川口仁「日本アメリカンフットボール史-フットボールとその時代-」

#32 彼らの生き方―第43回スーパー・ボウル 1

投稿日時:2009/03/03(火) 11:30rss

 歴史へはバック・ペダルで入っていかねばならない
 ポール・ヴァレリー

 1月、ライス・ボウルが終ってからNFLのプレー・オフを見ることに集中していた。スーパー・ボウルが終るまでの約一ヶ月間、仕事が立て込んだこともあり、ブログからしばらく離れていた。小学生が夏休みの終わりに絵日記をまとめて書くようにその間のこと、その後のことを綴った。「日々片々」、「スーパー・ボウルのこと」に、「フットボールの思い出」、「NFL前史からその繁栄の時を迎えるまでの略史」、を加えた。2ヶ月近くに渡りかなり長くなったので上記の4つの部分に分けて掲載の予定である。日々片々の今回は日記のかたちで書いた。スーパー・ボウルの翌日、2月3日から2月末までをカバーしている。加えて100年に一度と形容される世界同時不況、経済危機下にあるので、フットボールとは直接関係ない見聞も記した。この記事を書いていたときはどんな社会的背景であったかということを残しておくのも悪くないと思ったからである。

 今回のスーパー・ボウルを見ていてホメロスの『イーリアス』を連想した。試合後、ESPNの「スポーツ・センター」で解説のトレント・ディルファーが「スーパー・ボウル」を一言で表したらという質問に、
“EPIC”(叙事詩)と応えていた。同感である。

「日々片々」
2月3日~28日

2月28日(土)
 日本アメリカンフットボール協会主催の第1回コンベンションが開かれた。
 これまで日本のアメリカンフットボールの関係者が一同に会する機会はなかった。良い試みだと思う。「現状と未来」をテーマに安全性の確保などの講演があった。

 ジェリー・ライスの自伝が届いた。NFL博士のOさんのアドバイス通り、40ヤード・ダッシュの数値が載っていた。4.6秒。ライスによるとNFLのスカウトはワイド・レシーバーに4.3あるいは4.4秒を求めると書いてあった。※

 ※2月7日の項参照

2月27日(金)
 雨、これで今週はウィークデーの5日の内、4日間が雨になった。通勤で乗っていた電車が他の電車の車両故障による全線マヒの影響を受け、のろのろ運転になり大幅に遅れた。事情を告げる車内アナウンスがあった。車掌さんが「気分の悪い方はおられませんか」と問いかけ、席の譲り合いをお願いしますと付け加えた。酸素が減り淀みかけていた車内に新鮮な空気が流れ込んだような気分になった。梅田駅へ着いたあと延着証明を配っている駅員の方に聞いたらマニュアルにない機転だと分かった。阪急電車、豊中駅を8時36分に発車した普通電車でのできごとである。

 フットボールでもアサイメントの部分の次のフェイズ、個人の判断に委ねられる段階に入ったとき、個々がどう動けるかがそのチームの強さを計る尺度のひとつになる。このマニュアル化されない自己判断に委ねられる領域はセンスあるいは教養と呼ばれるものでカバーするしかない。

 会社を立ち上げ書籍販売のみを行っていた頃のAmazon。ある老教授が何十ヶ所もある講演先に自著を届けてもてもらおうと思い、パソコンで入力しようとしたがうまく行かない。困って電話をした。出てきたAmazonの社員はサービス・マニュアルにはなかったが、教授にFAXを送ってもらい、彼あるいは彼女が自分で入力処理を行った。教授はこの親切なサービスを講演の行く先々で話したということである。

2月26日(木)
 アメリカ金融機関の資本査定が始まる。追加融資が4兆ドル必要という予測もある。住宅関連の不良債権が5兆ドルほどと見積もられているのでそうかもしれない。いずれにしても現在用意されている8000億ドルでは足りそうもない。あと一息で日本の年間GDPに迫るような金額だ。アメリカはサブプライム・ローンでこうむった損失を公的資金という自己資金で補填せざるを得ない。古代ギリシアなどにあった象徴、自分のシッポを飲み込む蛇、ウロボロスの図を思わせる。バブルというとよく引き合いに出されるのは17世紀、オランダのチューリップ・バブルである。これが世界初のバブルとされている。チューリップの球根が投機熱の対象となり、1個が家1軒と同額で取引されるまでに高騰し、ある日突然なんの前触れもなくこのバブルは、はじけてしまった。1602年、オランダに東インド会社という世界で最初の株式会社が設立されてから35年後の1637年のできごとである。アメリカはイギリスからの独立を果たしたころから何度も土地バブルを繰り返している。1929年の大恐慌も1925年に発生したフロリダでの土地バブルを精算できないままに迎えた大破局だった。フロリダでは人も住めない沼沢地までが投機の対象となり、人々は一攫千金を夢見て土地を見ることもなく買い込んだ。大恐慌後ニューディール政策などが実施されたが真の復活をはたさず、結果として第2次世界大戦によって精算せざるを得なかったのではないだろうか。何かを30%の人が行なうと、群集心理はみんながしていると勘違いを起こさせるらしい。大恐慌の時の失業率はピークの1933年に25%だった。日本における携帯電話の普及も30%に達してから雪崩現象が起こった。

 以前仕事を一緒にしていた関連会社の人が転職し、一段落したのでと連絡して来て、昼でもということになった。この人とは仕事の相性がよく企画の決定率が70%以上の高率だった。広告の仕事は作家・村松友視さんがつとに言ったようにラクダが針の穴を抜けるような確率だ。それは広告が独立変数ではないことに起因している。したがって非常な高打率といえた。それはこの人の予見力によるところが大きかった。思慮深い判断力が高い確立をもたらしたと思う。ともに仕事をする機会はなくなったが戦友としての気分が残った。

 ウィル・スミスの『7つの贈り物』を観る。ウィル・スミスのように地歩を築いていると脚本を選べるだろうし、自分でテーマを見つけると思う。このところどんどん思索を深化させているようだ。『贈り物』となっている部分は原題では“pounds”となっている。辞書を引いても適切な訳がみつからない。普段バイブルに親しんでおられるクリスチャンの方には自明のことかも知れない。
 映画は俳優、あるいは監督によって観ている。クリント・イーストウッド、ロバート・デ・ニーロ、トム・ハンクス、ダニエル・デイ=ルイス、メリル・ストリープ、ロバート・アルトマン、ジャン・ジャック・アノー、スティーヴン・ソダーバーグのものは事前に映画評を見ず、先入観なしに映画館に足を運ぶようにしている。もちろんウィル・スミスも。ロバート・アルトマンはすでに他界したので足を運んでいたというべきかもしれない。

2月25日(水)
 早朝、築地市場に行く。ほとんどのところが休みだった。第何水曜かが休みだということを忘れていた。料理店が火を休めるということで火曜日を休みにしているのにならい、水に縁のある築地は水曜日が休みなのだろうか。どちらが先かは分からない。

 このところ雨が降っても傘を使わずにすんでいたが今回の出張は3日間とも傘を使うことになった。まとめて精算という感じである。

 今、amazon.comとco.jp関連の本を読んでいる。アメリカ、日本、それぞれ立ち上げ時期に勤務していた人の書いたインナー・ストーリーである。本の執筆者は日本はシステム・エンジニア、アメリカはブック・レビューの編集者である。それぞれに書くべき理由があり興味深かった。日米とも本を書いた二人は二年ほどで退職している。Amazonは注目されているビジネス・モデルなので出版社も売れると踏んでの依頼であったようだ。日本の場合は進出を決めてからわずか1年足らずで稼働し始めている。アメリカ、ヨーロッパでビジネス・モデルが構築されていたとはいえ言語の問題やコンピュータの国間調整など課題は多かったにもかかわらず大変に迅速だ。
 Amazonにリコメンデイションという機能がある。同じものを買った他の人があわせて買ったものが推奨される。わずか0.5秒で対応する。それ以上レスポンスのタイミングが遅れると注意を引かないという心理学的な計算から時間が設定されていると言われている。この速さは従来あった3つのフィルタリングでは実現できないため第4のアルゴリズムを考えたそうだ。

 帰りの新幹線に乗り遅れそうになった。「RONSPO、論スポ」という雑誌にのめり込んでいて発車時間になっていた。「発車します」というアナウンスが突然耳に入りあわてて飛び乗った。活字の世界に沈潜していて乗り過ごしたことがある。これは幸い通勤の普通電車だったので2駅引き返すだけで助かった。新幹線だと少しまずい。編集長はサンケイ・スポーツにおられた本郷陽一さんである。関西勤務をされていたときからの知りあいだ。歯に衣を着せないするどい切込みをされるので話をしていて爽快感がある。昼をご一緒して情報交換をしたときに雑誌をいただいた。いわずもがなだが雑誌のタイトルは「論じるスポーツ」をからきている。

2月24日(火)
 オバマ大統領政権を見ているとフットボールのチームのようだ。国民がオーナーで、ヘッドコーチはオバマ。サマーズ国家経済会議委員長はディフェンス・コーディネータ、サマーズが招いたハーバードのジェレミー・ステインはディフェンス・コーチ。ステインは不良債権処理が専門だそうだ。
 アメリカの経済学者は政治参加し実践の場で理論を試される。プラグマティズムによって机上の空論に陥る弊害を避けるチャンスがある。

2月23日(月)
 出張で新大阪に行くために乗り換えた駅の売店で写真の光景を目にした。

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 写真手前、ある新聞が山積になっている。他の新聞は写真右手の女性の足もとのラックにタテ差しになっている。しばらく見ていたら、この新聞はマクドナルドの昼時の店頭光景のように次々と売れていく。店の人が10部くらい売れるとそのたびにワンコ蕎麦のように補充する。5秒くらいに1部として3600秒÷5、1時間に約700部強、通勤時間帯のコアを7時から9時までとし、ピーク時以外のペース・ダウンを考慮しても1000部は行くのではと思う。

 ドル/円のドル高傾向と金価格の急騰がここ最近の傾向である。高速道路の大幅割引、定額給付金、国札発行案など弥縫策論議で時間がいたずらに過ぎてゆく。日本はサブプライムの影響が当初は軽微だとみられていたので円高で推移した。しかし本来の政策不在という政治的リスクが明らかになるにつれて日本からお金が離れて行く。

 『おくりびと』、『つみきのいえ』とアカデミー賞受賞の2作品はいずれもひらがなタイトル。昨年のノーベル賞も複数受賞だった。同じ葬儀業を扱った『ラブド・ワン』という映画を高校生のころ見た。イギリスの皮肉屋小説家イヴリン・ウォーの原作で今回の『おくりびと』と同業の遺体化粧師が出てくる。もとの言葉はcosmeticianだった。小説の翻訳本はまだ当時、日本語にそれに相当する言葉がないため「コズメティシャン」と書いてあったようにも思うが記憶が定かではない。ウォーが書いたものなので処置に困った遺体を葬儀用のロケットに乗せ宇宙空間に飛ばしてしまうというブラック・ユーモアで締めくくっていた。葬儀用のロケットというのはより星に近いところに行きたいという願いをかなえるためのお金持ち向けの葬儀メニューだったと思う。
 『おくりびと』を劇場公開している松竹の株が15%アップしたと言っている人がいた。本屋では原作本が山積みになるだろう。

2月22日(日)
 多くの企業が業績不振の中、マクドナルドは健闘中だ。日本マクドナルドでは店頭での受け渡しで1秒違うと全国で売り上げに8億円の振れが生ずるという。かなり以前だがマック・チャオという中華メニューがあった。たいへん好評でこの商品は売り上げを伸ばしたが半年で発売中止になった。理由は調理に時間がかかるため時間当たりの売上高が低下するため、とのことだった。こうした商品は作業の流れを遅くし全体としての売上げの足をひっぱるという考え方に基づいている。マックではまさに時は金なりを実践している。

 楽天も「巣ごもり現象」のおかげで出店社が増え増収増益になった。巣ごもり現象、という言葉は10年後には注釈がないと分からなくなっているかも知れない。eコマースを楽天が開業したときすでに大型資本が先行してビジネスを行なっていた。大資本はシステムを外注しキメ細やかさにかけていたためやがて撤退した。楽天はシステムを内製することによって網目を小さくしユーザーの求めているものをすくい上げることができた。創業者の三木谷浩史は相棒に1週間特訓のコンピュータの家庭教師をつけ自らの手でシステム構築をしたという。

 お金の時代が長く続いている。アリストテレスは『政治学』の中でお金がお金を生む、利子という考え方は自然に反するとした。歴史的にみれば非アリストテレス世界が長く続いている。お金は人の欲望と比例して見かけの流通量が増える。お金はもともと他の人に何かをしてもらうという機能が大きい。その量が減ってきた今は人間本来の自分でするというところに戻って行くのが摂理だと思う。

2月21日(土)
 フットボールはオフだが日本の大学チームの新年度への体制移行、カレッジのリクルート、NFLのコンバインなど、すでに来シーズンに向けて動き出している。NFLのスカウティング・コンバインでのオフェンス・ラインのベンチ・プレスの結果が出ていた。225ポンド、約102キロを39回こなしたテキサス・テックのルイス・バスケスというプレーヤーが一番だった。この数値がどれほどのパワーかイメージがわかないが、日本の例ではOL出身のサラリーマンが無理難題をいう上司のデスクを頭上まで持ち上げてみせ、肝をつぶさせたという。結果、彼は転勤になった。

 フットボールがオフの時は、ふだん時間がなく見られないスポーツを見る。
 千葉国際クロスカントリーが録画放送されていた。長距離はマラソンもそうだが単調に見えてドラマがあり、あきることがない。ジュニアは大学生も走るが男女とも高校生が優勝した。男子は村沢明伸、女子は柴田千歳。村沢は3年生で2連覇、2年生で優勝し今年はその記録を1分以上縮め、外国人選手の記録も含め歴代1位だった。柴田も2年生。フィギュア・スケートは従来から若い力が活躍しているがロードでもその傾向があるようだ。

 午後のニュースで国有化のうわさのため、シティの株価が値下がりして1ドル台になったと報じていた。昨年より通算で44%の下落。同様にバンカメも3.79ドルになったという。自動車のビッグ3も凋落しアメリカの基幹だった企業の落日がさら進んだ。規模縮小、国有化のアナウンスメントをしながらソフト・ランディングのタイミングをさぐっているようだ。昨年9月、アメリカ商務省のディレクターが来日してから数日してリーマンが破綻した。今回のクリントン国務長官のミッションのひとつにそうした事前通告が含まれていた可能性がある。それは今後明らかになるだろう。

 叔父の通夜に行く。日本人男子の平均寿命を少し越したところで亡くなった。
 今年の正月は自分でドライブにいくほど元気だったが、その後体調を崩し自力で入院し、まわりに手を煩わせず短い期間で逝った。立教大学が昭和20年代甲子園ボウルで2連勝した時のQB、野村正憲さんにインタビューしたとき、叔父と同じ会社に勤めておられたことが分かった。野村さんにそれを伝えたら野村さんも叔父を知っていた。
 叔父は神戸っ子らしい洒脱な人で、趣味で演劇をしていた時期があった。一人芝居を演ずるのを宝塚の近くの小劇場で観た記憶がある。演目は「蚤の王様」だった、と思う。

2月17日(火)
 昨日、証券市場が開く直前の8:50に内閣府が第3四半期のGDPが年換算でマイナス12.7%と発表したが、日経平均はすでに織り込み済みだったのか小さな下げにとどまった。
 ある会議のあとで、この四半期の数字をなぜ年率換算するのかを話題にした人がいた。その人は新聞各紙一面トップに大きく白抜きのゴチックで書かれた数字を見て年換算を、通年の数字だと思い社内の当該部署に質問したが答えられる人間がおらず、最後は元証券会社出身者に質問が行ったそうだ。

2月16日(月)
 早朝、箕面は雪だったらしい。家を出てから通勤の途上どこにも雪や雨の気配はなかった。会社の玄関に傘をもっている人がいるので不思議に思って聞いた。「雪」ということばが出てきて驚いた。昨日は26℃あった。北攝はやり寒いようだ。落語の『池田の猪買い』の小雪が舞い散る情景が浮かんだ。

 スーパー・ボウルを日本で最初にテレビ放送したのはいつか、ということを調べている。局は現在のテレビ朝日。プロ・フットボール、スーパー・ボウルを放送していた1970年代の中盤はNETテレビという名称だった。英語の略称はNETからANBを経て現在のEXとなった。
 放送の予告を見つけるために、記憶を手がかりに『タッチダウン』のバックナンバーを繰っていて思わぬ記事を見つけた。日本で最初にフットボールを紹介した岡部平太に指導を受けた牧野正巳という人の写真と手記が載っていた。牧野氏は日本初のタッチ・ダウン・パスを受けたということである。1920年、岡部はアメリカ留学から帰国後、母校の東京高等師範学校にしばらくおり、附属中学の生徒たちにフットボールの手ほどきをした。牧野氏はその附属の生徒の一人だった。この生徒たちの中には後に東京都知事となる美濃部亮吉もいた。
 アメリカ初のフットボールのゲームは1869年とされている※。しかし、1861年ボストンの高校生たちはOneida Football Club をという組織を結成し対外試合を行なっていた。この活動は1860年代中葉まで続いた。NFLはそれからおよそ70年後、現存していた当時の高校生を招きその功績を顕彰した。
 ※#1 アメリカン・スポーツの誕生 参照

2月15日(日)
 テレビでダヴォス会議の特集を見る。期待したものと違っていた。そのあとシンガポールの特集。リー・クァン・ユー、その息子という卓越した指導者の下に、日本以上の超資源小国が世界の中で異彩を放っている。しかしGDPはマイナスになる見通しだ。国内外とも経済状況は羅針盤なき航海のようだ。

2月14日(土)
 真夜中に目が覚める。暖かいので温度計を見ると火の気のない部屋が17℃だった。おかしいな、と思いつつストーブについている温度表示も確かめたがほぼ同様だった。外は風雨の音が高く荒れ模様である。目が覚めてしまったので増田明美『カゼヲキル』の最終巻、第3巻の続きを読み始める。仕事でかかわった世界陸上のヘルシンキ大会、大阪大会のことが出てきて、いろいろなことを思い出した。大阪大会ももう一昨年となり、はや今年はベルリンだ。
 2007年8月28日夜。世界陸上大阪、大会4日目。
 会場での仕事を切り上げ、午後10時過ぎに会社へ帰る途中、JR鶴ケ丘駅のプラットフォームで電車待ちをしていた。ひどく不安そうな中年のアフリカ系女性がボランティアらしい人に何か言っているが話がうまく伝わっていない様子だった。一緒に来た仲間と駅ではぐれホテルに帰れなくなったようだ。パニックになりホテルの名前も思い出せない。聞いてみるとアメリカ選手のお母さんだった。選手をはじめ関係者の宿泊しているホテルは把握しているので彼女が泊まっているのはホテル阪神であることが分かった。会社の近くである。お送りします、と伝えた。天王寺まで出て環状線に乗り換える。パニック状態がおさまらず、どこかにかどわかされるのではないかという恐怖に近いものにとらわれているようである。私の背丈とほぼ同じくらいの彼女の横のサイズは優に1.5倍はありそうでとてもたくましいのだがパニックは理屈ではない。首から下げたオフィシャルのIDカードを見せてもまだ疑っている。彼女が長居陸上競技場へ行ったコースではないようで、見覚えのない窓外の夜景を何度も見直している。しかたがないので車中あたりさわりのないことを質問して安心させようとした。そのうち娘さんの名前が分かった。「ミッシェル・ペリー」。記憶になかった。これは後で知らなかったことを一人で恥じることになる。ようやく福島駅についた。ホテルの外観を見ても自分のホテルかどうかもおぼつかない様子なのでのロビーまで送って行った。やっとひとごこちがついたようである。間違いないのを確かめ「グッド・ナイト」と告げたが、まだ不安でこわばっていて「サンキュー」という余裕もないようだった。手を振って別れる。会社にもどりプログラムで確かめたら100メートル・ハードルの有力選手で前回大会のヘルシンキで金メダルを獲得していた。翌日が決勝だった。
 29日午後9時、女子100メートル・ハードル決勝。ちょうど空き時間があったのでゴールのあたりに席を取った。カメラの望遠でスタート・ラインのペリーさんを確認する。スタートの号砲が鳴り連写で追いかける。トップを走っているが何人かと競り合っている。

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 もつれあってゴールに飛び込んできた。カメラのシャター・スピードが追いつかず結果が分からない。しばらくして電光掲示板で彼女が優勝したことが分かった。ウイニング・ランをする彼女の視線を追ってお母さんを捜した。

 『カゼヲキル』はピッチが正確な走りのように歯切れの良い文章なので、一気に読み終えた。競技者経験者が書いたものなので外から見ていては分からない競技中の心理や練習の方法、バックヤードの様子などが分った。時計を見たら午前3時20分だったのでもう一度寝なおす。

2月12日(木)
早朝、昨年末、『日本アメリカンフットボール史』のためにインタビューさせていただいた鈴木智之さん※の項のキーワードがふと思い浮かんだ。今日は息子さんと会う予定だったので不思議な偶然である。
 ※鈴木氏については、#6「ダック」のセカンド・ネームは、を参照

 発表が一日伸ばしになっていたアメリカの金融安定化政策が明らかになった。具体性を欠いていたことと当初予算より数字が削減されたため、一昨日のニューヨーク・ダウは400ドル近く下げた。日本が祝日だった昨日の間に少し持ち直したため日経平均は予想したほどには下がらなかった。

 せがれと飲む。テーマはせがれが最近開発した半径30メーターの円をコンパスを使わず最も廉価、短時間で描く方法とアメリカの話。金融安定化政策やイラク撤退のことなど緊急課題についてオバマ大統領は即断が下せないらしい。ブレーンから難問に対する複数の解決法の選択をもとめられると、逡巡し後回しにするとのこと。大統領選演説の明快さとのギャップが大きいと指摘されはじめている。大統領は最初の3ヶ月が最もプレスティジがあるのでその間に足場固めをする必要があるという。
 初めて行ったバーのバーテンさんがいわくありげな雰囲気で気になった。店を出てから話したら、せがれも同じことを感じていたらしい。
 
2月11日(水)
 昼過ぎに友人とフラグ・フットボールおよびフットボールのプロパティのことについて意見交換。フラグが2011年から文部科学省の学習指導要領に復活する。このチャンスをいかに活かすか。最後に文部省の指導要領からタッチフットボールがなくなったのは1958年(昭和33年)だったのでフットボール関係の競技の復活は半世紀ぶりになる。

 『チェ 39歳 別れの手紙』の最終回を見に行く。インターネットで座席予約と支払いができるので並ばなくてよい。若い人のこの2部作への評価はネット上では低いことを『チェ 28歳の革命』を見た後、知人から聞いていた。評価ポイントが高かったのは「レッド・クリフ」とのこと。

2月10日(火)
 昭和20年代から30年代にかけてのフットボールの歴史を卒業論文のテーマにした学生さんが卒論の提出が無事できたので、とコピーを持って会社までやってきてくださった。昨年の9月のはじめに『関西アメリカンフットボール史』の奥付にあるアドレスにメールが届き協力の依頼があった。すでにかなりの資料を持っていたのでそれを渡したり、そのテーマで取材を予定していた方のスケジュールを繰り上げていただいたり、とできる限りのお手伝いをした。それから半年近くかけて卒論が完成した。他にも12月のはじめに新聞社の方から別の学生さんが北陸のアメリカンフットボールの歴史を卒論のテーマにしているので連絡があれば相談にのってあげてください、という話もあった。日本におけるフットボールの歴史を卒論のテーマにする人がそろそろ出てきたのかも知れない。知っている限りではかなり以前に筑波大学で卒論のテーマに取り上げられたことがあるがその後は耳にしていなかった。

 日本大学OBの須山さん※から宅急便でお返ししたスクラップ・ブックが届いたとの電話をいただく。貴重な資料をしばらくお借りしていた。いつも丁寧な方である。日大の他のOBの方の何人かが資料を丁寧に保存されているという。フェニックスとファイターズはこの点でも似ている。
 ※須山さんについては#21~25 科学的武士道―日本大学のフットボール参照

2月9日(月)
早朝に寒いので目が覚めた。室温は6度である。この冬で一番寒いかも知れない。ヒゲ剃りはカミソリ派なので極寒になるとヒゲは同じ太さの銅線よりも堅いということを実感する。ヒゲソリのジレットは確かNFLの古くからのスポンサーである。
 オバマ大統領の金融安定化政策の発表が1日延びる。ガイトナー財務長官はオバマにしっかりしろと言われた、と言うことだ。財務長官就任前に脱税が発覚したりと大統領も多難だ。辞退が重なって商務長官はまだ決まっていない。就任すれば即、渦中の人となる商務長官を現在のような時期に引き受けるのはよほどの勇気と体力がいる。

 『チェ 28歳の革命』を見る。
監督のスティーヴン・ソーダバーグは失敗作はあっても愚作は作らないフランソワー・トリュフォやアルフレッド・ヒッチコックの系譜だ。映画への愛情の深さがそういう結果をもたらしている。

 Oさんのアドバイスに従って、ジェリー・ライスの自伝を発注する。

2月7日(土)
 スーパー・ボウルでカージナルスのレシーバー、ラリー・フィッツジェラルドはたいへん脚が速く見えた。40ヤード走の記録を検索したら4.6秒だった。NFL博士のOさんに確認したら4.5秒だそうだ。NFLのバックスの標準からいえばフィッツジェラルドは俊足というほどではない。ディオン・サンダースは4.2秒だった。しかし4.1秒台の記録は聞いたことがない。NFLに挑戦していた頃の山田晋三さんが言ったように4.1秒台の記録を出せば日本人も文句なくNFL入りができるだろう。
 ジェリー・ライスはNFLの歴史に残る名レシーバーだったが脚がそれ程速くないことはよく知られていた。Wikipedia によれば4.71秒、reportedly という表現になっていたのでこれもOさんにライスの記録を確認した。ライスの方はさすがのOさんでも分からなかった。少なくともNFLに入る前に新聞か雑誌にドラフト候補のデータ記録が載るのでそれが残っているのではと思ったのだが。Oさんはライスをスカウトした49ersのヘッド・コーチ、ビル・ウォルッシュが書いた本にも数字はなかったと教えてくれ、ライスの自伝ででも確かめるしか方法はないかも知れませんね、と言った。バックスに必要なスピードはいろいろな場面、走るべき距離で異なること、判断のスピード、過去のプレーの記憶も大切な要素であることで意見が一致する。

2月5日(木)
 デジタル・メモが宅急便で届いていた。この原稿もためしにそれで書いている。デジタル・メモはテキスト・データのみを作る単機能のツールである。パソコンからワード機能だけ取り出したようなものである。5万円以下のパソコンが出たとき買おうかと思い家電量販店へ商品を見に行った。聞くとワードやエクセルはオプションだという。それを加えると合計価格がノート・パソコンと変わらないのでやめる。ブラック・ベリーのようなスマート・フォンは価格が幾分下がるが、プラス通信費がかかるので割安ではない。移動中に乗り物の中でものを書きたいと思っていてノート・パソコンでやってみたがいかにも重い。1kgを超えると持ち運びには適さないように思う。従ってこれまでは携帯でメールを書いてそれをパソコンへ送信していた。中高生の女の子には携帯でパソコンより早く文字が打てる子がいるらしい。こちらは早く打てないので携帯ではまどろっこしくなる。今回のデジタル・メモはパソコンとほぼ同じキーボードを持ち、重さは単4のバッテリー2本を含め350gなので必要な要求を満たしている。かつ上着のポケットに楽々おさまる。
 流通で変化が起きている、と思う。このデジタル・メモは去年の11月に発売された。すぐに人気が出て商品を知った12月の始めにはすでに品切れになっていた。ネット通販では入荷は来春のことになると書いてあった。おととい本を買うためAmazonを見ていたらこの商品も扱っていることが分かった。価格は32%引きである。検索してみたらこれが最低価格だったので注文した。家電量販店は入荷待ちで15%ほどの値引きだった。Amazonはドロップ・シッピングうまく活用しているようだ。リアル店舗維持のためのコスト負担がなく、膨大な販売実績データを持つAmazonには有利な仕組みだ。数年前に社長のジェフ・ベゾズ自身が来日して、本にプラス、スポーツ用品を扱うという記者発表をしていた。気づかぬうちに電気製品から機能性食品に渡る11カテゴリーにまで範囲を広げていた。

2月4日(水)
Gaoraのスーパー・ボウルを見る。零時から放送が始まって2時頃まで頑張って見たが、その後途中何度が寝てしまっていた。気づいたら第4Qである。ゲーム・オーバーのあと、しばらく仮眠してから会社に出る。
 今年はルールはお任せ、浜田さんの実況、村田さんはディフェンス優位のスティーラーズ担当の解説、オフェンスに勝機を見つけるべきカーディナルス担当は有馬さん、スーパーを担当するのにふさわしい三人である。浜田さんは2年ほど前から実況することの打診を受けていたそうである。今季、レギューラー・シーズン・ゲームで実況を受け持っていたのはこの布石だった。Gaoraのディレクターは工夫の人のようだ。村田さんは雑誌、地元紙、その他のデータに目を通し豊富な情報量と鋭い分析力で聞くものをあきさせない。
 有馬さんは2年前のスーパー・ボウルの際、ゲーム終了のあと総括の意見を求められたとき、あまりにもすばらしいコメントだったので感心したことを覚えている。同席の解説の村田さん、河口さんも感心してうなっていた。ただ残念ながらあまりにも感心しすぎてその内容を覚えていない。笑いすぎて途中でなぜ笑っていたか分からなくなるのに似ている。

 今回の有馬語録。記憶で書いているので内容的にはあっているかも知れないが言葉通りではないと思う。

 ゲーム開始直後、負傷しているエース・レシーバー、ハインツ・ウォードに早めのパスが通ったとき。
 「ケガをしている選手にまずパスを投げ、相手に意識させてそのあとは使わない」
 このゲーム、ウォードのケガのレベルを考慮すると、デコイとして使うことは最良の策だったと思う。

 「カージナルスはいろいろなオフェンスを繰り出し、ピッツのディフェンスの引き出しを空っぽにしてから、後半を迎えたい」

 前半残り1分を切り、カージナルスが逆転へのドライブを続け敵陣ゴール前まで迫った。ワーナーがエンド・ゾーン左に投げた逆転となるパスをピッツバーグ、ハリスンがゴール・ライン上でインターセプトし100ヤードのリターン・タッチダウン。
 「残り18秒だったので15秒をかけて走った。ハリスンにはあとはオフェンスに任せ、サイド・ラインを出る気持ちはなかったのかな」

 4Qにフィッツジェラルドが逆転のタッチダウン・パスをキャッチして。
 「パスがキャッチできた理由が分からない」
 これは確かに大変にむつかしいスーパー・キャッチだった。

 そのあとアントニオ・ホームズに再逆転のTDパスを投げたロスリスバーガーのプレーを見て。
 「投げる技術もすごいが、投げようと思うことがさらにすごい」

2月3日(火)
ケーブル・テレビのタイム・テーブルには Gaoraのスーパー・ボウルは3日午後6時から10時に放送となっていた。今日は少し帰るのが遅くなるのでタイマー録画をした。帰宅して再生を始めたらカージナルスとイーグルスが「スーパー・ボウル」を戦っていた。しばらくするとテロップが流れ、予定変更になり、NFCのチャンピオンシップの再放送を行っていると遠慮がちに告げている。Gaora での最初の放送は日が持ち越され4日の深夜零時から4時までになった。
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