石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(19)山の話と戦士の話
先週末、北アルプスの蝶ケ岳(2677メートル)に登ってきた。
年に一度だけ集まって山歩きを楽しむグループの登山である。元々は森林ボランティア活動で知り合った仲間で、12年ほど前からは「山部会」と称して、あちこちの山に登っている。職業も性別も、年齢も住んでいる場所もバラバラだが、なぜか毎年、この季節になるとだれかから声がかかり、みんながいそいそと集まってくるのである。
午前7時、大阪や東京から参加した7人が上高地の河童橋に集合。旧交を温めるのもそこそこに、歩き始める。梓川沿いの道は平坦で歩きやすい。話も弾む。道の両側を覆う樹林が日差しをさえぎってくれるから、暑さも気にならない。
だが、元気がよかったのは最初の2時間だけ。徳沢を過ぎ、急な上りが始まると、全員、一気に口数が少なくなる。なんせ約1000メートルの標高差をひたすら登り切らねばならないのだ。汗はかくし、息も上がってくる。背中の荷物がやたらと重い。「山部会」を始めた当初は、屋久島の縦走や白馬岳の登山などを平然とこなしていたメンバーなのに、いまはすぐに「小休止」がしたくなる。12年の歳月は、僕を含め、確実に全員の体力を奪っている。
スタートしてから8時間余。ようやく頂上を極め、目的地の山小屋に着く。
翌朝は、日の出前に起き、山小屋を出る。快晴。西側正面に前穂高、奥穂高、涸沢、北穂高の荒々しい壁がそびえ、槍ケ岳の穂先が手の届きそうな場所に屹立(きつりつ)している。目を南に転じると乗鞍岳から御岳山、遠く木曽駒ケ岳までくっきりと見える。南東には遠く富士山の秀麗な姿、その手前に南アルプスの北岳。東の正面には八ケ岳の8つの峰が手に取るように並び、その北側に遠く浅間山から四阿山など上信国境の山々が独特の山容を見せている。つまり、自分がその場でぐるりと1回転するだけで、360度の眺望が日本地図を眺めるようにくっきりと広がっているのである。
それだけではない。贅沢(ぜいたく)なことに、東に夏の太陽が顔を出しているのに、西側の奥穂高の上には十六夜の月が残っている。岩場ばかりの山々の上に、月がアクセントを付けた姿は、まるで絵画の世界。幽玄という言葉がぴったり当てはまる。汗をかき、息を切らしながら、それでも一歩ずつ足を運んできたからこそ目にすることのできる光景である。
この雄大な景色の中では、人間はあまりにも小さい。けれども、冷たい岩場に寝ころんでこの光景を眺めていると、いつの間にか自分がこの宇宙を両手の中に抱え込んでいるような気になってくる。宇宙の中の限りなくちっぽけな自分が、宇宙のすべてを支配しているような気分になってくるのである。
どうしてだろうと考えているうちに、ハタと気が付いた。これはまるでファイターズとそれを構成する一人一人の部員との関係ではないか、と思ったのである。
ファイターズという宇宙がある。それは現役部員だけのものではなく、70年近い歳月の中で、歴代の部員が営々と歴史を積み重ねることによって生まれた。その中で、現役が占めるスペースは、ほんの一部である。一人一人の部員が占めるスペースとなると、それよりもさらに小さい。
けれども、いったん試合となれば、その役割はガラリと変わる。そのときフィールドにいる選手がその宇宙のすべてを支配するのである。もっといえば、その時プレーに参加した選手だけがそのすべてを支配することができるのである。その瞬間に限れば、ファイターズのすべてをその選手が体現しているのである。
功も罪も、すべてはたった一人に帰す。
もちろんアメフットはチームスポーツである。グラウンドに出ている選手だけでなく、サイドラインに並ぶ控えの選手やスタッフも一体となって戦わなければならない。監督、コーチはもちろん、チームをマネジメントする人たちの強い力も必要だ。それらのすべてが戦闘モードに突入し、必ず日本一になるという強い気持ちで戦って初めて、光明は見えてくる。
そういうことは百も承知だが、ときにはその「チームワークという幻想」が個々の責任を曖昧にしてしまう。チームのために何ができるか、何をすべきかと考え、実行することは大切であり、なにより優先すべきことだが、それを理由に一人一人の選手の使命感や責任感を曖昧にしてしまうことは決してあってはならない。
試合は戦闘である。それは集団としての戦いであると同時に、選手一人一人が目の前の敵を圧倒する戦いでなければならない。「オレが倒れたら、ファイターズが倒れる」のでる。ファイターズにつながるすべての人間は、あくまでも「ファイターズという宇宙を支配しているのはオレだ」という覚悟で戦わなければならない。
すべての部員がそういう戦士になれるかどうか。フィールドは、真の戦士のためにだけ用意されている。
年に一度だけ集まって山歩きを楽しむグループの登山である。元々は森林ボランティア活動で知り合った仲間で、12年ほど前からは「山部会」と称して、あちこちの山に登っている。職業も性別も、年齢も住んでいる場所もバラバラだが、なぜか毎年、この季節になるとだれかから声がかかり、みんながいそいそと集まってくるのである。
午前7時、大阪や東京から参加した7人が上高地の河童橋に集合。旧交を温めるのもそこそこに、歩き始める。梓川沿いの道は平坦で歩きやすい。話も弾む。道の両側を覆う樹林が日差しをさえぎってくれるから、暑さも気にならない。
だが、元気がよかったのは最初の2時間だけ。徳沢を過ぎ、急な上りが始まると、全員、一気に口数が少なくなる。なんせ約1000メートルの標高差をひたすら登り切らねばならないのだ。汗はかくし、息も上がってくる。背中の荷物がやたらと重い。「山部会」を始めた当初は、屋久島の縦走や白馬岳の登山などを平然とこなしていたメンバーなのに、いまはすぐに「小休止」がしたくなる。12年の歳月は、僕を含め、確実に全員の体力を奪っている。
スタートしてから8時間余。ようやく頂上を極め、目的地の山小屋に着く。
翌朝は、日の出前に起き、山小屋を出る。快晴。西側正面に前穂高、奥穂高、涸沢、北穂高の荒々しい壁がそびえ、槍ケ岳の穂先が手の届きそうな場所に屹立(きつりつ)している。目を南に転じると乗鞍岳から御岳山、遠く木曽駒ケ岳までくっきりと見える。南東には遠く富士山の秀麗な姿、その手前に南アルプスの北岳。東の正面には八ケ岳の8つの峰が手に取るように並び、その北側に遠く浅間山から四阿山など上信国境の山々が独特の山容を見せている。つまり、自分がその場でぐるりと1回転するだけで、360度の眺望が日本地図を眺めるようにくっきりと広がっているのである。
それだけではない。贅沢(ぜいたく)なことに、東に夏の太陽が顔を出しているのに、西側の奥穂高の上には十六夜の月が残っている。岩場ばかりの山々の上に、月がアクセントを付けた姿は、まるで絵画の世界。幽玄という言葉がぴったり当てはまる。汗をかき、息を切らしながら、それでも一歩ずつ足を運んできたからこそ目にすることのできる光景である。
この雄大な景色の中では、人間はあまりにも小さい。けれども、冷たい岩場に寝ころんでこの光景を眺めていると、いつの間にか自分がこの宇宙を両手の中に抱え込んでいるような気になってくる。宇宙の中の限りなくちっぽけな自分が、宇宙のすべてを支配しているような気分になってくるのである。
どうしてだろうと考えているうちに、ハタと気が付いた。これはまるでファイターズとそれを構成する一人一人の部員との関係ではないか、と思ったのである。
ファイターズという宇宙がある。それは現役部員だけのものではなく、70年近い歳月の中で、歴代の部員が営々と歴史を積み重ねることによって生まれた。その中で、現役が占めるスペースは、ほんの一部である。一人一人の部員が占めるスペースとなると、それよりもさらに小さい。
けれども、いったん試合となれば、その役割はガラリと変わる。そのときフィールドにいる選手がその宇宙のすべてを支配するのである。もっといえば、その時プレーに参加した選手だけがそのすべてを支配することができるのである。その瞬間に限れば、ファイターズのすべてをその選手が体現しているのである。
功も罪も、すべてはたった一人に帰す。
もちろんアメフットはチームスポーツである。グラウンドに出ている選手だけでなく、サイドラインに並ぶ控えの選手やスタッフも一体となって戦わなければならない。監督、コーチはもちろん、チームをマネジメントする人たちの強い力も必要だ。それらのすべてが戦闘モードに突入し、必ず日本一になるという強い気持ちで戦って初めて、光明は見えてくる。
そういうことは百も承知だが、ときにはその「チームワークという幻想」が個々の責任を曖昧にしてしまう。チームのために何ができるか、何をすべきかと考え、実行することは大切であり、なにより優先すべきことだが、それを理由に一人一人の選手の使命感や責任感を曖昧にしてしまうことは決してあってはならない。
試合は戦闘である。それは集団としての戦いであると同時に、選手一人一人が目の前の敵を圧倒する戦いでなければならない。「オレが倒れたら、ファイターズが倒れる」のでる。ファイターズにつながるすべての人間は、あくまでも「ファイターズという宇宙を支配しているのはオレだ」という覚悟で戦わなければならない。
すべての部員がそういう戦士になれるかどうか。フィールドは、真の戦士のためにだけ用意されている。
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