石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(1)さあ、コラム再開
桜が咲いたと思ったら、あっという間に散っていく。
先週の金曜日、大学へ行ったときはせいぜい2分咲き。それが土曜日には5~6分咲きになり、見た目は満開という木もあった。4月、年度替わりを象徴するような慌ただしさである。
ファイターズの諸君もまた、慌ただしい日々を過ごしている。ライスボウルが終わり、4年生が引退して新しいチームがスタートすると同時に学年末の試験。それが終わるのを待ちかねたように2度の合宿。千刈のキャンプ場では選抜された選手たちの「サバイバルトレーニング」もあった。
その間、中学、高等部、啓明学院のメンバーを交えたファイターズファミリー壮行会や甲子園ボウルの祝勝会もあった。3月になると、高校生を対象にした合同クリニックや小中学生を対象にしたフットボール教室も行われたし、卒業式もあった。シーズンオフ。試合はなくても、部員はみな十分に忙しい毎日を過ごしてきたのである。
僕はその間、授業がないのを幸い、老朽化した体のメンテナンスに励んでいた。接骨院や歯科医、眼科医に通い、あれもこれもと抜本的な治療に励んだ。新聞社の先輩の送別会に長野県まで足を伸ばし、志を同じくするジャーナリストや市民運動をしている人たちと旧交も温めてきた。例年通り、昨年1年間のこのコラムと、本業の新聞社のコラムをそれぞれまとめて出版する作業も、連日の「夜なべ仕事」で仕上げたし、気の置けない友人たちと徹夜でジャン卓を囲む日もあった。
ライスボウルの悔しい敗戦以降、断りもなくこのコラムを休んでいたけど、それなりにせわしない毎日を過ごしていたのである。
しかし、4月である。新しいシーズンが始まる。このコラムも再開する。
今年もシーズンの終了まで書き続けますので、ご支援、よろしくお願いいたします。
ということで、2014年度の1回目は、昨年の「アンサング・ヒーロー賞」の話から始めたい。
受賞者はQBの橘君。下級生のころにはJVの試合にちょこちょこ登場して、切れの良いラッシュを披露していた左利きの選手だが、4年生になると同時に、ほとんど試合には出場せず、もっぱらQB、WRのパートの練習を仕切る仕事に徹していた。
ご存じの通り、昨年のチームの浮沈は、絶対的なエースだったQB畑君の後を誰が埋めるかにかかっていた。3年生に斎藤君、前田君、松岡君というそれぞれ特色を持った候補がいたが、春のシーズンがスタートした時点では、誰が出ても畑君の後を埋めるのは大変、という状況だった。
そういう状況を誰よりも知っていた橘君は「後継者がいないのなら、育てるしかない。育てる役割は自分が果たす」と心に刻み、WRのパートリーダーだった梅本君と協力して懸命にその役割を果たした。誰よりも早くグラウンドに出てQBの練習を手伝い、気付いたことはこと細かくアドバイスする。
これは、早めに練習に出てくる部員ならだれもが知っていることだが、いつも一番にグラウンドで練習を始めるのは、QB・WRのパート。中でも橘君、梅本君、斎藤君はいつも練習の一番乗りだった。橘君が斎藤君にスナップを出し、斎藤君がパスを投げ、梅本君がそれをキャッチする。そして、気付いたことは即座に指摘しあい、その場で確かめあう。
春から夏。夏から秋。そして冬。昨年のシーズンが始まってから、終わるまで、ずっとこの関係は続いた。梅本君は「斎藤を男にする」といって頑張り、橘君はひたすらスナップを出し続けることで二人を鼓舞した。斎藤君は二人の先輩に励まされ、誰もが驚くほどの上達を見せた。
僕は週に2度くらいしかグラウンドには顔を出せなかったが、三人のこの取り組みをずっと見続けてきた。そして、今年はこの三人が勝負してくれると確信していた。
もちろん、コーチや監督もそれをしっかりと見ていたのだろう。橘君が「アンサング・ヒーロー」に選ばれ、梅本君は「特別賞」に輝いた。
選手が輝くのは試合会場だけではない。本当の勝負は上ケ原の第3フィールドにある。あるいは甲山の坂道にあり、トレーニングセンターにある。そこで、高い目標を持ち、誰よりも熱心に鍛えたものが最終的に輝くのである。
部外者にはなかなか見えないが、その取り組みを誰よりも熱心に続けたのが橘君であり、梅本君である。その取り組みをコーチや監督が曇りのない目でしっかり評価してくれた。昨年の南本君に続き、こういう部員のことをシーズンの当初にご紹介できるのは、何にもましてうれしい。
◇ ◇
今年も「スタンドから」を再開します。週に1度の割で書き続けます。ご愛読よろしくお願いします。
文中にも書きましたが、昨年のコラムを集大成した「栄光への軌跡・2013年版」を刊行しました。部員には「戦いの記憶」として贈呈しましたが、ファンの方にも手に取ってもらえるように少し多めに発行しています。シーズンが始まりましたら、グラウンドのファイターズグッズ販売所で取り扱います(1冊500円。代金はカンパとしてすべてチームに寄付します)。ご協力よろしくお願いいたします。
先週の金曜日、大学へ行ったときはせいぜい2分咲き。それが土曜日には5~6分咲きになり、見た目は満開という木もあった。4月、年度替わりを象徴するような慌ただしさである。
ファイターズの諸君もまた、慌ただしい日々を過ごしている。ライスボウルが終わり、4年生が引退して新しいチームがスタートすると同時に学年末の試験。それが終わるのを待ちかねたように2度の合宿。千刈のキャンプ場では選抜された選手たちの「サバイバルトレーニング」もあった。
その間、中学、高等部、啓明学院のメンバーを交えたファイターズファミリー壮行会や甲子園ボウルの祝勝会もあった。3月になると、高校生を対象にした合同クリニックや小中学生を対象にしたフットボール教室も行われたし、卒業式もあった。シーズンオフ。試合はなくても、部員はみな十分に忙しい毎日を過ごしてきたのである。
僕はその間、授業がないのを幸い、老朽化した体のメンテナンスに励んでいた。接骨院や歯科医、眼科医に通い、あれもこれもと抜本的な治療に励んだ。新聞社の先輩の送別会に長野県まで足を伸ばし、志を同じくするジャーナリストや市民運動をしている人たちと旧交も温めてきた。例年通り、昨年1年間のこのコラムと、本業の新聞社のコラムをそれぞれまとめて出版する作業も、連日の「夜なべ仕事」で仕上げたし、気の置けない友人たちと徹夜でジャン卓を囲む日もあった。
ライスボウルの悔しい敗戦以降、断りもなくこのコラムを休んでいたけど、それなりにせわしない毎日を過ごしていたのである。
しかし、4月である。新しいシーズンが始まる。このコラムも再開する。
今年もシーズンの終了まで書き続けますので、ご支援、よろしくお願いいたします。
ということで、2014年度の1回目は、昨年の「アンサング・ヒーロー賞」の話から始めたい。
受賞者はQBの橘君。下級生のころにはJVの試合にちょこちょこ登場して、切れの良いラッシュを披露していた左利きの選手だが、4年生になると同時に、ほとんど試合には出場せず、もっぱらQB、WRのパートの練習を仕切る仕事に徹していた。
ご存じの通り、昨年のチームの浮沈は、絶対的なエースだったQB畑君の後を誰が埋めるかにかかっていた。3年生に斎藤君、前田君、松岡君というそれぞれ特色を持った候補がいたが、春のシーズンがスタートした時点では、誰が出ても畑君の後を埋めるのは大変、という状況だった。
そういう状況を誰よりも知っていた橘君は「後継者がいないのなら、育てるしかない。育てる役割は自分が果たす」と心に刻み、WRのパートリーダーだった梅本君と協力して懸命にその役割を果たした。誰よりも早くグラウンドに出てQBの練習を手伝い、気付いたことはこと細かくアドバイスする。
これは、早めに練習に出てくる部員ならだれもが知っていることだが、いつも一番にグラウンドで練習を始めるのは、QB・WRのパート。中でも橘君、梅本君、斎藤君はいつも練習の一番乗りだった。橘君が斎藤君にスナップを出し、斎藤君がパスを投げ、梅本君がそれをキャッチする。そして、気付いたことは即座に指摘しあい、その場で確かめあう。
春から夏。夏から秋。そして冬。昨年のシーズンが始まってから、終わるまで、ずっとこの関係は続いた。梅本君は「斎藤を男にする」といって頑張り、橘君はひたすらスナップを出し続けることで二人を鼓舞した。斎藤君は二人の先輩に励まされ、誰もが驚くほどの上達を見せた。
僕は週に2度くらいしかグラウンドには顔を出せなかったが、三人のこの取り組みをずっと見続けてきた。そして、今年はこの三人が勝負してくれると確信していた。
もちろん、コーチや監督もそれをしっかりと見ていたのだろう。橘君が「アンサング・ヒーロー」に選ばれ、梅本君は「特別賞」に輝いた。
選手が輝くのは試合会場だけではない。本当の勝負は上ケ原の第3フィールドにある。あるいは甲山の坂道にあり、トレーニングセンターにある。そこで、高い目標を持ち、誰よりも熱心に鍛えたものが最終的に輝くのである。
部外者にはなかなか見えないが、その取り組みを誰よりも熱心に続けたのが橘君であり、梅本君である。その取り組みをコーチや監督が曇りのない目でしっかり評価してくれた。昨年の南本君に続き、こういう部員のことをシーズンの当初にご紹介できるのは、何にもましてうれしい。
◇ ◇
今年も「スタンドから」を再開します。週に1度の割で書き続けます。ご愛読よろしくお願いします。
文中にも書きましたが、昨年のコラムを集大成した「栄光への軌跡・2013年版」を刊行しました。部員には「戦いの記憶」として贈呈しましたが、ファンの方にも手に取ってもらえるように少し多めに発行しています。シーズンが始まりましたら、グラウンドのファイターズグッズ販売所で取り扱います(1冊500円。代金はカンパとしてすべてチームに寄付します)。ご協力よろしくお願いいたします。
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