石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(29)ファイターズの標準
シーズンが佳境に入ってくると、なぜか、今季のチームにまつわるいろいろな場面が脳裏に浮かんでくる。
例えば春先、甲山までの走り込みの練習でこんな場面に出くわした。先頭から遠く引き離された最後尾の4年生が第3フィールドに戻ってきた時のことだ。その選手は強靱な体を持ち、当たる力も瞬発力もあるが、長距離走は苦手らしい。息も絶え絶えの様子で、両脇をマネジャーとトレーナーに抱えられるようにして、八幡神社の角を曲がり、フィールド入口のロータリーに姿を見せた。
それを出迎えたのが一足早くゴールしていたK大西君ら数人。「もう一息!」「がんばれ!」と声を掛け、励ましながら、一緒に走り出した。その声に元気づけられて選手は、一瞬、うれしそうな表情をみせ、最後の力を振り絞って、ゴールまでを走り切った。
選手に伴走して、最後まで走り切らせたマネジャーとトレーナー。自身も疲れているはずなのに、わざわざ出迎えにきて、フィニッシュを決めさせた仲間たち。このシーンを巧まずして演出した関係者全員が4年生だったというところに、今季のチームの結束力を見た。
春のシーズンが始まった頃には、雨の日の練習でこんな場面にも遭遇した。主将の松岡君に副将の長島君が激しくくってかかり、殴りつけそうになったのだ。それも1度だけではなく、2度、3度。そのたびに周囲が止めに入って事なきを得たが、少し離れたところにいた僕は、一体何事が起きたのか、とオロオロした。
あとで聞くと、雨でボールが手につかず、RBの選手が何度もファンブルしたことに、守備のリーダーである副将が腹を立て「もっときちんとやれ、こんなことしてたら練習にならないじゃないか」と、攻撃の責任者である主将に詰め寄ったのだという。練習への取り組みについて不満があれば、その場で即座にぶつかっていく。たとえ相手が主将であっても、いうべきことはいう。
その場は激しくやり合っても、それが感情のもつれにつながることはない。今年の幹部は、そういう信頼感、強い絆で結ばれているからこそ、遠慮なく感情をむき出しにすることができるのだ、と妙に感心し、納得した場面だった。
夏の暑い日、照りつける太陽の下で、営々と股関節や肩胛骨の可動域を広げる練習に励んでいた選手たちの姿も忘れられない。大きな声で互いに声を掛け合い、汗をぬぐうまもなく、体幹の強化にいそしむ。地味な練習であり、すぐには効果が表れない鍛錬である。けれども、体幹を強化し、股関節や肩胛骨の稼働域を広げることは、昔から相撲取りや武芸者が取り組んできた稽古法である。
ある日僕は、現代の日本を代表する武術者として知られる甲野善紀さん(師匠のことはNHKが今週木曜日午後10時55分からの番組で特集するそうだ。そこでは、僕が撮影した、師匠と巨人のエースだった桑田真澄さんが稽古中の写真も登場するというから、お暇な方は注目して下さい)の肩胛骨の動きを見せていただいたことがある。体をゆるめると肩胛骨自体が折りたたまれてなくなったように見えるし、力を入れると、背中全体が張り詰め、まな板か鉄板のようになってしまう。その稼働域の広さを目のあたりにして、これが師の「驚嘆の武術、体全体を参加させた動き」の源にあるのだと実感した。
肩胛骨や股関節の稼働域を広げることは、けがのない体を作ることでもあり、人間の体で一番強力な大腿の筋肉を全身に効率よく伝えて、ブロックやタックルの威力を倍増させる源でもある。
今季、ファイターズの選手たちの多くが大きなけがをすることもなく戦えているのは、冬から夏にかけて、こういう地味な取り組みを営々と続けてきたからではないか。夏休み、学生たちの姿の消えた大学に登校し、ひたすらファイターズの選手やトレーナー、マネジャーらが地味な練習に取り組んでいた姿を思い出すと、ある種の感慨を覚える。
こういう場面はしかし、いつの時代のチームにも「普通」にあったことだろう。仲間を励まし、時には激しく感情をぶつけ合い、そして人の見ていないところで地味な練習を積み重ねる。それをことさら言い立てず「スタンダード」「当たり前」としてきたのがファイターズの強さの根源だったのではないか。
今季ファイターズの「スタンダード」「標準」がなぜか新鮮に見えるのは、先に挙げたような場面が日常の風景になっていることが関係しているのだろう。「当たり前」が「当たり前」として機能しているのである。
この「当たり前」を、これからの困難な戦いでも発揮してほしい。目の前には京大、その向こうには立命が控えている。冬から春へ、春から夏へとひたすら鍛えてきた成果を発揮するのはこれからだ。
ファイターズは、いまが伸び盛り。4年生を中心にした強固な結束力で、さらなる高みを目指してほしい。日々、発展を続けてきたチームが試合を重ねるたびに、もっともっと強くなっていく姿が見たい。
例えば春先、甲山までの走り込みの練習でこんな場面に出くわした。先頭から遠く引き離された最後尾の4年生が第3フィールドに戻ってきた時のことだ。その選手は強靱な体を持ち、当たる力も瞬発力もあるが、長距離走は苦手らしい。息も絶え絶えの様子で、両脇をマネジャーとトレーナーに抱えられるようにして、八幡神社の角を曲がり、フィールド入口のロータリーに姿を見せた。
それを出迎えたのが一足早くゴールしていたK大西君ら数人。「もう一息!」「がんばれ!」と声を掛け、励ましながら、一緒に走り出した。その声に元気づけられて選手は、一瞬、うれしそうな表情をみせ、最後の力を振り絞って、ゴールまでを走り切った。
選手に伴走して、最後まで走り切らせたマネジャーとトレーナー。自身も疲れているはずなのに、わざわざ出迎えにきて、フィニッシュを決めさせた仲間たち。このシーンを巧まずして演出した関係者全員が4年生だったというところに、今季のチームの結束力を見た。
春のシーズンが始まった頃には、雨の日の練習でこんな場面にも遭遇した。主将の松岡君に副将の長島君が激しくくってかかり、殴りつけそうになったのだ。それも1度だけではなく、2度、3度。そのたびに周囲が止めに入って事なきを得たが、少し離れたところにいた僕は、一体何事が起きたのか、とオロオロした。
あとで聞くと、雨でボールが手につかず、RBの選手が何度もファンブルしたことに、守備のリーダーである副将が腹を立て「もっときちんとやれ、こんなことしてたら練習にならないじゃないか」と、攻撃の責任者である主将に詰め寄ったのだという。練習への取り組みについて不満があれば、その場で即座にぶつかっていく。たとえ相手が主将であっても、いうべきことはいう。
その場は激しくやり合っても、それが感情のもつれにつながることはない。今年の幹部は、そういう信頼感、強い絆で結ばれているからこそ、遠慮なく感情をむき出しにすることができるのだ、と妙に感心し、納得した場面だった。
夏の暑い日、照りつける太陽の下で、営々と股関節や肩胛骨の可動域を広げる練習に励んでいた選手たちの姿も忘れられない。大きな声で互いに声を掛け合い、汗をぬぐうまもなく、体幹の強化にいそしむ。地味な練習であり、すぐには効果が表れない鍛錬である。けれども、体幹を強化し、股関節や肩胛骨の稼働域を広げることは、昔から相撲取りや武芸者が取り組んできた稽古法である。
ある日僕は、現代の日本を代表する武術者として知られる甲野善紀さん(師匠のことはNHKが今週木曜日午後10時55分からの番組で特集するそうだ。そこでは、僕が撮影した、師匠と巨人のエースだった桑田真澄さんが稽古中の写真も登場するというから、お暇な方は注目して下さい)の肩胛骨の動きを見せていただいたことがある。体をゆるめると肩胛骨自体が折りたたまれてなくなったように見えるし、力を入れると、背中全体が張り詰め、まな板か鉄板のようになってしまう。その稼働域の広さを目のあたりにして、これが師の「驚嘆の武術、体全体を参加させた動き」の源にあるのだと実感した。
肩胛骨や股関節の稼働域を広げることは、けがのない体を作ることでもあり、人間の体で一番強力な大腿の筋肉を全身に効率よく伝えて、ブロックやタックルの威力を倍増させる源でもある。
今季、ファイターズの選手たちの多くが大きなけがをすることもなく戦えているのは、冬から夏にかけて、こういう地味な取り組みを営々と続けてきたからではないか。夏休み、学生たちの姿の消えた大学に登校し、ひたすらファイターズの選手やトレーナー、マネジャーらが地味な練習に取り組んでいた姿を思い出すと、ある種の感慨を覚える。
こういう場面はしかし、いつの時代のチームにも「普通」にあったことだろう。仲間を励まし、時には激しく感情をぶつけ合い、そして人の見ていないところで地味な練習を積み重ねる。それをことさら言い立てず「スタンダード」「当たり前」としてきたのがファイターズの強さの根源だったのではないか。
今季ファイターズの「スタンダード」「標準」がなぜか新鮮に見えるのは、先に挙げたような場面が日常の風景になっていることが関係しているのだろう。「当たり前」が「当たり前」として機能しているのである。
この「当たり前」を、これからの困難な戦いでも発揮してほしい。目の前には京大、その向こうには立命が控えている。冬から春へ、春から夏へとひたすら鍛えてきた成果を発揮するのはこれからだ。
ファイターズは、いまが伸び盛り。4年生を中心にした強固な結束力で、さらなる高みを目指してほしい。日々、発展を続けてきたチームが試合を重ねるたびに、もっともっと強くなっていく姿が見たい。
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