石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2010/11

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(30)青の戦士たちへ

投稿日時:2010/11/22(月) 00:22

 僕は知っている。
 夏、ひと気のないグラウンドで、一人黙々とボールを蹴っていた男を。
 練習を手伝ってくれるスナッパーやホールダーの顔ぶれは変わっても、蹴るのはいつも一人。背番号3。ボールを蹴るという、人とは異なった役割を果たすため、仲間とは違った時間に孤独な汗を流していた男である。
 僕は知っている。
 秋の京大戦。足を骨折しながら、なお試合に出続け、懸命に走っていた男を。
 背番号22。試合から数日後、ギプスで固めた足を松葉杖でかばいながら「甲子園には間に合わせます」と言い切った彼の言葉が耳に残っている。
 ぼくは知っている。
 秋の初戦、最初の攻撃で腕を骨折。機能回復訓練にシーズンを費やした男を。
 背番号7。手術した腕の機能が回復しないまま、立命戦を戦ったが、存分にはプレーできなかった。その悔しさをこらえて、彼はいまも懸命にリハビリに励んでいる。
 僕は知っている。
 4年生、最後のシーズンにけがで一度も試合に出ることなく、ただ最終戦に間に合わせたいと機能回復訓練に励んでいる男を。
 背番号28。秋の深まりとともに、グラウンドの片隅で、ゆっくりと走り始めた姿を見てどれほど待ち遠しかったことか。試合に出るのは無理かもしれないが、失意の中でもあきらめず、懸命にリハビリに励む彼の姿に、どれほど仲間が勇気付けられたことか。
 僕は知っている。
 春、新しいシーズンが始まると同時に、リーダーとなった4年生たちが懸命に指導力、統率力を発揮するようになったのを。
 例えば背番号1、そして背番号74。高校時代はもちろん、大学に入っても、笑顔は見せるが、自分からはほとんど口を利くことのなかった彼らが、人が変わったように仲間を叱咤し、激励し、指示を与えている。無口な男たちの変貌に、僕は括目(かつもく)した。
 僕は知っている。
 いつも、大事なところでけがに悩まされ、成長しきれなかった男が、シーズンの深まりとともに、恐ろしいプレーヤーになったのを。
 背番号86。2年生の時、僕の授業に顔を出すたびに、いつもどこかを故障していた彼がついに回復。恵まれた体を生かし、今では誰よりも信頼の厚いレシーバーに脱皮した。
 僕は知っている。
 陽気だけれど落ち着きのなかった男が、堂々のチームリーダーに育っているのを。
 背番号52。主将になって以降、いつも試合後に、一言ふたこと言葉を交わすのだが、その言葉の端々に、彼の成長を実感する。
 そして、僕は知っている。
 誰よりも努力する男を。
 背番号6。1年生の時からずっと、人の見ているところ、見ていないところで懸命の努力を続けてきた。自らのプレーを極限まで追求し続けてきた。人は彼を天才と呼ぶかもしれないが、僕の目には、ひたすら努力を続ける男に映る。
 ファイターズには、ほかにも努力し、チームに貢献している男たち、女たちがいっぱいいる。彼、彼女たちが懸命にチームを支え、一丸になって戦ってきた。素晴らしい戦いも、物足りない戦いもあった。力を発揮できずに敗れた試合もあった。
 けれどもこれらはすべて、春から夏、そして秋までの物語である。
 時は晩秋。残された試合はただひとつ。すでに優勝を決めている関西大学との戦いだけである。この試合がすべてを決める。
 けがで苦しんだ者、思い通りにプレーできずに涙をのんだ者、思いもよらないミスをした者、何よりライバルに敗れて悔しい思いをしたチームの全員。
 君たちは、極限の試練に立ち向かえるか。
 どんな苛酷な場面に遭遇しても、臆さずひるまず、敵のど真ん中に突っ込んでいけるか。
 俺が倒れたらチームが倒れる。そう、腹をくくって戦えるか。
 言い訳はない。
 心と体が試される。君たちの取り組みのすべてが試される。
 11月28日。神戸ユニバースタジアム。
 極限で戦い、極限を超えた時、君たちの前に道は開ける。君たちの可能性が広がる。
 人は続き、道は続く。
 頑張ろう。

(29)旗印、高く掲げよ

投稿日時:2010/11/17(水) 10:02

 黒澤明監督の「7人の侍」に、脇役だけれども、魅力的な人物が登場する。千秋実が扮する林田平八。茶屋の代金を支払う代わりにマキ割りをしているところを、主役の勘兵衛(志村喬)らから「村を守る戦(いくさ)に加わらないか」とリクルートされる。僕はこの侍が大好きだ。組織にとっては必要不可欠な人物だと、高く評価している。
 ところが、現実には「腕はまあ、中の下。しかし、正直な男でな。その男と話していると、気が開ける。苦しい時には重宝だと思う」という程度の評価である。実際、リクルーターから剣の流儀を聞かれて「マキ割り流を少々」と答えるような、ひょうひょうとしたところがある。
 この男が勘兵衛ら6人の侍と協力して、野伏の攻撃から村を守る戦いに参加する。防衛体制づくりに余念のないある日、雨で外の作業ができない時に、彼は一人、針を手に旗を縫い始める。下に百姓の「た」を大きく書き、その上に6人の侍の印として○が6つ。その中間に、百姓の出身だが、ゆえあって侍になりたがっている菊千代(三船敏郎)の△を配した堂々たる旗である。
 「なぜ、忙しい中、こんな旗を作るのか」と聞く仲間たちに、平八が答えて曰く「戦には、何か高く掲げるものがないとさびしいでな」。
 そう、戦には高く掲げる旗が必要なのである。太平洋戦争中、あの硫黄島の戦いでも米軍は星条旗、日本軍は日章旗を高く掲げて、互いに死に物狂いの戦いを繰り広げた。
 「7人の侍」で平八は、野伏との戦いが始まって間もなく、あっけなく死んでしまった。しかし、彼が作った旗は村の高台に高く掲げられ、村人たちの団結と闘争のシンボルとして、見事にその役割を果たしたのである。
 ファイターズの旗印は言うまでもなく「プライド」である。今年4月、新しいチームが船出するに当たって、4年生を中心にこの言葉をチームの旗印に決めた。その間の事情は「主務のブログ」の1回目に、柚木君が書いている。この言葉のもと、チームは一致団結、火の玉となって日本1を目指そうとしているのである。
 上ヶ原のグラウンドの2か所の物見塔(それは選手たちのプレーをビデオに収録するための施設であり、練習中の選手から1番よく見える場所である)には、この文字(正しくは「PRIDE」の5文字)が掲げられている。ファイターズの諸君は日々、この文字を見ながら切磋琢磨しているのである。
 ところが、ファイターズの旗印である、この「プライド」について、一部の方から「生臭く漂っている」とか、「苦笑する」というコメントが寄せられている。匿名のコメントなので、書き込まれた方の意図は不明だが、選手や指導者にとっては不愉快なこと限りない言説であろう。
 前回「疾風に勁草を知る」というタイトルで書いたように、人は苦しい局面に立たされた時にこそ、その真価が問われる。だから、他人はともかく、僕だけは敗戦という事実に取り乱したり、不穏当な言動で選手たちを傷つけたりすることはするまい、と心がけている。
 実際、このコラムを書き始めて5年。チームは何度も苦杯をなめた。勝負に勝っても、内容的には不満足な試合もいっぱいあった。その間、勝った時の選手の振る舞いに苦言を呈したことはあったが、敗れた時に選手やチームを責めたことは一度もない。
 懸命に戦っている選手や指導者にとって、ホームページ上で、匿名のだれかから、その努力を揶揄(やゆ)するような言葉を浴びせられるのは、悔しいことであろう。腹立たしいことでもあろう。
 けれども、そんなことでくじけてはならない。たとえ千切れても、旗は旗である。堂々と「プライド」の旗印を掲げ、本来の使命に取り組んでほしい。悔しさをエネルギーに変え、捲土重来の勝負に挑んでもらいたい。
 幸い先週、チームは同志社に圧勝。関大もしたたかに戦って立命館を下した。おかげでファイターズにも雪辱のチャンスが巡ってきた。28日の関大戦に勝てば3校が6勝1敗で並び、甲子園への可能性が開かれるのだ。
 この好機を命掛けでつかみ取ってほしい。真価が試される日は目前である。「疾風に勁草を知る」。本当に強い草として、選手もスタッフも、もちろん指導者も、知能の限りを尽くし、体力と技の限界を突破して、存分に戦ってもらいたい。自らの意志で高く掲げた「プライド」という旗印に恥じない戦いを期待している。
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