石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」

(29)17-7

投稿日時:2008/12/01(月) 22:29rss

 昨日の午後からずっと、時間が停止したような感覚である。
 もちろん、ファイターズが敗れたからといって、地球の自転が止まるわけでも、世の中の動きがストップするわけでもない。嘆いていても腹も減るし、眠くもなる。日常の時間は刻々と進み、仕事も粛々とこなしている。今日は月曜。とりわけ仕事量が多かったから、目の前の仕事を順番に片づけていくだけで、早々に時間は過ぎていった。
 けれども、気持ちの中の時間は止まったままだ。17-7。ユニバースタジアムの掲示板に刻まれたこの数字をどう受け止めてよいのか、いまだに気持ちの整理がつかない。
 「負けに不思議の負けなし」とは、プロ野球楽天イーグルスを率いる野村監督の言葉である。ついその言葉に共感しそうになるが、いや、勝つチャンスはあった、そのチャンスをつかみきれなかっただけだ、という負け惜しみに近い感情も払拭しきれない。あの「タッチダウンパスが通っていたら」という、死んだ子の年を数えるような気持ちを抑えるのにもに苦労する。
 けれども、17-7。この数字は受け止めるしかない。いまさら消しゴムや修正液で消せるものでもない。敗北を受け止め、それを抱きしめ、再び立ち上がるエネルギーにするしかないのである。
 考えてみれば、一昨年5月、このコラムが始まって以来、立命に敗れるのは初めてのことだ。2年半、好き放題なことを書かせてもらってきたが、関西リーグで敗れるという悔しい場面には一度も遭遇せずに、ただただファイターズがんばれ!と書いていればよかったのだから、思い起こせば気が楽だった。
 試合終了後、サイドラインに整列した選手の中で、敗戦の責任を一人で背負ったようにうなだれたままの選手のことも、泣きながら後かたづけをするトレーナーやマネジャーのことも、書かずにすんだ。崩れ落ちるように芝生に座り、コーチに抱きかかえられて泣く4年生の姿も、相手チームの胴上げをにらみつけるように見続けている3年生の悔しい胸の内も、書く必要がなかった。
 この2年間、強敵を下した喜びを全身で表現する選手やスタッフの姿を追い、その胸中に共感するだけで文章がつづれた。甲子園ボウル、ライスボウルへと続く道に思いを馳せるだけで原稿ができあがった。こんなに幸せな立場はしかし、グラウンドで選手が勝利をもぎ取ってくれたからだった。
 しかしいまは、うなだれたままの選手にシンクロするしかない。泣きながら後かたづけをしていたトレーナーやマネジャーの胸中に思いを馳せるしかない。必死の表情で相手の胴上げをにらみつけていた3年生と同様、敗北を抱きしめ、捲土重来を期すのである。
 昨日の夜、早川主将が電話をくれた。「4年間お世話になりました。ありがとうございます」という電話だった。慰めるに言葉もないまま、あれやこれやと話した。
 「僕自身はやりきったという気持ちです。勝てなかったのは悔しいけど、気持ちはもう、すっきりしています。多分、他の4年生もみんなそんな気持ちじゃないでしょうか」と彼がいう。その言葉にうなずきながら、敗戦の夜、飲みに行く前に、わざわざ「お礼がいいたい」と電話をくれた彼の気持ちがうれしかった。
 彼のことは、高校3年生のころから知っている。大学に入った当初も、やんちゃだった。そんな彼が、4年間でここまで成長してくれたかと、思わずこみ上げてくるものがあった。そして、人を人として成長させるファイターズのすごさを、いまさらのように思い知った。
 敗戦の夜、悔しさを整理して、きちんとそれを総括する電話をかけられる人間。そんな人間を育てるファイターズ。たとえ、一敗地にまみれたとはいえ、こういう人間が育ち、育てる集団である限り、ファイターズは何一つ心配することはない。明日はある。いまはただ、敗北を抱きしめ、それを養分にして、再度、強敵にチャレンジし、王座を奪還するだけである。
   ◇
 今季のコラムは、今回で終了。ご愛読ありがとうございました。来季は4月から、一段と気合を入れて再出発するつもりです。
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