石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(7)感動。そしてそれから。
26日午後5時半、ファイターズが学内で開いた記者会見が終了した後、僕はしばらく放心状態になっていた。会場を後にして時計台の前に立ち、ぼんやりと中央芝生を眺めていたが、頭が全く働かない。ある種の酩酊状態とでもいうのだろうか。それとも、さきほどまでの会見における感動の余韻が尾を引き、次の行動を起こす気にならなかったのか。そのまま家に帰るのももったいないような気分になった。
芝生に座ったまま、ぼんやりと2時間半に及ぶ記者会見の様子を回顧していた。思いは5月6日の日大との定期戦で今回の問題が発生して以降のファイターズの取り組みに移っていく。
10日の記者会見でファイターズが撮ったビデオを見せられたときの衝撃がよみがえる。「こんなプレーはあり得ない。一体何が起きたのか」「これは確信犯。当の選手は、なぜ、こんなプレーをしなければならなかったのか」「誰が指示したのか」。疑問が次々と浮かんできたことを思い出す。
続いて17日の会見。関学会館に100人以上の記者が詰めかけ、20台前後のテレビカメラが並んだ。その席で、疑問点を整理し、理路整然と相手チームに真相の究明を求める小野ディレクターの姿を思い返し、鳥内監督の短いがポイントを突いた発言を振り返る。双方の役割を明確に分担し、新聞やテレビの影響力の大きさを十分に理解したうえで説明される二人の姿に接して「危機管理はかくあるべし」と感動しながら聞いたことが昨日のように思い浮かぶ。
26日。キャンパス内の大教室で開かれた3度目の記者会見には、事態の広がりを証明するかのように、前回をはるかに上回る報道陣とカメラが詰めかけた。質問者が次々に立ち、被害者のお父さんからの説明もあったことから、会見は2時間半近くに及んだ。それでも会見は終始、冷静に進められた。冒頭、これまでの経過と、2度に及ぶファイターズから日大への質問状とそれに対する相手からの回答を基に、それでも残る疑問点や矛盾点を10箇条にわたって列挙し、その上でまとめたファイターズの見解を資料として記者全員に配付。その資料に沿って小野ディレクターが概要を説明したうえで「現段階では日大(部)の見解には強い疑念を抱かざるを得ず、これ以上の問答は平行線をたどる可能性が高いと考えます」と言い切った。その瞬間、僕は涙が出るほど感動した。
この結論を導き出すまでにチームが費やした時間、監督やコーチとも十分に打ち合わせたうえで一つ一つの文言を精査してきたディレクターとそれを支える3人のディレクター補佐の協力、学内の意思統一に費やされたであろう多大な労力。そうしたことを想像するだけでも頭が下がる。
一方で、アメリカに留学中の部長、池埜教授とは、何度もメールを交わし、負傷した選手とチームに対する精神的なケアについて、専門家としての立場から貴重な助言をいただいたとも聞いている。
さらには、会場で配布された資料からは、チームのOBでもある二人の弁護士(寺川拓氏と三村茂太氏)から被害者とその家族、さらにはチームの対応に対する適切な助言があり、法律の専門家ならでは協力があったこともうかがえる。
このようにファイターズの総力を結集して取り組んだ成果がこの日の記者会見である。延々と続く記者の質問から一切逃げることなく、的確な回答をされる鳥内監督と小野さんの言葉と堂々とした姿勢に、表現する言葉が見つからないほどの感銘を受けた。
これがファイターズの底力だ、こうした素晴らしい危機管理ができるチームの端っこに、僕も連なっている。そう思っただけで、涙が出てきた。
チームの底力という点からいえば、OBたちのチームを思う熱い気持ちにも触れなくてはならない。
今でこそ、今回の問題が広く話題になり、連日のように新聞やテレビ、週刊誌が大々的に取り上げているが、チームが1回目の記者会見を開いた10日の時点では、そこまでの広がりはなかった。中には、どうしてそんなことを聞くのかと首をかしげたくなるような質問さえあった。
そういう状況に変化を持ち込んだのが、アメフットに詳しい各紙の専門記者であり、専門誌の記者である。アメフット界の現状に警鐘を乱打し、未来に向けての提言を懸命に記事にしてくれた。朝日新聞でいえば、問題のタックルの場面を連続写真で紹介し、相手側ベンチがボールの行方ではなく、当該のタックルに目をやっている「不自然な視線」に読者の注目を呼び込んだ榊原一生記者。日大の内田監督の伊丹空港での会見で、ポイントを突いた質問を投げかけ、矛盾に満ちた回答を引き出して、問題のありかを明白にした大西史恭記者。そして、ファイターズのOBでもある二人の先輩である篠原大輔記者。彼は京大のアメフット部出身だが、あの試合で退場になった後、テントの中に入って泣いている相手守備選手の写真を撮り、そのシーンを中心にコラムを書いて、問題のありかを明確にしてくれた。
公正中立であるべき記者の立場を考えれば、彼らがフットボール選手であった経歴は、プラスになると同時に制約も多かったと想像する。けれどもフットボールを愛し、その未来を危ぶむ気持ちから、思い切って問題の核心をえぐり出してくれた記者魂に頭が下がる。それは上記の3人に限らず、フットボールを愛する専門記者すべてに共通する思いであったろう。
こうしたことの総和ともいえるのが26日の記者会見。監督、コーチからスタッフ、部長に至るまで、大人の叡智のすべてを結集して問題の所在を明らかにし、主張すべきは主張し、守るべきは守ってきたファイターズの総合力を存分に見せつけられて、僕はしばし、キャンパスから去り難かったのである。
それから3日後。
29日夜には、日大が所属する関東学生アメリカンフットボール連盟が臨時理事会を開き、日大に対する処分を決めた。内訳は、内田前監督と井上前コーチは除名、森コーチは資格剥奪、関学の選手を負傷させた選手は今シーズン終了までの出場資格停止、アメフト部には今シーズン終了までの公式試合の出場資格停止という内容である。
芝生に座ったまま、ぼんやりと2時間半に及ぶ記者会見の様子を回顧していた。思いは5月6日の日大との定期戦で今回の問題が発生して以降のファイターズの取り組みに移っていく。
10日の記者会見でファイターズが撮ったビデオを見せられたときの衝撃がよみがえる。「こんなプレーはあり得ない。一体何が起きたのか」「これは確信犯。当の選手は、なぜ、こんなプレーをしなければならなかったのか」「誰が指示したのか」。疑問が次々と浮かんできたことを思い出す。
続いて17日の会見。関学会館に100人以上の記者が詰めかけ、20台前後のテレビカメラが並んだ。その席で、疑問点を整理し、理路整然と相手チームに真相の究明を求める小野ディレクターの姿を思い返し、鳥内監督の短いがポイントを突いた発言を振り返る。双方の役割を明確に分担し、新聞やテレビの影響力の大きさを十分に理解したうえで説明される二人の姿に接して「危機管理はかくあるべし」と感動しながら聞いたことが昨日のように思い浮かぶ。
26日。キャンパス内の大教室で開かれた3度目の記者会見には、事態の広がりを証明するかのように、前回をはるかに上回る報道陣とカメラが詰めかけた。質問者が次々に立ち、被害者のお父さんからの説明もあったことから、会見は2時間半近くに及んだ。それでも会見は終始、冷静に進められた。冒頭、これまでの経過と、2度に及ぶファイターズから日大への質問状とそれに対する相手からの回答を基に、それでも残る疑問点や矛盾点を10箇条にわたって列挙し、その上でまとめたファイターズの見解を資料として記者全員に配付。その資料に沿って小野ディレクターが概要を説明したうえで「現段階では日大(部)の見解には強い疑念を抱かざるを得ず、これ以上の問答は平行線をたどる可能性が高いと考えます」と言い切った。その瞬間、僕は涙が出るほど感動した。
この結論を導き出すまでにチームが費やした時間、監督やコーチとも十分に打ち合わせたうえで一つ一つの文言を精査してきたディレクターとそれを支える3人のディレクター補佐の協力、学内の意思統一に費やされたであろう多大な労力。そうしたことを想像するだけでも頭が下がる。
一方で、アメリカに留学中の部長、池埜教授とは、何度もメールを交わし、負傷した選手とチームに対する精神的なケアについて、専門家としての立場から貴重な助言をいただいたとも聞いている。
さらには、会場で配布された資料からは、チームのOBでもある二人の弁護士(寺川拓氏と三村茂太氏)から被害者とその家族、さらにはチームの対応に対する適切な助言があり、法律の専門家ならでは協力があったこともうかがえる。
このようにファイターズの総力を結集して取り組んだ成果がこの日の記者会見である。延々と続く記者の質問から一切逃げることなく、的確な回答をされる鳥内監督と小野さんの言葉と堂々とした姿勢に、表現する言葉が見つからないほどの感銘を受けた。
これがファイターズの底力だ、こうした素晴らしい危機管理ができるチームの端っこに、僕も連なっている。そう思っただけで、涙が出てきた。
チームの底力という点からいえば、OBたちのチームを思う熱い気持ちにも触れなくてはならない。
今でこそ、今回の問題が広く話題になり、連日のように新聞やテレビ、週刊誌が大々的に取り上げているが、チームが1回目の記者会見を開いた10日の時点では、そこまでの広がりはなかった。中には、どうしてそんなことを聞くのかと首をかしげたくなるような質問さえあった。
そういう状況に変化を持ち込んだのが、アメフットに詳しい各紙の専門記者であり、専門誌の記者である。アメフット界の現状に警鐘を乱打し、未来に向けての提言を懸命に記事にしてくれた。朝日新聞でいえば、問題のタックルの場面を連続写真で紹介し、相手側ベンチがボールの行方ではなく、当該のタックルに目をやっている「不自然な視線」に読者の注目を呼び込んだ榊原一生記者。日大の内田監督の伊丹空港での会見で、ポイントを突いた質問を投げかけ、矛盾に満ちた回答を引き出して、問題のありかを明白にした大西史恭記者。そして、ファイターズのOBでもある二人の先輩である篠原大輔記者。彼は京大のアメフット部出身だが、あの試合で退場になった後、テントの中に入って泣いている相手守備選手の写真を撮り、そのシーンを中心にコラムを書いて、問題のありかを明確にしてくれた。
公正中立であるべき記者の立場を考えれば、彼らがフットボール選手であった経歴は、プラスになると同時に制約も多かったと想像する。けれどもフットボールを愛し、その未来を危ぶむ気持ちから、思い切って問題の核心をえぐり出してくれた記者魂に頭が下がる。それは上記の3人に限らず、フットボールを愛する専門記者すべてに共通する思いであったろう。
こうしたことの総和ともいえるのが26日の記者会見。監督、コーチからスタッフ、部長に至るまで、大人の叡智のすべてを結集して問題の所在を明らかにし、主張すべきは主張し、守るべきは守ってきたファイターズの総合力を存分に見せつけられて、僕はしばし、キャンパスから去り難かったのである。
それから3日後。
29日夜には、日大が所属する関東学生アメリカンフットボール連盟が臨時理事会を開き、日大に対する処分を決めた。内訳は、内田前監督と井上前コーチは除名、森コーチは資格剥奪、関学の選手を負傷させた選手は今シーズン終了までの出場資格停止、アメフト部には今シーズン終了までの公式試合の出場資格停止という内容である。
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