石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」

(11)驚嘆の技は工夫から

投稿日時:2009/06/16(火) 08:48rss

 江戸後期の剣客、千葉周作の弟子に驚異的な脚力を持つ飛脚がいた。信じがたい話だが、江戸と高崎(群馬県)の間、200余キロを1昼夜で往復できたという。ある時、高崎藩で大阪の蔵屋敷に至急の用件が持ち上がり、3日で大阪へ到着しなければならなくなった。国家老から直々の要請で、彼がその仕事を請け負い、3日で東海道を走破して大阪に到着、帰りも3日で戻ってきたという。
 この話は、武術家の甲野善紀さんに教えてもらったが、千葉周作自身が書き物にしている有名な話だという。司馬遼太郎さんも「北斗の人」(角川文庫)で、このエピソードを紹介している。
 異能の人というしかないが、さらにそれよりすごい話がある。甲野さんの「武術の新・人間学」(PHP研究所)によると、昔、仙台藩にいた源兵衛という早道の達人は、江戸を朝の6時に発ってその日の内に仙台に着いたという。江戸と仙台は300キロ以上。それを1日で走りきるというのだから、まさに人間離れした能力である。
 そんなに古い話ではなく、比較的身近なところにも、異能の人は少なくない。
 紀伊山地のど真ん中にある釈迦ケ岳(1799メートル)の山頂に、高さ3.6メートルもある青銅製の釈迦如来像を担ぎ上げた大峯山脈の強力、岡田雅行もその一人だろう。彼は奈良県天川村の人で、大正13年夏、これをふもとの前鬼口から一人で担ぎ上げたそうだ。標高差にして約1300メートル、距離は約20キロ。仏像は分解して運んだそうだが、一番重い台座は134キロもあったそうだ。前鬼から釈迦ケ岳への道は、山伏が修行をする大峯奥駈道の一部。僕も歩いたことがあるが、自分の体を運ぶだけでも息の上がる険路である。それを134キロの荷物を背負って登り切るなんて人間の技とも思えない。
 こういう伝説の中の人ばかりではない。紀伊山地で炭を焼く人たちの女房は、夫が焼いた備長炭を詰めた重さ15キロの炭俵を4俵も5俵も背中に背負い、険しい山道を半日がかりで歩いて里に運んだ。幼い子がいれば、その炭俵の上に、さらに子どもを乗せて歩いたそうだ。想像を絶する話である。
 しかし、いずれも実話である。強力の話は和歌山県田辺市在住の山の作家、宇江敏勝さんが「熊野修験の森」(新宿書房)で紹介しているし、炭焼きの女房の話は同じ田辺市の山びと、坂口貞男さんが「熊野山ごよみ」(角川春樹事務所)に、自分の母親を例に、よくある話として記述している。
 似たような話は、司馬遼太郎さんも「街道を行く・古座街道」の中で紹介している。
 和歌山県の古座川筋では、重さ60キロの米俵を担いで船着き場から荷揚げできない女性は嫁に行く資格がないといわれていたという話である。
 それぞれ、いまでは想像もつかない世界であり、驚嘆の技としかいいようがない。
 では、彼、彼女らは、どうしてこのような技というか、体力というか、体の使い方を身につけたのだろうか。
 先日、朝日カルチャーセンターの講義で、久しぶりに大阪に来られた甲野さんにお会いし、この疑問をぶつけたところ、返ってきた答えは明確だった。
 「それは石井さん、仕事だからですよ」
 「つまり、重い荷物を担ぐのも、速く走るのも、それが毎日の仕事ということになれば、少しでも楽にしたいと考える。効率よく仕事をしようと工夫する。どうすれば、重い荷物を背負っても疲れないか、自分の体を使って工夫し、実証していく。その工夫の中から、バランスのとれた体の使い方を見つけることで、2俵の俵しか担げなかった人が4俵、5俵と担げるようになる。そうすると、同じ時間働いても、稼ぎは2倍にも3倍にもなる。その切実さがあるから、想像を絶する体の使い方が発見できるのですよ」
 なるほど。そういえば、さきに紹介した宇江さんも坂口さんも、若いころ、それぞれが早く一人前以上の山仕事ができることを周囲に認めさせる(つまりは、一人前以上の日当を稼げるようになる)ために、特別な工夫をして自分の能力を開発していったことを、それぞれの著書に書いている。
 つまり、ここがポイントである。自分を追い込み、苦しくするための練習ではなく、自分を楽にするための工夫。より稼ぎを多くするための体の使い方の発見。そこから技と呼べる体の使い方、異能の人が生まれてくるのである。
 その発想の転換がない限り、努力をしても、質的な向上はなかなか期待できない。それは古来、名人と呼ばれた剣客が弟子を鍛え、秘伝の奥義を伝授しても、師を越える弟子はなかなか育たず、ついにはその流儀が形骸化していった日本の武術史が証明している。
 事情はファイターズの諸君にとっても同じこと。周囲から言われるがままの、受け身の反復練習だけではなかなか上達は望めない。自分自身の頭で考え、体で確かめながら、能動的に取り組むことで、初めて質的な向上が促されるのである。いつの時代にあっても、驚嘆の技は、創意と工夫から生まれる。
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