石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2015/9
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(23)京大がすごい
投稿日時:2015/09/15(火) 09:07
2015年の関西リーグ第2節。例年とは全く異なる時季に迎えた京大との試合は、前回のコラムで予想した通りの厳しい展開だった。
9月13日午後5時、ファイターズのキックオフで試合開始。自陣23ヤードから始まった京大の攻撃は、まずは中央のランで4ヤード、次はパスで14ヤードと簡単に陣地を進める。ここでロンリーセンターの体型からパスで3ヤード。思わぬ奇襲でファイターズ守備陣を揺さぶった次のプレーは、エースレシーバーへの長いパス。それがずばりと通っていきなり先制のTD。187センチの身長と40ヤード4.6秒のスピードを持つ相手に、鉄壁を誇るファイターズのDB陣が太刀打ちできない。試合開始から1分37秒、わずか4プレーでの鮮やかな先制攻撃だった。
「これは容易な相手ではないぞ」と観客席がざわめく。ファイターズの攻撃は、相手の反則もあって自陣35ヤードから。QB伊豆がこの試合から復帰したWR木下に4ヤードのパスを通した後、RB野々垣へのスイングパス。これを受けた野々垣が51ヤードを独走して相手ゴール前7ヤード。相手のパスインターフェアの反則もあってゴール前2ヤードでダウンを更新。ここは1年生RB山口が中央のダイブプレーを一発で決めてTD。西岡のキックも決まって7-7。最初の攻撃シリーズでなんとか同点に追いつく。
しかし、この日の京大は、先日の立命戦とは全く違ったチームだった。攻めては大胆なパスをびしびし通すし、中央のランプレーも進む。逆にファイターズの攻撃はハンドオフのミスでターンノーバーを喫したり、45ヤードのFGを失敗するなど、今ひとつ波に乗れない。何とかLB山岸を中心にした守備陣の踏ん張りで均衡を保つのが精一杯という状況が続く。
第2Qも終盤。ここでファイターズDB小池が値千金のパス・インターセプト。関学陣35ヤード付近から相手QBが投じたパスを見事に奪って、チームを奮い立たせる。
前半の残り時間は1分11秒。自陣20ヤードから始まった攻撃を伊豆が見事にリードする。まずは自身のスクランブルで11ヤード、続いて木下への29ヤードパスをヒットさせて相手陣40ヤードに進む。ここで再び伊豆がスクランブルで13ヤードを獲得、ゴール前27ヤードに攻め込む。残り時間は37秒。FG圏内に入ったところで伊豆からWR松井に27ヤードのパスが通ってTD。14-7と均衡を破る。
このパスをこともなげにキャッチしたのは1年生。春はけがでJV戦にも出場しておらず、この日が大学生としては初めての試合。相手が反則すれすれの激しいプレーを連発している京大ということもあって、相当緊張していたはずだが、185センチの長身とスピードのある走りで相手DBを寄せ付けず、さも当然のようにパスをキャッチ、残る5ヤードを走り切ってTDに結び付けた。
さすがは鳥内監督が記者会見で「関学史上最高のレシーバーになりますよ」と豪語し、大村アシスタントヘッドコーチが桃山大戦の後「次は木下と松井で勝負します」と自信たっぷりに話していた通りの逸材である。
後半はファイターズの攻撃でスタート。自陣25ヤードから、野々垣のラン等でダウンを更新した後、再び伊豆が木下へ31ヤードのパスを通してゴール前23ヤードに前進。山口のランや相手の不要な反則などでゴール前4ヤード。ここで伊豆が木下にゴール左隅に浮かしたパスを成功させTD。21-7とリードを広げる。
これで試合が落ち着くかと思う間もなく、京大の反撃が始まる。中央のランプレーをキーに陣地を進め、ランをカバーすればパスを通す。変幻自在の攻撃で3Q6分38秒にFG、10分14秒にはTDを挙げて、5点差に追い上げる。この辺の迫力は、全盛期の京大攻撃そのもの。守るファイターズの面々も、普段とは勝手の違う試合の進行に、どこか浮き足立っているようにも見える。
しかし、そういう状況でも、伊豆は落ち着いてプレーをリードする。自陣18ヤードから始まった攻撃シリーズ、木下へのパス2本で陣地を進め、最後はRB高松が右サイドを切れ上がってTD。12点差をつけてチームを落ち着かせる。
続くファイターズの攻撃シリーズでも、伊豆のドロープレーやスクランブルをキーに時間を消費しながら陣地を進める。相手守備陣が仕掛けてくるブリッツを逆手にとったようなプレーコールが功を奏し、野々垣、山本らのランプレーが前半とは見違えるように進む。仕上げはまたも高松。右オフタックルを抜け、そのまま26ヤードを駆け上がってTD。得点は35-16、残り時間は2分少々。ようやく結末が見えた。
しかしながら、この試合では、どんな状況にあっても関学に的を絞り、真っ向から立ち向かってくる京大の意地と恐ろしさをまざまざと見せつけられた。シーズン開幕前、相手の監督が「関学-京大戦に1万人の観客を動員しよう」と豪語されていた理由がよく分かった。
実際、勝つための準備は十分になされていた。攻めては鉄壁を誇るファイターズのDB陣を突破してTDパスを通し、中央のランを面白いほど進める。守っては反則も辞さない激しいカバーでレシーバーに詰め寄る。毎回のようにブリッツを仕掛け、QBの動きを制約する。シーズンをかけてライバルを研究し尽くした成果がたっぷりと堪能出来た。こういう試合を現場で見ることができる幸せを実感した。
こういう試合が続けば、関西学生リーグはさらに盛り上がる。少なくとも来年の関学-京大戦は、もっと収容力のあるスタジアムを用意しないと大変なことになりそうだ。
9月13日午後5時、ファイターズのキックオフで試合開始。自陣23ヤードから始まった京大の攻撃は、まずは中央のランで4ヤード、次はパスで14ヤードと簡単に陣地を進める。ここでロンリーセンターの体型からパスで3ヤード。思わぬ奇襲でファイターズ守備陣を揺さぶった次のプレーは、エースレシーバーへの長いパス。それがずばりと通っていきなり先制のTD。187センチの身長と40ヤード4.6秒のスピードを持つ相手に、鉄壁を誇るファイターズのDB陣が太刀打ちできない。試合開始から1分37秒、わずか4プレーでの鮮やかな先制攻撃だった。
「これは容易な相手ではないぞ」と観客席がざわめく。ファイターズの攻撃は、相手の反則もあって自陣35ヤードから。QB伊豆がこの試合から復帰したWR木下に4ヤードのパスを通した後、RB野々垣へのスイングパス。これを受けた野々垣が51ヤードを独走して相手ゴール前7ヤード。相手のパスインターフェアの反則もあってゴール前2ヤードでダウンを更新。ここは1年生RB山口が中央のダイブプレーを一発で決めてTD。西岡のキックも決まって7-7。最初の攻撃シリーズでなんとか同点に追いつく。
しかし、この日の京大は、先日の立命戦とは全く違ったチームだった。攻めては大胆なパスをびしびし通すし、中央のランプレーも進む。逆にファイターズの攻撃はハンドオフのミスでターンノーバーを喫したり、45ヤードのFGを失敗するなど、今ひとつ波に乗れない。何とかLB山岸を中心にした守備陣の踏ん張りで均衡を保つのが精一杯という状況が続く。
第2Qも終盤。ここでファイターズDB小池が値千金のパス・インターセプト。関学陣35ヤード付近から相手QBが投じたパスを見事に奪って、チームを奮い立たせる。
前半の残り時間は1分11秒。自陣20ヤードから始まった攻撃を伊豆が見事にリードする。まずは自身のスクランブルで11ヤード、続いて木下への29ヤードパスをヒットさせて相手陣40ヤードに進む。ここで再び伊豆がスクランブルで13ヤードを獲得、ゴール前27ヤードに攻め込む。残り時間は37秒。FG圏内に入ったところで伊豆からWR松井に27ヤードのパスが通ってTD。14-7と均衡を破る。
このパスをこともなげにキャッチしたのは1年生。春はけがでJV戦にも出場しておらず、この日が大学生としては初めての試合。相手が反則すれすれの激しいプレーを連発している京大ということもあって、相当緊張していたはずだが、185センチの長身とスピードのある走りで相手DBを寄せ付けず、さも当然のようにパスをキャッチ、残る5ヤードを走り切ってTDに結び付けた。
さすがは鳥内監督が記者会見で「関学史上最高のレシーバーになりますよ」と豪語し、大村アシスタントヘッドコーチが桃山大戦の後「次は木下と松井で勝負します」と自信たっぷりに話していた通りの逸材である。
後半はファイターズの攻撃でスタート。自陣25ヤードから、野々垣のラン等でダウンを更新した後、再び伊豆が木下へ31ヤードのパスを通してゴール前23ヤードに前進。山口のランや相手の不要な反則などでゴール前4ヤード。ここで伊豆が木下にゴール左隅に浮かしたパスを成功させTD。21-7とリードを広げる。
これで試合が落ち着くかと思う間もなく、京大の反撃が始まる。中央のランプレーをキーに陣地を進め、ランをカバーすればパスを通す。変幻自在の攻撃で3Q6分38秒にFG、10分14秒にはTDを挙げて、5点差に追い上げる。この辺の迫力は、全盛期の京大攻撃そのもの。守るファイターズの面々も、普段とは勝手の違う試合の進行に、どこか浮き足立っているようにも見える。
しかし、そういう状況でも、伊豆は落ち着いてプレーをリードする。自陣18ヤードから始まった攻撃シリーズ、木下へのパス2本で陣地を進め、最後はRB高松が右サイドを切れ上がってTD。12点差をつけてチームを落ち着かせる。
続くファイターズの攻撃シリーズでも、伊豆のドロープレーやスクランブルをキーに時間を消費しながら陣地を進める。相手守備陣が仕掛けてくるブリッツを逆手にとったようなプレーコールが功を奏し、野々垣、山本らのランプレーが前半とは見違えるように進む。仕上げはまたも高松。右オフタックルを抜け、そのまま26ヤードを駆け上がってTD。得点は35-16、残り時間は2分少々。ようやく結末が見えた。
しかしながら、この試合では、どんな状況にあっても関学に的を絞り、真っ向から立ち向かってくる京大の意地と恐ろしさをまざまざと見せつけられた。シーズン開幕前、相手の監督が「関学-京大戦に1万人の観客を動員しよう」と豪語されていた理由がよく分かった。
実際、勝つための準備は十分になされていた。攻めては鉄壁を誇るファイターズのDB陣を突破してTDパスを通し、中央のランを面白いほど進める。守っては反則も辞さない激しいカバーでレシーバーに詰め寄る。毎回のようにブリッツを仕掛け、QBの動きを制約する。シーズンをかけてライバルを研究し尽くした成果がたっぷりと堪能出来た。こういう試合を現場で見ることができる幸せを実感した。
こういう試合が続けば、関西学生リーグはさらに盛り上がる。少なくとも来年の関学-京大戦は、もっと収容力のあるスタジアムを用意しないと大変なことになりそうだ。
(22)はや京大戦
投稿日時:2015/09/10(木) 08:56
まだ9月。フットボールシーズンは始まったばかりというのに、今週末はもう京大との戦いである。毎年、シーズン最後の関京戦で雌雄を決していた往事を知る人間にとっては「なんじゃ、こりゃ!」というしかない。
振り返れば、ファイターズとギャングスターズの戦力が拮抗し、互いに食うか食われるかの戦いをスタートさせたのは、1975年から。ファイターズは最上級生にQB玉野、RB谷口、WR小川というスター選手を擁し、甲子園ボウルでも連覇をスタートさせていた。
当時、僕は朝日新聞の阪神支局員で、関学も重要な取材源にしていたから、フットボール部にもちょこっと顔を出し、監督だった武田先生に「何かニュースになることはないですかね」なんて聞いていた。そのとき、初めて書いたのが、いまでいうスナッパー、吉川宏さんの話。「フットボールには、目立たないけれども、重要な役割を受け持つ選手がいる。キッカーもそうだし、キッカーに安定したボールを供給するスナッパーもそうだ」といって、武田先生から紹介されたのがきっかけだった。
その記事が首尾よく写真付きで社会面に掲載され、それがきっかけで、チームが甲子園ボウルで勝利した後、武田先生を「ひと」欄で紹介するという、支局の下積み記者にしては望外な幸運にも恵まれた。
76年には、京大出身の新人記者を連れ出して「母校の活躍ぶりをよく見ておきなさい」なんて調子こいていたら、あにはからんや結果は0-21。あまりの出来事に、西宮球場からの帰りのことはすべて記憶にない。
そういう試合を重ねることで関京戦は、関西リーグの天下を分ける戦いと注目され、毎年、3万人から4万人もの観客が詰めかけるキラーカードとなった。
そんな京大との決戦について書き始めると夜が明ける。そこで今夜は、どうしても現役の諸君に伝えておきたい試合を二つ取り上げてみたい。
一つは1983年、両チームとも全勝で迎えたリーグ最終戦。ファイターズが28-30で敗れた試合である。その日、ファイターズはエースQB小野をけがで欠き、1年生の芝川が先発したが、前半で14-30とリードを許していた。後半になっても、ファイターズは反撃のきっかけをつかめない。苦し紛れに3Q半ば、数日前まで松葉杖をついていた小野を起用、局面の転換を図る。
すると、それまで京大の強力な守備陣に抑えられていたオフェンス陣が奮起。走れなくても4年生エースがフィールドに立ったことで、生まれ変わったような攻撃を展開する。前半、押しまくられていたディフェンスも相手を完封。試合の主導権を取り戻し、ついに2本のTDを決めて28-30と追い上げた。差は2点。残り時間は少ない。当然、2ポイントコンバージョンでを選択、小野がパスを投じる。
そこで相手がインターフェアの反則。小野ディレクターによると、これは意図的にとった反則だという。ゴールまでの半分、1.5ヤード地点にボールを進めところで、ベンチが選択したのは、足首の捻挫で思うように動けないエースQBではなく、元気のよい1年生QBにボールを持たせて飛び込ませるランプレー。しかし、わずかに届かず、試合終了。優勝はかなわなかった。
当時もいまも、僕はベンチの作戦を批判するのは好みではない。勝敗は外野の声ではなくグラウンドに帰すと信じているが、この場面だけは別である。なぜ後半、チームを炎の集団に変えた選手を交代させたのか、勝負には勢いこそが肝心なのに、その流れを理屈で断ち切ってしまったのかと、今も残念でならない。
この話は、小野さんとはもう50回以上は話したことだが、勝負の綾は、理屈だけではない。勢い、集団の圧力、ある種の熱狂状態があってはじめて、選手は120%の力を発揮し、その総和であるチームは150%の力を発揮できる。そこから必勝の道が開けると、僕は信じて疑わないのである。
もう一つ、記憶から消えない試合がある。2004年、佐岡主将の代が宿敵立命館を破った直後に迎えた京大戦である。その前節、2年連続で敗れていた立命と死闘を演じ、30-28で勝ったばかりのファイターズは、試合直後からどこかちぐはぐだった。立ち上がりから主導権を握っていたが、相手パントをゴール前でリターナーがファンブルし、攻撃権を奪われたのをきっかけに、あれよあれよという間に14点を奪われ、逆転されてしまった。
相手の得点は、リターナーのファンブル、QBのバックパスの失敗という、ともにファイターズのミスにつけ込んだもの。攻め合い、守り合いでは、圧倒的にファイターズが押していただけに、勝負の怖さを存分に思い知らされた。まさかあの立命に勝ったチームが、そのときすでに優勝戦線から脱落していた京大に敗れるなんて、ファイターズのファンも選手も想像だにしていなかったに違いない。
しかし、そういうことが起きるのが京大との戦いである。それは1970年代後半からの両チームの歴史が証明している。それを語り継ぐ歴史の証人も、監督、コーチ、スタッフに何人も存在する。いや現役選手以外の全員がその証人と言ってもよい。
そういう歴史を刻んできたチームとの戦いである。開幕2節目の試合だといって、ゆめゆめ軽視できる相手ではない。必勝の決意で臨んでもらいたい。
振り返れば、ファイターズとギャングスターズの戦力が拮抗し、互いに食うか食われるかの戦いをスタートさせたのは、1975年から。ファイターズは最上級生にQB玉野、RB谷口、WR小川というスター選手を擁し、甲子園ボウルでも連覇をスタートさせていた。
当時、僕は朝日新聞の阪神支局員で、関学も重要な取材源にしていたから、フットボール部にもちょこっと顔を出し、監督だった武田先生に「何かニュースになることはないですかね」なんて聞いていた。そのとき、初めて書いたのが、いまでいうスナッパー、吉川宏さんの話。「フットボールには、目立たないけれども、重要な役割を受け持つ選手がいる。キッカーもそうだし、キッカーに安定したボールを供給するスナッパーもそうだ」といって、武田先生から紹介されたのがきっかけだった。
その記事が首尾よく写真付きで社会面に掲載され、それがきっかけで、チームが甲子園ボウルで勝利した後、武田先生を「ひと」欄で紹介するという、支局の下積み記者にしては望外な幸運にも恵まれた。
76年には、京大出身の新人記者を連れ出して「母校の活躍ぶりをよく見ておきなさい」なんて調子こいていたら、あにはからんや結果は0-21。あまりの出来事に、西宮球場からの帰りのことはすべて記憶にない。
そういう試合を重ねることで関京戦は、関西リーグの天下を分ける戦いと注目され、毎年、3万人から4万人もの観客が詰めかけるキラーカードとなった。
そんな京大との決戦について書き始めると夜が明ける。そこで今夜は、どうしても現役の諸君に伝えておきたい試合を二つ取り上げてみたい。
一つは1983年、両チームとも全勝で迎えたリーグ最終戦。ファイターズが28-30で敗れた試合である。その日、ファイターズはエースQB小野をけがで欠き、1年生の芝川が先発したが、前半で14-30とリードを許していた。後半になっても、ファイターズは反撃のきっかけをつかめない。苦し紛れに3Q半ば、数日前まで松葉杖をついていた小野を起用、局面の転換を図る。
すると、それまで京大の強力な守備陣に抑えられていたオフェンス陣が奮起。走れなくても4年生エースがフィールドに立ったことで、生まれ変わったような攻撃を展開する。前半、押しまくられていたディフェンスも相手を完封。試合の主導権を取り戻し、ついに2本のTDを決めて28-30と追い上げた。差は2点。残り時間は少ない。当然、2ポイントコンバージョンでを選択、小野がパスを投じる。
そこで相手がインターフェアの反則。小野ディレクターによると、これは意図的にとった反則だという。ゴールまでの半分、1.5ヤード地点にボールを進めところで、ベンチが選択したのは、足首の捻挫で思うように動けないエースQBではなく、元気のよい1年生QBにボールを持たせて飛び込ませるランプレー。しかし、わずかに届かず、試合終了。優勝はかなわなかった。
当時もいまも、僕はベンチの作戦を批判するのは好みではない。勝敗は外野の声ではなくグラウンドに帰すと信じているが、この場面だけは別である。なぜ後半、チームを炎の集団に変えた選手を交代させたのか、勝負には勢いこそが肝心なのに、その流れを理屈で断ち切ってしまったのかと、今も残念でならない。
この話は、小野さんとはもう50回以上は話したことだが、勝負の綾は、理屈だけではない。勢い、集団の圧力、ある種の熱狂状態があってはじめて、選手は120%の力を発揮し、その総和であるチームは150%の力を発揮できる。そこから必勝の道が開けると、僕は信じて疑わないのである。
もう一つ、記憶から消えない試合がある。2004年、佐岡主将の代が宿敵立命館を破った直後に迎えた京大戦である。その前節、2年連続で敗れていた立命と死闘を演じ、30-28で勝ったばかりのファイターズは、試合直後からどこかちぐはぐだった。立ち上がりから主導権を握っていたが、相手パントをゴール前でリターナーがファンブルし、攻撃権を奪われたのをきっかけに、あれよあれよという間に14点を奪われ、逆転されてしまった。
相手の得点は、リターナーのファンブル、QBのバックパスの失敗という、ともにファイターズのミスにつけ込んだもの。攻め合い、守り合いでは、圧倒的にファイターズが押していただけに、勝負の怖さを存分に思い知らされた。まさかあの立命に勝ったチームが、そのときすでに優勝戦線から脱落していた京大に敗れるなんて、ファイターズのファンも選手も想像だにしていなかったに違いない。
しかし、そういうことが起きるのが京大との戦いである。それは1970年代後半からの両チームの歴史が証明している。それを語り継ぐ歴史の証人も、監督、コーチ、スタッフに何人も存在する。いや現役選手以外の全員がその証人と言ってもよい。
そういう歴史を刻んできたチームとの戦いである。開幕2節目の試合だといって、ゆめゆめ軽視できる相手ではない。必勝の決意で臨んでもらいたい。
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