石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(5)「些細な変化」を見る
この数年、四季を問わず、機会があるごとに上ヶ原の第3フィールドに顔を出している。平郡雷太君の記念樹の下のベンチに腰かけて、ぼんやりと選手やスタッフの動きを眺めているだけだが、それでも気が付くことがいくつかある。新聞記者になって44年。その間、ずっと記事を書く現場で働いてきたせいか、人が気にも留めない些細な事柄にも、ついつい反応してしまうのである。
例えば、選手たちのグラウンドに集まる足取り、ハドルへの集散のスピード、4年生の練習への取り組みと下級生への目配り、それに対する部員の反応。あるいは、それは直接選手たちには関係ないけれども、グラウンドに見えるOBの人数と回数。そんな事柄の一つ一つが主人公となって、僕の頭の中では「2011年のファイターズ」が物語として紡がれていくのである。
もちろん、それは僕が勝手に描く物語であり、ここでことさらに披露するようなことではない。第一、そんな些細な場面をいくら積み重ねても、選手たちが試合会場で披露するビッグプレーの一つにも及ばない。けれども「神は細部に宿る」。人の目には些細なことと映るような事柄の中にこそ、成長、飛躍への扉を開くカギが隠されているということもまた、真実である。少なくとも僕はそう信じている。
例えば、メジャーリーグで大活躍しているマリナーズのイチロー選手に、こんなエピソードがある。ファイターズOBで元共同通信記者、小西慶三氏の書かれた「イチローの流儀」(新潮社)からその要旨を引用させていただく。
イチロー選手は1998年3月、熊本であったオープン戦の前夜、わざと一睡もせずに、当日の試合に臨んだ。普段から意識していないことは、突然、やれといわれてもできない。だから、いつか来るかもしれない苦しい状況をわざと設定して、それでもプレーできるか試してみたという。彼がまだオリックスで活躍していたころの話である。
それから6年後、ボルチモアでオリオールズとのダブルヘッダーがあった。彼はその前夜、長時間の移動で体調を崩し、一睡もできなかったという。しかし試合には出場、第1試合では5打数5安打、2試合目も代打で出てヒット、都合6打数6安打とした。6年前の準備が生きたのである。これだけではない。彼は、マリナーズに移ってからも、自分に不利な状況に置かれたときの対応策を探るため、オープン戦でわざ2ストライクまで追い込まれた状況を設定し、残りのわずか1球で投手と勝負したこともあったという。
だれに明かすわけもなく、一人隠れてこういう求道者のような努力を積み重ねた結果として、彼はメジャーリーグでも1流の選手となり、毎年200本安打を打ち続けているのである。
こういう彼の努力を、オリックスでもマリナーズでも同僚だった長谷川滋利投手は「誰よりも早く球場に入り、絶対に遅刻しない男」と表しているそうだ。
イチロー選手の振る舞いや長谷川投手の言葉を伝え聞くことによって、彼の練習の内容やその目的を見ることのできない僕でも、彼の野球にかける「周到な準備」に思いをはせることはできるのである。
ゴルフの石川遼選手にも似たような話がある。彼が使用しているサングラスのことを知る立場にある方から聞いた話である。
彼は普段、メガネを掛けないので、サングラスをかけてプレーすると違和感があったそうだ。しかし、世界の舞台で活躍するためには、例えば日差しの強いアメリカ西海岸でも、世界の強豪と対等に戦わなければならない。そのためには、日差しを緩和するサングラスが不可欠。ならば、違和感なんていっておれない。少しでもフィットするサングラスを作り、いまから慣れておくしかない。そういって、父親を始め周囲の反対を押し切ってサングラスをかけてプレーするようになったという。その決断をした時、彼は18歳。
石川選手をインタビューする機会はなくても、彼がどうしてサングラスをかけるようになったのか、という疑問を持ち、その答えを推し量ることから、これまた現状に満足せず、より高い目標を立て、そのために日ごろから「周到な準備」を重ねている彼の素顔が見えてくる。
たかがサングラスかもしれない。でも、それは「世界の舞台で活躍する」という彼の強い意志の象徴であり、目標に向かってひたすら努力していることの証明なのである。
高い目標を持ち、それを達成するために、日々「周到な準備」を重ねるトップアスリートたち。その内容は、わざわざ大きな声で語られることはない。いわば片言隻句というようなものである。けれども、そこから学ぶべきことはいくつもある。そのままの形では応用できないかもしれないが、その「周到な準備」に至る考え方は、そのままファイターズの諸君にも応用できる話であろう。
そこに思いが至れば、練習に対する意識も当然、変わってくる。その変化は、ハドルの集散にも、練習の取り組みにも、形となって現れてくるはずだ。当然、試合にも反映される。その些細な変化を確かめたくて、今日もせっせとグラウンドに足を運んでいるのである。
例えば、選手たちのグラウンドに集まる足取り、ハドルへの集散のスピード、4年生の練習への取り組みと下級生への目配り、それに対する部員の反応。あるいは、それは直接選手たちには関係ないけれども、グラウンドに見えるOBの人数と回数。そんな事柄の一つ一つが主人公となって、僕の頭の中では「2011年のファイターズ」が物語として紡がれていくのである。
もちろん、それは僕が勝手に描く物語であり、ここでことさらに披露するようなことではない。第一、そんな些細な場面をいくら積み重ねても、選手たちが試合会場で披露するビッグプレーの一つにも及ばない。けれども「神は細部に宿る」。人の目には些細なことと映るような事柄の中にこそ、成長、飛躍への扉を開くカギが隠されているということもまた、真実である。少なくとも僕はそう信じている。
例えば、メジャーリーグで大活躍しているマリナーズのイチロー選手に、こんなエピソードがある。ファイターズOBで元共同通信記者、小西慶三氏の書かれた「イチローの流儀」(新潮社)からその要旨を引用させていただく。
イチロー選手は1998年3月、熊本であったオープン戦の前夜、わざと一睡もせずに、当日の試合に臨んだ。普段から意識していないことは、突然、やれといわれてもできない。だから、いつか来るかもしれない苦しい状況をわざと設定して、それでもプレーできるか試してみたという。彼がまだオリックスで活躍していたころの話である。
それから6年後、ボルチモアでオリオールズとのダブルヘッダーがあった。彼はその前夜、長時間の移動で体調を崩し、一睡もできなかったという。しかし試合には出場、第1試合では5打数5安打、2試合目も代打で出てヒット、都合6打数6安打とした。6年前の準備が生きたのである。これだけではない。彼は、マリナーズに移ってからも、自分に不利な状況に置かれたときの対応策を探るため、オープン戦でわざ2ストライクまで追い込まれた状況を設定し、残りのわずか1球で投手と勝負したこともあったという。
だれに明かすわけもなく、一人隠れてこういう求道者のような努力を積み重ねた結果として、彼はメジャーリーグでも1流の選手となり、毎年200本安打を打ち続けているのである。
こういう彼の努力を、オリックスでもマリナーズでも同僚だった長谷川滋利投手は「誰よりも早く球場に入り、絶対に遅刻しない男」と表しているそうだ。
イチロー選手の振る舞いや長谷川投手の言葉を伝え聞くことによって、彼の練習の内容やその目的を見ることのできない僕でも、彼の野球にかける「周到な準備」に思いをはせることはできるのである。
ゴルフの石川遼選手にも似たような話がある。彼が使用しているサングラスのことを知る立場にある方から聞いた話である。
彼は普段、メガネを掛けないので、サングラスをかけてプレーすると違和感があったそうだ。しかし、世界の舞台で活躍するためには、例えば日差しの強いアメリカ西海岸でも、世界の強豪と対等に戦わなければならない。そのためには、日差しを緩和するサングラスが不可欠。ならば、違和感なんていっておれない。少しでもフィットするサングラスを作り、いまから慣れておくしかない。そういって、父親を始め周囲の反対を押し切ってサングラスをかけてプレーするようになったという。その決断をした時、彼は18歳。
石川選手をインタビューする機会はなくても、彼がどうしてサングラスをかけるようになったのか、という疑問を持ち、その答えを推し量ることから、これまた現状に満足せず、より高い目標を立て、そのために日ごろから「周到な準備」を重ねている彼の素顔が見えてくる。
たかがサングラスかもしれない。でも、それは「世界の舞台で活躍する」という彼の強い意志の象徴であり、目標に向かってひたすら努力していることの証明なのである。
高い目標を持ち、それを達成するために、日々「周到な準備」を重ねるトップアスリートたち。その内容は、わざわざ大きな声で語られることはない。いわば片言隻句というようなものである。けれども、そこから学ぶべきことはいくつもある。そのままの形では応用できないかもしれないが、その「周到な準備」に至る考え方は、そのままファイターズの諸君にも応用できる話であろう。
そこに思いが至れば、練習に対する意識も当然、変わってくる。その変化は、ハドルの集散にも、練習の取り組みにも、形となって現れてくるはずだ。当然、試合にも反映される。その些細な変化を確かめたくて、今日もせっせとグラウンドに足を運んでいるのである。
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