石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2017/9
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(21)勘違いは御法度
投稿日時:2017/09/12(火) 08:25
先週土曜日は桃山学院との戦い。過去の対戦機会は少なく、手探りの立ち上がりだったが、選手層の厚さで優位に立つファイターズが終始自分たちのペースで試合を進め、終わって見れば65-0の圧勝だった。
立ち上がり、コイントスに勝ったファイターズが守備から試合に入り、相手の出方をうかがう。相手陣16ヤードから始まった最初の相手攻撃を守備陣が完封し、自陣48ヤードから自分たちの攻撃につなげる。
ファイターズが準備してきた最初のプレーはRB山口のラン。QB西野からハンドオフされたボールを抱えた瞬間、トップスピードに乗った山口が右サイドラインを一気に駆け上がり、そのままま52ヤードのTD。胸のすくような走り、という言葉があるが、スピードと突破力を兼ね備えた山口ならではプレーで、一気に試合の流れを手にした。
次の相手攻撃では、2度ダウンを更新されたが、なんとかパントに追いやり、再びセンターライン付近からファイターズの攻撃が始まる。この日のキッキングチームは初戦とは違って終始相手陣深くにキックを蹴り込み、陣地の優位を奪い続ける。守備陣がパントをカットする場面もあり、終始40ヤード付近まで返されていた初戦とは大違いである。よほど気合いを入れて練習してきたのか、それとも相手のパントチームの練度が低かったのか、僕には判断できないけれども、キッキングチームが機能し、そこから試合を有利に運んだことは間違いない。
ともかくハーフラインから始まったファイターズの攻撃。今度は一気にTDを狙ったパスを西野からWR松井へ。惜しくもはじいて狙いは失敗したが、今度はRB陣が頑張る。西野のスクランブル、山口への短いパスなどで陣地を進め、仕上げはゴール前13ヤードから西野がスクランブルを決めてTD。小川のキックも決まって14-0。
第2Qに入ってもファイターズの攻撃は快調そのもの。西野から松井への22ヤードのパス、山口、西野のランですいすいと陣地を進め、ゴール前3ヤードから再び山口がTD。次の桃山の攻撃もDB吉野が鮮やかなインターセプトで攻守交代。今度は松井やWR前田へのパスプレーで陣地を進め、この日が初出場の1年生RB鈴木(横浜南陵)が14ヤードを走り切ってTD。大学生として公式戦最初のプレーがTDという派手なデビューだった。
派手なデビューといえば、これだけではない。3Q中盤、2度目に登場したときも、ゴール前15ヤードでハンドオフされたボールを一気に相手ゴールに持ち込んでTD。ボールを手にした2度の機会をともにTDで仕上げるという派手、派手のデビューだった。相手守備陣が暑さにバテていたこと、味方のオフェンスラインが大きな穴を開けてくれたことを割り引いても、素晴らしい記録である。
守備陣が簡単に相手の攻撃を止め、続くファイターズの攻撃は再びセンターライン付近から。ここで今度は西野から亀山へTDパス。見事にコントロールされたパスがゴール前に飛ぶ。よくカバーしていた相手DBが必死に飛び上がるが、その上から長身の亀山が横取りする形でパスを確保し、48ヤードのTDパスが完成。亀山はその長身とキャッチ力を生かしてもう1本の長いTDパスをキャッチしており、ライバルチームのビデオ撮影班にも脅威を与えたのは間違いない。もう一人の長身レシーバー松井も、後半の途中から出場したQB光藤からのTDパスをキャッチしており、この二人がフル回転すれば空中戦で優位に立てることは間違いない。プレーの選択枝も広がり、ライバルたちにはやっかいなことになりそうだ。
とにかくこの日のファイターズオフェンスは、一度もパントを蹴ることなく攻撃を終了させている。加えて、前半、相手攻撃陣が疲れる前に相手パスを奪い取り、そのまま23ヤードを走り切ってTDに結び付けたDB小椋の活躍もあって、最終のスコアは65-0。これは後半、大量に交代メンバーを投入しながらの結果であり、数字だけを見れば「ファイターズ強し」という印象を他チームに与えたことだろう。
しかし、試合後の鳥内監督は「たまたま点が入っただけ。勘違いしたらあかん、相手がばててただけや」「問題は本当に強い相手とどこまでやれるか。今のままなら(次節の)京大にやられる」と厳しい口調だった。
確かにその通りである。試合後の主将や副将からも「自分がゲームを変えるという気持ちを持ってほしい」「まだま自分が1枚目だという自覚が足りない」などという辛口のコメントが出ていた。
試合をスタンドから観戦している人間と、グラウンドに身を置いて戦っている人間とでは感じ方が異なる。チームを指揮する監督やコーチもまた、目先の得点差に一喜一憂するようなことはない。ただただチームの全員が「もう一つ上」を目指しているかどうか、貪欲に勝利を求め、そのためにチームの一人一人が自分を追い込んでいるか、という点にのみ関心があるのだろう。
その貪欲さが今後の勝敗を決める。勝っておごらず、ひたすら向上心を持って日々の活動に精進できるかどうか。ポイントはそこにある。自分たちの長所を伸ばし、短所を克服するため、さらなる鍛錬を続けてほしい。今後、一週間おきに一歩も引けない戦いが続く。相手を怖れず、自らを信じ、仲間を信じて日々の活動に取り組んでもらいたい。頑張ろう。
立ち上がり、コイントスに勝ったファイターズが守備から試合に入り、相手の出方をうかがう。相手陣16ヤードから始まった最初の相手攻撃を守備陣が完封し、自陣48ヤードから自分たちの攻撃につなげる。
ファイターズが準備してきた最初のプレーはRB山口のラン。QB西野からハンドオフされたボールを抱えた瞬間、トップスピードに乗った山口が右サイドラインを一気に駆け上がり、そのままま52ヤードのTD。胸のすくような走り、という言葉があるが、スピードと突破力を兼ね備えた山口ならではプレーで、一気に試合の流れを手にした。
次の相手攻撃では、2度ダウンを更新されたが、なんとかパントに追いやり、再びセンターライン付近からファイターズの攻撃が始まる。この日のキッキングチームは初戦とは違って終始相手陣深くにキックを蹴り込み、陣地の優位を奪い続ける。守備陣がパントをカットする場面もあり、終始40ヤード付近まで返されていた初戦とは大違いである。よほど気合いを入れて練習してきたのか、それとも相手のパントチームの練度が低かったのか、僕には判断できないけれども、キッキングチームが機能し、そこから試合を有利に運んだことは間違いない。
ともかくハーフラインから始まったファイターズの攻撃。今度は一気にTDを狙ったパスを西野からWR松井へ。惜しくもはじいて狙いは失敗したが、今度はRB陣が頑張る。西野のスクランブル、山口への短いパスなどで陣地を進め、仕上げはゴール前13ヤードから西野がスクランブルを決めてTD。小川のキックも決まって14-0。
第2Qに入ってもファイターズの攻撃は快調そのもの。西野から松井への22ヤードのパス、山口、西野のランですいすいと陣地を進め、ゴール前3ヤードから再び山口がTD。次の桃山の攻撃もDB吉野が鮮やかなインターセプトで攻守交代。今度は松井やWR前田へのパスプレーで陣地を進め、この日が初出場の1年生RB鈴木(横浜南陵)が14ヤードを走り切ってTD。大学生として公式戦最初のプレーがTDという派手なデビューだった。
派手なデビューといえば、これだけではない。3Q中盤、2度目に登場したときも、ゴール前15ヤードでハンドオフされたボールを一気に相手ゴールに持ち込んでTD。ボールを手にした2度の機会をともにTDで仕上げるという派手、派手のデビューだった。相手守備陣が暑さにバテていたこと、味方のオフェンスラインが大きな穴を開けてくれたことを割り引いても、素晴らしい記録である。
守備陣が簡単に相手の攻撃を止め、続くファイターズの攻撃は再びセンターライン付近から。ここで今度は西野から亀山へTDパス。見事にコントロールされたパスがゴール前に飛ぶ。よくカバーしていた相手DBが必死に飛び上がるが、その上から長身の亀山が横取りする形でパスを確保し、48ヤードのTDパスが完成。亀山はその長身とキャッチ力を生かしてもう1本の長いTDパスをキャッチしており、ライバルチームのビデオ撮影班にも脅威を与えたのは間違いない。もう一人の長身レシーバー松井も、後半の途中から出場したQB光藤からのTDパスをキャッチしており、この二人がフル回転すれば空中戦で優位に立てることは間違いない。プレーの選択枝も広がり、ライバルたちにはやっかいなことになりそうだ。
とにかくこの日のファイターズオフェンスは、一度もパントを蹴ることなく攻撃を終了させている。加えて、前半、相手攻撃陣が疲れる前に相手パスを奪い取り、そのまま23ヤードを走り切ってTDに結び付けたDB小椋の活躍もあって、最終のスコアは65-0。これは後半、大量に交代メンバーを投入しながらの結果であり、数字だけを見れば「ファイターズ強し」という印象を他チームに与えたことだろう。
しかし、試合後の鳥内監督は「たまたま点が入っただけ。勘違いしたらあかん、相手がばててただけや」「問題は本当に強い相手とどこまでやれるか。今のままなら(次節の)京大にやられる」と厳しい口調だった。
確かにその通りである。試合後の主将や副将からも「自分がゲームを変えるという気持ちを持ってほしい」「まだま自分が1枚目だという自覚が足りない」などという辛口のコメントが出ていた。
試合をスタンドから観戦している人間と、グラウンドに身を置いて戦っている人間とでは感じ方が異なる。チームを指揮する監督やコーチもまた、目先の得点差に一喜一憂するようなことはない。ただただチームの全員が「もう一つ上」を目指しているかどうか、貪欲に勝利を求め、そのためにチームの一人一人が自分を追い込んでいるか、という点にのみ関心があるのだろう。
その貪欲さが今後の勝敗を決める。勝っておごらず、ひたすら向上心を持って日々の活動に精進できるかどうか。ポイントはそこにある。自分たちの長所を伸ばし、短所を克服するため、さらなる鍛錬を続けてほしい。今後、一週間おきに一歩も引けない戦いが続く。相手を怖れず、自らを信じ、仲間を信じて日々の活動に取り組んでもらいたい。頑張ろう。
(20)所属するだけでなく
投稿日時:2017/09/06(水) 08:34
就職活動中の大学生から頼まれてエントリーシートの添削をしたり、関西学院を受験する高校生の志望理由書を見せてもらったりするたびに気になることがある。自分の身上をを記入する欄に、必ずといっていいほど「部活動では○○部に所属し……」と書いていることだ。
その言葉を見るたびに、ついついこんな質問をしてしまう。
「あなたはそのクラブに所属していただけですか」
「どんな活動をしていたか、説明できるほどの内容はなかったのですか」
すると、必ず「いや私は部長として仲間をリードし、○○大会で決勝まで進みました」とか「○○県選抜の一員に選ばれました」とかの答えが返って来る。
そうした答えを聞くたび、記者稼業の合間に母校で文章表現の授業を担当している僕は「所属していましたと書くだけでは、活動の内容が読み手(あるいは面接の担当者)に伝わらない。自分がどんな活動をしてきたか、そこでどんな努力を重ねたかといったことを具体的に書かなければ、相手に君の素晴らしさは評価してもらえませんよ」と助言し、文章を手直しするするように勧めるのである。
ファイターズの応援コラムに、こんな話を持ち出したのには理由がある。
ファイターズには、今年も200人を超える部員が席を置いている。その全員がチームに「所属」しているだけでなく、それぞれが自覚を持って「活動」しているかどうかという点が気になるからである。
プレーヤーとして、スタッフとして、それぞれ求められるものは異なる。最上級生である4年生と入部したばかりの1年生では、背負っているものの重さも違うだろう。
同じプレーヤーでも、グラウンドで戦う選手と控えに回る選手、さらにはメンバー表に名前の載らない選手まで多様な部員が存在する。けがで入院し、手術を受けたばかりの部員もいるし、仲間が試合に向けた練習をしているのを横目に、懸命にリハビリに取り組んでいる部員もいる。家庭の事情などで、部活動に集中できない部員もいるかもしれない。
そうした部員の全員が「いまやれること、やるべきこと」に集中できているだろうか。試合だけではない。練習やトレーニングの時間だけでもない。授業に費やす時間や食事の時間、通学に充てる時間や休憩時間も含めたすべての時間を生かし切れているかどうか。
時たまグラウンドに顔を出し、時には学生会館で昼飯を食べるときに部員と顔を合わせる程度の人間には、それを判断する材料はない。たとえ何らかの兆候が見えたとしても、それが懸念すべきことか、たまたまの出来事なのかを見極めるのは難しい。毎日、グラウンドに顔を出し、選手と喜怒哀楽を共にされている監督やコーチにとっても、部員一人一人の心の襞(ひだ)を細かく見つめることはやっかいなことだろうと想像する。
しかし、一人だけ、自分のことを知っている人間がいる。自分自身である。今日はなぜか練習に集中できなかった、体調が悪いのを隠して練習に取り組み、逆に仲間に迷惑をかけた、昨夜は夜更かしして眠れなかった、練習がしんどくてこっそり手を抜いた、というようなことは、必ず自分自身が知っている。
問題は、そのことを知っている当事者が自分の限界を設けて妥協してしまうか、それとも、部活動の中でトコトン自分自身の可能性を追求できるかどうか、という点にある。そこが組織に「所属している」だけの人間と、組織で「活動している」人間との分かれ目といってもよい。
この辺の事情を作家の村上春樹は、自身のマラソンランナーとしての体験を記録した『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)で次のように説明している。
「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)。走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかは、あくまで本人の裁量に委ねられていることである、と。
組織に所属しているだけではなく、そこで活動しよう。自分の可能性を徹底的に追求しよう。選手もスタッフも関係ない。上級生と下級生の区別もない。200人を超す部員全員が「苦しみはオプショナル(自分次第)」と覚悟を決め、自分を追い込んで行くところから道は開ける。本当に強いチームが誕生する。がんばろう。
その言葉を見るたびに、ついついこんな質問をしてしまう。
「あなたはそのクラブに所属していただけですか」
「どんな活動をしていたか、説明できるほどの内容はなかったのですか」
すると、必ず「いや私は部長として仲間をリードし、○○大会で決勝まで進みました」とか「○○県選抜の一員に選ばれました」とかの答えが返って来る。
そうした答えを聞くたび、記者稼業の合間に母校で文章表現の授業を担当している僕は「所属していましたと書くだけでは、活動の内容が読み手(あるいは面接の担当者)に伝わらない。自分がどんな活動をしてきたか、そこでどんな努力を重ねたかといったことを具体的に書かなければ、相手に君の素晴らしさは評価してもらえませんよ」と助言し、文章を手直しするするように勧めるのである。
ファイターズの応援コラムに、こんな話を持ち出したのには理由がある。
ファイターズには、今年も200人を超える部員が席を置いている。その全員がチームに「所属」しているだけでなく、それぞれが自覚を持って「活動」しているかどうかという点が気になるからである。
プレーヤーとして、スタッフとして、それぞれ求められるものは異なる。最上級生である4年生と入部したばかりの1年生では、背負っているものの重さも違うだろう。
同じプレーヤーでも、グラウンドで戦う選手と控えに回る選手、さらにはメンバー表に名前の載らない選手まで多様な部員が存在する。けがで入院し、手術を受けたばかりの部員もいるし、仲間が試合に向けた練習をしているのを横目に、懸命にリハビリに取り組んでいる部員もいる。家庭の事情などで、部活動に集中できない部員もいるかもしれない。
そうした部員の全員が「いまやれること、やるべきこと」に集中できているだろうか。試合だけではない。練習やトレーニングの時間だけでもない。授業に費やす時間や食事の時間、通学に充てる時間や休憩時間も含めたすべての時間を生かし切れているかどうか。
時たまグラウンドに顔を出し、時には学生会館で昼飯を食べるときに部員と顔を合わせる程度の人間には、それを判断する材料はない。たとえ何らかの兆候が見えたとしても、それが懸念すべきことか、たまたまの出来事なのかを見極めるのは難しい。毎日、グラウンドに顔を出し、選手と喜怒哀楽を共にされている監督やコーチにとっても、部員一人一人の心の襞(ひだ)を細かく見つめることはやっかいなことだろうと想像する。
しかし、一人だけ、自分のことを知っている人間がいる。自分自身である。今日はなぜか練習に集中できなかった、体調が悪いのを隠して練習に取り組み、逆に仲間に迷惑をかけた、昨夜は夜更かしして眠れなかった、練習がしんどくてこっそり手を抜いた、というようなことは、必ず自分自身が知っている。
問題は、そのことを知っている当事者が自分の限界を設けて妥協してしまうか、それとも、部活動の中でトコトン自分自身の可能性を追求できるかどうか、という点にある。そこが組織に「所属している」だけの人間と、組織で「活動している」人間との分かれ目といってもよい。
この辺の事情を作家の村上春樹は、自身のマラソンランナーとしての体験を記録した『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)で次のように説明している。
「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)。走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかは、あくまで本人の裁量に委ねられていることである、と。
組織に所属しているだけではなく、そこで活動しよう。自分の可能性を徹底的に追求しよう。選手もスタッフも関係ない。上級生と下級生の区別もない。200人を超す部員全員が「苦しみはオプショナル(自分次第)」と覚悟を決め、自分を追い込んで行くところから道は開ける。本当に強いチームが誕生する。がんばろう。
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