石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(36)強い絆、熱い仲間
ファイターズ55-10フェニックス。第69回甲子園ボウル。数えて28回目となるライバル日本大学との決戦は、関西学院大学が大差で制した。
獲得した距離は、ファイターズが516ヤード(ラン319、パス197)、フェニックスが246ヤード(ラン60、パス186)。これに加えてファイターズには3回のインターセプトと2回のファンブルリカバーがある。その点までを考慮すると、ファイターズが終始、試合を支配し続けたと言っても過言ではない。実際、スタンドから応援している僕たちも、ファイターズが立ち上がり、RB橋本君と鷺野君の強力な中央突破で陣地を進め、立て続けに2本のTDを獲得したあたりから、気持ちに余裕が出てきた。
しかし、グラウンドで戦っている選手にとっては、攻守ともにひとつひとつのプレーを遂行するのに必死だったに違いない。
なにしろ相手は、日大である。攻守とも強力なタレントが揃っている。一発で試合の流れを変えてしまうプレーもあるに違いない。実際、リードしているとはいえ、第2Qには10点を返された。
そういう状況にあっても、ファイターズの面々は焦らず、おごらず、自らに与えられた使命をプレーで表現した。大量のリードに支えられて登場した交代選手(そこにはけがなどで試合にする機会を失っていた4年生もいたし、今後のために甲子園の舞台を経験させておきたい下級生も数多くいた)もまた、それぞれの持ち味を発揮した。思い描いた通りのパフォーマンスを見せた者(例えば強力なラッシュで10ヤードのQBサックを決めたDL國安君、あわやインターセプトという、パスカバーをを見せたDB市川君)もいた。普段はサイドラインからサインを送っている控えQBの前田君も、ほんの数プレーだったが、甲子園の晴れ舞台に立つ機会が得られた。
そういう選手たちの活躍は、観客の目の前で繰り広げられ、中継のテレビが写し出している。とくに活躍した選手を表彰する甲子園ボウルの最優秀選手にはRB橋本君、年間最優秀選手に贈られるチャック・ミルズ杯にはRB鷺野君が輝き、彼らへのインタビューも行われた。
試合会場にお見えになった方はもちろん、テレビで観戦されていた方々も、そうしたファイターズの選手たちの躍動を目の当たりにされている。試合で活躍した選手たちのことは、翌日の新聞も丁寧に伝えていた。
だから、僕はこの場を借りて、そのように広く顕彰されることのない場面を2、3紹介したい。
それは試合開始直前、レフト側入場口に並んだ選手たちが大会役員から入場の合図を待つ間に見せた三つの行動である。一つは、先頭に並んでいた副将の小野君が、高ぶった気持ちを抑えきれないように同じLBの後輩、作道君に声を掛けた。言葉は聞こえなかったが、一言「頼むぞ」といったように見えた。
彼は、先日の西日本代表決定戦で負傷し、しばらくはチーム練習から遠ざかっていた。この日の試合には先発で出場したが、日ごろのパフォーマンスができるかどうか、不安を抱えていたに違いない。その悔しさと不安を「頼むぞ」という一言に込め、後輩の活躍にチームの命運を託した副将の胸の内。短いやりとりに万感の思いを託した言葉に、日ごろから兄弟のように練習している仲間との強い絆を垣間見た気がした。
強い絆といえば、WR横山君を囲む4年生の仕草にも、胸を打つものがあった。横山君もまた立命戦で傷つき、しばらくチーム練習に加わっていない。WRのパートリーダーであり、ロングスナップを投げる場面では欠かせない選手として、練習には参加していたが、彼も自身の回復状況に不安を抱えたままの出場だった。
緊張した表情の彼に、隣にいた同じパートで彼より頭一つほど背の高い樋之本君が彼の肩を抱き、何かをささやいた。多分「今日は俺に任せておけ。必ず勝って、ライスボウルの舞台に立たせる」というような約束をしていたのだろう。それを聞く横山君も「頼んだぞ」と気持ちのこもった目で樋之本君や副将の松島君を見つめた。ここにも、普段から寝食をともにして互いを刺激し、向上させてきた4年生ならではの「一言で通じ合える」強い絆があった。
開会のセレモニーの直前、入場を待つほんの短い時間に交わされた気持ちのこもった交情。そこでは、文字通り目と目、顔と顔で互いの意志を通じあう選手同士の濃密な関係が描き出されていた。
こうした関係は、グラウンドでの練習だけでなく、ミーティングや食事などの時間も含めて、日ごろから濃密な時間を共有し、同じ目的に向かってベクトルを一致させている仲間だからこそであろう。そういう仲間がいるから、どんなに厳しい局面になっても心は折れないし、逆に厳しい場面になればなるほど力が発揮できるのだろう。ここにこそファイターズの強さがあると、見ていた僕は胸が熱くなった。
感激しているうちに、今度は先頭の鷺野主将と目があった。思わず右手に握り拳を作ってエールを送ると、彼も握り拳を上げ、にこっと笑ってくれた。「大丈夫! 主将には余裕がある。この試合はもらった」と思った瞬間だった。
獲得した距離は、ファイターズが516ヤード(ラン319、パス197)、フェニックスが246ヤード(ラン60、パス186)。これに加えてファイターズには3回のインターセプトと2回のファンブルリカバーがある。その点までを考慮すると、ファイターズが終始、試合を支配し続けたと言っても過言ではない。実際、スタンドから応援している僕たちも、ファイターズが立ち上がり、RB橋本君と鷺野君の強力な中央突破で陣地を進め、立て続けに2本のTDを獲得したあたりから、気持ちに余裕が出てきた。
しかし、グラウンドで戦っている選手にとっては、攻守ともにひとつひとつのプレーを遂行するのに必死だったに違いない。
なにしろ相手は、日大である。攻守とも強力なタレントが揃っている。一発で試合の流れを変えてしまうプレーもあるに違いない。実際、リードしているとはいえ、第2Qには10点を返された。
そういう状況にあっても、ファイターズの面々は焦らず、おごらず、自らに与えられた使命をプレーで表現した。大量のリードに支えられて登場した交代選手(そこにはけがなどで試合にする機会を失っていた4年生もいたし、今後のために甲子園の舞台を経験させておきたい下級生も数多くいた)もまた、それぞれの持ち味を発揮した。思い描いた通りのパフォーマンスを見せた者(例えば強力なラッシュで10ヤードのQBサックを決めたDL國安君、あわやインターセプトという、パスカバーをを見せたDB市川君)もいた。普段はサイドラインからサインを送っている控えQBの前田君も、ほんの数プレーだったが、甲子園の晴れ舞台に立つ機会が得られた。
そういう選手たちの活躍は、観客の目の前で繰り広げられ、中継のテレビが写し出している。とくに活躍した選手を表彰する甲子園ボウルの最優秀選手にはRB橋本君、年間最優秀選手に贈られるチャック・ミルズ杯にはRB鷺野君が輝き、彼らへのインタビューも行われた。
試合会場にお見えになった方はもちろん、テレビで観戦されていた方々も、そうしたファイターズの選手たちの躍動を目の当たりにされている。試合で活躍した選手たちのことは、翌日の新聞も丁寧に伝えていた。
だから、僕はこの場を借りて、そのように広く顕彰されることのない場面を2、3紹介したい。
それは試合開始直前、レフト側入場口に並んだ選手たちが大会役員から入場の合図を待つ間に見せた三つの行動である。一つは、先頭に並んでいた副将の小野君が、高ぶった気持ちを抑えきれないように同じLBの後輩、作道君に声を掛けた。言葉は聞こえなかったが、一言「頼むぞ」といったように見えた。
彼は、先日の西日本代表決定戦で負傷し、しばらくはチーム練習から遠ざかっていた。この日の試合には先発で出場したが、日ごろのパフォーマンスができるかどうか、不安を抱えていたに違いない。その悔しさと不安を「頼むぞ」という一言に込め、後輩の活躍にチームの命運を託した副将の胸の内。短いやりとりに万感の思いを託した言葉に、日ごろから兄弟のように練習している仲間との強い絆を垣間見た気がした。
強い絆といえば、WR横山君を囲む4年生の仕草にも、胸を打つものがあった。横山君もまた立命戦で傷つき、しばらくチーム練習に加わっていない。WRのパートリーダーであり、ロングスナップを投げる場面では欠かせない選手として、練習には参加していたが、彼も自身の回復状況に不安を抱えたままの出場だった。
緊張した表情の彼に、隣にいた同じパートで彼より頭一つほど背の高い樋之本君が彼の肩を抱き、何かをささやいた。多分「今日は俺に任せておけ。必ず勝って、ライスボウルの舞台に立たせる」というような約束をしていたのだろう。それを聞く横山君も「頼んだぞ」と気持ちのこもった目で樋之本君や副将の松島君を見つめた。ここにも、普段から寝食をともにして互いを刺激し、向上させてきた4年生ならではの「一言で通じ合える」強い絆があった。
開会のセレモニーの直前、入場を待つほんの短い時間に交わされた気持ちのこもった交情。そこでは、文字通り目と目、顔と顔で互いの意志を通じあう選手同士の濃密な関係が描き出されていた。
こうした関係は、グラウンドでの練習だけでなく、ミーティングや食事などの時間も含めて、日ごろから濃密な時間を共有し、同じ目的に向かってベクトルを一致させている仲間だからこそであろう。そういう仲間がいるから、どんなに厳しい局面になっても心は折れないし、逆に厳しい場面になればなるほど力が発揮できるのだろう。ここにこそファイターズの強さがあると、見ていた僕は胸が熱くなった。
感激しているうちに、今度は先頭の鷺野主将と目があった。思わず右手に握り拳を作ってエールを送ると、彼も握り拳を上げ、にこっと笑ってくれた。「大丈夫! 主将には余裕がある。この試合はもらった」と思った瞬間だった。
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