石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(9)濃密な時間
このところ、西宮に帰宅するたび、近所におわす神々にお参りし、お祈りを捧げている。一番身近なのは、旧段上村の若宮八幡神社。立派な松林に囲まれた静かなたたずまいの「お宮さん」であり、散歩の途上に立ち寄っては、賽銭を投じてファイターズの勝利を祈っている。
子どもの頃、わが家のすぐ裏手の山にも「戦いの神様」として近所の人たちから信仰されていた八幡さまがあり、正月の注連飾りを奉納するのがわが家の役割だった。小さなお宮だったが、毎年1月19日には餅撒きもあり、田舎の小学生にとってはそれが一大イベント。そんな頃から親しんでいる神様だから、いまだに願い事となれば、まず八幡神社が思い浮かぶ。
もう一つのお宮は仁川の弁天池に近い高台にある熊野神社。現在、僕が働いている和歌山県田辺市におわす熊野本宮大社とのご縁もあって、これまた散歩の途上にお参りするのが楽しみだ。住宅街の中にあるとは思えないほどの雰囲気のあるお社であり、急な階段を上るだけで、世俗の塵が払われていくような気持ちになれる。
ここでもお祈りするのはファイターズの勝利。なんだか節操がない気もするが、もう一つ関西学院大学の学生会館から第3フィールドに向かう途中にある上ヶ原の八幡様にも、もちろん頭を下げる。ここは第3フィールドが開設されて以来、毎年この時季にお参りしている地元の神様であり、不信心者の僕でも、特別に気合いが入る。
そして仕上げが第3フィールドを見晴らす平郡君の記念樹と彼への誓いの言葉を記した銘板。その言葉をじっくり読み上げ、在りし日の彼を偲びながら、彼がいまも勝利に向かって全力で取り組んでいる後輩たちを見守ってくれていることに感謝の気持ちを捧げる。
彼こそ僕がファイターズを目指す高校生に小論文の指導を始めた第1期生。今は追手門学院で教鞭をとっている池谷君とともに、朝日新聞大阪本社の喫茶室や地下の食堂でケーキとコーヒー、あるいは紅茶を注文して勉強会を重ねたのも懐かしい思い出だ。
彼もまた黄金期の立命館を相手に「打倒立命」を胸に刻み、全身全霊で立ち向かっていった勇士である。顔つきはとてつもなく柔和だが、いったんグラウンドに出れば、ファイターズと言う言葉が誰よりも似合う彼のことを思い出すと、懐かしく、また胸が熱くなってくる。
なんだか、話が脇道にそれてばかりだが、本筋に戻る。
11月28日、今週土曜日は、待ちに待った立命館との決戦。4年生はもちろん、チームの全員が待ち望んでいた戦いであり、この1年間のすべてをぶつける試合である。
今季は新型コロナウイルスの感染拡大で練習はもちろん、課外活動のすべてが長期間、停止される事態に直面したが、それでも選手・スタッフ、そして監督・コーチを中心にしたチーム関係者の努力、それに物心両面で支援していただいたOB会の協力で、なんとか関西リーグの頂点を競うところまでこぎ着けた。
その間、練習時間やグラウンドに入れる人数の制限など部の活動には数々の制約があり、チームの全員がかつてない苦境に立たされた。その制約は現在も続いている。例えば、練習の途中、一定の時間ごとに全員に手指の消毒を義務づけているのもその一つ。せっかく練習が盛り上がってきたところでそれを中断。全員が新品のマスクを着用し、オフェンスとディフェンスのメンバーが分散して消毒に向かう行列を見るたびに「本当に大変だ」という気持ちになる。
そうした苦労をすべて乗り越えて迎える決戦である。前例のない1年間、耐えに耐えてきた濃密な時間をぶつけてもらいたい。目の前に立ち塞がる強敵に一歩も引かずに戦ってもらいたい。
練りに練った戦術もあるだろうし、相手の分析もそれなりにできているだろう。けれども相手もそれ以上に準備を整えているはずだ。ここ20数年間の両チームの戦いを思い出せば、そうは簡単に勝てるチームではない。
そんな強力なチームを相手にどう活路を開くか。全員が結束し、火の玉になって立ち向かうしかない。過去には、絶対的に相手が有利と言われた状況を跳ね返して勝った学年もあるし、逆にちょっとした手違いで敗れた学年もある。リーグ戦で苦汁を飲まされながら代表決定戦で勝った試合もいくつもある。不思議の負けはあっても、不思議の勝ちはない。勝つべくして勝つためには、チームに名を連ねるメンバー全員がそれぞれの役割を果たせるかどうかにかかっている。
まだ、時間はある。互いにもたれ合うことなく、全員が最後の最後まで準備を徹底し、詰めるところを詰めて、試合に臨んでもらいたい。濃密な時間を重ねれば、その分、喜びも大きくなるはずだ。存分に戦い、存分に勝ってもらいたい。天に向かって拳を振り上げ、勝利の雄叫びをとどろかせてもらいたい。
健闘を祈る。
子どもの頃、わが家のすぐ裏手の山にも「戦いの神様」として近所の人たちから信仰されていた八幡さまがあり、正月の注連飾りを奉納するのがわが家の役割だった。小さなお宮だったが、毎年1月19日には餅撒きもあり、田舎の小学生にとってはそれが一大イベント。そんな頃から親しんでいる神様だから、いまだに願い事となれば、まず八幡神社が思い浮かぶ。
もう一つのお宮は仁川の弁天池に近い高台にある熊野神社。現在、僕が働いている和歌山県田辺市におわす熊野本宮大社とのご縁もあって、これまた散歩の途上にお参りするのが楽しみだ。住宅街の中にあるとは思えないほどの雰囲気のあるお社であり、急な階段を上るだけで、世俗の塵が払われていくような気持ちになれる。
ここでもお祈りするのはファイターズの勝利。なんだか節操がない気もするが、もう一つ関西学院大学の学生会館から第3フィールドに向かう途中にある上ヶ原の八幡様にも、もちろん頭を下げる。ここは第3フィールドが開設されて以来、毎年この時季にお参りしている地元の神様であり、不信心者の僕でも、特別に気合いが入る。
そして仕上げが第3フィールドを見晴らす平郡君の記念樹と彼への誓いの言葉を記した銘板。その言葉をじっくり読み上げ、在りし日の彼を偲びながら、彼がいまも勝利に向かって全力で取り組んでいる後輩たちを見守ってくれていることに感謝の気持ちを捧げる。
彼こそ僕がファイターズを目指す高校生に小論文の指導を始めた第1期生。今は追手門学院で教鞭をとっている池谷君とともに、朝日新聞大阪本社の喫茶室や地下の食堂でケーキとコーヒー、あるいは紅茶を注文して勉強会を重ねたのも懐かしい思い出だ。
彼もまた黄金期の立命館を相手に「打倒立命」を胸に刻み、全身全霊で立ち向かっていった勇士である。顔つきはとてつもなく柔和だが、いったんグラウンドに出れば、ファイターズと言う言葉が誰よりも似合う彼のことを思い出すと、懐かしく、また胸が熱くなってくる。
なんだか、話が脇道にそれてばかりだが、本筋に戻る。
11月28日、今週土曜日は、待ちに待った立命館との決戦。4年生はもちろん、チームの全員が待ち望んでいた戦いであり、この1年間のすべてをぶつける試合である。
今季は新型コロナウイルスの感染拡大で練習はもちろん、課外活動のすべてが長期間、停止される事態に直面したが、それでも選手・スタッフ、そして監督・コーチを中心にしたチーム関係者の努力、それに物心両面で支援していただいたOB会の協力で、なんとか関西リーグの頂点を競うところまでこぎ着けた。
その間、練習時間やグラウンドに入れる人数の制限など部の活動には数々の制約があり、チームの全員がかつてない苦境に立たされた。その制約は現在も続いている。例えば、練習の途中、一定の時間ごとに全員に手指の消毒を義務づけているのもその一つ。せっかく練習が盛り上がってきたところでそれを中断。全員が新品のマスクを着用し、オフェンスとディフェンスのメンバーが分散して消毒に向かう行列を見るたびに「本当に大変だ」という気持ちになる。
そうした苦労をすべて乗り越えて迎える決戦である。前例のない1年間、耐えに耐えてきた濃密な時間をぶつけてもらいたい。目の前に立ち塞がる強敵に一歩も引かずに戦ってもらいたい。
練りに練った戦術もあるだろうし、相手の分析もそれなりにできているだろう。けれども相手もそれ以上に準備を整えているはずだ。ここ20数年間の両チームの戦いを思い出せば、そうは簡単に勝てるチームではない。
そんな強力なチームを相手にどう活路を開くか。全員が結束し、火の玉になって立ち向かうしかない。過去には、絶対的に相手が有利と言われた状況を跳ね返して勝った学年もあるし、逆にちょっとした手違いで敗れた学年もある。リーグ戦で苦汁を飲まされながら代表決定戦で勝った試合もいくつもある。不思議の負けはあっても、不思議の勝ちはない。勝つべくして勝つためには、チームに名を連ねるメンバー全員がそれぞれの役割を果たせるかどうかにかかっている。
まだ、時間はある。互いにもたれ合うことなく、全員が最後の最後まで準備を徹底し、詰めるところを詰めて、試合に臨んでもらいたい。濃密な時間を重ねれば、その分、喜びも大きくなるはずだ。存分に戦い、存分に勝ってもらいたい。天に向かって拳を振り上げ、勝利の雄叫びをとどろかせてもらいたい。
健闘を祈る。
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