石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(29)団結と連帯、奉仕のための練達
前回のコラムでは「守備が試合を作る」と書いた。京大戦での守備陣の活躍ぶりを目の当たりにして、その素晴らしさに感銘を受けたからだ。しかし、当然のことながら、フットボールは守備だけではない。守備の活躍に呼応して攻撃陣、とくにラインの面々が踏ん張ったから28-0という勝利を収めることが出来たのである。そのことをしっかり書いておかなければ、不公平というものだろう。
ということで、今回はオフェンス、とくにラインの活躍を中心に書いてみたい。
注意深く観戦されていた方はお気づきになったと思うが、あの試合でQB斎藤君が相手守備陣にタックルされる場面は一度もなかった。パスターゲットを探しているうちに追いつかれそうになってパスを投げ出した場面はあったが、あの強力な守備陣を相手に、指1本触れられなかったのである。
プレーによっては、自ら走るだけでなくQBを守る役割も与えられたTEやRBの諸君を含めて、ラインの面々が最初から最後まで素晴らしい動きをしたことの、これは証明である。
友國、田渕、上沢、橋本、木村。春のシーズンでスタメンを張っていた5人全員が、秋のリーグ戦で初めてそろったことが一番の原因だろう。彼らは全員、昨年から大村コーチの指導で「朝練」と称する特別練習に励んできた選手である。毎日、授業の始まる前に、2班に分かれて互いに本気でぶつかり合い、体幹を鍛えてきた成果が、いまになって現れてきたといってもよい。
彼らはまた、大なり小なり、けがに泣き、一度はリハビリの苦しさを経験した選手ばかりである。時には監督から「どんくさい」といわれてきた選手たちが互いに団結し、連帯して、あの強力な京大守備陣から終始、QB斎藤を守りきったのである。そこはしっかり記録しておかなければならない。
タックルやインターセプトを決めれば、ただちに脚光を浴びる守備陣に比べて、攻撃のラインは地味である。失敗したときはすぐに目につくが、正常に機能しているときには、彼らの働きはよほど注意していなければ観戦者の目にとまらない。観客は、ついついボールの行方、ボールキャリアを追うことにかまけてしまうからだ。
うまくやって当たり前。相手守備陣に割り込まれ、QBを守りきれなかったときには、すぐにもっとしっかり守れ、と罵声が飛んでくる。毎回毎回、体を張ってプレーしているのに、めちゃくちゃ損な役回りである。オフェンスラインになったその瞬間から、チームのために、どこまでも自分を犠牲にし続ける任務を与えられている、文字通りの「縁の下の力持ち」である。
彼らの「自己犠牲」について、僕の授業に出席している2年生DLの濱拓麻君がこの前の授業で次のような小論文を書いてくれた。その日の課題は、関西学院の4代目院長、ベーツ先生が書かれた「マスタリー・フォオー・サービス」についての文章を読んで「あなたにとってマスタリー・フォー・サービスとは」と考えることだった。
彼はその課題文にある「自己犠牲」という言葉に注目し、こんなことを書いてくれた。本人の了解を得たので、さわりの部分を紹介する。
……アメリカンフットボールほど「自己犠牲」という言葉が当てはまるスポーツはない。普通に試合を見ていれば、ボールにばかり目のいく人がほとんどであろう。しかし、詳しく細かく見ていけば「自己犠牲」のシーンが毎プレーあることが分かる。オフェンスラインは、すべてのプレーがその言葉通りである。プレーのたびに激しい当たりを繰り返し、花形ポジションであるクオーターバックやランニングバックを守り、時にはランニングバックと一緒に走り続ける。まさに縁の下の力持ちのようなポジションである。(中略)
自己犠牲といえば、1軍の練習相手は務めるが試合には出ないメンバーにも、その言葉が当てはまる。それは1軍と2軍のようなものだが、2軍は1軍のために相手チームの動きをして、1軍メンバーに相手のプレーをイメージさせ、試合につなげるようにする。それはスカウトチームと呼ばれ、シーズンになると、2軍はこの練習の方が多い。
しかし、すべてが自己犠牲ではない。(中略)1軍との練習で頑張れば1軍に上がる可能性もある。チームのために貢献していれば、コーチの方は見てくれているし、1軍で活躍する可能性もある……。
フットボールにおける「縁の下の力持ち」の大切さを余すことなく書いている。そしてこの文章は、ベーツ院長の提唱された「マスタリー・フォー・サービス」の精神、つまり「自分の欲望を満足させるためではなく、社会に奉仕できる人間になりなさい」「そのために自らを強い人間に鍛えなさい」という主張のポイントをフットボールを例にして、しっかり書いているのである。
とりわけ僕は「フットボールにおける自己犠牲」を強調しながら、同時に彼が「チームに貢献していれば、コーチの方は見てくれている」と書いた点に感銘を受けた。そこに、選手と指導者の深い信頼関係、強い絆が表現されているからである。ファイターズというチームの奥の深さが表現されていたからである。
これは神戸女学院大学名誉教授の内田樹さんが『街場の憂国論』(晶文社)にも書かれているが、人間がぎりぎりまで努力するのは「自分のため」ではなく、「他の人のため」に働くときである。「俺がここで死んでも、困るのは俺だけだ」と思う人間と、「彼らのために、俺はこんなところで死ぬわけにはいかない」と思う人間では、ぎりぎりの場面での踏ん張り方がまるで違うのである。
そういう「仲間のため」「チームのため」にがんばれる人間が団結し、連帯すれば、怖いものは何もない。選手と指導者の強い絆、信頼関係があれば、無から有を生み出すことも可能になる。ベーツ院長の唱えた「奉仕のための練達」という言葉は、いまも私たちのチームの根っこを支えているのである。
団結と連帯を力に、信頼と絆を武器にして、関大、立命と続く困難な試合を存分に戦ってもらいたい。
ということで、今回はオフェンス、とくにラインの活躍を中心に書いてみたい。
注意深く観戦されていた方はお気づきになったと思うが、あの試合でQB斎藤君が相手守備陣にタックルされる場面は一度もなかった。パスターゲットを探しているうちに追いつかれそうになってパスを投げ出した場面はあったが、あの強力な守備陣を相手に、指1本触れられなかったのである。
プレーによっては、自ら走るだけでなくQBを守る役割も与えられたTEやRBの諸君を含めて、ラインの面々が最初から最後まで素晴らしい動きをしたことの、これは証明である。
友國、田渕、上沢、橋本、木村。春のシーズンでスタメンを張っていた5人全員が、秋のリーグ戦で初めてそろったことが一番の原因だろう。彼らは全員、昨年から大村コーチの指導で「朝練」と称する特別練習に励んできた選手である。毎日、授業の始まる前に、2班に分かれて互いに本気でぶつかり合い、体幹を鍛えてきた成果が、いまになって現れてきたといってもよい。
彼らはまた、大なり小なり、けがに泣き、一度はリハビリの苦しさを経験した選手ばかりである。時には監督から「どんくさい」といわれてきた選手たちが互いに団結し、連帯して、あの強力な京大守備陣から終始、QB斎藤を守りきったのである。そこはしっかり記録しておかなければならない。
タックルやインターセプトを決めれば、ただちに脚光を浴びる守備陣に比べて、攻撃のラインは地味である。失敗したときはすぐに目につくが、正常に機能しているときには、彼らの働きはよほど注意していなければ観戦者の目にとまらない。観客は、ついついボールの行方、ボールキャリアを追うことにかまけてしまうからだ。
うまくやって当たり前。相手守備陣に割り込まれ、QBを守りきれなかったときには、すぐにもっとしっかり守れ、と罵声が飛んでくる。毎回毎回、体を張ってプレーしているのに、めちゃくちゃ損な役回りである。オフェンスラインになったその瞬間から、チームのために、どこまでも自分を犠牲にし続ける任務を与えられている、文字通りの「縁の下の力持ち」である。
彼らの「自己犠牲」について、僕の授業に出席している2年生DLの濱拓麻君がこの前の授業で次のような小論文を書いてくれた。その日の課題は、関西学院の4代目院長、ベーツ先生が書かれた「マスタリー・フォオー・サービス」についての文章を読んで「あなたにとってマスタリー・フォー・サービスとは」と考えることだった。
彼はその課題文にある「自己犠牲」という言葉に注目し、こんなことを書いてくれた。本人の了解を得たので、さわりの部分を紹介する。
……アメリカンフットボールほど「自己犠牲」という言葉が当てはまるスポーツはない。普通に試合を見ていれば、ボールにばかり目のいく人がほとんどであろう。しかし、詳しく細かく見ていけば「自己犠牲」のシーンが毎プレーあることが分かる。オフェンスラインは、すべてのプレーがその言葉通りである。プレーのたびに激しい当たりを繰り返し、花形ポジションであるクオーターバックやランニングバックを守り、時にはランニングバックと一緒に走り続ける。まさに縁の下の力持ちのようなポジションである。(中略)
自己犠牲といえば、1軍の練習相手は務めるが試合には出ないメンバーにも、その言葉が当てはまる。それは1軍と2軍のようなものだが、2軍は1軍のために相手チームの動きをして、1軍メンバーに相手のプレーをイメージさせ、試合につなげるようにする。それはスカウトチームと呼ばれ、シーズンになると、2軍はこの練習の方が多い。
しかし、すべてが自己犠牲ではない。(中略)1軍との練習で頑張れば1軍に上がる可能性もある。チームのために貢献していれば、コーチの方は見てくれているし、1軍で活躍する可能性もある……。
フットボールにおける「縁の下の力持ち」の大切さを余すことなく書いている。そしてこの文章は、ベーツ院長の提唱された「マスタリー・フォー・サービス」の精神、つまり「自分の欲望を満足させるためではなく、社会に奉仕できる人間になりなさい」「そのために自らを強い人間に鍛えなさい」という主張のポイントをフットボールを例にして、しっかり書いているのである。
とりわけ僕は「フットボールにおける自己犠牲」を強調しながら、同時に彼が「チームに貢献していれば、コーチの方は見てくれている」と書いた点に感銘を受けた。そこに、選手と指導者の深い信頼関係、強い絆が表現されているからである。ファイターズというチームの奥の深さが表現されていたからである。
これは神戸女学院大学名誉教授の内田樹さんが『街場の憂国論』(晶文社)にも書かれているが、人間がぎりぎりまで努力するのは「自分のため」ではなく、「他の人のため」に働くときである。「俺がここで死んでも、困るのは俺だけだ」と思う人間と、「彼らのために、俺はこんなところで死ぬわけにはいかない」と思う人間では、ぎりぎりの場面での踏ん張り方がまるで違うのである。
そういう「仲間のため」「チームのため」にがんばれる人間が団結し、連帯すれば、怖いものは何もない。選手と指導者の強い絆、信頼関係があれば、無から有を生み出すことも可能になる。ベーツ院長の唱えた「奉仕のための練達」という言葉は、いまも私たちのチームの根っこを支えているのである。
団結と連帯を力に、信頼と絆を武器にして、関大、立命と続く困難な試合を存分に戦ってもらいたい。
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