石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(33)透明な空気
「攻守蹴、それぞれの歯車がかみ合い、互いにリスペクトしあって戦うことができたところに、本当に強い立命に勝てた理由があったと思っている」と前回のコラムに書いた。
今回は、そういうチームがどのようにして育まれてきたのかということについて、二つの場面を紹介しながら書いてみたい。
それは、立命戦の前日の練習が終わった時のことだった。
天下分け目の決戦を控えていたが、試合前日とあって、練習は普段の試合前と同様、プレーの確認だけをこなし、あっという間に終わった。
その後、全員がハドルを組み、主将の梶原君、副将の川端君と金本君、そして主務の鈴木君が決戦に臨む決意と注意事項を述べ、士気を鼓舞する。大村コーチをはじめ、居合わせたコーチも順次、短いけれども中身の充実した話をして、檄を飛ばす。
それが終わった後だった。4年生が全員、下級生に向き合う形で一列に整列した。そこであらためて主将と副将の3人が下級生に「感謝の言葉」を述べたのだ。それぞれ言葉は異なるが「この1年、厳しいことも言ってきたけど、よく支えてくれた。本当にありがとう」というような内容だった。中には感情が激して、言葉が続かない幹部がいた。涙で顔をくしゃくしゃにしながら話す幹部もいた。
聞いている下級生も、その言葉の重みを全身で受け止めていた。その場に流れる透明な空気。話す方も、聞く方も、同じグラウンドで励まし合い、鍛えあってきた歳月のことが頭の中を駆け巡っていたのだろう。苦しい練習に思わず罵声を飛ばしたことがあったかもしれない。思い通りにプレーできない歯がゆさに涙を流したこともあるだろう。下級生にとっては、そんな場面を4年生と共有できたことの喜びもあったに違いない。
明日、負ければ、そんな4年生とは、もう永久に一緒に試合に臨むことはできない、という現実も心にのしかかってきたはずだ。もし、自分が失敗したら、もし、1対1の戦いに敗れたらと思って、気が滅入りそうになった選手もいるだろう。4年生は全員、なにが何でも下級生を甲子園に、東京ドームに連れて行く、と士気を鼓舞したはずだし、下級生はこのメンバーでずっと試合をしたいと誓ったはずだ。
その濃密な時間が終わった後、今度は全員がそろってグラウンドの清掃にかかった。今度は4年生も1年生もない。一緒になって人工芝の上のゴミを拾い、側溝の中や階段、屋根下と呼んでいるテーピングや簡単なトレーニングのできる空間まで、きれいに片付ける。折からの紅葉シーズン。落ち葉があちこちに散っているが、それも1枚ずつ拾い上げ、ゴミ袋に収納する。
これは、試合前には必ず全員で取り組んでいるメニューだが、この日は全員が「最後の試合」を意識したのか、とりわけ入念な作業が続いた。
以上、二つの場面は、監督やコーチが強制したことではない。決戦を前に、選手が自発的に作り上げた情景である。自らの思いを確認するために、あるいは自分たちの「聖地」を清め、後顧の憂いをなくすために、代々の選手が受け継ぎ、少しずつ手を加えて内容を豊かにしてきた「感謝の表現」である。
そこには、極めて高い精神性がある。体育会という言葉から連想される汗臭い、肉体的な空気ではなく、歴代の先輩たちが連綿と引き継いできた高い倫理性の現出といってもよい。
4年生が自発的、自然発生的に、下級生に感謝の言葉を述べ、本心からありがとうといえるチーム。グラウンドに別れを告げることのつらさを清掃という行為で表現できる部員たち。そういう境地を選手もスタッフも、監督もコーチも共有できているからこそ、本当に強いライバルを相手に、一歩も譲らず、全身全霊を込めて戦うことができたのではないか。試合終了のカウントダウンまで、全員が集中力を切らせることなく戦えたのではないか。
そういう場面を見ながら、僕は昨年秋「アエラ」の関学ムック版に書いた一文を思い出していた。煩雑になるが、引用する。
「上ケ原のグラウンドには、人を人として成長させる磁気が流れている。それは常に勝つことへの意識を高め、その圧力に打ち克とうと努力を続ける学生と、それを支える監督やコーチが醸し出すものである。草創期のメンバーが無意識のうちに埋め込んだものであり、歴代のOBがライバルとの戦いの中で熟成してきたものでもある。自発性を重視し、献身に価値を置くチームとしてのたたずまいがもたらしたものといってもよいだろう」
「人はそれを称して伝統と呼ぶ。それがチームソングにある『勝利者の名を誇りに思い、その名に恥じないチームとしての品性を持て』という意味につながるのである」
この文章を絵に描いたような場面を目の当たりにして、僕は痛切に願った。どうしてもこのチームを終わらせたくない、明日からもずっと一緒に戦わせてやりたい、と。
願いは、4年生と下級生が一丸となってかなえてくれた。本当にうれしかった。
今回は、そういうチームがどのようにして育まれてきたのかということについて、二つの場面を紹介しながら書いてみたい。
それは、立命戦の前日の練習が終わった時のことだった。
天下分け目の決戦を控えていたが、試合前日とあって、練習は普段の試合前と同様、プレーの確認だけをこなし、あっという間に終わった。
その後、全員がハドルを組み、主将の梶原君、副将の川端君と金本君、そして主務の鈴木君が決戦に臨む決意と注意事項を述べ、士気を鼓舞する。大村コーチをはじめ、居合わせたコーチも順次、短いけれども中身の充実した話をして、檄を飛ばす。
それが終わった後だった。4年生が全員、下級生に向き合う形で一列に整列した。そこであらためて主将と副将の3人が下級生に「感謝の言葉」を述べたのだ。それぞれ言葉は異なるが「この1年、厳しいことも言ってきたけど、よく支えてくれた。本当にありがとう」というような内容だった。中には感情が激して、言葉が続かない幹部がいた。涙で顔をくしゃくしゃにしながら話す幹部もいた。
聞いている下級生も、その言葉の重みを全身で受け止めていた。その場に流れる透明な空気。話す方も、聞く方も、同じグラウンドで励まし合い、鍛えあってきた歳月のことが頭の中を駆け巡っていたのだろう。苦しい練習に思わず罵声を飛ばしたことがあったかもしれない。思い通りにプレーできない歯がゆさに涙を流したこともあるだろう。下級生にとっては、そんな場面を4年生と共有できたことの喜びもあったに違いない。
明日、負ければ、そんな4年生とは、もう永久に一緒に試合に臨むことはできない、という現実も心にのしかかってきたはずだ。もし、自分が失敗したら、もし、1対1の戦いに敗れたらと思って、気が滅入りそうになった選手もいるだろう。4年生は全員、なにが何でも下級生を甲子園に、東京ドームに連れて行く、と士気を鼓舞したはずだし、下級生はこのメンバーでずっと試合をしたいと誓ったはずだ。
その濃密な時間が終わった後、今度は全員がそろってグラウンドの清掃にかかった。今度は4年生も1年生もない。一緒になって人工芝の上のゴミを拾い、側溝の中や階段、屋根下と呼んでいるテーピングや簡単なトレーニングのできる空間まで、きれいに片付ける。折からの紅葉シーズン。落ち葉があちこちに散っているが、それも1枚ずつ拾い上げ、ゴミ袋に収納する。
これは、試合前には必ず全員で取り組んでいるメニューだが、この日は全員が「最後の試合」を意識したのか、とりわけ入念な作業が続いた。
以上、二つの場面は、監督やコーチが強制したことではない。決戦を前に、選手が自発的に作り上げた情景である。自らの思いを確認するために、あるいは自分たちの「聖地」を清め、後顧の憂いをなくすために、代々の選手が受け継ぎ、少しずつ手を加えて内容を豊かにしてきた「感謝の表現」である。
そこには、極めて高い精神性がある。体育会という言葉から連想される汗臭い、肉体的な空気ではなく、歴代の先輩たちが連綿と引き継いできた高い倫理性の現出といってもよい。
4年生が自発的、自然発生的に、下級生に感謝の言葉を述べ、本心からありがとうといえるチーム。グラウンドに別れを告げることのつらさを清掃という行為で表現できる部員たち。そういう境地を選手もスタッフも、監督もコーチも共有できているからこそ、本当に強いライバルを相手に、一歩も譲らず、全身全霊を込めて戦うことができたのではないか。試合終了のカウントダウンまで、全員が集中力を切らせることなく戦えたのではないか。
そういう場面を見ながら、僕は昨年秋「アエラ」の関学ムック版に書いた一文を思い出していた。煩雑になるが、引用する。
「上ケ原のグラウンドには、人を人として成長させる磁気が流れている。それは常に勝つことへの意識を高め、その圧力に打ち克とうと努力を続ける学生と、それを支える監督やコーチが醸し出すものである。草創期のメンバーが無意識のうちに埋め込んだものであり、歴代のOBがライバルとの戦いの中で熟成してきたものでもある。自発性を重視し、献身に価値を置くチームとしてのたたずまいがもたらしたものといってもよいだろう」
「人はそれを称して伝統と呼ぶ。それがチームソングにある『勝利者の名を誇りに思い、その名に恥じないチームとしての品性を持て』という意味につながるのである」
この文章を絵に描いたような場面を目の当たりにして、僕は痛切に願った。どうしてもこのチームを終わらせたくない、明日からもずっと一緒に戦わせてやりたい、と。
願いは、4年生と下級生が一丸となってかなえてくれた。本当にうれしかった。
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