石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(28)疾風に勁草を知る
「疾風に勁草(けいそう)を知る」という言葉がある。本当に勁(つよ)い草か、それとも、強そうなのは外見だけで、実は簡単に倒れてしまうような草か、それは台風のような強い風に見舞われたときに初めて分かる、という意味である。
同じような言葉に「磐根錯節(ばんこんさくせつ)利器を分かつ」というのがある。磐(いわ)のようにごつごつした根っこや錯綜した節、つまり、とてもじゃないけど切断できそうにないものに出会って初めて、それを切断できる道具とできない道具の違いが分かる。転じて難局に出会ったときに、その人間の器が見えてくる、という意味に使われる。
順風に恵まれているときは、何をやってもうまくいく。人もちやほやしてくれる。けれども、人生はコインの裏表。順風があれば必ず逆風がある。人間の力では到底打開できそうにない壁にぶつかることもある。
そのようなときに、人はどう振る舞うのか。苦しい時の身の処し方にこそ、その人間の値打ち、本質が見えてくると、僕はつねづね考えている。だからこそ、こうした言葉を身近において自らを戒め、たとえ倒れても、再度立ち上がろうとしてきたのである。
ファイターズもいま、疾風に見舞われている。立命に敗れて「日本1」の文字が一気に遠くなった。チームに吹く風がいきなり逆風に変わった。関西リーグの残り2試合、たとえ勝ち続けても、甲子園ボウルに自力でたどりつくことはできなくなった。
この事態に、どう対処するのか。自分たちの努力の至らなさを嘆くのか。この逆境を招いたのは「監督の責任だ」とか「選手の気合が足りなかったから」と言い募るのか。
立命館との試合が終わった時に目にした、いくつかの光景を振り返りたい。
一つはスタンドでの一部OBたちの見苦しい振る舞いである。第4Q残り1分余りでファイターズが試みたオンサイドキックが立命の選手に確保された途端にどたばたと席を立ち、試合後のエール交換には見向きもせずに帰路についた人のなんと多かったことか。彼らは試合中、途切れることなくファイターズを罵倒していた人たちである。
「監督があほや」「こんな根性の入ってないチームは初めて見た」。試合中からビールを飲み、そういう罵詈雑言を浴びせ続けた人たちにとっては、エールの交換はつまらない儀式であり、敗れた選手をねぎらう必要も感じられなかったのだろう。でも、同じ関西学院に籍を置いた一人として、そのような心にゆとりのない卒業生の見苦しい振る舞いを見せつけられるのは耐え難かった。
二つ目は、試合後のスタンドの後片付けをされていた保護者の一人から、丁寧なご挨拶を頂いたことである。チームが敗れ、甲子園への道が限りなく遠くなったという事態にもかかわらず「4年間、いや高校のときから、息子がお世話になり、本当にありがとうございました」とお礼を言われたのである。その言葉を聞いて、僕は思わず泣きそうになった。
子どもをファイターズに預けた日から4年間、ひたすらその成長に思いをはせ、見守ってこられた親御さんにとって、この日の敗戦がどれほど悔しかったことか。毎週医者に通わなければならないほど体は傷ついているのに、それについては一言も言い訳せず、体を張ってチームを引っ張ってきたその選手の事情を知っているだけに、そんな事情も敗戦の悔しさも押し隠して、きちんと大人の挨拶をされる行き届いた姿に心を揺さぶられた。
三つ目は、もうすっかり日の落ちた正面出口でこの数年の間に卒業したファイターズの若手OBらと交わした会話。それぞれ久しぶりに会ったメンバーばかりで、久闊(きゅうかつ)を叙した後の彼らの言葉が印象深かった。
「池永って、1年生ですって。すごいプレーをしますね。これからが楽しみです」「立命は強かったですね。でも、ディフェンスは踏ん張っていたし、よく戦いましたよ」
異口同音に後輩の健闘をたたえる言葉が続く。立命と骨と骨がぶつかり、身のきしむような戦いをしてきたメンバーだからこそ、その立命の攻撃を必死になって受け止めてきた後輩をねぎらう言葉が出るのだろう。「気合が足りない」などといって後輩の戦いぶりを責めたOBは、僕が話した数人の中には一人もいなかった。
その直後には、顧問の前島先生から「尾崎は無事でした」と声をかけられた。尾崎君はこの日の第1プレー、キックオフされたボールをリターンしようとして、腹部に強烈なタックルを受け、そのまま病院に送られていた。検査の結果、内臓に損傷はなかったそうで、それをトレーナーの鶴谷さんと栗田さんから聞かされた先生が、たまたま顔を会わせた僕にも教えてくださったのだ。いつも、なによりも選手の心身を気遣われている先生からその言葉を聞いて、僕もスーッと気持ちが落ち着いた。そして、尾崎君に付き添って病院まで行ってくれた二人のトレーナーに、思わず頭を下げた。
疾風に勁草を知る。悔しい敗戦ではあったが、そんな中でも、人としてのたたずまいのよい人に次々と出会えたことは、僕にとって心慰められることであった。
同じような言葉に「磐根錯節(ばんこんさくせつ)利器を分かつ」というのがある。磐(いわ)のようにごつごつした根っこや錯綜した節、つまり、とてもじゃないけど切断できそうにないものに出会って初めて、それを切断できる道具とできない道具の違いが分かる。転じて難局に出会ったときに、その人間の器が見えてくる、という意味に使われる。
順風に恵まれているときは、何をやってもうまくいく。人もちやほやしてくれる。けれども、人生はコインの裏表。順風があれば必ず逆風がある。人間の力では到底打開できそうにない壁にぶつかることもある。
そのようなときに、人はどう振る舞うのか。苦しい時の身の処し方にこそ、その人間の値打ち、本質が見えてくると、僕はつねづね考えている。だからこそ、こうした言葉を身近において自らを戒め、たとえ倒れても、再度立ち上がろうとしてきたのである。
ファイターズもいま、疾風に見舞われている。立命に敗れて「日本1」の文字が一気に遠くなった。チームに吹く風がいきなり逆風に変わった。関西リーグの残り2試合、たとえ勝ち続けても、甲子園ボウルに自力でたどりつくことはできなくなった。
この事態に、どう対処するのか。自分たちの努力の至らなさを嘆くのか。この逆境を招いたのは「監督の責任だ」とか「選手の気合が足りなかったから」と言い募るのか。
立命館との試合が終わった時に目にした、いくつかの光景を振り返りたい。
一つはスタンドでの一部OBたちの見苦しい振る舞いである。第4Q残り1分余りでファイターズが試みたオンサイドキックが立命の選手に確保された途端にどたばたと席を立ち、試合後のエール交換には見向きもせずに帰路についた人のなんと多かったことか。彼らは試合中、途切れることなくファイターズを罵倒していた人たちである。
「監督があほや」「こんな根性の入ってないチームは初めて見た」。試合中からビールを飲み、そういう罵詈雑言を浴びせ続けた人たちにとっては、エールの交換はつまらない儀式であり、敗れた選手をねぎらう必要も感じられなかったのだろう。でも、同じ関西学院に籍を置いた一人として、そのような心にゆとりのない卒業生の見苦しい振る舞いを見せつけられるのは耐え難かった。
二つ目は、試合後のスタンドの後片付けをされていた保護者の一人から、丁寧なご挨拶を頂いたことである。チームが敗れ、甲子園への道が限りなく遠くなったという事態にもかかわらず「4年間、いや高校のときから、息子がお世話になり、本当にありがとうございました」とお礼を言われたのである。その言葉を聞いて、僕は思わず泣きそうになった。
子どもをファイターズに預けた日から4年間、ひたすらその成長に思いをはせ、見守ってこられた親御さんにとって、この日の敗戦がどれほど悔しかったことか。毎週医者に通わなければならないほど体は傷ついているのに、それについては一言も言い訳せず、体を張ってチームを引っ張ってきたその選手の事情を知っているだけに、そんな事情も敗戦の悔しさも押し隠して、きちんと大人の挨拶をされる行き届いた姿に心を揺さぶられた。
三つ目は、もうすっかり日の落ちた正面出口でこの数年の間に卒業したファイターズの若手OBらと交わした会話。それぞれ久しぶりに会ったメンバーばかりで、久闊(きゅうかつ)を叙した後の彼らの言葉が印象深かった。
「池永って、1年生ですって。すごいプレーをしますね。これからが楽しみです」「立命は強かったですね。でも、ディフェンスは踏ん張っていたし、よく戦いましたよ」
異口同音に後輩の健闘をたたえる言葉が続く。立命と骨と骨がぶつかり、身のきしむような戦いをしてきたメンバーだからこそ、その立命の攻撃を必死になって受け止めてきた後輩をねぎらう言葉が出るのだろう。「気合が足りない」などといって後輩の戦いぶりを責めたOBは、僕が話した数人の中には一人もいなかった。
その直後には、顧問の前島先生から「尾崎は無事でした」と声をかけられた。尾崎君はこの日の第1プレー、キックオフされたボールをリターンしようとして、腹部に強烈なタックルを受け、そのまま病院に送られていた。検査の結果、内臓に損傷はなかったそうで、それをトレーナーの鶴谷さんと栗田さんから聞かされた先生が、たまたま顔を会わせた僕にも教えてくださったのだ。いつも、なによりも選手の心身を気遣われている先生からその言葉を聞いて、僕もスーッと気持ちが落ち着いた。そして、尾崎君に付き添って病院まで行ってくれた二人のトレーナーに、思わず頭を下げた。
疾風に勁草を知る。悔しい敗戦ではあったが、そんな中でも、人としてのたたずまいのよい人に次々と出会えたことは、僕にとって心慰められることであった。
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