石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2013/10/9
(25)勝負の秋
投稿日時:2013/10/09(水) 20:48
寓話を二つ紹介したい。
一つは、巨人の元エース、桑田真澄さんと作家、佐山和夫さんの対談をまとめた『野球道』(ちくま新書)で佐山さんが紹介している、こんな話である。
ある旅人がヨーロッパの町を歩いていたら一人の男が煉瓦を積んでいるのに出合った。つまらなそうに作業をしている。「あなたは何をしているのですか」と旅人が尋ねると、その男は「ごらんの通りだ。煉瓦を積めというから積んでいるだけよ」と答えた。
しばらく行くと、今度はすごく楽しそうに煉瓦を積んでいる青年に出合った。「あなたは何をしているのか」と尋ねると、青年は元気な声でこう答えた。「私ですか。私はいまここに立派な教会を建てているのです」
同じ作業をしていても、目的が明確であれば、こんなに答えが違ってくる。作業の効率も当然違ってくる。
煉瓦を積むという行為をフットボールの練習と置き換えたら分かりやすい。
練習のための練習、自己満足のための練習では「煉瓦を積めというから積んでいるだけよ」と答えた男と同じである。しんどいばかりでその成果が見えてこない。
逆に「教会を建てる」という崇高な目的のために労力を提供し、献身していると信じることが出来たら、その作業は楽しい。少々苦しくても、困難があっても、崇高な目標が支えになって「もう一丁、やったろかい」という気持ちになる。その気持ちが支えになってさらに一段上の高みを目指すことができる。
もう一つの寓話は、こんな話である。社会学部で僕の講義に出席しているWR大園君が「ネットで見つけた話」として先週の課題文で紹介してくれた。
あるところでリーダー1人と下っ端3人からなる二つのグループが働いていた。
一つ目のグループでは、リーダーがえらそうに3人に命令するだけで、命令された3人はうんざりしながら働いている。当然、作業効率は上がらない。するとリーダーは余計いらついて頭ごなしに命令する。ますます作業の効率は悪くなる。
二つ目のグループでは、リーダーが率先して働き、部下の3人もそれにつられて汗を流す。当然、作業効率は上がる。作業効率が上がるから、目標を達成する道筋がより具体的になり、その目標が支えになって、さらに作業効率が上がっていく。つまり、リーダーたる者は上から傍観者のように命令するだけではなく、当事者になって目標達成のために汗をかくべきだ、というような話だった。
これもまた、フットボールに置き換えて考えると、理解しやすい。つまり日本のフットボール界のてっぺんに立つという崇高な目標に向かって、上級生も下級生もともに協力し、力を合わせて戦うこと。それによって、チームは一段上のレベルに到達できる、というようなことだろう。
二つとも、極めて分かりやすい寓話ではないか。
秋のシーズンは、これからが正念場。今週末の神戸大戦から、京大、関大と戦い、関西リーグ最終の立命戦までは、もう1カ月半である。思い通りに活躍できない選手、けがから回復途上にある選手を含めて、もうぐずぐず言っている場合ではない。全身全霊を込めて練習に打ち込み「教会を建てる、つまりは日本1になる」という高い目標に向かって突き進むときだ。
それを誰よりも分かっているのがグラウンドに出る選手であり、それを支えるスタッフである。実際、練習を見に行くと、この時期、練習を取り仕切るマネジャーの声はかすれている。ハドルへの集散のスピードも、春先とは全く異なっている。
そういう取り組みはしかし、少なくともこの2、3年のファイターズでは「当たり前」のことだった。
問題は、前年までの「当たり前」のさらに上を行く取り組みが求められることである。ライバルと見られるチームはすべて、全身全霊を込めて「打倒!ファイターズ」「くたばれ!ファイターズ」と向かってくる。
それを迎え撃つためにどうするか。それは春からずっと考え、実行してきたはずだが、少なくとも前例を踏襲しているだけでは展望は開けない。卒業生を送り出して、前年より力が低下した、というようなことでは、話にならないのである。
本当に、これからの1カ月半が正念場である。一人一人が高い目標を持ち、互いに助け合って互いを高め合い、協力し合ってその目標に突き進もう。勝負の秋である。
一つは、巨人の元エース、桑田真澄さんと作家、佐山和夫さんの対談をまとめた『野球道』(ちくま新書)で佐山さんが紹介している、こんな話である。
ある旅人がヨーロッパの町を歩いていたら一人の男が煉瓦を積んでいるのに出合った。つまらなそうに作業をしている。「あなたは何をしているのですか」と旅人が尋ねると、その男は「ごらんの通りだ。煉瓦を積めというから積んでいるだけよ」と答えた。
しばらく行くと、今度はすごく楽しそうに煉瓦を積んでいる青年に出合った。「あなたは何をしているのか」と尋ねると、青年は元気な声でこう答えた。「私ですか。私はいまここに立派な教会を建てているのです」
同じ作業をしていても、目的が明確であれば、こんなに答えが違ってくる。作業の効率も当然違ってくる。
煉瓦を積むという行為をフットボールの練習と置き換えたら分かりやすい。
練習のための練習、自己満足のための練習では「煉瓦を積めというから積んでいるだけよ」と答えた男と同じである。しんどいばかりでその成果が見えてこない。
逆に「教会を建てる」という崇高な目的のために労力を提供し、献身していると信じることが出来たら、その作業は楽しい。少々苦しくても、困難があっても、崇高な目標が支えになって「もう一丁、やったろかい」という気持ちになる。その気持ちが支えになってさらに一段上の高みを目指すことができる。
もう一つの寓話は、こんな話である。社会学部で僕の講義に出席しているWR大園君が「ネットで見つけた話」として先週の課題文で紹介してくれた。
あるところでリーダー1人と下っ端3人からなる二つのグループが働いていた。
一つ目のグループでは、リーダーがえらそうに3人に命令するだけで、命令された3人はうんざりしながら働いている。当然、作業効率は上がらない。するとリーダーは余計いらついて頭ごなしに命令する。ますます作業の効率は悪くなる。
二つ目のグループでは、リーダーが率先して働き、部下の3人もそれにつられて汗を流す。当然、作業効率は上がる。作業効率が上がるから、目標を達成する道筋がより具体的になり、その目標が支えになって、さらに作業効率が上がっていく。つまり、リーダーたる者は上から傍観者のように命令するだけではなく、当事者になって目標達成のために汗をかくべきだ、というような話だった。
これもまた、フットボールに置き換えて考えると、理解しやすい。つまり日本のフットボール界のてっぺんに立つという崇高な目標に向かって、上級生も下級生もともに協力し、力を合わせて戦うこと。それによって、チームは一段上のレベルに到達できる、というようなことだろう。
二つとも、極めて分かりやすい寓話ではないか。
秋のシーズンは、これからが正念場。今週末の神戸大戦から、京大、関大と戦い、関西リーグ最終の立命戦までは、もう1カ月半である。思い通りに活躍できない選手、けがから回復途上にある選手を含めて、もうぐずぐず言っている場合ではない。全身全霊を込めて練習に打ち込み「教会を建てる、つまりは日本1になる」という高い目標に向かって突き進むときだ。
それを誰よりも分かっているのがグラウンドに出る選手であり、それを支えるスタッフである。実際、練習を見に行くと、この時期、練習を取り仕切るマネジャーの声はかすれている。ハドルへの集散のスピードも、春先とは全く異なっている。
そういう取り組みはしかし、少なくともこの2、3年のファイターズでは「当たり前」のことだった。
問題は、前年までの「当たり前」のさらに上を行く取り組みが求められることである。ライバルと見られるチームはすべて、全身全霊を込めて「打倒!ファイターズ」「くたばれ!ファイターズ」と向かってくる。
それを迎え撃つためにどうするか。それは春からずっと考え、実行してきたはずだが、少なくとも前例を踏襲しているだけでは展望は開けない。卒業生を送り出して、前年より力が低下した、というようなことでは、話にならないのである。
本当に、これからの1カ月半が正念場である。一人一人が高い目標を持ち、互いに助け合って互いを高め合い、協力し合ってその目標に突き進もう。勝負の秋である。
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