石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
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(12)「君の可能性」
投稿日時:2022/10/25(火) 08:01
新聞記者生活50有余年、数多くの方々にお会いして見聞を広め、その一端を記事にしてきた。
今も取材の場面や相手の発言を鮮明に記憶していることが少なくない。1971年の春、朝日新聞社での初任地・前橋支局で働いていた時に知り合った斎藤喜博先生との出会いもその一つである。
私は当時、信濃毎日新聞社を2年8カ月で依願退職し、朝日新聞に入社して3カ月余り。新人記者が受け持つ所轄警察署担当を卒業し、前橋市政担当兼群馬版の文化面担当になったばかりだった。文化面の担当は読者が投稿してくださる俳句や短歌欄の世話係もする。そこで群馬県の小学校で教育史に残る実践を展開されると同時に、アララギ派の歌人としても知られた斎藤先生と知り合い、先生のファンになった。
初めてご挨拶に伺った日は、ご自宅の庭に植えられている草木の説明などを受けながら、よもやま話を交わしたのだが、その時の応答が先生に気に入られたのだろう。帰り際に「私は毎月1度、自宅を開放して教員を対象に教授法の勉強会をしている。各地から熱心な先生が参加されるから、お出かけください。教育に関心があるなら、何かと参考になることがあるはずです」とお誘いを受け、以来、前橋支局を離れるまで7か月間ほど、欠かさず勉強会に参加した。
気安く話し合えるようになって数カ月後、先生と2人、近くの川辺へ散歩に出掛けた。岩場がゴツゴツした景勝地で休憩した時、先生から「今日はここで的当て競争をしましょう」と提案された。標的は25メートルほど離れた対岸にある岩塊。大きさは50センチ四方ほどだ。互いに手頃な石を5個ずつ手に取り、交互に的に投げ合った。
結果は4対4。でも、60歳を過ぎている先生と20代の僕との戦いだから、明らかに僕の負けだ。どうしてそんなにうまく投げられるのですかと聞くと、こんな答えが返ってきた。
「あなたは遠くの岩を目当てに投げていたでしょう。でも僕は、どう投げれば的に当たるか、その軌道を頭の中に描き、その軌道に石を乗せるようにして投げています」「教育も同じです。到達可能な目標を近くに設定し、それに向けて指導する。具体的な目標を達成することで自信がつき、それが子どもの可能性を引き出すことにつながるのです」と付け加えられた。
この話だけではない。先生の「一つのこと」という詩からも大きな影響を受け、いつもその詩を心の支えにしてきた。筑摩書房から出ている「君の可能性」という本(単行本と文庫本がある)に掲載されているので、紹介しよう。
一つのこと
いま終わる一つのこと
いま越える一つの山
風わたる草原
ひびきあう心の歌
桑の海光る雲
人は続き道は続く
遠い道はるかな道
明日のぼる山もみさだめ
いま終わる一つのこと
以下、先生の説明を引用しよう。
……この詩は、いま自分たちは、みんなと力をあわせて一つの仕事(学習)をやり終わった。それは、ちょうど一つの山にのぼったようなものである。山の上に立ってみると、草原にはすずしい風が吹いている。そこに立つと、いっしょに登ってきた人たちと、しみじみ心が通い合うのを感じる。そこから見ると、はるか遠くに桑畑が海のように見え、雲が美しく光っている。そしていま登ってきた道を人がつづいて登ってくるのが見える。自分たちはいま、一つの山を登り終わったが、目の前にはさらに高い山が見えているのだ。今度はあの山に登るのだ、という意味である。
学校の学習とは、こういうことをみんなと力をあわせてつぎつぎとやっていくのである。一つの山をのぼり終わると、次のより高い、よりきびしい山に向かって出発するのである。そういうことがおもしろくて楽しくてならないように、クラス全体、学校全体で力をあわせて学習していくのである。
続けて、こんな説明もある。
……ひとりがよいものを出すことによって、それが他のみんなに影響し、より高いものになって自分のところへ返ってくるのである。それぞれがよいものを出し合い、影響しあうから、ひとりだけでは出せないような高いものを自分のものとすることができるのである。
ひとりひとりの人間が、より高い、よりよいものに近づこうとするねがいを持ち、そのためにはどんなほねおりでもしようとするようになり、またどんなほねおりでもできるようになるためには、学校でのこういう経験がどうしても必要になる。(中略)そういう努力を続けていくことによって、ねばり強い心とか、困難にくじけない心とかもつくられていく。また、苦しい思いをしても、目の前にある困難を一つ一つとっぱしていくことこそ、本当に張り合いのあることであり、楽しいことだということも体験として覚えていくようになる。
そういうことこそ、もっとも大切な能力である(以下略)。
先生の主張は、ファイターズの活動にも、そっくり当てはまるのではないか。みんなと力をあわせ、次々と課題に挑戦する。一つのことを成し遂げると、さらに高い目標に向かって出発し、チーム全体で力をあわせて学習していく。より高い目標を達成するためにはどんな骨折りでもしようと心に決め、それができるように努力する。そういう経験がより高いものへの憧れをもたせ、その憧れを達成しようとすることで自ら成長する。
監督やコーチに言われたからやるのではなく、ひとり一人の部員が自覚を持って取り組み、切磋琢磨することで自身を鍛え、その後ろ姿で仲間を鼓舞する。そういう循環を生み出すことができれば、チームは必ず強くなる。逆に、そこを突き詰めなければ、道は開けない。
僕はこの詩を、このように理解し、長々と紹介させてもらった。ファイターズでいま、自らの可能性を切り開こうと努力を続けている諸君に響けば幸いである。
今も取材の場面や相手の発言を鮮明に記憶していることが少なくない。1971年の春、朝日新聞社での初任地・前橋支局で働いていた時に知り合った斎藤喜博先生との出会いもその一つである。
私は当時、信濃毎日新聞社を2年8カ月で依願退職し、朝日新聞に入社して3カ月余り。新人記者が受け持つ所轄警察署担当を卒業し、前橋市政担当兼群馬版の文化面担当になったばかりだった。文化面の担当は読者が投稿してくださる俳句や短歌欄の世話係もする。そこで群馬県の小学校で教育史に残る実践を展開されると同時に、アララギ派の歌人としても知られた斎藤先生と知り合い、先生のファンになった。
初めてご挨拶に伺った日は、ご自宅の庭に植えられている草木の説明などを受けながら、よもやま話を交わしたのだが、その時の応答が先生に気に入られたのだろう。帰り際に「私は毎月1度、自宅を開放して教員を対象に教授法の勉強会をしている。各地から熱心な先生が参加されるから、お出かけください。教育に関心があるなら、何かと参考になることがあるはずです」とお誘いを受け、以来、前橋支局を離れるまで7か月間ほど、欠かさず勉強会に参加した。
気安く話し合えるようになって数カ月後、先生と2人、近くの川辺へ散歩に出掛けた。岩場がゴツゴツした景勝地で休憩した時、先生から「今日はここで的当て競争をしましょう」と提案された。標的は25メートルほど離れた対岸にある岩塊。大きさは50センチ四方ほどだ。互いに手頃な石を5個ずつ手に取り、交互に的に投げ合った。
結果は4対4。でも、60歳を過ぎている先生と20代の僕との戦いだから、明らかに僕の負けだ。どうしてそんなにうまく投げられるのですかと聞くと、こんな答えが返ってきた。
「あなたは遠くの岩を目当てに投げていたでしょう。でも僕は、どう投げれば的に当たるか、その軌道を頭の中に描き、その軌道に石を乗せるようにして投げています」「教育も同じです。到達可能な目標を近くに設定し、それに向けて指導する。具体的な目標を達成することで自信がつき、それが子どもの可能性を引き出すことにつながるのです」と付け加えられた。
この話だけではない。先生の「一つのこと」という詩からも大きな影響を受け、いつもその詩を心の支えにしてきた。筑摩書房から出ている「君の可能性」という本(単行本と文庫本がある)に掲載されているので、紹介しよう。
一つのこと
いま終わる一つのこと
いま越える一つの山
風わたる草原
ひびきあう心の歌
桑の海光る雲
人は続き道は続く
遠い道はるかな道
明日のぼる山もみさだめ
いま終わる一つのこと
以下、先生の説明を引用しよう。
……この詩は、いま自分たちは、みんなと力をあわせて一つの仕事(学習)をやり終わった。それは、ちょうど一つの山にのぼったようなものである。山の上に立ってみると、草原にはすずしい風が吹いている。そこに立つと、いっしょに登ってきた人たちと、しみじみ心が通い合うのを感じる。そこから見ると、はるか遠くに桑畑が海のように見え、雲が美しく光っている。そしていま登ってきた道を人がつづいて登ってくるのが見える。自分たちはいま、一つの山を登り終わったが、目の前にはさらに高い山が見えているのだ。今度はあの山に登るのだ、という意味である。
学校の学習とは、こういうことをみんなと力をあわせてつぎつぎとやっていくのである。一つの山をのぼり終わると、次のより高い、よりきびしい山に向かって出発するのである。そういうことがおもしろくて楽しくてならないように、クラス全体、学校全体で力をあわせて学習していくのである。
続けて、こんな説明もある。
……ひとりがよいものを出すことによって、それが他のみんなに影響し、より高いものになって自分のところへ返ってくるのである。それぞれがよいものを出し合い、影響しあうから、ひとりだけでは出せないような高いものを自分のものとすることができるのである。
ひとりひとりの人間が、より高い、よりよいものに近づこうとするねがいを持ち、そのためにはどんなほねおりでもしようとするようになり、またどんなほねおりでもできるようになるためには、学校でのこういう経験がどうしても必要になる。(中略)そういう努力を続けていくことによって、ねばり強い心とか、困難にくじけない心とかもつくられていく。また、苦しい思いをしても、目の前にある困難を一つ一つとっぱしていくことこそ、本当に張り合いのあることであり、楽しいことだということも体験として覚えていくようになる。
そういうことこそ、もっとも大切な能力である(以下略)。
先生の主張は、ファイターズの活動にも、そっくり当てはまるのではないか。みんなと力をあわせ、次々と課題に挑戦する。一つのことを成し遂げると、さらに高い目標に向かって出発し、チーム全体で力をあわせて学習していく。より高い目標を達成するためにはどんな骨折りでもしようと心に決め、それができるように努力する。そういう経験がより高いものへの憧れをもたせ、その憧れを達成しようとすることで自ら成長する。
監督やコーチに言われたからやるのではなく、ひとり一人の部員が自覚を持って取り組み、切磋琢磨することで自身を鍛え、その後ろ姿で仲間を鼓舞する。そういう循環を生み出すことができれば、チームは必ず強くなる。逆に、そこを突き詰めなければ、道は開けない。
僕はこの詩を、このように理解し、長々と紹介させてもらった。ファイターズでいま、自らの可能性を切り開こうと努力を続けている諸君に響けば幸いである。
(11)山積する課題
投稿日時:2022/10/17(月) 19:48
スタンドから観戦していても、まだまだ課題が多いことが見えた試合だった。
15日、王子スタジアムで行われた今季第4戦、神戸大学との戦いは29-0。試合そのものは終始、ファイターズが先手を取り、優位に進めていた。試合後、公表されたスタッツを見ても、それは理解できる。総獲得ヤードは309ヤード(ラン121ヤード、パス188ヤード)、逆に相手に奪われた陣地は114ヤード(ラン10ヤード、パス124ヤード)。相手の攻撃権を奪うインターセプトの回数はファイターズが5回、相手が2回。この数字だけを見れば、ファイターズが優位に試合を進めていたと受け止める人も多いだろう。
しかし、スタンドから見ている限り、そういう楽観的な気分とはほど遠かった。どうしてか。例えば、反則回数を見てみよう。相手は1回、マイナス10ヤードなのに、ファイターズは6回、マイナス60ヤード。それだけでも驚きだが、それらの反則がすべて攻撃時に出ていることに、もっと驚く。自分たちが必死になって攻め込んでいるのに、それを自分たちで帳消しにしてしまっているのだ。
大村監督にとっても、これは想定外だったのだろう。試合後も記者団の取材を受けて「やることは山積み」「これ以上、オフェンスが足を引っ張るわけにはいかない」と厳しい言葉を連ねておられた。
もちろん、試合には相手がある。神戸大が自分たちの戦術を練り、とにかく積極的に攻め、守り続けようと、終始、意表を突くプレーを出し続けたことも影響している。その守備の揺さぶりに対応しようとしたファイターズのOL陣が思わず反則をしてしまったように見える場面も少なくなかった。
もちろん、この日は攻守とも積極的に下級生を起用していたせいもあるのだろう。それにしてもこの日の攻撃陣にはミスが多かった。これを克服しない限り、到底、関大や立命を相手に勝利はおぼつかない。
そこをどう克服していくのか。この日起用された下級生たちはもちろん、試合経験豊富な上級生にも奮起を促したい。
一方で、いくつかのうれしい場面にも出会えた。一つは、けがでずっと試合から遠ざかっていたレシーバーの4年生、河原林と梅津の2人がフィールドに戻ってきたこと。共に的確なブロックや鮮やかなパスキャッチを披露し、さすがは数々の修羅場をくぐってきた4年生というプレーを見せてくれた。同じ4年生の糸川や3年生の鈴木、衣笠らと共に、今季のKGパスオフェンスを一層の高みに導く活躍を期待したい。
もう一つは、ディフェンスバックとして起用された下級生の活躍である。苦しい場面でインターセプトTDを決めたDB中野は2年生、同じDBの東田と磯田(ともに1年生)も、それぞれ巧みな位置取りとカバーで鮮やかなインターセプトを決めた。競り合いの中で2度のインターセプトを決めた松島も2年生である。
場内のFM放送席で解説を務めておられたOBの片山さんが試合中、何度も1年生2人の動きを絶賛されていただけに、彼らがパスを奪い取ったときには思わず拍手をしてしまった。
アメフットは「戦術のスポーツ」であり、「交代自由」な競技である。この特徴を最大限に生かすためには、選手層を厚くしなければならない。そのためには、日頃の練習だけではなく、試合から学ぶことも数多い。そういう意味では、いくつものミスがあり、苦しい展開を強いられたこの日の試合は、最高の教材になるはずだ。
ファイターズのみなさん。監督のいわれる「山積みになっている課題」に、懸命に取り組み、自らを鍛え、仲間を高みに引き上げてもらいたい。栄光への道は、自分たちで切り開くしかない。
15日、王子スタジアムで行われた今季第4戦、神戸大学との戦いは29-0。試合そのものは終始、ファイターズが先手を取り、優位に進めていた。試合後、公表されたスタッツを見ても、それは理解できる。総獲得ヤードは309ヤード(ラン121ヤード、パス188ヤード)、逆に相手に奪われた陣地は114ヤード(ラン10ヤード、パス124ヤード)。相手の攻撃権を奪うインターセプトの回数はファイターズが5回、相手が2回。この数字だけを見れば、ファイターズが優位に試合を進めていたと受け止める人も多いだろう。
しかし、スタンドから見ている限り、そういう楽観的な気分とはほど遠かった。どうしてか。例えば、反則回数を見てみよう。相手は1回、マイナス10ヤードなのに、ファイターズは6回、マイナス60ヤード。それだけでも驚きだが、それらの反則がすべて攻撃時に出ていることに、もっと驚く。自分たちが必死になって攻め込んでいるのに、それを自分たちで帳消しにしてしまっているのだ。
大村監督にとっても、これは想定外だったのだろう。試合後も記者団の取材を受けて「やることは山積み」「これ以上、オフェンスが足を引っ張るわけにはいかない」と厳しい言葉を連ねておられた。
もちろん、試合には相手がある。神戸大が自分たちの戦術を練り、とにかく積極的に攻め、守り続けようと、終始、意表を突くプレーを出し続けたことも影響している。その守備の揺さぶりに対応しようとしたファイターズのOL陣が思わず反則をしてしまったように見える場面も少なくなかった。
もちろん、この日は攻守とも積極的に下級生を起用していたせいもあるのだろう。それにしてもこの日の攻撃陣にはミスが多かった。これを克服しない限り、到底、関大や立命を相手に勝利はおぼつかない。
そこをどう克服していくのか。この日起用された下級生たちはもちろん、試合経験豊富な上級生にも奮起を促したい。
一方で、いくつかのうれしい場面にも出会えた。一つは、けがでずっと試合から遠ざかっていたレシーバーの4年生、河原林と梅津の2人がフィールドに戻ってきたこと。共に的確なブロックや鮮やかなパスキャッチを披露し、さすがは数々の修羅場をくぐってきた4年生というプレーを見せてくれた。同じ4年生の糸川や3年生の鈴木、衣笠らと共に、今季のKGパスオフェンスを一層の高みに導く活躍を期待したい。
もう一つは、ディフェンスバックとして起用された下級生の活躍である。苦しい場面でインターセプトTDを決めたDB中野は2年生、同じDBの東田と磯田(ともに1年生)も、それぞれ巧みな位置取りとカバーで鮮やかなインターセプトを決めた。競り合いの中で2度のインターセプトを決めた松島も2年生である。
場内のFM放送席で解説を務めておられたOBの片山さんが試合中、何度も1年生2人の動きを絶賛されていただけに、彼らがパスを奪い取ったときには思わず拍手をしてしまった。
アメフットは「戦術のスポーツ」であり、「交代自由」な競技である。この特徴を最大限に生かすためには、選手層を厚くしなければならない。そのためには、日頃の練習だけではなく、試合から学ぶことも数多い。そういう意味では、いくつものミスがあり、苦しい展開を強いられたこの日の試合は、最高の教材になるはずだ。
ファイターズのみなさん。監督のいわれる「山積みになっている課題」に、懸命に取り組み、自らを鍛え、仲間を高みに引き上げてもらいたい。栄光への道は、自分たちで切り開くしかない。
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