石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(21)司法試験合格者へのインタビュー
先日発表された新司法試験の合格者の中に、ファイターズOBの寺川拓氏(97年卒)の名前があった。ご承知の通り、この試験は法科大学院(ロースクール)を卒業した人だけが受験できる制度で、今年は受験者6,261人中2,065人が合格した。関学の法科大学院からは168人が受験し、合格者は51人だった。
従来の司法試験は何度でも受験できたが、この制度では受験機会が3回に限られている。判事や検事、弁護士になるためには必ず通過しなければならない難関中の難関である。
「ファイターズのOBには、税理士も医者もいますが、司法試験の合格者は初めてではないですか。よう頑張りました。彼の努力を知って、現役部員も大いに力づけられるでしょう」と鳥内監督も絶賛する。
寺川氏は大学を卒業後、阪急百貨店に入社、5年間勤務した。かたわら、社会人アメフットチーム「阪急ブルーインズ」でも活躍し、チームがXリーグの1部に昇格したときには主将も務めていた。
早速、寺川氏に会って、話を聞いた。
-会社務めを辞めて、弁護士を志望された動機からお聞きします。
-もともと、人とふれあう仕事がしたくて百貨店に就職したのですが、実際の仕事は仕入れとかもめごとの解決とか。自分自身が職場環境に合わせて成長すればよかったのですが、その努力もせず……。勉強し直して医者になろうか、針灸師になろうか、それとも司法書士はどうか、とか考えていました。悩んでいたところに、社会人チームの先輩の弁護士さんから「今度、ロースクールというものができる。そこを卒業すれば7割は(司法試験に)合格する」という話を聞いて「よし、それなら」と挑戦することにしたんです。
〈2004年春に関学の法科大学院に入学、2006年春に卒業。2006年5月から3年連続で司法試験に挑戦。3年目、つまり最後の受験機会となった今年、念願の合格通知を手にした〉
-会社を辞めてから、どんな風に勉強をされたんですか。
-まず、半年間は法科大学院に入るための勉強をしました。一応、法学部を出ているのですが、学生時代はアメフットに夢中で、司法試験のための勉強はまったくしていませんでしたので、法律の知識なんて経済学部や文学部の卒業生と同程度。大学院に入学してからも、最初の1年は授業についていけない状態でした。
-そこで、毎朝8時から、夜、大学院の閉まる11時まで、学校にこもって勉強を続けました。幸い自宅が近かったので、学校を勉強部屋のように使わせてもらいました。それだけ勉強して、ようやく大学院の2年目から法科大学院生らしい勉強ができるようになりました。
-司法試験を受け、不合格となった時はどんな気持ちでしたか。
-力不足を実感しました。1年目から短答式の試験には合格したのですが、論文式試験は不合格。勉強して知識を身につければ合格できる短答式はともかく、論文でどれだけのものを求められているのか分からず、恐ろしさを感じました。
-2年目も不合格となりましたが……。
-短答式の成績はすごくよかったのですが、論文がまたも不合格。何で落ちたのか。論文に何が足りなかったのか。人間が答案に現れるというのなら、自分のどこに問題があったのか。そんなことを考えるために3日間、大峰山に登り、山を歩き回って自分を見つめ直しました。
-その結論は。
-自分を変えなければ答案も書けない。自分の弱点から逃げるのではなく、壁を突破しない限り合格はない、ということでした。僕はもともと文を書くことが好きではなかったのですが、そういう言い訳を許す自分の甘さを乗り越えるしかないと思ったのです。
-それ以来、毎日2時間に1本ずつ、少なくても2本ずつの論文を書くことを自分に課し、それを家族や弁護士の先輩に見てもらうようにしました。他人に論文を見てもらうことは、自分をさらけ出す作業ですが、それによって自分の殻を破ることができました。
-自分の殻を破るとは。
-僕は学生時代から、自分を極めることがすべて、人の話を聞くよりも、まず自分を高めることに集中しようとして物事に取り組んできました。しかしそれは、裏返せば人の話が聞けないということでもあったのです。けれども、自分をさらけ出して書いた論文を人に見てもらうことで、素直に人から教えを乞う気持ちが生まれました。それが成長につながったのでしょう。自分の殻を破ったのだと思います。自分が心を開くことで、他人の教えを吸収するチャンスが広がり、それによって答案を書く力がどんどん上がっていく実感が持てました。
-そうして迎えた3度目、最後の試験。第4ダウン、ギャンブルという場面ですが、緊張しませんでしたか。
-気合は入っていたけど、緊張はしませんでした。これはファイターズの部員にもいえることでしょうが、大試合を前にやり残したことはないという実感を持って試合に臨むのと同じことだと思います。よく「勝敗は試合前の準備で決まっている」といいますが、そういう心境で試験に臨めました。
-法科大学院で勉強中、ファイターズの事は気になりませんでしたか。
-すごく気になりました。同じキャンパスですから、練習に向かう部員の姿もよく見かけます。そのたびに、グラウンドに行きたい衝動を抑えるのに必死でした。
-晴れて合格。いまの心境は。
-まっ先に鳥内監督に報告に行きました。「すごいな。やりおったわ。(この結果を聞いて)後輩も勇気づけられるわ」と言われて、本当にうれしく思いました。それと、試験に備えて勉強中、松本商店の前でばったりお会いした堀口コーチから「司法試験に合格するより、立命に勝つ方が難しいんやぞ」と言われたのも、うれしい励ましでした。自分一人の努力で何とかなる司法試験に比べて、立命に勝つためにはチーム全員が殻を破らなければならないから、より大変だ、俺たちもがんばっているからお前もガンバレという意味でしょうが、堀口さんらしい激励の仕方だと思い出します。
-ありがとうございました。
従来の司法試験は何度でも受験できたが、この制度では受験機会が3回に限られている。判事や検事、弁護士になるためには必ず通過しなければならない難関中の難関である。
「ファイターズのOBには、税理士も医者もいますが、司法試験の合格者は初めてではないですか。よう頑張りました。彼の努力を知って、現役部員も大いに力づけられるでしょう」と鳥内監督も絶賛する。
寺川氏は大学を卒業後、阪急百貨店に入社、5年間勤務した。かたわら、社会人アメフットチーム「阪急ブルーインズ」でも活躍し、チームがXリーグの1部に昇格したときには主将も務めていた。
早速、寺川氏に会って、話を聞いた。
-会社務めを辞めて、弁護士を志望された動機からお聞きします。
-もともと、人とふれあう仕事がしたくて百貨店に就職したのですが、実際の仕事は仕入れとかもめごとの解決とか。自分自身が職場環境に合わせて成長すればよかったのですが、その努力もせず……。勉強し直して医者になろうか、針灸師になろうか、それとも司法書士はどうか、とか考えていました。悩んでいたところに、社会人チームの先輩の弁護士さんから「今度、ロースクールというものができる。そこを卒業すれば7割は(司法試験に)合格する」という話を聞いて「よし、それなら」と挑戦することにしたんです。
〈2004年春に関学の法科大学院に入学、2006年春に卒業。2006年5月から3年連続で司法試験に挑戦。3年目、つまり最後の受験機会となった今年、念願の合格通知を手にした〉
-会社を辞めてから、どんな風に勉強をされたんですか。
-まず、半年間は法科大学院に入るための勉強をしました。一応、法学部を出ているのですが、学生時代はアメフットに夢中で、司法試験のための勉強はまったくしていませんでしたので、法律の知識なんて経済学部や文学部の卒業生と同程度。大学院に入学してからも、最初の1年は授業についていけない状態でした。
-そこで、毎朝8時から、夜、大学院の閉まる11時まで、学校にこもって勉強を続けました。幸い自宅が近かったので、学校を勉強部屋のように使わせてもらいました。それだけ勉強して、ようやく大学院の2年目から法科大学院生らしい勉強ができるようになりました。
-司法試験を受け、不合格となった時はどんな気持ちでしたか。
-力不足を実感しました。1年目から短答式の試験には合格したのですが、論文式試験は不合格。勉強して知識を身につければ合格できる短答式はともかく、論文でどれだけのものを求められているのか分からず、恐ろしさを感じました。
-2年目も不合格となりましたが……。
-短答式の成績はすごくよかったのですが、論文がまたも不合格。何で落ちたのか。論文に何が足りなかったのか。人間が答案に現れるというのなら、自分のどこに問題があったのか。そんなことを考えるために3日間、大峰山に登り、山を歩き回って自分を見つめ直しました。
-その結論は。
-自分を変えなければ答案も書けない。自分の弱点から逃げるのではなく、壁を突破しない限り合格はない、ということでした。僕はもともと文を書くことが好きではなかったのですが、そういう言い訳を許す自分の甘さを乗り越えるしかないと思ったのです。
-それ以来、毎日2時間に1本ずつ、少なくても2本ずつの論文を書くことを自分に課し、それを家族や弁護士の先輩に見てもらうようにしました。他人に論文を見てもらうことは、自分をさらけ出す作業ですが、それによって自分の殻を破ることができました。
-自分の殻を破るとは。
-僕は学生時代から、自分を極めることがすべて、人の話を聞くよりも、まず自分を高めることに集中しようとして物事に取り組んできました。しかしそれは、裏返せば人の話が聞けないということでもあったのです。けれども、自分をさらけ出して書いた論文を人に見てもらうことで、素直に人から教えを乞う気持ちが生まれました。それが成長につながったのでしょう。自分の殻を破ったのだと思います。自分が心を開くことで、他人の教えを吸収するチャンスが広がり、それによって答案を書く力がどんどん上がっていく実感が持てました。
-そうして迎えた3度目、最後の試験。第4ダウン、ギャンブルという場面ですが、緊張しませんでしたか。
-気合は入っていたけど、緊張はしませんでした。これはファイターズの部員にもいえることでしょうが、大試合を前にやり残したことはないという実感を持って試合に臨むのと同じことだと思います。よく「勝敗は試合前の準備で決まっている」といいますが、そういう心境で試験に臨めました。
-法科大学院で勉強中、ファイターズの事は気になりませんでしたか。
-すごく気になりました。同じキャンパスですから、練習に向かう部員の姿もよく見かけます。そのたびに、グラウンドに行きたい衝動を抑えるのに必死でした。
-晴れて合格。いまの心境は。
-まっ先に鳥内監督に報告に行きました。「すごいな。やりおったわ。(この結果を聞いて)後輩も勇気づけられるわ」と言われて、本当にうれしく思いました。それと、試験に備えて勉強中、松本商店の前でばったりお会いした堀口コーチから「司法試験に合格するより、立命に勝つ方が難しいんやぞ」と言われたのも、うれしい励ましでした。自分一人の努力で何とかなる司法試験に比べて、立命に勝つためにはチーム全員が殻を破らなければならないから、より大変だ、俺たちもがんばっているからお前もガンバレという意味でしょうが、堀口さんらしい激励の仕方だと思い出します。
-ありがとうございました。
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