石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」

(8)神は細部に宿る

投稿日時:2011/05/26(木) 09:19rss

 先週の京大戦は観戦できなかった。僕が働いている紀州・田辺で、第62回全国植樹祭が開かれたからである。地元新聞社の編集責任者としては、この式典に参加するとともに、式典の模様を伝える大がかりな紙面を制作しなければならない。のんびりとアメフットを楽しんでいる場合ではなかったのである。
 だから、今週は観戦記は書けない。この駄文を楽しみにしてくださる方には申し訳ないが、僕もたまには仕事を優先させることもある、ということをご寛恕願いたい。
 その代りに、今週はかねてから気にかかっていることについて書かせていただく。テーマは、今年2月に配布されたOB会の会報「ファイト・オン」に書いたものと完全に重複するが、会報を目にされていない方も多いので、その内容を要約してお伝えする。
 「神は細部に宿る」ということである。
 象徴的な場面がある。昨年の関大との甲子園ボウル出場決定戦。3-3で迎えた後半、第4Qが始まって間もなくのギャンブルプレーである。ファイターズはその直前、エースRB松岡君がけがで退場。その直後にQB加藤君がWR松原君に長いパスを決め、ゴール前19ヤードまで陣地を進めていた。しかし、次のシリーズ。ランは進まず、短いパスも失敗して第4ダウン残り7ヤード、ゴールまで16ヤードとなった。
 そこでベンチが選択したのは、K大西君がフィールドゴールのフェイクから、右に走るプレーである。ダウン更新まで7ヤード、誰もがフィールドゴールを蹴ると思い込んでいた場面だっただけに、観客はもちろん相手守備陣も意表を突かれた。だが、ただ一人残った相手DBをブロックに行くはずだったウイングの選手が転んでしまい、大西君の走路が確保できずにプレーは失敗。決定的な得点機を逃がした。
 これに対して「ベンチがアホや。なんで確実に3点を取りにいかんかったんか」「ギャンブル過ぎる。あれは、もっと距離が短い場面でこそ成功するプレー。あの距離から狙う意図がわからない」などという批判があちこちから出た。このコラムにも、似たような趣旨の書き込みがいくつも届いたし、今年の春になっても、試合会場で顔を合わせる観戦仲間からそのような批判を聞かされることがある。
 しかしながら、本当にあのプレーは、成功の可能性がなかったのか。本当にベンチの采配ミスなのか。その疑問を解くために僕は後日、鳥内監督のもとで、あの場面を写し出しているチームのビデオを見せてもらった。
 3方向から撮影し、それを編集したビデオには、プレー開始の瞬間から、大西君が倒されるまでの過程が克明に記録されていた。それを見ると、大西君が絶妙のフェイクで走り出し、相手守備陣が完全にそれに惑わされていることも、ウイングの選手が味方に当たられて転んでしまった場面も、克明に映し出されていた。ビデオで見る限り、プレーコールは完全に成功していたのに、ラインが動き出すタイミングのちょっとした違いから、味方の選手同士が接触し、成功したはずのプレーが失敗してしまっていたのである。
 時間にすればほんの一瞬。しかし、この一瞬に起きたほんの小さな齟齬(そご)から、細部に宿っているはずの神様をつかみ損ねてしまったのである。
 似たようなことは、立命戦で勝敗の分岐点になった相手キッカーに対する反則の場面でも起っていた。13-6、立命リードで迎えた第4Q。立命陣5ヤードから始まった相手攻撃をファイターズ守備陣が完封し、相手をパントに追いやった場面である。
 ここでファイターズのパントリターンチームが攻撃的な守備隊形をとった。LBの選手が素早く飛び込み、キックされたボールをブロックしようとしたのだ。しかし、紙一重の差でボールには届かず、逆に体が相手キッカーの足に当たって反則。立命は再び攻撃を開始し、長いドライブの末、決定的とも思えるタッチダウンにつなげた。
 ここでも、神様は細部にいた。たとえプレーの後で相手の足に体が触れたとしても、その前に手が相手の蹴ったボールに届いていれば、反則にはならない。もし、ボールに手が届かなかったとしても、一瞬、相手の体を避けて倒れることができていれば、反則ではない。勝負を決めに行く思い切りのよいプレーをしながら、その瞬刻のタイミングを逃がしたために、せっかくのプレーが反則となり、それが敗戦への分岐点になってしまったのである。
 このように振り返ってみると、細部の細部まで練習で詰め切れていなかったことが、敗戦という結果につながったのではないか。逆にいえば、ファイターズが勝ち続けるためには、選手たちが練習でこうした細部をどのように詰め切っていくか、監督やコーチがどこまで追い込んで習熟度を上げていくか、そのことにかっているのである。
 「神様は細部に宿っている」。そのことをファイターズの全員に教えてくれたのが昨シーズンの苦い経験である。その悔しさを誰よりも知っている選手諸君がこの言葉の意味をかみしめ、日頃の練習に生かすことから、明日は開けると僕は信じている。
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