石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(23)うれしい手紙
先日、朝日新聞社の先輩で、日本高校野球連盟の副会長をされている内海紀雄さんから、写真を同封した丁寧な手紙が届いた。私信であるし、アメフットとは直接関係のない話ではあるが、関西学院というファミリーを象徴したような内容なので紹介してみたい。次のような文面である。
冠省
甲子園選抜チームと渡米しましたが、関学の山崎裕貴選手が参加していることを知ったロスの関学同窓会が、大歓迎して声援を送りました。その写真を同封します。貴兄から学校か、同窓会事務局にお渡しいただければ幸いです。
山崎君は代走で出たり、DHでヒットを打ったり、応援団は大喜び。18人の選手中、一番のモテモテでしたよ。
往きの機内で、小生の隣席の男性がなんと関学のOB(高校-大学)でした。ロスに着いて空港で山崎君を引き合わせたところ、その人は2日間、同窓会長とともに球場へ来てくれました。(以下略)
同封された写真は2枚。1枚は校旗を背景に山崎君を囲んで集合写真、もう1枚は関西学院と書いたブルーの幟(のぼり)を立てた応援席の風景写真である。
少し話を補足すると、内海さんはこの夏、アメリカの若者と親善試合をするために渡米した高校野球日本選抜チームの団長を務められた。選抜チームは、今夏の甲子園で活躍した選手の中から18人が選出され、その一人に高等部の山崎選手が選ばれた。それを知ったロサンゼルス在住の関学の卒業生が大挙して球場につめかけ、応援席に関学の校旗とブルーの幟を立てて応援してくださった、という話である。
この話には前段がある。こんな話である。
夏の全国高校野球選手権大会を前に開かれた高野連の理事会の終了後、僕はあえて発言を求め(実は、僕は高野連の理事の末席を汚しているのです)、その日の議事とはまったく関係のないこんなお願いをした。「関西学院の高等部が今年、70年ぶりの選手権大会に出場します。うれしい話です。つきましては、高野連のみなさんにお願いがあります。校名を、間違えても『かんさい』学院とは呼ばないでください。関西学院の22万同窓生は『かんせい』という校名に特別の愛着を持っています。その名前を間違われると、放送局にも高野連にも抗議が殺到しますよ。それと『かんがく』というのも、できるだけ使わないでいただきたい。関西では何の問題もありませんが、東京では関東学院や関東学園と混同されるおそれがあります。フルネームの関西学院をよろしくお願いします」というような内容である。
そのことを覚えてくれていた副会長がわざわざ、こんな私信を寄せ、アメリカで関西学院のファミリーが温かく迎えてくれたことを伝えてくださったのである。
関西学院は、海外在住者を含め、そこに連なる多くの人たちが家族のように特別の愛着を持った共同体である。高等部が甲子園に出場したといって喜び、ラグビー部が全国大会で1勝を挙げたといって大喜びする。もちろんアメフット部が甲子園ボウルに出場し、ライスボウルに出場すれば、自分の身内が出場したように感激する。ワンダーフォーゲル部が冬山で遭難したら、わがことのように心配するし、後輩が会社訪問に来たら、喜んで応対してくれる。少なくとも、僕はそのように心掛けてきた。
先日、僕の働いている和歌山県田辺市に学内のサークル「上ケ原ハビタット」の学生たちが立ち寄った。彼らは本州の最南端、和歌山県の串本町から上ケ原まで自転車で走り、各地の高校で自分たちの活動をアピールして回っている途中だった。その日、炎天下のイベントで疲れている彼、彼女たちを慰労しようと田辺・白浜の同窓生たちが集まり、ホテルの食事をごちそうした。田辺だけではない。多分、他の宿泊地でも、同窓生らが似たような歓迎、慰労会を持ったことだろう。これもファミリーならではの活動である。
そういう多くのファミリーに見守られ、支えられて関西学院での学びがある。ファイターズの活動もその一つである。
ファイターズは先週、手痛い敗戦を喫し、つらい状況に置かれている。けれども、このような状況に追い込まれたことは初めてではない。もっと厳しい状況に追い込まれたことだって少なくない。そのたびにファイターズは自らの力で道を切り開いてきた。それを忘れないでほしい。
諸君は決して孤立してはいない。どんな状況にあっても見守り、支えてくれるファミリーがいる。このコラムへの書き込みが増え、グラウンドに顔を見せるOBが増えたこと一つとっても、それは裏付けられている。
それを力に、自らが立ち上がってほしい。一人一人がチームを奮い立たせる気概を持ってほしい。上級生、下級生は関係ない。自ら求め、自ら門を叩かなければ門は開かない。
「関西学院」の幟が立つ球場(ロス郊外のコンプトンで)
山崎選手を囲んで-南カリフォルニアの関学同窓会の皆さん(コンプトンで)
冠省
甲子園選抜チームと渡米しましたが、関学の山崎裕貴選手が参加していることを知ったロスの関学同窓会が、大歓迎して声援を送りました。その写真を同封します。貴兄から学校か、同窓会事務局にお渡しいただければ幸いです。
山崎君は代走で出たり、DHでヒットを打ったり、応援団は大喜び。18人の選手中、一番のモテモテでしたよ。
往きの機内で、小生の隣席の男性がなんと関学のOB(高校-大学)でした。ロスに着いて空港で山崎君を引き合わせたところ、その人は2日間、同窓会長とともに球場へ来てくれました。(以下略)
同封された写真は2枚。1枚は校旗を背景に山崎君を囲んで集合写真、もう1枚は関西学院と書いたブルーの幟(のぼり)を立てた応援席の風景写真である。
少し話を補足すると、内海さんはこの夏、アメリカの若者と親善試合をするために渡米した高校野球日本選抜チームの団長を務められた。選抜チームは、今夏の甲子園で活躍した選手の中から18人が選出され、その一人に高等部の山崎選手が選ばれた。それを知ったロサンゼルス在住の関学の卒業生が大挙して球場につめかけ、応援席に関学の校旗とブルーの幟を立てて応援してくださった、という話である。
この話には前段がある。こんな話である。
夏の全国高校野球選手権大会を前に開かれた高野連の理事会の終了後、僕はあえて発言を求め(実は、僕は高野連の理事の末席を汚しているのです)、その日の議事とはまったく関係のないこんなお願いをした。「関西学院の高等部が今年、70年ぶりの選手権大会に出場します。うれしい話です。つきましては、高野連のみなさんにお願いがあります。校名を、間違えても『かんさい』学院とは呼ばないでください。関西学院の22万同窓生は『かんせい』という校名に特別の愛着を持っています。その名前を間違われると、放送局にも高野連にも抗議が殺到しますよ。それと『かんがく』というのも、できるだけ使わないでいただきたい。関西では何の問題もありませんが、東京では関東学院や関東学園と混同されるおそれがあります。フルネームの関西学院をよろしくお願いします」というような内容である。
そのことを覚えてくれていた副会長がわざわざ、こんな私信を寄せ、アメリカで関西学院のファミリーが温かく迎えてくれたことを伝えてくださったのである。
関西学院は、海外在住者を含め、そこに連なる多くの人たちが家族のように特別の愛着を持った共同体である。高等部が甲子園に出場したといって喜び、ラグビー部が全国大会で1勝を挙げたといって大喜びする。もちろんアメフット部が甲子園ボウルに出場し、ライスボウルに出場すれば、自分の身内が出場したように感激する。ワンダーフォーゲル部が冬山で遭難したら、わがことのように心配するし、後輩が会社訪問に来たら、喜んで応対してくれる。少なくとも、僕はそのように心掛けてきた。
先日、僕の働いている和歌山県田辺市に学内のサークル「上ケ原ハビタット」の学生たちが立ち寄った。彼らは本州の最南端、和歌山県の串本町から上ケ原まで自転車で走り、各地の高校で自分たちの活動をアピールして回っている途中だった。その日、炎天下のイベントで疲れている彼、彼女たちを慰労しようと田辺・白浜の同窓生たちが集まり、ホテルの食事をごちそうした。田辺だけではない。多分、他の宿泊地でも、同窓生らが似たような歓迎、慰労会を持ったことだろう。これもファミリーならではの活動である。
そういう多くのファミリーに見守られ、支えられて関西学院での学びがある。ファイターズの活動もその一つである。
ファイターズは先週、手痛い敗戦を喫し、つらい状況に置かれている。けれども、このような状況に追い込まれたことは初めてではない。もっと厳しい状況に追い込まれたことだって少なくない。そのたびにファイターズは自らの力で道を切り開いてきた。それを忘れないでほしい。
諸君は決して孤立してはいない。どんな状況にあっても見守り、支えてくれるファミリーがいる。このコラムへの書き込みが増え、グラウンドに顔を見せるOBが増えたこと一つとっても、それは裏付けられている。
それを力に、自らが立ち上がってほしい。一人一人がチームを奮い立たせる気概を持ってほしい。上級生、下級生は関係ない。自ら求め、自ら門を叩かなければ門は開かない。
「関西学院」の幟が立つ球場(ロス郊外のコンプトンで)
山崎選手を囲んで-南カリフォルニアの関学同窓会の皆さん(コンプトンで)
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