石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2011/5
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(9)「コップの水」
投稿日時:2011/05/31(火) 23:07
28日の日体大との試合は雨中の戦い。降り続く雨と同様、内容も湿っぽかった。
前半、ファイターズはQB畑からWR梅本への36ヤードのパスで一気にゴール前14ヤード。ここでRB榎本が11ヤードを走り切ってTD。K大西のキックも決まって7点を先制したが、試合が動いたのはここまで。後は互いにパントを蹴りあう展開で前半終了。
後半に入ると、いきなりRB望月が26ヤードを独走、榎本のドロープレーも決まってゴール前16ヤード。さらに望月と榎本がたて続けにランプレーを決めてTD。その後は、フレッシュな顔ぶれが次々と登場したため、試合の展開より、彼らの動きを追うのに忙しくなった。
結局、終わってみれば37-0。圧勝だったが、当日観戦していた人で、それを素直に喜んだ人はどれほどいただろうか。それほど緊迫感の薄い試合だった。
あのような試合を観戦するたびに、僕はコップの水の例えを思い浮かべる。半分だけ水のたまったコップを見て「もう、半分しかない」と思うか、それとも「まだ半分もある」と思うか、という話である。
ものの見方、考え方は人さまざま。もう、半分しかないと見ても、まだ半分も残っていると見ても、それはどちらが正しいとは決めつけられない。どちらも正解という言い方もある。同じ人間が同じコップの水を見て、昨日は「もう半分しかない」といっていたのに、今日は「まだ半分もある」といったりもする。それもまた「あり」だと僕は思う。
例えば、ファイターズの仕上がり状況である。理想形を100として、現状は30%だったとして考えてみればよい。「まだ、30%しか仕上がっていない」と見るか、それとも「もう30%も仕上がった」と見るか。人それぞれである。人生観や物事に対する感覚が異なるのだから、受け止め方も異なるのが自然である。
日体大との試合を見ながら、「さてこのチームは、30%まで仕上がったのか」それとも「まだ30%しか成長していないのか」と判断が揺れ動いた。
まだまだ、という判断は、例えばQBの成長具合である。先日までの試合では、成長の跡がくっきりと見えていたのに、この日は雨の中、ゴムのボールに手こずっていた。まだまだ練習が必要、ということだろう。あるいは、タイトエンドを含めたレシーバー陣。難しいパスは捕れるのに、簡単なパスをこぼしている姿を見ると、まだまだ先は長い、前途多難だなあ、と思ってしまう。
反則の多さにも、不満が残る。ラインは相変わらずフォルスタートの反則が多いし、ホールディングもあった。2度のパーソナルファールは論外だ。都合6回の反則で、罰退は55ヤード。この数字を見ただけでも、チームとしての熟成度が低いことがわかる。
逆に、もう30%も仕上がった、という見方にも一理はある。例年以上に下級生の活躍が目立つからだ。ディフェンスではLBの池田、坂本が鋭い動きを見せ、DBでは保宗、大森、青木の3人がインターセプトを連発している。オフェンスではラインの友国、木村がスタメンで活躍しているし、交代要員で出場している田淵や油谷も楽しみだ。RBの望月、野々垣、雑賀、榎本は競うように走っているし、TEの金本やWRの梅本も成長が著しい。もちろん、QB畑も試合経験を重ねるたびに成長の跡がうかがえる。
加えて、今年は1年生が楽しみだ。試合経験を重ねるたびに、非凡なところを見せている。日体大戦で活躍が目立った選手だけを並べてみても、QB斉藤、RB鷺野(高等部)、米田(箕面)、WR大園(箕面自由)、木戸(高等部)がいる。ラインでは松島(池田)や梶原弟(高等部)が元気な動きを見せていた。
とりわけ大園は、この日が初めての出場だったが、難しい状況で2本のパスをキャッチ(1本はTDパス)し、勝負強いところを見せた。
彼らの活躍ぶりを見ていると、今年は選手層が厚くなったことを実感する。これで、現在、けがなどで戦列を離れている選手たちが復帰してくれば、チーム内の競争は激化するに違いない。互いに刺激しあって練習を重ね、試合経験を積んで、30%を50%に、50%を80%、そして100%に近づけてほしい。「コップの水がどんどんたまっている」と実感してほしいのである。
さて、来週からは慶応、明治戦。関東のチームとの対戦が続く。「コップの水」がどれだけたまったのか。それを確認するのに絶好の対戦相手だと思っている。
前半、ファイターズはQB畑からWR梅本への36ヤードのパスで一気にゴール前14ヤード。ここでRB榎本が11ヤードを走り切ってTD。K大西のキックも決まって7点を先制したが、試合が動いたのはここまで。後は互いにパントを蹴りあう展開で前半終了。
後半に入ると、いきなりRB望月が26ヤードを独走、榎本のドロープレーも決まってゴール前16ヤード。さらに望月と榎本がたて続けにランプレーを決めてTD。その後は、フレッシュな顔ぶれが次々と登場したため、試合の展開より、彼らの動きを追うのに忙しくなった。
結局、終わってみれば37-0。圧勝だったが、当日観戦していた人で、それを素直に喜んだ人はどれほどいただろうか。それほど緊迫感の薄い試合だった。
あのような試合を観戦するたびに、僕はコップの水の例えを思い浮かべる。半分だけ水のたまったコップを見て「もう、半分しかない」と思うか、それとも「まだ半分もある」と思うか、という話である。
ものの見方、考え方は人さまざま。もう、半分しかないと見ても、まだ半分も残っていると見ても、それはどちらが正しいとは決めつけられない。どちらも正解という言い方もある。同じ人間が同じコップの水を見て、昨日は「もう半分しかない」といっていたのに、今日は「まだ半分もある」といったりもする。それもまた「あり」だと僕は思う。
例えば、ファイターズの仕上がり状況である。理想形を100として、現状は30%だったとして考えてみればよい。「まだ、30%しか仕上がっていない」と見るか、それとも「もう30%も仕上がった」と見るか。人それぞれである。人生観や物事に対する感覚が異なるのだから、受け止め方も異なるのが自然である。
日体大との試合を見ながら、「さてこのチームは、30%まで仕上がったのか」それとも「まだ30%しか成長していないのか」と判断が揺れ動いた。
まだまだ、という判断は、例えばQBの成長具合である。先日までの試合では、成長の跡がくっきりと見えていたのに、この日は雨の中、ゴムのボールに手こずっていた。まだまだ練習が必要、ということだろう。あるいは、タイトエンドを含めたレシーバー陣。難しいパスは捕れるのに、簡単なパスをこぼしている姿を見ると、まだまだ先は長い、前途多難だなあ、と思ってしまう。
反則の多さにも、不満が残る。ラインは相変わらずフォルスタートの反則が多いし、ホールディングもあった。2度のパーソナルファールは論外だ。都合6回の反則で、罰退は55ヤード。この数字を見ただけでも、チームとしての熟成度が低いことがわかる。
逆に、もう30%も仕上がった、という見方にも一理はある。例年以上に下級生の活躍が目立つからだ。ディフェンスではLBの池田、坂本が鋭い動きを見せ、DBでは保宗、大森、青木の3人がインターセプトを連発している。オフェンスではラインの友国、木村がスタメンで活躍しているし、交代要員で出場している田淵や油谷も楽しみだ。RBの望月、野々垣、雑賀、榎本は競うように走っているし、TEの金本やWRの梅本も成長が著しい。もちろん、QB畑も試合経験を重ねるたびに成長の跡がうかがえる。
加えて、今年は1年生が楽しみだ。試合経験を重ねるたびに、非凡なところを見せている。日体大戦で活躍が目立った選手だけを並べてみても、QB斉藤、RB鷺野(高等部)、米田(箕面)、WR大園(箕面自由)、木戸(高等部)がいる。ラインでは松島(池田)や梶原弟(高等部)が元気な動きを見せていた。
とりわけ大園は、この日が初めての出場だったが、難しい状況で2本のパスをキャッチ(1本はTDパス)し、勝負強いところを見せた。
彼らの活躍ぶりを見ていると、今年は選手層が厚くなったことを実感する。これで、現在、けがなどで戦列を離れている選手たちが復帰してくれば、チーム内の競争は激化するに違いない。互いに刺激しあって練習を重ね、試合経験を積んで、30%を50%に、50%を80%、そして100%に近づけてほしい。「コップの水がどんどんたまっている」と実感してほしいのである。
さて、来週からは慶応、明治戦。関東のチームとの対戦が続く。「コップの水」がどれだけたまったのか。それを確認するのに絶好の対戦相手だと思っている。
(8)神は細部に宿る
投稿日時:2011/05/26(木) 09:19
先週の京大戦は観戦できなかった。僕が働いている紀州・田辺で、第62回全国植樹祭が開かれたからである。地元新聞社の編集責任者としては、この式典に参加するとともに、式典の模様を伝える大がかりな紙面を制作しなければならない。のんびりとアメフットを楽しんでいる場合ではなかったのである。
だから、今週は観戦記は書けない。この駄文を楽しみにしてくださる方には申し訳ないが、僕もたまには仕事を優先させることもある、ということをご寛恕願いたい。
その代りに、今週はかねてから気にかかっていることについて書かせていただく。テーマは、今年2月に配布されたOB会の会報「ファイト・オン」に書いたものと完全に重複するが、会報を目にされていない方も多いので、その内容を要約してお伝えする。
「神は細部に宿る」ということである。
象徴的な場面がある。昨年の関大との甲子園ボウル出場決定戦。3-3で迎えた後半、第4Qが始まって間もなくのギャンブルプレーである。ファイターズはその直前、エースRB松岡君がけがで退場。その直後にQB加藤君がWR松原君に長いパスを決め、ゴール前19ヤードまで陣地を進めていた。しかし、次のシリーズ。ランは進まず、短いパスも失敗して第4ダウン残り7ヤード、ゴールまで16ヤードとなった。
そこでベンチが選択したのは、K大西君がフィールドゴールのフェイクから、右に走るプレーである。ダウン更新まで7ヤード、誰もがフィールドゴールを蹴ると思い込んでいた場面だっただけに、観客はもちろん相手守備陣も意表を突かれた。だが、ただ一人残った相手DBをブロックに行くはずだったウイングの選手が転んでしまい、大西君の走路が確保できずにプレーは失敗。決定的な得点機を逃がした。
これに対して「ベンチがアホや。なんで確実に3点を取りにいかんかったんか」「ギャンブル過ぎる。あれは、もっと距離が短い場面でこそ成功するプレー。あの距離から狙う意図がわからない」などという批判があちこちから出た。このコラムにも、似たような趣旨の書き込みがいくつも届いたし、今年の春になっても、試合会場で顔を合わせる観戦仲間からそのような批判を聞かされることがある。
しかしながら、本当にあのプレーは、成功の可能性がなかったのか。本当にベンチの采配ミスなのか。その疑問を解くために僕は後日、鳥内監督のもとで、あの場面を写し出しているチームのビデオを見せてもらった。
3方向から撮影し、それを編集したビデオには、プレー開始の瞬間から、大西君が倒されるまでの過程が克明に記録されていた。それを見ると、大西君が絶妙のフェイクで走り出し、相手守備陣が完全にそれに惑わされていることも、ウイングの選手が味方に当たられて転んでしまった場面も、克明に映し出されていた。ビデオで見る限り、プレーコールは完全に成功していたのに、ラインが動き出すタイミングのちょっとした違いから、味方の選手同士が接触し、成功したはずのプレーが失敗してしまっていたのである。
時間にすればほんの一瞬。しかし、この一瞬に起きたほんの小さな齟齬(そご)から、細部に宿っているはずの神様をつかみ損ねてしまったのである。
似たようなことは、立命戦で勝敗の分岐点になった相手キッカーに対する反則の場面でも起っていた。13-6、立命リードで迎えた第4Q。立命陣5ヤードから始まった相手攻撃をファイターズ守備陣が完封し、相手をパントに追いやった場面である。
ここでファイターズのパントリターンチームが攻撃的な守備隊形をとった。LBの選手が素早く飛び込み、キックされたボールをブロックしようとしたのだ。しかし、紙一重の差でボールには届かず、逆に体が相手キッカーの足に当たって反則。立命は再び攻撃を開始し、長いドライブの末、決定的とも思えるタッチダウンにつなげた。
ここでも、神様は細部にいた。たとえプレーの後で相手の足に体が触れたとしても、その前に手が相手の蹴ったボールに届いていれば、反則にはならない。もし、ボールに手が届かなかったとしても、一瞬、相手の体を避けて倒れることができていれば、反則ではない。勝負を決めに行く思い切りのよいプレーをしながら、その瞬刻のタイミングを逃がしたために、せっかくのプレーが反則となり、それが敗戦への分岐点になってしまったのである。
このように振り返ってみると、細部の細部まで練習で詰め切れていなかったことが、敗戦という結果につながったのではないか。逆にいえば、ファイターズが勝ち続けるためには、選手たちが練習でこうした細部をどのように詰め切っていくか、監督やコーチがどこまで追い込んで習熟度を上げていくか、そのことにかっているのである。
「神様は細部に宿っている」。そのことをファイターズの全員に教えてくれたのが昨シーズンの苦い経験である。その悔しさを誰よりも知っている選手諸君がこの言葉の意味をかみしめ、日頃の練習に生かすことから、明日は開けると僕は信じている。
だから、今週は観戦記は書けない。この駄文を楽しみにしてくださる方には申し訳ないが、僕もたまには仕事を優先させることもある、ということをご寛恕願いたい。
その代りに、今週はかねてから気にかかっていることについて書かせていただく。テーマは、今年2月に配布されたOB会の会報「ファイト・オン」に書いたものと完全に重複するが、会報を目にされていない方も多いので、その内容を要約してお伝えする。
「神は細部に宿る」ということである。
象徴的な場面がある。昨年の関大との甲子園ボウル出場決定戦。3-3で迎えた後半、第4Qが始まって間もなくのギャンブルプレーである。ファイターズはその直前、エースRB松岡君がけがで退場。その直後にQB加藤君がWR松原君に長いパスを決め、ゴール前19ヤードまで陣地を進めていた。しかし、次のシリーズ。ランは進まず、短いパスも失敗して第4ダウン残り7ヤード、ゴールまで16ヤードとなった。
そこでベンチが選択したのは、K大西君がフィールドゴールのフェイクから、右に走るプレーである。ダウン更新まで7ヤード、誰もがフィールドゴールを蹴ると思い込んでいた場面だっただけに、観客はもちろん相手守備陣も意表を突かれた。だが、ただ一人残った相手DBをブロックに行くはずだったウイングの選手が転んでしまい、大西君の走路が確保できずにプレーは失敗。決定的な得点機を逃がした。
これに対して「ベンチがアホや。なんで確実に3点を取りにいかんかったんか」「ギャンブル過ぎる。あれは、もっと距離が短い場面でこそ成功するプレー。あの距離から狙う意図がわからない」などという批判があちこちから出た。このコラムにも、似たような趣旨の書き込みがいくつも届いたし、今年の春になっても、試合会場で顔を合わせる観戦仲間からそのような批判を聞かされることがある。
しかしながら、本当にあのプレーは、成功の可能性がなかったのか。本当にベンチの采配ミスなのか。その疑問を解くために僕は後日、鳥内監督のもとで、あの場面を写し出しているチームのビデオを見せてもらった。
3方向から撮影し、それを編集したビデオには、プレー開始の瞬間から、大西君が倒されるまでの過程が克明に記録されていた。それを見ると、大西君が絶妙のフェイクで走り出し、相手守備陣が完全にそれに惑わされていることも、ウイングの選手が味方に当たられて転んでしまった場面も、克明に映し出されていた。ビデオで見る限り、プレーコールは完全に成功していたのに、ラインが動き出すタイミングのちょっとした違いから、味方の選手同士が接触し、成功したはずのプレーが失敗してしまっていたのである。
時間にすればほんの一瞬。しかし、この一瞬に起きたほんの小さな齟齬(そご)から、細部に宿っているはずの神様をつかみ損ねてしまったのである。
似たようなことは、立命戦で勝敗の分岐点になった相手キッカーに対する反則の場面でも起っていた。13-6、立命リードで迎えた第4Q。立命陣5ヤードから始まった相手攻撃をファイターズ守備陣が完封し、相手をパントに追いやった場面である。
ここでファイターズのパントリターンチームが攻撃的な守備隊形をとった。LBの選手が素早く飛び込み、キックされたボールをブロックしようとしたのだ。しかし、紙一重の差でボールには届かず、逆に体が相手キッカーの足に当たって反則。立命は再び攻撃を開始し、長いドライブの末、決定的とも思えるタッチダウンにつなげた。
ここでも、神様は細部にいた。たとえプレーの後で相手の足に体が触れたとしても、その前に手が相手の蹴ったボールに届いていれば、反則にはならない。もし、ボールに手が届かなかったとしても、一瞬、相手の体を避けて倒れることができていれば、反則ではない。勝負を決めに行く思い切りのよいプレーをしながら、その瞬刻のタイミングを逃がしたために、せっかくのプレーが反則となり、それが敗戦への分岐点になってしまったのである。
このように振り返ってみると、細部の細部まで練習で詰め切れていなかったことが、敗戦という結果につながったのではないか。逆にいえば、ファイターズが勝ち続けるためには、選手たちが練習でこうした細部をどのように詰め切っていくか、監督やコーチがどこまで追い込んで習熟度を上げていくか、そのことにかっているのである。
「神様は細部に宿っている」。そのことをファイターズの全員に教えてくれたのが昨シーズンの苦い経験である。その悔しさを誰よりも知っている選手諸君がこの言葉の意味をかみしめ、日頃の練習に生かすことから、明日は開けると僕は信じている。
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