石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(7)日大戦の収穫
駆け出しの新聞記者として、事件現場を走り回っていたころの話である。
締め切り時間ギリギリになって、どうしても掲載しなければならない事件や事故が起きることはよくあった。締め切りまで10分とか5分、ときには締め切り時間を過ぎているのに「勝負」を挑まなければならない事も再三だった。
そんなときは、当然のことながら、悠長に原稿を書いていられない。事件現場で見たこと聞いたことを、メモ帳を片手に原稿に仕上げながら電話か無線で送稿する。極端な場合、メモ帳が白紙でも、原稿にして送らなければならない。勝負は新聞に載るか載らないか。たとえ10行の記事でも、載れば勝ち。載らなければ負けである。その現実を前にしては、どんな言い訳も通用しない。
こういう場合に送稿する原稿を、社会部の記者は「勧進帳」と呼んでいた。あの弁慶が安宅の関で、白紙の巻物をさも立派な内容が書かれているように見せかけて読み上げた、歌舞伎の名場面にちなんだ命名である。
僕は緻密な原稿は苦手だったが、火事場のバカ力というか、事件現場での瞬発力はあったので、この手の修羅場になると、結構、力を発揮した。競争する各社の若手記者と「ヨーイ、どん」でスタートしたときに負けた覚えはない。勧進帳で送った原稿の方が、じっくり書いた原稿よりよく書けていると、不本意な褒められ方をしたことも少なくない。
前置きが長くなった。
実は先日の日大戦の試合の模様をメモしたノートを、西宮の自宅に忘れてきたのである。いまは紀州・田辺の仕事場でこのコラムを書いているが、肝心の試合の進行をメモしたノートがないので、かすかな記憶を頼りに、いわば白紙の「勧進帳」で、書き進めなければならないのである。週末に西宮に戻ってから書こうかとも考えたが、日大戦の報告を心待ちにされているファンも多い(だれも待ってない、ってか)と思うので、あえて書かせてもらう。記憶が間違っていたら「ごめんなさい」である。
両校が赤と青のジャージを着て対戦するのは関西では14年ぶりという。日大のレシーブで始まったこの試合、立ち上がりは全くの互角。日大はデカくて速くて強いラインの圧力を生かしてぐいぐい攻めてくるし、ファイターズはQB加藤の短いパスとRB河原の切れのよいランで活路を開く。
膠着状態のまま迎えた第1Q8分24秒。日大のミスにつけ込んで陣地を進めたファイターズが、加藤からWR萬代へ絶妙のスクリーンパスを決めてTD。まずは先手をとる。
しかし、ファイターズが主導権をとったのはここまで。後は日大の怒涛の攻めが続く。第2Qから第3Q前半までは、それでもDBの頼本や善元が急所でインターセプトを決め、なんとか得点を与えなかったが、ついに第3Q8分16秒にFG、11分16秒には相手QBにTDを決められ、逆転された。
攻めてはオフェンスラインが割られ、QBがパスを投げる余裕がない。守っては、体格に勝る相手OLの圧力を食い止められない。DLの平澤や村上の素早い動きと、副将古下を中心にしたLB陣の奮闘で追加点こそ許さなかったが、ファイターズにとってはつらい状況が続く。
それでも、後半から交代したQB浅海を中心に必死の反撃を続ける。WRの松原や柴田、和田らにピンポイントのパスを通し、何とか活路を開く。タイムアウトで時計を止めながら、我慢、我慢のプレーで陣地を進め、やっとフィールドゴールを狙える場所まで漕ぎ着ける。残り時間は1分13秒。せめてもう3ヤードから5ヤードは進めてほしいと思った場面で、浅海からRB稲村にハンドオフ。ここで稲村が相手守備陣を巧妙に交わして右オープンを駆け上がり、24ヤードのTD。逆転に成功した。
14-10。かろうじて勝負には勝った。けれども、ファーストダウンの数でも、獲得ヤードでも、ファイターズは日大に及ばなかった。現場で観戦していても、勝利を喜べるような雰囲気ではなかった。古いOBからは罵声が飛ぶし、試合後の鳥内監督の発言も、まるで敗軍の将の言葉だった。
記者団の質問に、監督は「相手はキャプテンも出してないし、エースQBも出してない。それでも押しまくられている。立命に勝ち、社会人に勝とうというなら、まずは戦えるパワーをつけなあきません。練習方法から見直します」と答えていた。完敗と認めるような発言だった。
けれども、そんな試合であっても、収穫はあった。前半の加藤、後半の浅海という二人のQBが必死に試合を作ってくれた事である。とくに相手がリードし、勢いに乗っていた後半を担った浅海がよく我慢した。失敗しても失敗してもパスを投げ、自ら走り、必死に攻撃権を繋いだ。相手の厳しい圧力を交わしながら、長いパスも何度か決めた。
3年生の時までは、ランプレー限定のQBと思われていた彼が、必死にパスを投げ続ける姿を見ながら、僕は「失敗してもよい。パスを投げ続けろ。この苦しみがきっと明日の糧になる」と声援を送っていた。
敗戦に近い勝利。監督はもちろん、古いOBの方々には、満足からはほど遠い試合内容だったと思う。けれども、どちらかと言えばあきらめの早い浅海が、苦しみに耐え、最後までキレることなく攻撃を支配したことが、この日の一番の収穫だったと僕は思っている。
締め切り時間ギリギリになって、どうしても掲載しなければならない事件や事故が起きることはよくあった。締め切りまで10分とか5分、ときには締め切り時間を過ぎているのに「勝負」を挑まなければならない事も再三だった。
そんなときは、当然のことながら、悠長に原稿を書いていられない。事件現場で見たこと聞いたことを、メモ帳を片手に原稿に仕上げながら電話か無線で送稿する。極端な場合、メモ帳が白紙でも、原稿にして送らなければならない。勝負は新聞に載るか載らないか。たとえ10行の記事でも、載れば勝ち。載らなければ負けである。その現実を前にしては、どんな言い訳も通用しない。
こういう場合に送稿する原稿を、社会部の記者は「勧進帳」と呼んでいた。あの弁慶が安宅の関で、白紙の巻物をさも立派な内容が書かれているように見せかけて読み上げた、歌舞伎の名場面にちなんだ命名である。
僕は緻密な原稿は苦手だったが、火事場のバカ力というか、事件現場での瞬発力はあったので、この手の修羅場になると、結構、力を発揮した。競争する各社の若手記者と「ヨーイ、どん」でスタートしたときに負けた覚えはない。勧進帳で送った原稿の方が、じっくり書いた原稿よりよく書けていると、不本意な褒められ方をしたことも少なくない。
前置きが長くなった。
実は先日の日大戦の試合の模様をメモしたノートを、西宮の自宅に忘れてきたのである。いまは紀州・田辺の仕事場でこのコラムを書いているが、肝心の試合の進行をメモしたノートがないので、かすかな記憶を頼りに、いわば白紙の「勧進帳」で、書き進めなければならないのである。週末に西宮に戻ってから書こうかとも考えたが、日大戦の報告を心待ちにされているファンも多い(だれも待ってない、ってか)と思うので、あえて書かせてもらう。記憶が間違っていたら「ごめんなさい」である。
両校が赤と青のジャージを着て対戦するのは関西では14年ぶりという。日大のレシーブで始まったこの試合、立ち上がりは全くの互角。日大はデカくて速くて強いラインの圧力を生かしてぐいぐい攻めてくるし、ファイターズはQB加藤の短いパスとRB河原の切れのよいランで活路を開く。
膠着状態のまま迎えた第1Q8分24秒。日大のミスにつけ込んで陣地を進めたファイターズが、加藤からWR萬代へ絶妙のスクリーンパスを決めてTD。まずは先手をとる。
しかし、ファイターズが主導権をとったのはここまで。後は日大の怒涛の攻めが続く。第2Qから第3Q前半までは、それでもDBの頼本や善元が急所でインターセプトを決め、なんとか得点を与えなかったが、ついに第3Q8分16秒にFG、11分16秒には相手QBにTDを決められ、逆転された。
攻めてはオフェンスラインが割られ、QBがパスを投げる余裕がない。守っては、体格に勝る相手OLの圧力を食い止められない。DLの平澤や村上の素早い動きと、副将古下を中心にしたLB陣の奮闘で追加点こそ許さなかったが、ファイターズにとってはつらい状況が続く。
それでも、後半から交代したQB浅海を中心に必死の反撃を続ける。WRの松原や柴田、和田らにピンポイントのパスを通し、何とか活路を開く。タイムアウトで時計を止めながら、我慢、我慢のプレーで陣地を進め、やっとフィールドゴールを狙える場所まで漕ぎ着ける。残り時間は1分13秒。せめてもう3ヤードから5ヤードは進めてほしいと思った場面で、浅海からRB稲村にハンドオフ。ここで稲村が相手守備陣を巧妙に交わして右オープンを駆け上がり、24ヤードのTD。逆転に成功した。
14-10。かろうじて勝負には勝った。けれども、ファーストダウンの数でも、獲得ヤードでも、ファイターズは日大に及ばなかった。現場で観戦していても、勝利を喜べるような雰囲気ではなかった。古いOBからは罵声が飛ぶし、試合後の鳥内監督の発言も、まるで敗軍の将の言葉だった。
記者団の質問に、監督は「相手はキャプテンも出してないし、エースQBも出してない。それでも押しまくられている。立命に勝ち、社会人に勝とうというなら、まずは戦えるパワーをつけなあきません。練習方法から見直します」と答えていた。完敗と認めるような発言だった。
けれども、そんな試合であっても、収穫はあった。前半の加藤、後半の浅海という二人のQBが必死に試合を作ってくれた事である。とくに相手がリードし、勢いに乗っていた後半を担った浅海がよく我慢した。失敗しても失敗してもパスを投げ、自ら走り、必死に攻撃権を繋いだ。相手の厳しい圧力を交わしながら、長いパスも何度か決めた。
3年生の時までは、ランプレー限定のQBと思われていた彼が、必死にパスを投げ続ける姿を見ながら、僕は「失敗してもよい。パスを投げ続けろ。この苦しみがきっと明日の糧になる」と声援を送っていた。
敗戦に近い勝利。監督はもちろん、古いOBの方々には、満足からはほど遠い試合内容だったと思う。けれども、どちらかと言えばあきらめの早い浅海が、苦しみに耐え、最後までキレることなく攻撃を支配したことが、この日の一番の収穫だったと僕は思っている。
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