川口仁「日本アメリカンフットボール史-フットボールとその時代-」
#35 ホッと、一息
ここ2ヶ月ばかり、仕事が立て込んでいた。従って、ブログもご無沙汰していた。
ホッと一息の時間ができたのでうちの奥さんをさそってピクニックに草津まででかけた。
今年の春の立命を見ていない。
立命のホーム・ページを見ると5月31日は早稲田戦になっていた。奥さんにはそれは伏せて立命の草津キャンパスはとてもキレイだから見に行こうとだけ言っておいた。
天気は良し、風はさわやかである。
南草津の駅前から日曜でもバスは1時間に何本も出ている。学生さんには便利だろう。
バスがキャンパスに着いてクインス・スタジアムに行ったが、ちいさな子供たちが遊んでいるばかりでゲームの気配がない。散歩しているとフットボール部員募集の立看板があった。電話番号が書いてあるのでかけてみた。
グリーン・フィールドという正門を出てからおおよそ7分くらいのところでゲームがあるという。キック・オフまでに時間があったのでキャンパスを散策した。とてもスケールが大きく綺麗である。漢字で書かず、「キレイ」と書くとそのほとんどのものがこぼれ落ちてしまう。アメリカ・サイズである。
街路樹を見て奥さんが「あっ、ゆりの木」と言った。彼女のお気に入りの樹で、自分の工房を「アトリエゆりの木」と名付けている。成長すると60mほどの大木になると教えてくれた。工房の看板をかかげているが、実績は昨年、手作りのゆすら梅のジャムを作ったにとどまっている。ジャムは瓶に詰めて、ぼくが実の写真を撮りラベル・デザインした。ラッピングは彼女の得意で、3瓶作った。このジャムをバニラ・アイスクリームにかけるととても美味しかった。子供たち家族にもおすそわけした。母が苗木から育てて3年目に初めて実をつけた。しかし、今年は収穫の前にひとつ残らず小鳥たちの豪華なる晩餐になってしまったので母はとても残念がっていた。
1Qが始まった時にグリーン・フィールドにたどり着いた。早稲田とは違う色のジャージのチームが相手だった。我が社会人フットボールのチームだった。立命はセカンド・ストリングのQBだった。エンジンがかからない。その後に、松田大司(ひろし)君が出るとターボ・エンジンにチャージしたようにオフェンスの回転数が上がってすぐに点を取った。彼が関西大倉高校に在学中、松田君のお父さんと我が町のフットボーラーの集まるスナックでご一緒してお話をしたことがある。
グリーン・フィールドは人工芝で、夜間照明がついており、それが2面もあった。クラブハウスも大きい。
ミシガン大学ののちに高名なヘッドコーチになる、ボー・シェンベックラーがフットボール部に赴任してきたとき、服のハンガー掛けがコーチ室になかったので訊いたら、壁に打ち込んだ釘を指さされた、と自伝に書いていたことを思い出した。パンサーズのロッカールームにはとても立派なハンガー掛けがあるであろうことは外観から容易に想像がついた。
風は爽やかだが日差しはきつい。奥さんには長くフットボール・ウィドウをさせてきているので長居は禁物である。ゲームの趨勢は1Qですでに見えたので早々に切り上げ、梅田まで出て少し早いめの夕食に行った。うまい中華の店に連れて行く。いつも通りの味で彼女は大満足である。心理学の系列効果が働いて、最後の料理がおいしかったので一日すべてが素晴らしかったと錯覚し、フットボールも楽しかったことの仲間に入れてもらった。
まずは、めでたし、めでたしの一日が終わった。
ホッと一息の時間ができたのでうちの奥さんをさそってピクニックに草津まででかけた。
今年の春の立命を見ていない。
立命のホーム・ページを見ると5月31日は早稲田戦になっていた。奥さんにはそれは伏せて立命の草津キャンパスはとてもキレイだから見に行こうとだけ言っておいた。
天気は良し、風はさわやかである。
南草津の駅前から日曜でもバスは1時間に何本も出ている。学生さんには便利だろう。
バスがキャンパスに着いてクインス・スタジアムに行ったが、ちいさな子供たちが遊んでいるばかりでゲームの気配がない。散歩しているとフットボール部員募集の立看板があった。電話番号が書いてあるのでかけてみた。
グリーン・フィールドという正門を出てからおおよそ7分くらいのところでゲームがあるという。キック・オフまでに時間があったのでキャンパスを散策した。とてもスケールが大きく綺麗である。漢字で書かず、「キレイ」と書くとそのほとんどのものがこぼれ落ちてしまう。アメリカ・サイズである。
街路樹を見て奥さんが「あっ、ゆりの木」と言った。彼女のお気に入りの樹で、自分の工房を「アトリエゆりの木」と名付けている。成長すると60mほどの大木になると教えてくれた。工房の看板をかかげているが、実績は昨年、手作りのゆすら梅のジャムを作ったにとどまっている。ジャムは瓶に詰めて、ぼくが実の写真を撮りラベル・デザインした。ラッピングは彼女の得意で、3瓶作った。このジャムをバニラ・アイスクリームにかけるととても美味しかった。子供たち家族にもおすそわけした。母が苗木から育てて3年目に初めて実をつけた。しかし、今年は収穫の前にひとつ残らず小鳥たちの豪華なる晩餐になってしまったので母はとても残念がっていた。
1Qが始まった時にグリーン・フィールドにたどり着いた。早稲田とは違う色のジャージのチームが相手だった。我が社会人フットボールのチームだった。立命はセカンド・ストリングのQBだった。エンジンがかからない。その後に、松田大司(ひろし)君が出るとターボ・エンジンにチャージしたようにオフェンスの回転数が上がってすぐに点を取った。彼が関西大倉高校に在学中、松田君のお父さんと我が町のフットボーラーの集まるスナックでご一緒してお話をしたことがある。
グリーン・フィールドは人工芝で、夜間照明がついており、それが2面もあった。クラブハウスも大きい。
ミシガン大学ののちに高名なヘッドコーチになる、ボー・シェンベックラーがフットボール部に赴任してきたとき、服のハンガー掛けがコーチ室になかったので訊いたら、壁に打ち込んだ釘を指さされた、と自伝に書いていたことを思い出した。パンサーズのロッカールームにはとても立派なハンガー掛けがあるであろうことは外観から容易に想像がついた。
風は爽やかだが日差しはきつい。奥さんには長くフットボール・ウィドウをさせてきているので長居は禁物である。ゲームの趨勢は1Qですでに見えたので早々に切り上げ、梅田まで出て少し早いめの夕食に行った。うまい中華の店に連れて行く。いつも通りの味で彼女は大満足である。心理学の系列効果が働いて、最後の料理がおいしかったので一日すべてが素晴らしかったと錯覚し、フットボールも楽しかったことの仲間に入れてもらった。
まずは、めでたし、めでたしの一日が終わった。
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記事タイトル:#35 ホッと、一息
(ブログタイトル:川口仁「日本アメリカンフットボール史-フットボールとその時代-」)