石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2009/10
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(24)「よき敗者」の矜持
投稿日時:2009/10/14(水) 14:50
茫然自失である。何から書けばいいのか、どう書けばいいのか、パソコンを前にして手が止まってしまう。
月曜の昼は、立命-関大戦の結果を待ってコラムを書こうと準備していた。けれども大阪ドームで観戦していた鳥内監督から届いた知らせは、関大14-7立命という、ファイターズにとっては最悪の結果。このまま関大が残された下位チームとの戦いを勝ち抜けば、もう追いつくすべはない。夜になっても気持ちの整理ができないまま、コラムを書くのをあきらめた。一晩おいても、まだ立ち直れない。けれども、ここで書くことをやめたら、永久に書けそうにない。悔しいけれど、この結果を受け止め、とにかく書いてみる。
前節、関大に苦杯を喫した後は、それでも「立命が関大を破り、ファイターズが立命に勝てば、3校優勝の可能性がある。甲子園ボウル進出決定戦で勝てば、まだチャンスはある」と勝手なことを考えていた。立命を破って日本一、という目標を達成するためには、どんな状況にあっても勝ち続けるしかない。そのための戦力も徐々に整備されている。関大に敗れたという事実は消せないけれども、まだチャンスが残されている。ならば、全力を挙げて目の前の試合に勝ち、とにかく代表決定戦に進出する権利を手にするしかない。自分に甘いといわれても、そう思ってがんばり続けることが「よき敗者」の在り方だ、と自分自身を鼓舞し、選手たちにも声をかけていた。
だが、そんな勝手な思いは、関大が立命を破ったことで粉砕された。
昨日、連絡をくれた3年生の一人は「4年生のモチベーションが……」といって口をつぐんだ。鳥内監督も「甲南も同志社もいいチーム。彼らにがんばってもらうことを期待するしかない」と、言葉は少なかった。
日曜日、王子スタジアムであった甲南との試合は、現在のチームが完成に向かって着実に成長している事を見せてくれた。3節目に関大に敗れた悔しさをバネに、しっかり取り組んできた成果が随所に現れていた。とりわけ先発メンバーの充実ぶりが目立った。思わぬアクシデントで、攻守の中心メンバーを欠いたが、それでも前半は圧倒的に攻めて35点。守備も相手を完封した。
とりわけ関大戦で悔しい思いをした3年生のWR松原やTE垣内、2年生のRB松岡が素晴らしいプレーを見せた。松原が立て続けにロングパスをキャッチし、9回の捕球で164ヤードを獲得、2タッチダウンを記録すれば、松岡は95ヤードのキックオフリターンタッチダウンを含め4本のTDを決めた。
QB加藤も、小野コーチが「3年生の時の三原より高いレベルにあります」という能力を見せつけた。途中で交代したのに、パスを22回投げて19回成功、310ヤード獲得という数字がその威力を物語っている。
前半で大量リードを奪ったので、これまでほとんど試合に出ていなかったメンバーも次々投入された。2年生QB糟谷は、加藤が欠場した同志社戦で出場した経験を糧に、落ち着いてパスを投げ、走力を生かして敵陣に突っ込んだ。1年生WR小山も長身を利したしなやかな捕球を披露、3回で71ヤードを獲得して攻撃の幅を広げた。
ディフェンス陣も負けてはいなかった。DLの柱になる平澤を欠いたが、3年生の村上、2年生の長島、好川、1年生の梶原らが素早い動きで相手の動きを封じた。DB陣も善元と吉井駿哉が立て続けに相手パスを奪取、攻撃権を取り戻した。1年時にスターターを務めた吉井は長い間、故障で苦しんできたが、堂々の復活だった。
このように、日曜日の甲南戦は、攻守とも関大戦の敗戦を吹っ切ったような素晴らしいプレーが相次ぎ、チームとしての力が付いてきたことを実感させてくれた。敗戦を薬に、チームが一丸となって戦っているということを観客に見せつけた試合だった。
それから24時間後、舞台は暗転した。遠くで結果を聞いた僕でさえ、茫然自失、放心状態になっているのだから、選手たちの落胆ぶりは想像にあまりある。「4年生のモチベーションが……」といった3年生の気持ちは、痛いほど分かる。
けれども、落ち込んだままでは、何一つ生まれはしない。現実を取り消すこともリセットすることもできない。敗北を抱きしめ、そこから立ち上がるしかない。それがアメフットに対する敬意であり、戦う者の矜持(きようじ)である。
優勝の可能性はかなり少なくなったかもしれない。けれども、秋のリーグ戦はまだ3試合が残されている。その試合をすべて雄々しく戦うことが、ファイターズ魂を見せることになる。幸いこれから対戦するのは神戸大、京大、立命館という強力なチームである。彼らを相手に、存分に戦うことが使命であると心得て、全力を尽くしてもらいたい。「よき敗者」の矜持を、対戦チームにも、天下のアメフットファンにも見せてやろうではないか。
月曜の昼は、立命-関大戦の結果を待ってコラムを書こうと準備していた。けれども大阪ドームで観戦していた鳥内監督から届いた知らせは、関大14-7立命という、ファイターズにとっては最悪の結果。このまま関大が残された下位チームとの戦いを勝ち抜けば、もう追いつくすべはない。夜になっても気持ちの整理ができないまま、コラムを書くのをあきらめた。一晩おいても、まだ立ち直れない。けれども、ここで書くことをやめたら、永久に書けそうにない。悔しいけれど、この結果を受け止め、とにかく書いてみる。
前節、関大に苦杯を喫した後は、それでも「立命が関大を破り、ファイターズが立命に勝てば、3校優勝の可能性がある。甲子園ボウル進出決定戦で勝てば、まだチャンスはある」と勝手なことを考えていた。立命を破って日本一、という目標を達成するためには、どんな状況にあっても勝ち続けるしかない。そのための戦力も徐々に整備されている。関大に敗れたという事実は消せないけれども、まだチャンスが残されている。ならば、全力を挙げて目の前の試合に勝ち、とにかく代表決定戦に進出する権利を手にするしかない。自分に甘いといわれても、そう思ってがんばり続けることが「よき敗者」の在り方だ、と自分自身を鼓舞し、選手たちにも声をかけていた。
だが、そんな勝手な思いは、関大が立命を破ったことで粉砕された。
昨日、連絡をくれた3年生の一人は「4年生のモチベーションが……」といって口をつぐんだ。鳥内監督も「甲南も同志社もいいチーム。彼らにがんばってもらうことを期待するしかない」と、言葉は少なかった。
日曜日、王子スタジアムであった甲南との試合は、現在のチームが完成に向かって着実に成長している事を見せてくれた。3節目に関大に敗れた悔しさをバネに、しっかり取り組んできた成果が随所に現れていた。とりわけ先発メンバーの充実ぶりが目立った。思わぬアクシデントで、攻守の中心メンバーを欠いたが、それでも前半は圧倒的に攻めて35点。守備も相手を完封した。
とりわけ関大戦で悔しい思いをした3年生のWR松原やTE垣内、2年生のRB松岡が素晴らしいプレーを見せた。松原が立て続けにロングパスをキャッチし、9回の捕球で164ヤードを獲得、2タッチダウンを記録すれば、松岡は95ヤードのキックオフリターンタッチダウンを含め4本のTDを決めた。
QB加藤も、小野コーチが「3年生の時の三原より高いレベルにあります」という能力を見せつけた。途中で交代したのに、パスを22回投げて19回成功、310ヤード獲得という数字がその威力を物語っている。
前半で大量リードを奪ったので、これまでほとんど試合に出ていなかったメンバーも次々投入された。2年生QB糟谷は、加藤が欠場した同志社戦で出場した経験を糧に、落ち着いてパスを投げ、走力を生かして敵陣に突っ込んだ。1年生WR小山も長身を利したしなやかな捕球を披露、3回で71ヤードを獲得して攻撃の幅を広げた。
ディフェンス陣も負けてはいなかった。DLの柱になる平澤を欠いたが、3年生の村上、2年生の長島、好川、1年生の梶原らが素早い動きで相手の動きを封じた。DB陣も善元と吉井駿哉が立て続けに相手パスを奪取、攻撃権を取り戻した。1年時にスターターを務めた吉井は長い間、故障で苦しんできたが、堂々の復活だった。
このように、日曜日の甲南戦は、攻守とも関大戦の敗戦を吹っ切ったような素晴らしいプレーが相次ぎ、チームとしての力が付いてきたことを実感させてくれた。敗戦を薬に、チームが一丸となって戦っているということを観客に見せつけた試合だった。
それから24時間後、舞台は暗転した。遠くで結果を聞いた僕でさえ、茫然自失、放心状態になっているのだから、選手たちの落胆ぶりは想像にあまりある。「4年生のモチベーションが……」といった3年生の気持ちは、痛いほど分かる。
けれども、落ち込んだままでは、何一つ生まれはしない。現実を取り消すこともリセットすることもできない。敗北を抱きしめ、そこから立ち上がるしかない。それがアメフットに対する敬意であり、戦う者の矜持(きようじ)である。
優勝の可能性はかなり少なくなったかもしれない。けれども、秋のリーグ戦はまだ3試合が残されている。その試合をすべて雄々しく戦うことが、ファイターズ魂を見せることになる。幸いこれから対戦するのは神戸大、京大、立命館という強力なチームである。彼らを相手に、存分に戦うことが使命であると心得て、全力を尽くしてもらいたい。「よき敗者」の矜持を、対戦チームにも、天下のアメフットファンにも見せてやろうではないか。
(23)うれしい手紙
投稿日時:2009/10/04(日) 23:57
先日、朝日新聞社の先輩で、日本高校野球連盟の副会長をされている内海紀雄さんから、写真を同封した丁寧な手紙が届いた。私信であるし、アメフットとは直接関係のない話ではあるが、関西学院というファミリーを象徴したような内容なので紹介してみたい。次のような文面である。
冠省
甲子園選抜チームと渡米しましたが、関学の山崎裕貴選手が参加していることを知ったロスの関学同窓会が、大歓迎して声援を送りました。その写真を同封します。貴兄から学校か、同窓会事務局にお渡しいただければ幸いです。
山崎君は代走で出たり、DHでヒットを打ったり、応援団は大喜び。18人の選手中、一番のモテモテでしたよ。
往きの機内で、小生の隣席の男性がなんと関学のOB(高校-大学)でした。ロスに着いて空港で山崎君を引き合わせたところ、その人は2日間、同窓会長とともに球場へ来てくれました。(以下略)
同封された写真は2枚。1枚は校旗を背景に山崎君を囲んで集合写真、もう1枚は関西学院と書いたブルーの幟(のぼり)を立てた応援席の風景写真である。
少し話を補足すると、内海さんはこの夏、アメリカの若者と親善試合をするために渡米した高校野球日本選抜チームの団長を務められた。選抜チームは、今夏の甲子園で活躍した選手の中から18人が選出され、その一人に高等部の山崎選手が選ばれた。それを知ったロサンゼルス在住の関学の卒業生が大挙して球場につめかけ、応援席に関学の校旗とブルーの幟を立てて応援してくださった、という話である。
この話には前段がある。こんな話である。
夏の全国高校野球選手権大会を前に開かれた高野連の理事会の終了後、僕はあえて発言を求め(実は、僕は高野連の理事の末席を汚しているのです)、その日の議事とはまったく関係のないこんなお願いをした。「関西学院の高等部が今年、70年ぶりの選手権大会に出場します。うれしい話です。つきましては、高野連のみなさんにお願いがあります。校名を、間違えても『かんさい』学院とは呼ばないでください。関西学院の22万同窓生は『かんせい』という校名に特別の愛着を持っています。その名前を間違われると、放送局にも高野連にも抗議が殺到しますよ。それと『かんがく』というのも、できるだけ使わないでいただきたい。関西では何の問題もありませんが、東京では関東学院や関東学園と混同されるおそれがあります。フルネームの関西学院をよろしくお願いします」というような内容である。
そのことを覚えてくれていた副会長がわざわざ、こんな私信を寄せ、アメリカで関西学院のファミリーが温かく迎えてくれたことを伝えてくださったのである。
関西学院は、海外在住者を含め、そこに連なる多くの人たちが家族のように特別の愛着を持った共同体である。高等部が甲子園に出場したといって喜び、ラグビー部が全国大会で1勝を挙げたといって大喜びする。もちろんアメフット部が甲子園ボウルに出場し、ライスボウルに出場すれば、自分の身内が出場したように感激する。ワンダーフォーゲル部が冬山で遭難したら、わがことのように心配するし、後輩が会社訪問に来たら、喜んで応対してくれる。少なくとも、僕はそのように心掛けてきた。
先日、僕の働いている和歌山県田辺市に学内のサークル「上ケ原ハビタット」の学生たちが立ち寄った。彼らは本州の最南端、和歌山県の串本町から上ケ原まで自転車で走り、各地の高校で自分たちの活動をアピールして回っている途中だった。その日、炎天下のイベントで疲れている彼、彼女たちを慰労しようと田辺・白浜の同窓生たちが集まり、ホテルの食事をごちそうした。田辺だけではない。多分、他の宿泊地でも、同窓生らが似たような歓迎、慰労会を持ったことだろう。これもファミリーならではの活動である。
そういう多くのファミリーに見守られ、支えられて関西学院での学びがある。ファイターズの活動もその一つである。
ファイターズは先週、手痛い敗戦を喫し、つらい状況に置かれている。けれども、このような状況に追い込まれたことは初めてではない。もっと厳しい状況に追い込まれたことだって少なくない。そのたびにファイターズは自らの力で道を切り開いてきた。それを忘れないでほしい。
諸君は決して孤立してはいない。どんな状況にあっても見守り、支えてくれるファミリーがいる。このコラムへの書き込みが増え、グラウンドに顔を見せるOBが増えたこと一つとっても、それは裏付けられている。
それを力に、自らが立ち上がってほしい。一人一人がチームを奮い立たせる気概を持ってほしい。上級生、下級生は関係ない。自ら求め、自ら門を叩かなければ門は開かない。
「関西学院」の幟が立つ球場(ロス郊外のコンプトンで)
山崎選手を囲んで-南カリフォルニアの関学同窓会の皆さん(コンプトンで)
冠省
甲子園選抜チームと渡米しましたが、関学の山崎裕貴選手が参加していることを知ったロスの関学同窓会が、大歓迎して声援を送りました。その写真を同封します。貴兄から学校か、同窓会事務局にお渡しいただければ幸いです。
山崎君は代走で出たり、DHでヒットを打ったり、応援団は大喜び。18人の選手中、一番のモテモテでしたよ。
往きの機内で、小生の隣席の男性がなんと関学のOB(高校-大学)でした。ロスに着いて空港で山崎君を引き合わせたところ、その人は2日間、同窓会長とともに球場へ来てくれました。(以下略)
同封された写真は2枚。1枚は校旗を背景に山崎君を囲んで集合写真、もう1枚は関西学院と書いたブルーの幟(のぼり)を立てた応援席の風景写真である。
少し話を補足すると、内海さんはこの夏、アメリカの若者と親善試合をするために渡米した高校野球日本選抜チームの団長を務められた。選抜チームは、今夏の甲子園で活躍した選手の中から18人が選出され、その一人に高等部の山崎選手が選ばれた。それを知ったロサンゼルス在住の関学の卒業生が大挙して球場につめかけ、応援席に関学の校旗とブルーの幟を立てて応援してくださった、という話である。
この話には前段がある。こんな話である。
夏の全国高校野球選手権大会を前に開かれた高野連の理事会の終了後、僕はあえて発言を求め(実は、僕は高野連の理事の末席を汚しているのです)、その日の議事とはまったく関係のないこんなお願いをした。「関西学院の高等部が今年、70年ぶりの選手権大会に出場します。うれしい話です。つきましては、高野連のみなさんにお願いがあります。校名を、間違えても『かんさい』学院とは呼ばないでください。関西学院の22万同窓生は『かんせい』という校名に特別の愛着を持っています。その名前を間違われると、放送局にも高野連にも抗議が殺到しますよ。それと『かんがく』というのも、できるだけ使わないでいただきたい。関西では何の問題もありませんが、東京では関東学院や関東学園と混同されるおそれがあります。フルネームの関西学院をよろしくお願いします」というような内容である。
そのことを覚えてくれていた副会長がわざわざ、こんな私信を寄せ、アメリカで関西学院のファミリーが温かく迎えてくれたことを伝えてくださったのである。
関西学院は、海外在住者を含め、そこに連なる多くの人たちが家族のように特別の愛着を持った共同体である。高等部が甲子園に出場したといって喜び、ラグビー部が全国大会で1勝を挙げたといって大喜びする。もちろんアメフット部が甲子園ボウルに出場し、ライスボウルに出場すれば、自分の身内が出場したように感激する。ワンダーフォーゲル部が冬山で遭難したら、わがことのように心配するし、後輩が会社訪問に来たら、喜んで応対してくれる。少なくとも、僕はそのように心掛けてきた。
先日、僕の働いている和歌山県田辺市に学内のサークル「上ケ原ハビタット」の学生たちが立ち寄った。彼らは本州の最南端、和歌山県の串本町から上ケ原まで自転車で走り、各地の高校で自分たちの活動をアピールして回っている途中だった。その日、炎天下のイベントで疲れている彼、彼女たちを慰労しようと田辺・白浜の同窓生たちが集まり、ホテルの食事をごちそうした。田辺だけではない。多分、他の宿泊地でも、同窓生らが似たような歓迎、慰労会を持ったことだろう。これもファミリーならではの活動である。
そういう多くのファミリーに見守られ、支えられて関西学院での学びがある。ファイターズの活動もその一つである。
ファイターズは先週、手痛い敗戦を喫し、つらい状況に置かれている。けれども、このような状況に追い込まれたことは初めてではない。もっと厳しい状況に追い込まれたことだって少なくない。そのたびにファイターズは自らの力で道を切り開いてきた。それを忘れないでほしい。
諸君は決して孤立してはいない。どんな状況にあっても見守り、支えてくれるファミリーがいる。このコラムへの書き込みが増え、グラウンドに顔を見せるOBが増えたこと一つとっても、それは裏付けられている。
それを力に、自らが立ち上がってほしい。一人一人がチームを奮い立たせる気概を持ってほしい。上級生、下級生は関係ない。自ら求め、自ら門を叩かなければ門は開かない。
「関西学院」の幟が立つ球場(ロス郊外のコンプトンで)
山崎選手を囲んで-南カリフォルニアの関学同窓会の皆さん(コンプトンで)
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