石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(17)真夏の甲子園球場で
夏の高校野球、第92回全国高校野球選手権大会が7日から、阪神甲子園球場で始まった。僕も例年通り朝早くから開会式のために甲子園球場に出掛けた。
なぜかこの数年、この大会の本部委員という肩書をいただいている。まずは球場の正面入り口近くにある大会本部に顔を出してあいさつ。特段の仕事はないので、すぐに通路に出て、集まってくる旧知の面々とあいさつを交わす。昔の同僚や後輩が、いまは朝日新聞社の幹部になってときめいている。その顔がみんな年齢相応に貫禄が付いている(老け込んでいる)のを見て、自分が朝日新聞社を退職してからの歳月を実感する。
なんと、この秋で定年後満6年。まさに「光陰矢の如し」である。本人はまだバリバリの現役気分でいるのだが、もちろん先日、このコラムに書かせてもらった通り、いまもある地方新聞で編集の責任者を務め、若い記者を育てる仕事をしているのだが、それでも互いに髪の毛が白くなったり薄くなったりしているのを見ると、時間の過ぎる速さにあ然とする。「歳月人を待たず」である。
開会式の入場後進が始まる。昨年は関西学院の高等部が兵庫代表として出場、鳥内監督の息子さんが選手として出場したが、今年は某コーチのお嬢さんが出場校のプラカードを持って入場行進の先導役を務めている。アメフット観戦用の双眼鏡を持参し、バックネット裏の役員席最前列から焦点を合わせて、表情を見る。逆光でよく見えなかったが、それでも緊張感が表情から伝わってくる。
思えば、僕の娘もその昔、このプラカードを持って入場行進の列に加わったことがある。第73回大会だから、もう20年近く前のことだ。娘が「甲子園に出る」というのは、わが家にとっては一大イベントだったから、その日は仕事を休んで朝から球場に駆けつけた。プラカードを持った娘の顔を望遠レンズで撮影し、思い切り拍手を送った。無事開会式を終え、退場してくると、こちらまでホッとして、肩の荷が下りたことを覚えている。
その後しばらくは、そのときの写真を職場に飾り、同僚や部下に見せて喜んでいたのだから、僕も相当な親ばかだ。いま、ファイターズの親御さんたちが、試合のたびに応援に駆けつけ、子どもの活躍に一喜一憂されている姿を見ると、その時の自分の姿を見ているようで、なんだかほほえましくなる。
某コーチの心境も似たようなものだろう。遠くに住まわれるおじいちゃんやおばあちゃんまで、球場に駆けつけられたそうだ。帰宅してからも、入場行進の録画放送を見ながら家族挙げて盛り上がっている姿は、想像に難くない。
そのビデオを見ながら「今度はお父さんが甲子園に出る番ですよ」と娘さんがいったかどうかは定かではない。
でも僕は、新装なった甲子園球場の美しい姿を眺め、満員の観衆の声援を聞きながら、「今度はファイターズが主役になる番だ」と思い続けていた。真夏の太陽に焼かれながら、冬枯れの芝生の上でファイターズの面々が躍動している姿を想像し、その日のプレーに心を躍らせていた。
開会式のあいさつで、奥島・高野連会長は「いまや夏の高校野球大会は、スポーツの祭典というだけにとどまらず、日本の文化の一つになった」と話された。それは92回を数える歴史が形成したものであり、過去、甲子園球場を舞台に繰り広げられた数多くの名勝負、感動的な場面の積み重ねによってもたらされたものである。どんなシナリオライターの想像も及ばない幾多のドラマが繰り広げられ、それが人々の記憶の中に、何層にも渡って積み重ねられてきた結果、夏の甲子園、高校野球は「日本の文化」になったのである。
アメフットも同じである。甲子園ボウルで繰り広げられた名勝負の数々が人々の心を揺さぶり、感動の記憶となって残っている。それが毎年、営々と積み重ねられて、現在の姿になった。
その主人公の一人として、ファイターズはこれまで、多くの足跡を甲子園のグラウンドに残してきた。そこに今年も、新たな1ページを刻んでもらいたい。高校球児が与えてくれる感動に倍する感動を与えてほしい。
夏の日差しを浴びて野球を見ながら、思いはすっかり冬枯れの芝生の上で躍動するファイターズに飛んでいた。
なぜかこの数年、この大会の本部委員という肩書をいただいている。まずは球場の正面入り口近くにある大会本部に顔を出してあいさつ。特段の仕事はないので、すぐに通路に出て、集まってくる旧知の面々とあいさつを交わす。昔の同僚や後輩が、いまは朝日新聞社の幹部になってときめいている。その顔がみんな年齢相応に貫禄が付いている(老け込んでいる)のを見て、自分が朝日新聞社を退職してからの歳月を実感する。
なんと、この秋で定年後満6年。まさに「光陰矢の如し」である。本人はまだバリバリの現役気分でいるのだが、もちろん先日、このコラムに書かせてもらった通り、いまもある地方新聞で編集の責任者を務め、若い記者を育てる仕事をしているのだが、それでも互いに髪の毛が白くなったり薄くなったりしているのを見ると、時間の過ぎる速さにあ然とする。「歳月人を待たず」である。
開会式の入場後進が始まる。昨年は関西学院の高等部が兵庫代表として出場、鳥内監督の息子さんが選手として出場したが、今年は某コーチのお嬢さんが出場校のプラカードを持って入場行進の先導役を務めている。アメフット観戦用の双眼鏡を持参し、バックネット裏の役員席最前列から焦点を合わせて、表情を見る。逆光でよく見えなかったが、それでも緊張感が表情から伝わってくる。
思えば、僕の娘もその昔、このプラカードを持って入場行進の列に加わったことがある。第73回大会だから、もう20年近く前のことだ。娘が「甲子園に出る」というのは、わが家にとっては一大イベントだったから、その日は仕事を休んで朝から球場に駆けつけた。プラカードを持った娘の顔を望遠レンズで撮影し、思い切り拍手を送った。無事開会式を終え、退場してくると、こちらまでホッとして、肩の荷が下りたことを覚えている。
その後しばらくは、そのときの写真を職場に飾り、同僚や部下に見せて喜んでいたのだから、僕も相当な親ばかだ。いま、ファイターズの親御さんたちが、試合のたびに応援に駆けつけ、子どもの活躍に一喜一憂されている姿を見ると、その時の自分の姿を見ているようで、なんだかほほえましくなる。
某コーチの心境も似たようなものだろう。遠くに住まわれるおじいちゃんやおばあちゃんまで、球場に駆けつけられたそうだ。帰宅してからも、入場行進の録画放送を見ながら家族挙げて盛り上がっている姿は、想像に難くない。
そのビデオを見ながら「今度はお父さんが甲子園に出る番ですよ」と娘さんがいったかどうかは定かではない。
でも僕は、新装なった甲子園球場の美しい姿を眺め、満員の観衆の声援を聞きながら、「今度はファイターズが主役になる番だ」と思い続けていた。真夏の太陽に焼かれながら、冬枯れの芝生の上でファイターズの面々が躍動している姿を想像し、その日のプレーに心を躍らせていた。
開会式のあいさつで、奥島・高野連会長は「いまや夏の高校野球大会は、スポーツの祭典というだけにとどまらず、日本の文化の一つになった」と話された。それは92回を数える歴史が形成したものであり、過去、甲子園球場を舞台に繰り広げられた数多くの名勝負、感動的な場面の積み重ねによってもたらされたものである。どんなシナリオライターの想像も及ばない幾多のドラマが繰り広げられ、それが人々の記憶の中に、何層にも渡って積み重ねられてきた結果、夏の甲子園、高校野球は「日本の文化」になったのである。
アメフットも同じである。甲子園ボウルで繰り広げられた名勝負の数々が人々の心を揺さぶり、感動の記憶となって残っている。それが毎年、営々と積み重ねられて、現在の姿になった。
その主人公の一人として、ファイターズはこれまで、多くの足跡を甲子園のグラウンドに残してきた。そこに今年も、新たな1ページを刻んでもらいたい。高校球児が与えてくれる感動に倍する感動を与えてほしい。
夏の日差しを浴びて野球を見ながら、思いはすっかり冬枯れの芝生の上で躍動するファイターズに飛んでいた。
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