石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(14)初めてのフットボール記事
職業として新聞記事を書き始めたのは、1968年3月。長野県にある信濃毎日新聞社に入社した翌日のことだ。そこで2年9カ月勤めて朝日新聞社に転職。60歳の定年まで勤めた後、和歌山県にある紀伊民報に再就職し、今年3月末まで一途に記事を書き続けてきた。
けれども、新聞にフットボールに関係する記事を書いたことは、数えるほどしかない。信濃毎日新聞では地方支局の勤務経験しかなく、朝日新聞では社会部関係の取材、紀伊民報では編集の責任者として論説やコラムを書いてきたからだ。
野球が好きだったから、それでも野球に関係する記事やコラムを書く機会は少なくなかった。いま話題の阪神タイガースに関係する記事も、その昔、阪神支局や大阪の社会部で働いているときに何本も書いている。
阪神支局で働いていた1975年11月には、人気絶頂の江夏投手が秋季練習中の甲子園球場に病いに苦しむ小学生を招き、「学校に通えるようになったら、試合で使うボールをプレゼントします」と約束していた「約束のボール」を手渡して励ました話題を特ダネとして社会面のトップに書いた。これは社内の特別の賞を受けたし、1985年に優勝して日本一になった時には、これまた社会面のトップに「生きててよかった」という大見出しの躍る記事を書いた。
2003年には「週刊朝日」から依頼されて、シーズンの優勝が決まるはるか前の7月15発行の「阪神優勝」と銘打った増刊号に「伊勢神宮で20年に一度、行われる遷宮という聖なる神事と同じように、タイガースもまた、20年単位で応援しなければやっていけないチームである。(中略)試合のたびに一喜一憂せず、優勝という言葉も胸の奥深くにしまって、いまは心静かに20年に一度の聖なる秋に備えようではないか」という長文の署名記事を書いたこともある。
けれども、アメフット関係の取材にはなぜか縁がなく、初めて社会面に記事を書いたのは1975年の秋。当時、監督だった武田建先生に「アメフットの魅力を伝えたいので、それにふさわしい部員を」と声を掛けて紹介してもらったスナッパー、吉川宏さんの話だった。
先生によると「RBの谷口君、QBの玉野君など、僕が期待している選手はたくさんいますが、せっかくの機会ですから、一番地味な役割でありながら、得点に直結する仕事をしている部員を」ということで紹介された選手である。
当時の僕は、アメフットには好守共にいくつものポジションがあり、足の速い人、腕力のある人、身体のでかい人など、それぞれの長所を組み合わせ、総合力て戦うスポーツだということは知っていたが、ゴールキックの時だけに登場し、スナップを投じるだけでチームに貢献している人がいることは知らなかった。その驚きを写真付きの記事にして送稿すると、担当デスクも驚き、社会面に掲載してくれた。
以上、昔のことをあれこれを紹介させていただいたのは、ほかでもない。この話もまたアメフットの魅力を伝えていると考えるからだ。足の速い人、多少、動きが悪くてもそれを補って余りある腕力や体力のある人、誰よりもボールを正確に投げられる人、相手の動きに誰よりも素早く反応出来る人、戦術や戦略を考えることが得意な人、ビデオの撮影やそれを練習教材として編集することに長けている人、ミスをして落ち込んだ仲間を慰め、励ますことの出来る人……。そうした多様な才能を持った人の持ち味を生かし、それをチームの総合力として戦える点がアメフットの最大の特徴である。選手の交代自由、ポジシの位置取りも基本的に自由。プレーごとに間合いがとられ、ベンチから作戦を指示し、グラウンドに出ている選手とベンチが共に戦えることも、他のスポーツにはない特徴といえるだろう。
そのトータルが勝敗を決める。そういう魅力を持ったスポーツがアメフットである、と武田先生は教えてくださったのだろう。
半世紀近く前、初めてのフットボール取材でそのことを教わって以来、フットボールはチームの総合力をどう高め、どのように結集し、どう発揮出来るかが勝敗を分けると、僕は思い定めている。週末の立命館との戦いでは、その総合力を存分に発揮してもらいたい。
けれども、新聞にフットボールに関係する記事を書いたことは、数えるほどしかない。信濃毎日新聞では地方支局の勤務経験しかなく、朝日新聞では社会部関係の取材、紀伊民報では編集の責任者として論説やコラムを書いてきたからだ。
野球が好きだったから、それでも野球に関係する記事やコラムを書く機会は少なくなかった。いま話題の阪神タイガースに関係する記事も、その昔、阪神支局や大阪の社会部で働いているときに何本も書いている。
阪神支局で働いていた1975年11月には、人気絶頂の江夏投手が秋季練習中の甲子園球場に病いに苦しむ小学生を招き、「学校に通えるようになったら、試合で使うボールをプレゼントします」と約束していた「約束のボール」を手渡して励ました話題を特ダネとして社会面のトップに書いた。これは社内の特別の賞を受けたし、1985年に優勝して日本一になった時には、これまた社会面のトップに「生きててよかった」という大見出しの躍る記事を書いた。
2003年には「週刊朝日」から依頼されて、シーズンの優勝が決まるはるか前の7月15発行の「阪神優勝」と銘打った増刊号に「伊勢神宮で20年に一度、行われる遷宮という聖なる神事と同じように、タイガースもまた、20年単位で応援しなければやっていけないチームである。(中略)試合のたびに一喜一憂せず、優勝という言葉も胸の奥深くにしまって、いまは心静かに20年に一度の聖なる秋に備えようではないか」という長文の署名記事を書いたこともある。
けれども、アメフット関係の取材にはなぜか縁がなく、初めて社会面に記事を書いたのは1975年の秋。当時、監督だった武田建先生に「アメフットの魅力を伝えたいので、それにふさわしい部員を」と声を掛けて紹介してもらったスナッパー、吉川宏さんの話だった。
先生によると「RBの谷口君、QBの玉野君など、僕が期待している選手はたくさんいますが、せっかくの機会ですから、一番地味な役割でありながら、得点に直結する仕事をしている部員を」ということで紹介された選手である。
当時の僕は、アメフットには好守共にいくつものポジションがあり、足の速い人、腕力のある人、身体のでかい人など、それぞれの長所を組み合わせ、総合力て戦うスポーツだということは知っていたが、ゴールキックの時だけに登場し、スナップを投じるだけでチームに貢献している人がいることは知らなかった。その驚きを写真付きの記事にして送稿すると、担当デスクも驚き、社会面に掲載してくれた。
以上、昔のことをあれこれを紹介させていただいたのは、ほかでもない。この話もまたアメフットの魅力を伝えていると考えるからだ。足の速い人、多少、動きが悪くてもそれを補って余りある腕力や体力のある人、誰よりもボールを正確に投げられる人、相手の動きに誰よりも素早く反応出来る人、戦術や戦略を考えることが得意な人、ビデオの撮影やそれを練習教材として編集することに長けている人、ミスをして落ち込んだ仲間を慰め、励ますことの出来る人……。そうした多様な才能を持った人の持ち味を生かし、それをチームの総合力として戦える点がアメフットの最大の特徴である。選手の交代自由、ポジシの位置取りも基本的に自由。プレーごとに間合いがとられ、ベンチから作戦を指示し、グラウンドに出ている選手とベンチが共に戦えることも、他のスポーツにはない特徴といえるだろう。
そのトータルが勝敗を決める。そういう魅力を持ったスポーツがアメフットである、と武田先生は教えてくださったのだろう。
半世紀近く前、初めてのフットボール取材でそのことを教わって以来、フットボールはチームの総合力をどう高め、どのように結集し、どう発揮出来るかが勝敗を分けると、僕は思い定めている。週末の立命館との戦いでは、その総合力を存分に発揮してもらいたい。
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