主務ブログ2024

#5を覚えて

投稿日時:2010/08/09(月) 07:05rss

 突然ですが平郡雷太さんについて書きます。今の現役は平郡さんのことをほとんど知らない世代になりましたが、私には特別な思い入れがあります。

 2003年8月16日、かんかん照りの熱い日でした。当時私は中学部の3年生、タッチフットボール部に所属していました。夏休みの練習をしていたところ、当時中学部の監督だった古結さん(現・大学の副ディレクター)がチーム全員を集めて「大学生の平郡君が合宿最終日の練習で亡くなった」とおっしゃいました。当時主将だった私は、副将の尾崎、宋、中学部コーチといっしょにお通夜に参列しました。たくさんの大学生が涙を流されていたのが印象的でした。
 当時の私から見た大学FIGHTERSは憧れの存在であり、雲の上のそのまた上の神のような存在でした(私達がそうなれているかは甚だ疑問ですが…)。平郡さんのことももちろん知っていましたが、「2年生やのにライスボウルにスタメンで出て活躍しててすごいなぁ」程度のものでした。平郡さんが亡くなられてから、お通夜と後日の追悼式、そして追悼集「雷の如く」を通じて、平郡さんがどれだけ大きな存在であったのかを知りました。
 「雷の如く」はこれまでに何度も読み返しました。壁にぶつかったときや現実から逃げたくなったときに平郡さんの想いにふれ、自分を奮い立たせてきました。平郡さんの仲間や自分に対し誰よりも厳しく、しかし心の奥底で誰よりも優しくあろうとする姿は、私にとって常に憧れであり、目標でした。
 私は今年初めてイヤーブックの尊敬する人の欄に「平郡さん」と書きました。今まで書かなかった、というか書けなかった理由についこの前気付けました。「平郡さん」の名前を出すことが怖かった、結局自分に自信がなかったのだと思います。今年の4月2日にお祈りをしたときに今書いているこの原稿は実は8割方できていました。しかし、今の私の取り組みで平郡さんのことを書く資格があるのか?と不安になり、アップできませんでした。
 2006年卒の副将LBの井上暁雄さんの卒業文集に「なぜあの人があんなにやりきったのか、やりきれたのか全くわからなかった。ただ、だるい後輩のまま終わった自分が恥ずかしく、申し訳なく思うだけだった。だから私は、テーピングに#5と書いたり、雷と書いたりは一度もしたことがない。したことがないというか出来なかった。」とありますが、たぶんほぼ同じ気持ちだったんだと思います。
 井上さんの文集はさらに続きます。「俺は理解しきれてへんかもしれへん(FIGHTERSを)。でももう、ええかっこせんと弱い所もヘグさんに支えてもらおう!ヘグさん力を貸してください。そう思ったら不思議と気持ちが楽になった。」
 最後の合宿を前に私も同じ気持ちでいます。4年は冬のミーティングやトレーニング、春シーズンを通じて、私も含めて「FIGHTERSの4年」としてまだまだ腹を括れていない。どこかで妥協してしまう弱い自分がいる。けど、最後の合宿で絶対に後悔だけはしたくない。私は今、平郡さんの名前を出すことで弱い自分と決別しようと思っています。それは平郡さんに頼っている弱い心の表れなのかもしれませんが、平郡さんの名前を口にすることが今の私の覚悟です。

「平郡さん。名前も顔も全然知らないと思いますが、平郡さんの『魂』は繋がっています。合宿が『最後で最大のチャンス』だと思っています。絶対にやりきってきます。見守っていて下さい。」
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