石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2009/8
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(17)甲子園と「空の翼」
投稿日時:2009/08/17(月) 20:35
高等部が第91回全国高校野球選手権大会に出場、大いに気を吐いている。激戦の兵庫大会では、報徳学園、神戸弘陵、滝川二などの強豪を次々に撃破、決勝では育英を破った。堂々の進撃である。夏の甲子園大会に出場するのは、関西学院中学校と呼ばれていた1939年以来、70年ぶりである。
勇躍乗り込んだ甲子園では、雨で2日も日程が延び、やきもきさせられた。
でも8月12日、山形代表の酒田南高校を相手に7-3で勝ち、堂々と初戦を飾った。その試合の模様をテレビ中継で見ながら、いくつか思うことがあった。アメフットと直接関係のない話のようにも思うが、書いてみたい。
一つは、これまでに夏の甲子園で聞いたどの高校の校歌よりも、「空の翼」が甲子園に似合うということである。北原白秋作詞、山田耕筰作曲というネームバリューだけではない。日ごろから聞いたり歌ったりしてなじみがあるというだけでもない。甲子園の広いスタンドと緑の芝生、浜風と青空に、あの軽快なメロディーと「風に思う空の翼、輝く自由」という歌詞が見事に調和していることを発見し、一人で興奮している。
もちろん、甲子園で「空の翼」を聞くのは初めてではない。ファイターズが甲子園ボウルに出場するたびに聞いている。一緒に歌ったことも数え切れない。けれども、その舞台は冬枯れの芝生であり、六甲おろしの冷たい風の吹くスタンドである。青空と緑の芝生の上をさわやかに浜風が舞う季節ではない。
高等部の諸君が初戦に勝って、誇り高く「空の翼」を歌っているのを聞きながら、あの躍動感のあるメロデーと、大空に夢と希望が羽ばたいていくような歌詞は、ここで歌われるためにこそ作られたのではないか、という錯覚にとらわれた。
そして、今度はファイターズの諸君に「空の翼」を誇り高く歌ってもらいたい、冬の甲子園にも「空の翼」は似合うんだということを確認させていただきたいと思ったのである。
もう一つは、戦う相手に敬意を払うということの大切さを確認したことである。
こんな場面があった。2-2の同点で迎えた6回表、関西学院は2死3塁と攻め付けた。打線は下位にまわるとはいえ、願ってもないチャンス。相手にとっては、一つのミスが得点に結びつくピンチである。この場面で、相手投手は関学の7番打者に死球を与えた。2死1、3塁。ピンチが広がる。
ここで相手投手は、死球を与えた打者に頭を下げるとか、申し訳ないというようなそぶりをしないまま、味方の内野陣を振り返り「死球を与えたことは気にしていない」というようなジェスチャーをし、指を2本出して「ツーアウトだから、大丈夫。締めていこう」というようなしぐさをした。
死球というアクシデントはあったが気にするな、締まっていこうということを味方に伝えたいという気持ちは、よく分かる。自身がエースで4番打者という立場にあるだけに、味方の前で動揺したそぶりを見せられない、ボクは大丈夫というメッセージを伝えたかった気持ちもよく分かる。
でもその前に、痛い目に遭わせた相手に対して帽子をとって一礼するぐらいの行為はあってしかるべきではないか。それが同じ舞台で戦っている相手に対する最低限の礼儀であると僕は思っている。
それをせず、味方を鼓舞しようというしぐさを優先させた行為に対して、僕はすごく寂しい気持ちになった。「死球を与えたときには、まず相手に謝りなさい。それがスポーツマンとしての礼儀です」ということを、彼は十分に学ばないままに甲子園に出場してしまったのではないかと感じたからである。
勝負は勝たなければ意味はないといわれる。けれどもそれは、どんな手段を使ってでも勝てばいいということではあるまい。同じ戦場を共有する相手に対する敬意を胸に秘め、堂々と戦うこと、雌雄を決すること。その気持ちが底流にあって初めて、作戦とか戦術とかが意味を持つのであって、相手に対する敬意を欠いたまま、いくら全力を尽くしてもそれは空回りになるだけだろう。
彼を責めているのではない。そうではなくて、あの場面がスポーツの意味を考えるうえで、大切なことを物語っていると思ったから、あえて取り上げた次第ある。
大切なこと。それは同じ舞台に立つ相手に対し、心の底からの敬意を払うことである。強いとか弱いとかは関係ない。戦う相手に敬意を持った上で、互いに全力を尽くし、激しく戦うこと。それこそがスポーツの醍醐味であり、原点である。対戦相手がいなくては、だれも勝者になれないということを考えただけでも、この意味は分かるはずだ。
勇躍乗り込んだ甲子園では、雨で2日も日程が延び、やきもきさせられた。
でも8月12日、山形代表の酒田南高校を相手に7-3で勝ち、堂々と初戦を飾った。その試合の模様をテレビ中継で見ながら、いくつか思うことがあった。アメフットと直接関係のない話のようにも思うが、書いてみたい。
一つは、これまでに夏の甲子園で聞いたどの高校の校歌よりも、「空の翼」が甲子園に似合うということである。北原白秋作詞、山田耕筰作曲というネームバリューだけではない。日ごろから聞いたり歌ったりしてなじみがあるというだけでもない。甲子園の広いスタンドと緑の芝生、浜風と青空に、あの軽快なメロディーと「風に思う空の翼、輝く自由」という歌詞が見事に調和していることを発見し、一人で興奮している。
もちろん、甲子園で「空の翼」を聞くのは初めてではない。ファイターズが甲子園ボウルに出場するたびに聞いている。一緒に歌ったことも数え切れない。けれども、その舞台は冬枯れの芝生であり、六甲おろしの冷たい風の吹くスタンドである。青空と緑の芝生の上をさわやかに浜風が舞う季節ではない。
高等部の諸君が初戦に勝って、誇り高く「空の翼」を歌っているのを聞きながら、あの躍動感のあるメロデーと、大空に夢と希望が羽ばたいていくような歌詞は、ここで歌われるためにこそ作られたのではないか、という錯覚にとらわれた。
そして、今度はファイターズの諸君に「空の翼」を誇り高く歌ってもらいたい、冬の甲子園にも「空の翼」は似合うんだということを確認させていただきたいと思ったのである。
もう一つは、戦う相手に敬意を払うということの大切さを確認したことである。
こんな場面があった。2-2の同点で迎えた6回表、関西学院は2死3塁と攻め付けた。打線は下位にまわるとはいえ、願ってもないチャンス。相手にとっては、一つのミスが得点に結びつくピンチである。この場面で、相手投手は関学の7番打者に死球を与えた。2死1、3塁。ピンチが広がる。
ここで相手投手は、死球を与えた打者に頭を下げるとか、申し訳ないというようなそぶりをしないまま、味方の内野陣を振り返り「死球を与えたことは気にしていない」というようなジェスチャーをし、指を2本出して「ツーアウトだから、大丈夫。締めていこう」というようなしぐさをした。
死球というアクシデントはあったが気にするな、締まっていこうということを味方に伝えたいという気持ちは、よく分かる。自身がエースで4番打者という立場にあるだけに、味方の前で動揺したそぶりを見せられない、ボクは大丈夫というメッセージを伝えたかった気持ちもよく分かる。
でもその前に、痛い目に遭わせた相手に対して帽子をとって一礼するぐらいの行為はあってしかるべきではないか。それが同じ舞台で戦っている相手に対する最低限の礼儀であると僕は思っている。
それをせず、味方を鼓舞しようというしぐさを優先させた行為に対して、僕はすごく寂しい気持ちになった。「死球を与えたときには、まず相手に謝りなさい。それがスポーツマンとしての礼儀です」ということを、彼は十分に学ばないままに甲子園に出場してしまったのではないかと感じたからである。
勝負は勝たなければ意味はないといわれる。けれどもそれは、どんな手段を使ってでも勝てばいいということではあるまい。同じ戦場を共有する相手に対する敬意を胸に秘め、堂々と戦うこと、雌雄を決すること。その気持ちが底流にあって初めて、作戦とか戦術とかが意味を持つのであって、相手に対する敬意を欠いたまま、いくら全力を尽くしてもそれは空回りになるだけだろう。
彼を責めているのではない。そうではなくて、あの場面がスポーツの意味を考えるうえで、大切なことを物語っていると思ったから、あえて取り上げた次第ある。
大切なこと。それは同じ舞台に立つ相手に対し、心の底からの敬意を払うことである。強いとか弱いとかは関係ない。戦う相手に敬意を持った上で、互いに全力を尽くし、激しく戦うこと。それこそがスポーツの醍醐味であり、原点である。対戦相手がいなくては、だれも勝者になれないということを考えただけでも、この意味は分かるはずだ。
(16)「死中活あり」
投稿日時:2009/08/05(水) 18:01
8月1日午後4時半。上ケ原の第3フィールド。待ちに待った夏の練習がスタートした。今年は新型インフルエンザの余波で、前期試験が7月末までずれ込んだ。ファイターズの諸君もその影響を受け、いつもは走り込みにあてる期間を、勉強する時間に費やした。
早く練習がしたい。グラウンドで思い切り汗を流したい。そういう部員の気持ちが盛り上がり、練習開始の笛が鳴るのを待ちかねているのが、見ていても肌で感じられた。けがで長い間、戦線を離脱していた選手も、この日に復帰の照準を合わせて戻ってきた。
練習前のハドルが始まる。この日のために出掛けてきたOB会長の奥井さんがグラウンドに降り、部員たちに短い訓示をする。スタンドからでは、遠すぎて聞こえない。後で、ご本人に聞くと「今年のスローガンを胸に刻み、自らの足跡を残せ。OBのためでも、母校のためでもない。君たち自身のために、存分に練習し、自分の足跡をファイターズの歴史に刻んでくれ。そういう話をしました。長話は嫌われるので、一言だけです」ということだった。
練習は一気に盛り上がった。喉の乾いた馬が水を飲むように、キビキビと動く。自発的に声が出る。集散が早い。隣の席で、選手たちの動きを俯瞰していた鳥内監督に「さすがに動きがいいですね。練習開始を待ちかねていたという気持ちが出ていますね」と声をかける。返事は「当然ですよ。やっと練習ができるようになったのに、ここで気持ちが表れないようでは話にならんでしょう」。
それにしても部員が多い。グラウンドを全面的に使っているのに、それでも狭苦しく見える。今春入部した1年生の多くが上級生の練習に加わってきたからだ。その中には、秋の試合にスタメンで出られそうな期待の星も少なくない。
だが、どのコーチに聞いても「合宿までにメンバーの振り分けを急がないと。このままでは効率的な練習ができない」と口をそろえる。この数年、絶えて聞けなかった贅沢な悩みである。
全体練習は、約50分で終了。初日ということで、まずは体を慣らす程度のレベルから始めたようだ。もちろん、全体練習の後は、各パートに別れた居残り練習がある。それがいわば「本番」の練習になる。
その間のハドルで、今度は小野コーチが気合を入れる。ハドルの空気が引き締まる。もちろんスタンドからでは遠くて内容は聞き取れない。
これも後からご本人に聞くと「長い間、クラブで受け継がれてきた『死中活あり』 という文章を全員に配り、そのことについて話をしました。この何年かは、この話をしていなかったのですが、今年の部員には聞かせておきたかったのです」ということだった。
「死中活あり」。元は「晋書―呂光載記」にある「死中求生、正在今日也」という言葉である。読み下せば「死中に生を求むるは、正に今日にあり」。難局を打開するためには、あえて死地(危険な状況)に飛び込んでいく勇気、決心が必要。身を捨ててこそ、そこから活路が見いだせる、ということを説いている。
ファイターズにとっては、特別に意味のある文章である。この言葉はかつて、日大を相手に苦しい戦いを強いられていた時代に、昭和28年卒のOBから贈られたものだそうだ。
「一度死んでご覧。そこから新しい境地が開ける」と挑発するこの言葉を、歴代の部員は胸に刻み、苦しい状況を打破してきた。近年は、その過激な表現が誤解を受けかねないとして、あまり聞く機会もなかったが、チームが新しく出発するに当たって、小野コーチはあえて、その意図する所を全部員に伝えたかったようだ。
「死中活あり」。ファイターズに席を置くすべての部員が、この言葉を自分の言葉として受け止めた時、彼、彼女らは必ず新しい足跡、輝かしい歴史を刻むに違いない。
早く練習がしたい。グラウンドで思い切り汗を流したい。そういう部員の気持ちが盛り上がり、練習開始の笛が鳴るのを待ちかねているのが、見ていても肌で感じられた。けがで長い間、戦線を離脱していた選手も、この日に復帰の照準を合わせて戻ってきた。
練習前のハドルが始まる。この日のために出掛けてきたOB会長の奥井さんがグラウンドに降り、部員たちに短い訓示をする。スタンドからでは、遠すぎて聞こえない。後で、ご本人に聞くと「今年のスローガンを胸に刻み、自らの足跡を残せ。OBのためでも、母校のためでもない。君たち自身のために、存分に練習し、自分の足跡をファイターズの歴史に刻んでくれ。そういう話をしました。長話は嫌われるので、一言だけです」ということだった。
練習は一気に盛り上がった。喉の乾いた馬が水を飲むように、キビキビと動く。自発的に声が出る。集散が早い。隣の席で、選手たちの動きを俯瞰していた鳥内監督に「さすがに動きがいいですね。練習開始を待ちかねていたという気持ちが出ていますね」と声をかける。返事は「当然ですよ。やっと練習ができるようになったのに、ここで気持ちが表れないようでは話にならんでしょう」。
それにしても部員が多い。グラウンドを全面的に使っているのに、それでも狭苦しく見える。今春入部した1年生の多くが上級生の練習に加わってきたからだ。その中には、秋の試合にスタメンで出られそうな期待の星も少なくない。
だが、どのコーチに聞いても「合宿までにメンバーの振り分けを急がないと。このままでは効率的な練習ができない」と口をそろえる。この数年、絶えて聞けなかった贅沢な悩みである。
全体練習は、約50分で終了。初日ということで、まずは体を慣らす程度のレベルから始めたようだ。もちろん、全体練習の後は、各パートに別れた居残り練習がある。それがいわば「本番」の練習になる。
その間のハドルで、今度は小野コーチが気合を入れる。ハドルの空気が引き締まる。もちろんスタンドからでは遠くて内容は聞き取れない。
これも後からご本人に聞くと「長い間、クラブで受け継がれてきた『死中活あり』 という文章を全員に配り、そのことについて話をしました。この何年かは、この話をしていなかったのですが、今年の部員には聞かせておきたかったのです」ということだった。
「死中活あり」。元は「晋書―呂光載記」にある「死中求生、正在今日也」という言葉である。読み下せば「死中に生を求むるは、正に今日にあり」。難局を打開するためには、あえて死地(危険な状況)に飛び込んでいく勇気、決心が必要。身を捨ててこそ、そこから活路が見いだせる、ということを説いている。
ファイターズにとっては、特別に意味のある文章である。この言葉はかつて、日大を相手に苦しい戦いを強いられていた時代に、昭和28年卒のOBから贈られたものだそうだ。
「一度死んでご覧。そこから新しい境地が開ける」と挑発するこの言葉を、歴代の部員は胸に刻み、苦しい状況を打破してきた。近年は、その過激な表現が誤解を受けかねないとして、あまり聞く機会もなかったが、チームが新しく出発するに当たって、小野コーチはあえて、その意図する所を全部員に伝えたかったようだ。
「死中活あり」。ファイターズに席を置くすべての部員が、この言葉を自分の言葉として受け止めた時、彼、彼女らは必ず新しい足跡、輝かしい歴史を刻むに違いない。
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