石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2011/7
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(16)夏に鍛える
投稿日時:2011/07/23(土) 16:25
先週末から今週にかけて、なんやかやと目の回るような忙しさだった。
先週末は信州を訪れ、ついでに北アルプス、唐松岳(2696メートル)に登ってきた。朝の5時から行動を開始し、午前10時前には山頂。空はからりと晴れ上がり、黒部渓谷を挟んだ目の前には剣岳の勇姿がくっきりと見える。白馬三山や五竜岳も指呼の内。汗を流し、老体にむち打って登ってきたご褒美だと思って、その雄大な景色を堪能した。
週が明けると台風の襲来。僕の勤務している紀伊民報のある紀州・田辺は、直撃コースにあたり、大雨が降った。一部では土砂崩れや河川の氾濫があった。幸い新聞の発行には支障がなかったが、配達の方々には大変な苦労をかけた。
台風が去ると、今度は紀伊民報が主催する「東日本大震災報道写真展」。日本新聞博物館と東北写真記者協会、東京写真記者協会の協力で、全国を巡回している写真展で、関西では初めての開催だ。開催の交渉から作品の搬入、展示終了後の搬出まで、責任者として陣頭指揮に当たらなければならない。貴重な作品をお借りしているということで、取り扱いについての気苦労もある。慣れない仕事だから、心身ともにへとへとになった。
週末は有馬温泉の町づくり団体「有馬保勝会」の総会。メンバーは気の置けない仲間ばかりだが、それでも、県から認証されたNPO法人の年に一度の総会である。理事の一人として、事業計画や予算について、まじめに論議しなければならない。
われながら、多忙だと思う。でも、それを逃げ口上にしていては面白くない。遊びも仕事も目一杯、真剣に取り組むから楽しいのであり、充実感も生まれてくるのである。
だから、ファイターズが高校生を集めて開いている小論文勉強会にも、真剣に取り組んでいる。これはスポーツ推薦入試で関学にチャレンジする高校生たちを対象に、小論文の書き方を指導する集まりだが、僕はその責任者として講師を務め、高校生を激励しているのである。
昼間、それぞれの高校で練習を終えた高校生に、夜間、西宮市の教室に集まってもらい、毎回テーマを与えて800字の小論文を書かせる。それを僕が添削し、文章作成の決まりからチャーミングな表現の仕方までを個別指導するのである。
それでなくても暑い時期。練習でくたくたになり、腹を空かせた高校生が電車を乗り継ぎ、西宮まで集まって来る。机の前に座った時点では、小論文を書く気分的なゆとりはないかもしれないが、これは乗り越えなければならない試練である。
なぜなら、大学は自ら学び、自らを高めるところである。いくら運動能力に優れていても、勉強をする習慣が身についていなければ、学生生活は全うできない。文章を書き、自分の主張を表現することができなければ、大学生活は空疎なものになってしまう。豊かな実りにはつながらない。
だから、たとえ夏休みの間の短い期間とはいえ、しっかり勉強しましょう。文章を書くことで自分の考えを深め、その主張をまとめる訓練をしましょう。大学で学んでいくための準備をしましょう。そういう目的で、この勉強会を開いているのである。不慮の事故で亡くなった平郡君、今は大阪府立箕面高校で教員をしている池谷君が第一期生だから、今年で13年目になる。
僕は朝日新聞で論説委員や編集委員として記事を書くかたわら、会社から依頼されてカルチャーセンターや高校、大学に出向き、小論文の書き方も指導してきた。朝日新聞社を退職後も京都女子大や関西学院大学で授業を受け持ち、小論文を指導した。毎年、就職活動を控えた学生を対象にした小論文の指導も続けている。友人らから頼まれて個人的に指導した学生も入れると、教え子のうち約40人が新聞社やテレビ局で働いている。
その経験からいうと、短い期間の指導で、一番成長が実感できるのが高校生。それも普段、勉強する習慣から遠ざかっている運動部系の生徒である。最初は800字を書くだけで精一杯という状態でも、2回、3回と回を重ねていくにつれ、見事に自分の主張が表現できるようになる。彼らには、スポーツ推薦入試で結果を出したいという動機があり、一方で普段、余り勉強には力を入れてこなかったという自覚があるからだろう。「書くこと」について、多少とも自信を持った社会人が思ったほどには伸びないのとは好対照である。
自分の足りないところを知り、それを克服しようという気持ち。それが勉強に取り組むエネルギーになる。夏休み、疲れた体にむち打って取り組む彼らの小論文を読むたびに、それを実感する。
僕の教えることに限りはあっても、彼らが「勉強したい」という気持ちを持っている限り、成長は続く。それを信じて、毎週、この勉強会を続けているのである。
先週末は信州を訪れ、ついでに北アルプス、唐松岳(2696メートル)に登ってきた。朝の5時から行動を開始し、午前10時前には山頂。空はからりと晴れ上がり、黒部渓谷を挟んだ目の前には剣岳の勇姿がくっきりと見える。白馬三山や五竜岳も指呼の内。汗を流し、老体にむち打って登ってきたご褒美だと思って、その雄大な景色を堪能した。
週が明けると台風の襲来。僕の勤務している紀伊民報のある紀州・田辺は、直撃コースにあたり、大雨が降った。一部では土砂崩れや河川の氾濫があった。幸い新聞の発行には支障がなかったが、配達の方々には大変な苦労をかけた。
台風が去ると、今度は紀伊民報が主催する「東日本大震災報道写真展」。日本新聞博物館と東北写真記者協会、東京写真記者協会の協力で、全国を巡回している写真展で、関西では初めての開催だ。開催の交渉から作品の搬入、展示終了後の搬出まで、責任者として陣頭指揮に当たらなければならない。貴重な作品をお借りしているということで、取り扱いについての気苦労もある。慣れない仕事だから、心身ともにへとへとになった。
週末は有馬温泉の町づくり団体「有馬保勝会」の総会。メンバーは気の置けない仲間ばかりだが、それでも、県から認証されたNPO法人の年に一度の総会である。理事の一人として、事業計画や予算について、まじめに論議しなければならない。
われながら、多忙だと思う。でも、それを逃げ口上にしていては面白くない。遊びも仕事も目一杯、真剣に取り組むから楽しいのであり、充実感も生まれてくるのである。
だから、ファイターズが高校生を集めて開いている小論文勉強会にも、真剣に取り組んでいる。これはスポーツ推薦入試で関学にチャレンジする高校生たちを対象に、小論文の書き方を指導する集まりだが、僕はその責任者として講師を務め、高校生を激励しているのである。
昼間、それぞれの高校で練習を終えた高校生に、夜間、西宮市の教室に集まってもらい、毎回テーマを与えて800字の小論文を書かせる。それを僕が添削し、文章作成の決まりからチャーミングな表現の仕方までを個別指導するのである。
それでなくても暑い時期。練習でくたくたになり、腹を空かせた高校生が電車を乗り継ぎ、西宮まで集まって来る。机の前に座った時点では、小論文を書く気分的なゆとりはないかもしれないが、これは乗り越えなければならない試練である。
なぜなら、大学は自ら学び、自らを高めるところである。いくら運動能力に優れていても、勉強をする習慣が身についていなければ、学生生活は全うできない。文章を書き、自分の主張を表現することができなければ、大学生活は空疎なものになってしまう。豊かな実りにはつながらない。
だから、たとえ夏休みの間の短い期間とはいえ、しっかり勉強しましょう。文章を書くことで自分の考えを深め、その主張をまとめる訓練をしましょう。大学で学んでいくための準備をしましょう。そういう目的で、この勉強会を開いているのである。不慮の事故で亡くなった平郡君、今は大阪府立箕面高校で教員をしている池谷君が第一期生だから、今年で13年目になる。
僕は朝日新聞で論説委員や編集委員として記事を書くかたわら、会社から依頼されてカルチャーセンターや高校、大学に出向き、小論文の書き方も指導してきた。朝日新聞社を退職後も京都女子大や関西学院大学で授業を受け持ち、小論文を指導した。毎年、就職活動を控えた学生を対象にした小論文の指導も続けている。友人らから頼まれて個人的に指導した学生も入れると、教え子のうち約40人が新聞社やテレビ局で働いている。
その経験からいうと、短い期間の指導で、一番成長が実感できるのが高校生。それも普段、勉強する習慣から遠ざかっている運動部系の生徒である。最初は800字を書くだけで精一杯という状態でも、2回、3回と回を重ねていくにつれ、見事に自分の主張が表現できるようになる。彼らには、スポーツ推薦入試で結果を出したいという動機があり、一方で普段、余り勉強には力を入れてこなかったという自覚があるからだろう。「書くこと」について、多少とも自信を持った社会人が思ったほどには伸びないのとは好対照である。
自分の足りないところを知り、それを克服しようという気持ち。それが勉強に取り組むエネルギーになる。夏休み、疲れた体にむち打って取り組む彼らの小論文を読むたびに、それを実感する。
僕の教えることに限りはあっても、彼らが「勉強したい」という気持ちを持っている限り、成長は続く。それを信じて、毎週、この勉強会を続けているのである。
(15)ある指導者からのメール
投稿日時:2011/07/12(火) 22:21
コラムを書いていると、いろんな方から励ましの言葉を頂く。試合会場でもときおり、見知らぬ方から「楽しみにしてますよ」と声を掛けられる。「僕が筆者です」と宣伝しているわけでもないし、恥ずかしいから顔写真も出さず、似顔絵でごまかしているのに、どこで僕とコラムが結びつくのだろう。不思議だ。
先日は、なんと西南学院大学の桑原監督から、ホームページの管理者経由でメールが届いた。先々週、この欄で「ひたむきということ」というタイトルで書いた文章に対する礼状である。心にしみる文面だった。それを読んだファイターズのコーチからも「人を育てる、チームをつくるという点で、教えられることの多い内容でした。ぜひコラムで紹介してください」という話があった。
そこで、桑原監督に連絡を取り、了解を得た上で全文を転載させてもらうことにした。次のような内容である。
◇ ◇
西南学院大学アメリカンフットボール部の監督をしております桑原直樹と申します。突然メールを送らせていただく非礼をお許しください。
昨日、石井様の手になるコラムを拝読し、どうしても一言お礼を申し述べたくメールをさせていただきました。
先日の試合では大変ぶざまな試合をお目にかけたにもかかわらず、大変温かいお言葉をいただき、面映い思いと同時に、あのような見方をしていただいたことは感謝の念に耐えません。
実は今回、KGファイターズ様との試合を組んでいただく際に私の中で一つの葛藤がありました。毎年のように当部のOB会から「関西に試合に行って来い」との声が上がります。ですが、私自身は練習試合とはお互いのメリットがあってこそであるとの考えから、いつも躊躇していました。
もちろん実力差もあり、本当に得るものがあるのか?費用対効果は?他に方法はないか?果たして相手の進歩に寄与できるのか?など、踏ん切りがつかない要素が山ほどあったためです。
今回もOB会の後押しもあり、学生側から関西遠征をして一部校と試合をしたいとの要望が出されました。目的を問うと、自分たちの実力を試したいと同時に、プレーやボールに対する執着とか最後までやりきる姿勢を学びたいとのことでした。
私は即座に「だめだ」と答えました。「最初から学ぶ姿勢で試合をするのは相手に対して失礼なことである。学ぶのではなく、試合を組んでもらう以上は相手チームの進歩に寄与しないといけない。相手以上に諦めない姿勢や最後までやりきる姿勢を見せること、また、試合に勝つことが最大のお礼である」と答え、チーム一丸となって勝ちに行く気持ちが固まったら、もう一度来るようにと伝えました。
数日後、彼らから絶対に勝ちにこだわります、との打ち返しがあった時には、即座に貴チームへの申し込みを決めておりました。ただ、それは私にとっても非常にプレッシャーのかかる決断でした。不甲斐ない戦いをしてファイターズ様から「何しに来たんだ?もう来なくていいよ」と言われることが私へのプレッシャーでした。
試合が6月25日に決定し、おっしゃる通り春のシーズンの最終目標に掲げることができました。それからというものは、関学JVには必ず勝つこと、少なくとも1軍を引っ張り出すことを目標に練習に臨むことができました。
ただ、試合の数週間前に攻守の大黒柱を含む主力4名が怪我で欠場を余儀なくされ、私自身目の前が真っ暗になりました。
それが残念でならないのですが、残されたメンバーで勝利を誓う姿を見て、今回の遠征は西南学院にとっては無駄にはならないと思いました。
しかし、目標には遠く及ばず、44-0の大敗を喫してしまいました。そんなチームに対し、あのような温かい目で見ていただいたことについて、改めて御礼を申し上げます。心より感謝いたします。
調子に乗って、もう一つ話をさせてください。実は6月25日は当部の創立者で(米軍を除き)九州に初めて楕円のボールを持ち込んだ末松文隆という、43歳で亡くなったOBの13回目の命日でした。学生達も知っており、試合の前日にはキャプテンを含む数人が私の知らない間に墓参りに訪れたと聞きました。初めて九州の空を飛んだボールは形見としてチームが保管しており、あの日もチームエリアのテーブルの上で後輩たちの戦いを見ていました。
その日に石井様に褒めていただけるような試合ができたことは、チームとして、OB達にとっても非常に意味のあることでした。
もちろん試合後のキャプテンの涙も石井様のおっしゃる通りです。
勝負の厳しさ、今後の取り組み、見てくださる方は見てくださっていることを教えていただいたことに対し、KGファイターズ様、関係の皆様、石井様に再度感謝しつつ筆を置きます。
先日は、なんと西南学院大学の桑原監督から、ホームページの管理者経由でメールが届いた。先々週、この欄で「ひたむきということ」というタイトルで書いた文章に対する礼状である。心にしみる文面だった。それを読んだファイターズのコーチからも「人を育てる、チームをつくるという点で、教えられることの多い内容でした。ぜひコラムで紹介してください」という話があった。
そこで、桑原監督に連絡を取り、了解を得た上で全文を転載させてもらうことにした。次のような内容である。
◇ ◇
西南学院大学アメリカンフットボール部の監督をしております桑原直樹と申します。突然メールを送らせていただく非礼をお許しください。
昨日、石井様の手になるコラムを拝読し、どうしても一言お礼を申し述べたくメールをさせていただきました。
先日の試合では大変ぶざまな試合をお目にかけたにもかかわらず、大変温かいお言葉をいただき、面映い思いと同時に、あのような見方をしていただいたことは感謝の念に耐えません。
実は今回、KGファイターズ様との試合を組んでいただく際に私の中で一つの葛藤がありました。毎年のように当部のOB会から「関西に試合に行って来い」との声が上がります。ですが、私自身は練習試合とはお互いのメリットがあってこそであるとの考えから、いつも躊躇していました。
もちろん実力差もあり、本当に得るものがあるのか?費用対効果は?他に方法はないか?果たして相手の進歩に寄与できるのか?など、踏ん切りがつかない要素が山ほどあったためです。
今回もOB会の後押しもあり、学生側から関西遠征をして一部校と試合をしたいとの要望が出されました。目的を問うと、自分たちの実力を試したいと同時に、プレーやボールに対する執着とか最後までやりきる姿勢を学びたいとのことでした。
私は即座に「だめだ」と答えました。「最初から学ぶ姿勢で試合をするのは相手に対して失礼なことである。学ぶのではなく、試合を組んでもらう以上は相手チームの進歩に寄与しないといけない。相手以上に諦めない姿勢や最後までやりきる姿勢を見せること、また、試合に勝つことが最大のお礼である」と答え、チーム一丸となって勝ちに行く気持ちが固まったら、もう一度来るようにと伝えました。
数日後、彼らから絶対に勝ちにこだわります、との打ち返しがあった時には、即座に貴チームへの申し込みを決めておりました。ただ、それは私にとっても非常にプレッシャーのかかる決断でした。不甲斐ない戦いをしてファイターズ様から「何しに来たんだ?もう来なくていいよ」と言われることが私へのプレッシャーでした。
試合が6月25日に決定し、おっしゃる通り春のシーズンの最終目標に掲げることができました。それからというものは、関学JVには必ず勝つこと、少なくとも1軍を引っ張り出すことを目標に練習に臨むことができました。
ただ、試合の数週間前に攻守の大黒柱を含む主力4名が怪我で欠場を余儀なくされ、私自身目の前が真っ暗になりました。
それが残念でならないのですが、残されたメンバーで勝利を誓う姿を見て、今回の遠征は西南学院にとっては無駄にはならないと思いました。
しかし、目標には遠く及ばず、44-0の大敗を喫してしまいました。そんなチームに対し、あのような温かい目で見ていただいたことについて、改めて御礼を申し上げます。心より感謝いたします。
調子に乗って、もう一つ話をさせてください。実は6月25日は当部の創立者で(米軍を除き)九州に初めて楕円のボールを持ち込んだ末松文隆という、43歳で亡くなったOBの13回目の命日でした。学生達も知っており、試合の前日にはキャプテンを含む数人が私の知らない間に墓参りに訪れたと聞きました。初めて九州の空を飛んだボールは形見としてチームが保管しており、あの日もチームエリアのテーブルの上で後輩たちの戦いを見ていました。
その日に石井様に褒めていただけるような試合ができたことは、チームとして、OB達にとっても非常に意味のあることでした。
もちろん試合後のキャプテンの涙も石井様のおっしゃる通りです。
勝負の厳しさ、今後の取り組み、見てくださる方は見てくださっていることを教えていただいたことに対し、KGファイターズ様、関係の皆様、石井様に再度感謝しつつ筆を置きます。
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