や、議論の後、泊まり込んだ松岡主将の部屋で、先に就寝した松岡君が突然「お前、何回言っても、なんでできひんねん」と叫び出した話。彼は寝ていてもチームの練習を夢に見て、必死に仲間に檄を飛ばしていたのだ。
「こいつ、ここまでチームのことを気にかけているんや。オレも死ぬ気でやらなあかんと思った」と香山君。
それに呼応して、4年生マネジャーの野瀬君が「似たような話は昨年の夏合宿でもありました」と次のような話を紹介してくれた。
木戸さん(当時、4年生の女子マネジャー)が夜中に突然、「あと、みっつ」と叫んだのです。寝ていても、練習のことを夢に見ており、思わず声を挙げたのでしょう。それほど熱い気持ちを持ったマネジャーでした、という話だった。
僕はもっぱら聞き役で、相づちを打っているだけだが、こんなエピソードを交えて議論は白熱。最後にトレーナーの佐久間君が「明日からもっともっと走らせます」、主務の多田君が「今夜から、さらに気合いを入れていきます」とまとめて、ようやく一段落した。
幕末、倒幕軍のトップ、西郷隆盛と談判して、江戸城を無血開城し、徳川幕府の幕を引いた勝海舟が、剣術の修業についてこんな話を残している。「氷川清話」からその趣旨を引用する。
本当に修業したのは剣術ばかりだ。寒中になると、毎日、稽古がすむと、夕方から稽古着一枚で王子権現に行って夜稽古をした。まず拝殿の礎石に腰をかけて瞑目沈思、心胆を錬磨し、しかる後、起って木剣を振り回し、また元の礎石に腰をかけて心胆を錬磨し、また起って木剣を振り回し、こういう風に夜明けまで5,6回もやって、それから帰って朝稽古をやり、夕方になるとまた王子権現に出掛けて、一日も怠らなかった(中略)修業の効は(幕府)瓦解の前後に顕れて、あんな艱難辛苦に堪え得て、少しもひるまなかった……。
そう、若い頃は思い込んだら、とことん熱中できる。それが苦しいとか、いやだとかいう気持ちは毛頭ない。型ばかりではなく、本当の剣術をやりたい。心身ともに錬磨したい。そう発心したら、寒さも夜の寂しさも、睡眠不足もいっこうに気にならない。自らの発心だから、納得するまで突き詰める。苦しいとか疲れたとか、自分に言い訳している場合ではない。やり遂げてなんぼ、である。
そういう経験は、勝海舟に限らない。世の中に爪痕を残したような人なら、大なり小なり経験していることである。懸命に語学に取り組む。仕事を誰よりも速く成し遂げる。売り上げトップを達成する。新聞社でいえば誰もが驚く特ダネを書く。誰もが書いたことのないような記事を書く。それも次々と連打する。そういうことである。
そのための努力はやって当たり前。自分に言い訳するぐらいなら、はじめから尻尾を巻いて逃げ出せ。中途半端なことをされたら、周りが迷惑する。そんな言葉を言ったり聞いたりしたのは、僕だけではないはずだ。
そう。何事かを成し遂げた人はみなそういう努力を続けている。夢の中でも檄を飛ばし、仲間を鼓舞するような経験は、決して卒業した松岡主将や木戸マネジャーだけの専売ではない。
やるのは、いまでしょ。関西リーグ最終の立命戦まで2カ月。その前に近大、神戸大、京大、関大が手ぐすね引いて待っている。先日の龍大戦を振り返れば、今後、楽に戦える試合なんて、一つもないだろう。
やるのは、いましかない。それぞれが厳しく仲間に要求すること。要求できるだけの取り組みを自発的にすること。主務の多田君が先日のコラムに書いている通りである。
ファイターズの諸君に、それが出来ないはずはない。頑張れ! 期待している。
その話を聞きつけて「それなら、僕にも話したいことがある」と駆けつけてくれたアシスタントコーチの香山君も交え「食べ放題コース」に舌鼓を打ちながら、あれやこれやと話し込んだ。
みんな胸にしまい込んでいることがたくさんあるようだった。マネジャーやトレーナーという仕事柄、選手のプレーそのものの論評はしにくい。けれども、4年生として、同じ学年の幹部たち、あるいは下級生たちの練習に対する取り組み方については、言いたいことがいっぱいある。練習をマネジメントする立場、選手を鍛える立場からは、指摘しなければならないことがいくつも見えている。そういう自負があるのだろう。彼らの舌鋒は鋭かった。
加えて、コーチの香山君からも厳しい現状認識と鋭い指摘が個人名を挙げて具体的に出された。自分が4年生の時に取り組んだ内容、昨年コーチとして見たチームと、現状との違い。その指摘が一つ一つ具体的になされるから、説得力がある。いつしか食事会が遠慮のない「反省ミーティング」のような雰囲気になってきた。
詳しい内容を話せば、このコラムの注目度は一気に上がるだろう。でも、チームにとっては内緒にしたい、ここだけの話にしておきたいことが一杯含まれている。とうていすべての話を書けることではない。
それでも、こんなエピソードなら差し障りはないだろう。紹介する。それは香山君が4年生の時、毎晩のように幹部で話し合い、時には議論が感情的になって「○○(同級生の幹部)に殺されるかと思った」という場面があったという話や、議論の後、泊まり込んだ松岡主将の部屋で、先に就寝した松岡君が突然「お前、何回言っても、なんでできひんねん」と叫び出した話。彼は寝ていてもチームの練習を夢に見て、必死に仲間に檄を飛ばしていたのだ。
「こいつ、ここまでチームのことを気にかけているんや。オレも死ぬ気でやらなあかんと思った」と香山君。
それに呼応して、4年生マネジャーの野瀬君が「似たような話は昨年の夏合宿でもありました」と次のような話を紹介してくれた。
木戸さん(当時、4年生の女子マネジャー)が夜中に突然、「あと、みっつ」と叫んだのです。寝ていても、練習のことを夢に見ており、思わず声を挙げたのでしょう。それほど熱い気持ちを持ったマネジャーでした、という話だった。
僕はもっぱら聞き役で、相づちを打っているだけだが、こんなエピソードを交えて議論は白熱。最後にトレーナーの佐久間君が「明日からもっともっと走らせます」、主務の多田君が「今夜から、さらに気合いを入れていきます」とまとめて、ようやく一段落した。
幕末、倒幕軍のトップ、西郷隆盛と談判して、江戸城を無血開城し、徳川幕府の幕を引いた勝海舟が、剣術の修業についてこんな話を残している。「氷川清話」からその趣旨を引用する。
本当に修業したのは剣術ばかりだ。寒中になると、毎日、稽古がすむと、夕方から稽古着一枚で王子権現に行って夜稽古をした。まず拝殿の礎石に腰をかけて瞑目沈思、心胆を錬磨し、しかる後、起って木剣を振り回し、また元の礎石に腰をかけて心胆を錬磨し、また起って木剣を振り回し、こういう風に夜明けまで5,6回もやって、それから帰って朝稽古をやり、夕方になるとまた王子権現に出掛けて、一日も怠らなかった(中略)修業の効は(幕府)瓦解の前後に顕れて、あんな艱難辛苦に堪え得て、少しもひるまなかった……。
そう、若い頃は思い込んだら、とことん熱中できる。それが苦しいとか、いやだとかいう気持ちは毛頭ない。型ばかりではなく、本当の剣術をやりたい。心身ともに錬磨したい。そう発心したら、寒さも夜の寂しさも、睡眠不足もいっこうに気にならない。自らの発心だから、納得するまで突き詰める。苦しいとか疲れたとか、自分に言い訳している場合ではない。やり遂げてなんぼ、である。
そういう経験は、勝海舟に限らない。世の中に爪痕を残したような人なら、大なり小なり経験していることである。懸命に語学に取り組む。仕事を誰よりも速く成し遂げる。売り上げトップを達成する。新聞社でいえば誰もが驚く特ダネを書く。誰もが書いたことのないような記事を書く。それも次々と連打する。そういうことである。
そのための努力はやって当たり前。自分に言い訳するぐらいなら、はじめから尻尾を巻いて逃げ出せ。中途半端なことをされたら、周りが迷惑する。そんな言葉を言ったり聞いたりしたのは、僕だけではないはずだ。
そう。何事かを成し遂げた人はみなそういう努力を続けている。夢の中でも檄を飛ばし、仲間を鼓舞するような経験は、決して卒業した松岡主将や木戸マネジャーだけの専売ではない。
やるのは、いまでしょ。関西リーグ最終の立命戦まで2カ月。その前に近大、神戸大、京大、関大が手ぐすね引いて待っている。先日の龍大戦を振り返れば、今後、楽に戦える試合なんて、一つもないだろう。
やるのは、いましかない。それぞれが厳しく仲間に要求すること。要求できるだけの取り組みを自発的にすること。主務の多田君が先日のコラムに書いている通りである。
ファイターズの諸君に、それが出来ないはずはない。頑張れ! 期待している。
(22)収穫は多かった
投稿日時:2013/09/17(火) 06:59
15日の龍谷大戦は雨。台風18号に伴う豪雨の中の戦いだった。試合終了後、和歌山県田辺市の勤務先に車で戻るまでの高速道路が、途中までは50キロ規制、和歌山県広川インターから田辺インターまでは通行止めになったといえば、その激しさが分かってもらえるだろう。
そんな中でも、アメフットの試合は決行される。人工芝のグラウンドには水が浮き、大粒の雨が目に入る。ゴムのボールは雨で滑るし、パスはコントロールしにくい。スナップの手元は狂うし、確保したはずのボールは簡単に飛び出す。おまけにナイターだから、雨粒が照明に光って何かと予期せぬことが起きる。
こういう条件だから、普段の試合以上に、試合経験の差が表面化する。経験が豊富な選手は、こういう悪条件をビッグプレーを起こすチャンスと捉えるし、実際、そういうプレーをいくつも見せてくれた。逆に、経験の少ない選手は、失敗してはいけない、と意識するせいか、あれやこれやとミスが出る。ファイターズの反則が7回54ヤードに及び、相手にセーフティーを奪われるという不本意なことになったのも、そういう条件を考慮すれば、簡単に説明できる。
それにしても、第3Q半ばまでのファイターズとそれ以降のファイターズは、同じチームとは思えないほど、その動きに差があった。つまり先発メンバーをきちんと揃えて戦った場合と、交代メンバーを入れて選手の力量をテストし、見定めようとした場合では、全く別のチームに変わってしまったのである。
得点経過を見れば、それは一目で分かる。
試合はファイターズのキック、龍谷のレシーブで始まったが、最初のシリーズでいきなりDB国吉が相手パントをブロック。相手陣31ヤードの好位置からファイターズの攻撃につなげる。このチャンスにRB鷺野と野々垣が確実なランで陣地を進め、仕上げは野々垣が8ヤードを駆け上がってTD。三輪のキックも決まって7-0。
このシリーズは6回連続のランプレー。それは、守備陣が作ってくれた好機を必ず生かそうという攻撃陣の意図が形になったものであり、雨の中、確実に得点に結びつけようというベンチの意図と選手の動きが呼応した得点だった。
自陣35ヤードから始まった3度目の攻撃シリーズも、基本的にはランプレーが中心。スピードのあるRB鷺野、野々垣、飯田の3人を使い分け、時にはドロープレーも織り込んで変化を付けながら確実に陣地を進め、仕上げは鷺野の8ヤードラン。スタンドから見ていても、ベンチの意図と選手の動きがかみ合って、全く危なげのない試合ぶりだった。
その直後の龍谷の攻撃は、守備陣が完封。おまけに相手のパントをカバーチームがブロック、転がったボールを拾ったDB鳥内が32ヤードを走り切ってTD。ここでも守備陣とキッキングチームの連携が見事に機能していた。
殊勲の鳥内は、次の龍谷の第1プレーで相手のパスをインターセプト。再び攻撃権を取り戻す。この活躍に今度は攻撃陣が呼応。鷺野が51ヤードを独走してまたもTD。点差は開くばかりである。
後半、第3Qに入ってもファイターズの勢いは止まらない。立ち上がり相手がキックしたボールを確保した鷺野がそのまま71ヤードを走り切りキックオフリターンTD。その直後にはLB池田が相手のファンブルルしたボールを拾い上げ、そのまま22ヤードを走り切ってTD。次の攻撃シリーズではQB斎藤がWR木戸、横山へのパスで陣地を進め、仕上げはWR梅本への22ヤードのTDパス。
豪雨の中、前半はランで確実に得点を重ね、ビッグプレーで試合の流れを確実にしたら、一転して華やかなパスプレーを続けてダメを押す。難しいグラウンドの状態を逆にチャンスと捉えて積極的に守り、攻めたファイターズは、まさに甲子園ボウル3連覇を目指すにふさわしい戦いぶりだった。
ところが、QBをはじめ攻守のメンバーを一新した第3Q後半からは全く別のチームのような戦いぶりに変わった。守備陣は相手のランプレーが止められず、攻撃も手詰まり。ダウンの更新さえままならず、あげくの果てにスナップミスから相手にセーフティーまで奪われた。
攻撃時間を見ればファイターズが19分7秒、龍谷が28分53秒。これで得点は45-2。二つの数字から、第3Q途中までにファイターズが効率のよい攻撃で得点を重ねたこと、その後は龍谷の一方的なペースで試合が進んだことがうかがえる。
もちろん、試合が進むにつれて相手が攻守ともファイターズの動きに対応し、時にはその動きの速さを逆手にとって攻め込んできたことが、後半相手に振り回された主要な原因である。同時に、交代で出場したメンバー、それは2年生や1年生が中心で、豪雨の中での試合経験がほとんどない。彼らが「雨は嫌だなあ」「失敗したらどうしょう」と消極的になったことにも原因があるのではないか、と僕は思っている。先発メンバーが「雨はチャンス」と喜び勇んでグラウンドに出たのとは好対照である。
さらにもう一つ。気になったことを付け加えておきたい。それは先発メンバーを揃えた前半、TDの後のボーナスポイントで、4度に渡って2点を狙ったプレーを仕掛けながら、一度も成功させることが出来なかったことである。言い換えれば、ゴール前3ヤードからの攻撃で、一度もTDがとれなかったのと同じこと。この短い距離で、下位チームに力負けしたことは事実である。華やかなTDを連発し、攻撃と守備、ベンチとグラウンドが互いに呼応して、理想的な試合を見せてくれただけに、1本目のメンバーで「残り3ヤードをフィニッシュ」出来なかったことの意味は、しっかり受け止めなければならない。
交代メンバーに経験を積ませつつ、やるべき宿題はきちんと仕上げる。そういう課題が明確になった試合である。雨の中、よい意味でも悪い意味でも、収穫は多かった。
そんな中でも、アメフットの試合は決行される。人工芝のグラウンドには水が浮き、大粒の雨が目に入る。ゴムのボールは雨で滑るし、パスはコントロールしにくい。スナップの手元は狂うし、確保したはずのボールは簡単に飛び出す。おまけにナイターだから、雨粒が照明に光って何かと予期せぬことが起きる。
こういう条件だから、普段の試合以上に、試合経験の差が表面化する。経験が豊富な選手は、こういう悪条件をビッグプレーを起こすチャンスと捉えるし、実際、そういうプレーをいくつも見せてくれた。逆に、経験の少ない選手は、失敗してはいけない、と意識するせいか、あれやこれやとミスが出る。ファイターズの反則が7回54ヤードに及び、相手にセーフティーを奪われるという不本意なことになったのも、そういう条件を考慮すれば、簡単に説明できる。
それにしても、第3Q半ばまでのファイターズとそれ以降のファイターズは、同じチームとは思えないほど、その動きに差があった。つまり先発メンバーをきちんと揃えて戦った場合と、交代メンバーを入れて選手の力量をテストし、見定めようとした場合では、全く別のチームに変わってしまったのである。
得点経過を見れば、それは一目で分かる。
試合はファイターズのキック、龍谷のレシーブで始まったが、最初のシリーズでいきなりDB国吉が相手パントをブロック。相手陣31ヤードの好位置からファイターズの攻撃につなげる。このチャンスにRB鷺野と野々垣が確実なランで陣地を進め、仕上げは野々垣が8ヤードを駆け上がってTD。三輪のキックも決まって7-0。
このシリーズは6回連続のランプレー。それは、守備陣が作ってくれた好機を必ず生かそうという攻撃陣の意図が形になったものであり、雨の中、確実に得点に結びつけようというベンチの意図と選手の動きが呼応した得点だった。
自陣35ヤードから始まった3度目の攻撃シリーズも、基本的にはランプレーが中心。スピードのあるRB鷺野、野々垣、飯田の3人を使い分け、時にはドロープレーも織り込んで変化を付けながら確実に陣地を進め、仕上げは鷺野の8ヤードラン。スタンドから見ていても、ベンチの意図と選手の動きがかみ合って、全く危なげのない試合ぶりだった。
その直後の龍谷の攻撃は、守備陣が完封。おまけに相手のパントをカバーチームがブロック、転がったボールを拾ったDB鳥内が32ヤードを走り切ってTD。ここでも守備陣とキッキングチームの連携が見事に機能していた。
殊勲の鳥内は、次の龍谷の第1プレーで相手のパスをインターセプト。再び攻撃権を取り戻す。この活躍に今度は攻撃陣が呼応。鷺野が51ヤードを独走してまたもTD。点差は開くばかりである。
後半、第3Qに入ってもファイターズの勢いは止まらない。立ち上がり相手がキックしたボールを確保した鷺野がそのまま71ヤードを走り切りキックオフリターンTD。その直後にはLB池田が相手のファンブルルしたボールを拾い上げ、そのまま22ヤードを走り切ってTD。次の攻撃シリーズではQB斎藤がWR木戸、横山へのパスで陣地を進め、仕上げはWR梅本への22ヤードのTDパス。
豪雨の中、前半はランで確実に得点を重ね、ビッグプレーで試合の流れを確実にしたら、一転して華やかなパスプレーを続けてダメを押す。難しいグラウンドの状態を逆にチャンスと捉えて積極的に守り、攻めたファイターズは、まさに甲子園ボウル3連覇を目指すにふさわしい戦いぶりだった。
ところが、QBをはじめ攻守のメンバーを一新した第3Q後半からは全く別のチームのような戦いぶりに変わった。守備陣は相手のランプレーが止められず、攻撃も手詰まり。ダウンの更新さえままならず、あげくの果てにスナップミスから相手にセーフティーまで奪われた。
攻撃時間を見ればファイターズが19分7秒、龍谷が28分53秒。これで得点は45-2。二つの数字から、第3Q途中までにファイターズが効率のよい攻撃で得点を重ねたこと、その後は龍谷の一方的なペースで試合が進んだことがうかがえる。
もちろん、試合が進むにつれて相手が攻守ともファイターズの動きに対応し、時にはその動きの速さを逆手にとって攻め込んできたことが、後半相手に振り回された主要な原因である。同時に、交代で出場したメンバー、それは2年生や1年生が中心で、豪雨の中での試合経験がほとんどない。彼らが「雨は嫌だなあ」「失敗したらどうしょう」と消極的になったことにも原因があるのではないか、と僕は思っている。先発メンバーが「雨はチャンス」と喜び勇んでグラウンドに出たのとは好対照である。
さらにもう一つ。気になったことを付け加えておきたい。それは先発メンバーを揃えた前半、TDの後のボーナスポイントで、4度に渡って2点を狙ったプレーを仕掛けながら、一度も成功させることが出来なかったことである。言い換えれば、ゴール前3ヤードからの攻撃で、一度もTDがとれなかったのと同じこと。この短い距離で、下位チームに力負けしたことは事実である。華やかなTDを連発し、攻撃と守備、ベンチとグラウンドが互いに呼応して、理想的な試合を見せてくれただけに、1本目のメンバーで「残り3ヤードをフィニッシュ」出来なかったことの意味は、しっかり受け止めなければならない。
交代メンバーに経験を積ませつつ、やるべき宿題はきちんと仕上げる。そういう課題が明確になった試合である。雨の中、よい意味でも悪い意味でも、収穫は多かった。
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