石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(17)甲子園と「空の翼」
高等部が第91回全国高校野球選手権大会に出場、大いに気を吐いている。激戦の兵庫大会では、報徳学園、神戸弘陵、滝川二などの強豪を次々に撃破、決勝では育英を破った。堂々の進撃である。夏の甲子園大会に出場するのは、関西学院中学校と呼ばれていた1939年以来、70年ぶりである。
勇躍乗り込んだ甲子園では、雨で2日も日程が延び、やきもきさせられた。
でも8月12日、山形代表の酒田南高校を相手に7-3で勝ち、堂々と初戦を飾った。その試合の模様をテレビ中継で見ながら、いくつか思うことがあった。アメフットと直接関係のない話のようにも思うが、書いてみたい。
一つは、これまでに夏の甲子園で聞いたどの高校の校歌よりも、「空の翼」が甲子園に似合うということである。北原白秋作詞、山田耕筰作曲というネームバリューだけではない。日ごろから聞いたり歌ったりしてなじみがあるというだけでもない。甲子園の広いスタンドと緑の芝生、浜風と青空に、あの軽快なメロディーと「風に思う空の翼、輝く自由」という歌詞が見事に調和していることを発見し、一人で興奮している。
もちろん、甲子園で「空の翼」を聞くのは初めてではない。ファイターズが甲子園ボウルに出場するたびに聞いている。一緒に歌ったことも数え切れない。けれども、その舞台は冬枯れの芝生であり、六甲おろしの冷たい風の吹くスタンドである。青空と緑の芝生の上をさわやかに浜風が舞う季節ではない。
高等部の諸君が初戦に勝って、誇り高く「空の翼」を歌っているのを聞きながら、あの躍動感のあるメロデーと、大空に夢と希望が羽ばたいていくような歌詞は、ここで歌われるためにこそ作られたのではないか、という錯覚にとらわれた。
そして、今度はファイターズの諸君に「空の翼」を誇り高く歌ってもらいたい、冬の甲子園にも「空の翼」は似合うんだということを確認させていただきたいと思ったのである。
もう一つは、戦う相手に敬意を払うということの大切さを確認したことである。
こんな場面があった。2-2の同点で迎えた6回表、関西学院は2死3塁と攻め付けた。打線は下位にまわるとはいえ、願ってもないチャンス。相手にとっては、一つのミスが得点に結びつくピンチである。この場面で、相手投手は関学の7番打者に死球を与えた。2死1、3塁。ピンチが広がる。
ここで相手投手は、死球を与えた打者に頭を下げるとか、申し訳ないというようなそぶりをしないまま、味方の内野陣を振り返り「死球を与えたことは気にしていない」というようなジェスチャーをし、指を2本出して「ツーアウトだから、大丈夫。締めていこう」というようなしぐさをした。
死球というアクシデントはあったが気にするな、締まっていこうということを味方に伝えたいという気持ちは、よく分かる。自身がエースで4番打者という立場にあるだけに、味方の前で動揺したそぶりを見せられない、ボクは大丈夫というメッセージを伝えたかった気持ちもよく分かる。
でもその前に、痛い目に遭わせた相手に対して帽子をとって一礼するぐらいの行為はあってしかるべきではないか。それが同じ舞台で戦っている相手に対する最低限の礼儀であると僕は思っている。
それをせず、味方を鼓舞しようというしぐさを優先させた行為に対して、僕はすごく寂しい気持ちになった。「死球を与えたときには、まず相手に謝りなさい。それがスポーツマンとしての礼儀です」ということを、彼は十分に学ばないままに甲子園に出場してしまったのではないかと感じたからである。
勝負は勝たなければ意味はないといわれる。けれどもそれは、どんな手段を使ってでも勝てばいいということではあるまい。同じ戦場を共有する相手に対する敬意を胸に秘め、堂々と戦うこと、雌雄を決すること。その気持ちが底流にあって初めて、作戦とか戦術とかが意味を持つのであって、相手に対する敬意を欠いたまま、いくら全力を尽くしてもそれは空回りになるだけだろう。
彼を責めているのではない。そうではなくて、あの場面がスポーツの意味を考えるうえで、大切なことを物語っていると思ったから、あえて取り上げた次第ある。
大切なこと。それは同じ舞台に立つ相手に対し、心の底からの敬意を払うことである。強いとか弱いとかは関係ない。戦う相手に敬意を持った上で、互いに全力を尽くし、激しく戦うこと。それこそがスポーツの醍醐味であり、原点である。対戦相手がいなくては、だれも勝者になれないということを考えただけでも、この意味は分かるはずだ。
勇躍乗り込んだ甲子園では、雨で2日も日程が延び、やきもきさせられた。
でも8月12日、山形代表の酒田南高校を相手に7-3で勝ち、堂々と初戦を飾った。その試合の模様をテレビ中継で見ながら、いくつか思うことがあった。アメフットと直接関係のない話のようにも思うが、書いてみたい。
一つは、これまでに夏の甲子園で聞いたどの高校の校歌よりも、「空の翼」が甲子園に似合うということである。北原白秋作詞、山田耕筰作曲というネームバリューだけではない。日ごろから聞いたり歌ったりしてなじみがあるというだけでもない。甲子園の広いスタンドと緑の芝生、浜風と青空に、あの軽快なメロディーと「風に思う空の翼、輝く自由」という歌詞が見事に調和していることを発見し、一人で興奮している。
もちろん、甲子園で「空の翼」を聞くのは初めてではない。ファイターズが甲子園ボウルに出場するたびに聞いている。一緒に歌ったことも数え切れない。けれども、その舞台は冬枯れの芝生であり、六甲おろしの冷たい風の吹くスタンドである。青空と緑の芝生の上をさわやかに浜風が舞う季節ではない。
高等部の諸君が初戦に勝って、誇り高く「空の翼」を歌っているのを聞きながら、あの躍動感のあるメロデーと、大空に夢と希望が羽ばたいていくような歌詞は、ここで歌われるためにこそ作られたのではないか、という錯覚にとらわれた。
そして、今度はファイターズの諸君に「空の翼」を誇り高く歌ってもらいたい、冬の甲子園にも「空の翼」は似合うんだということを確認させていただきたいと思ったのである。
もう一つは、戦う相手に敬意を払うということの大切さを確認したことである。
こんな場面があった。2-2の同点で迎えた6回表、関西学院は2死3塁と攻め付けた。打線は下位にまわるとはいえ、願ってもないチャンス。相手にとっては、一つのミスが得点に結びつくピンチである。この場面で、相手投手は関学の7番打者に死球を与えた。2死1、3塁。ピンチが広がる。
ここで相手投手は、死球を与えた打者に頭を下げるとか、申し訳ないというようなそぶりをしないまま、味方の内野陣を振り返り「死球を与えたことは気にしていない」というようなジェスチャーをし、指を2本出して「ツーアウトだから、大丈夫。締めていこう」というようなしぐさをした。
死球というアクシデントはあったが気にするな、締まっていこうということを味方に伝えたいという気持ちは、よく分かる。自身がエースで4番打者という立場にあるだけに、味方の前で動揺したそぶりを見せられない、ボクは大丈夫というメッセージを伝えたかった気持ちもよく分かる。
でもその前に、痛い目に遭わせた相手に対して帽子をとって一礼するぐらいの行為はあってしかるべきではないか。それが同じ舞台で戦っている相手に対する最低限の礼儀であると僕は思っている。
それをせず、味方を鼓舞しようというしぐさを優先させた行為に対して、僕はすごく寂しい気持ちになった。「死球を与えたときには、まず相手に謝りなさい。それがスポーツマンとしての礼儀です」ということを、彼は十分に学ばないままに甲子園に出場してしまったのではないかと感じたからである。
勝負は勝たなければ意味はないといわれる。けれどもそれは、どんな手段を使ってでも勝てばいいということではあるまい。同じ戦場を共有する相手に対する敬意を胸に秘め、堂々と戦うこと、雌雄を決すること。その気持ちが底流にあって初めて、作戦とか戦術とかが意味を持つのであって、相手に対する敬意を欠いたまま、いくら全力を尽くしてもそれは空回りになるだけだろう。
彼を責めているのではない。そうではなくて、あの場面がスポーツの意味を考えるうえで、大切なことを物語っていると思ったから、あえて取り上げた次第ある。
大切なこと。それは同じ舞台に立つ相手に対し、心の底からの敬意を払うことである。強いとか弱いとかは関係ない。戦う相手に敬意を持った上で、互いに全力を尽くし、激しく戦うこと。それこそがスポーツの醍醐味であり、原点である。対戦相手がいなくては、だれも勝者になれないということを考えただけでも、この意味は分かるはずだ。
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