石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(14)「どうした関学」といわれて
いま発売中のタッチダウン誌に「どうした関学」という小さな特集記事がある。お読みになっていない方のために、ポイントだけをお伝えしよう。
結論から言えば、その記事は春のシーズンのファイターズの戦いぶりを振り返り「どうした?関学」と問いかけているのである。
今季のファイターズは、初戦の日体大戦こそ大差で勝ったが、続く日大と京大の試合は、終盤にかろうじて逆転勝ち。内容的には、ともに押しまくられていた。唯一、社会人との戦いとなったアサヒ飲料戦は、なすすべなく大敗。東京に出掛けて戦った明治大戦も、相手に存分に走られて敗れ、最後の関大戦も終始リードを許し、最後の攻撃シリーズでなんとか逆転勝ち。
こういう戦いの足跡を振り返って「どうした?関学」と疑問を投げ掛け、本当の力はどの辺にあるのか、もたつきの原因はどこにあるのかと探っているのである。
たしかに今季の戦いぶりを見る限り、ファイターズのひ弱さは際立っている。その辺りのことは、このコラムの9回目や12回目にも書いてきた。僕自身が「どうした?ファイターズ」と聞きたいぐらいだ。
タッチダウン誌では、主将の新谷君や副将の亀井君へのインタビューを紹介したり、大村コーチの発言を補足したりしながら「どうした」の内容を突き止めようとしていた。しかし、当然のことながら、そう簡単に原因が突き止められるわけではない。その前に、本当に実力が落ちているのかどうかも検証できないだろう。
第一、監督をはじめコーチ陣があたふたしていない。僕のような素人がスタンドから見ていると、かなり今季は苦しそうだと見えるのだが、内部をよく知る監督やコーチから見れば、それほど心配することではないのかもしれない。例年になく2年生や1年生に成長を期待できるタレントがそろっていることで、チーム内の競争が激しくなり、夏から秋にかけてチーム力が飛躍的に上昇する手応えをつかんでいるのかもしれない。
あるいは、いまは昨年とは根本的に異なるチーム作りをしている途上であり、春の試合結果や内容は、そんなに気にしていないのかもしれない。「どうした関学」と問われても、本当のことは答えたくない、あるいは答えようがないのである。あえて答えを求めても「秋のシーズンを見てください」というのが正解かもしれない。
ならば、春のシーズンを振り返って、外野からとやかく言っても仕方がない。
それよりも、選手たちにとって、少しは実のあること、成長につながるかもしれないことを言っておく方がまだ生産的だろう。
こんな話がある。紹介したい。
先日、和歌山県田辺市で、関学の「教育フォーラム」が開かれ、関学の教授で精神科医の野田正彰さんが講演をされた。タイトルは「現代の子どもを考える」。題名の通り、現代という、子どもにとって生きにくい社会をどう生きるか、という内容の話だった。1時間半ほどの内容の濃い話だったが、その結論の部分で、野田先生は「私たちが生きていくために大切なこと」として次のようなことを話された。
一つは、情報化社会の中で、単なる知識は流れる情報と同じですぐに古くなってしまう。だからこそ知識に偏るのではなく、生きていくモチーフ、意欲が必要です。社会と接する中で、子どもは「あんな事がしたい」「こんな風になりたい」と思っています。その社会性を広げ、大人が一緒になって楽しむことが必要ではないでしょうか。だからモチベーションを持つことが最も大切なことです。自分の成長過程で得たそれぞれの物語から、自分の関心を高めていくという確かなモノを持つことが必要なのです。
もう一つある。人と人との信頼を形成する判断力を大切にすることです。「有名な会社に行っている」ということは、人を判断する材料にはなりません。自分なりの判断力を持つことが必要なのです。
そういう話だった。
これは「子どもが生きていくために必要なこと」として話をされたのだが、それを「ファイターズで成長するために必要なこと」と置き換えて考えれば、分かりやすい。
つまり、アメリカンフットボールに志したころはだれも「あんな選手になりたい」「あんなプレーがしてみたい」と思ったはずだ。自ら選んだ、その憧れというか目標に向かって意欲的に取り組むことが、自分を高めることにつながり、それが確固たる自信になって社会を生きていく力になるはずである。
もう一つの自分の判断力を磨く、自分なりの物差しを身につけることは、人と人との信頼を形成することから始まる。それもまたアメフットという競技の根底を成す事柄である。仲間への信頼、コーチと選手との信頼関係、自分自身への信頼。それを築き上げるためには、自らが立ち上がるしかない。自分自身に厳しい課題を課し、それを実現して見せなければ、周囲の信頼は得られない。口先だけでは通用しないのである。
アメフットには、まったく門外漢の先生の話だったが、こう考えると、ファイターズの諸君にとっても、示唆に富む内容が一杯含まれていた。あえて紹介させていただいた理由である。
結論から言えば、その記事は春のシーズンのファイターズの戦いぶりを振り返り「どうした?関学」と問いかけているのである。
今季のファイターズは、初戦の日体大戦こそ大差で勝ったが、続く日大と京大の試合は、終盤にかろうじて逆転勝ち。内容的には、ともに押しまくられていた。唯一、社会人との戦いとなったアサヒ飲料戦は、なすすべなく大敗。東京に出掛けて戦った明治大戦も、相手に存分に走られて敗れ、最後の関大戦も終始リードを許し、最後の攻撃シリーズでなんとか逆転勝ち。
こういう戦いの足跡を振り返って「どうした?関学」と疑問を投げ掛け、本当の力はどの辺にあるのか、もたつきの原因はどこにあるのかと探っているのである。
たしかに今季の戦いぶりを見る限り、ファイターズのひ弱さは際立っている。その辺りのことは、このコラムの9回目や12回目にも書いてきた。僕自身が「どうした?ファイターズ」と聞きたいぐらいだ。
タッチダウン誌では、主将の新谷君や副将の亀井君へのインタビューを紹介したり、大村コーチの発言を補足したりしながら「どうした」の内容を突き止めようとしていた。しかし、当然のことながら、そう簡単に原因が突き止められるわけではない。その前に、本当に実力が落ちているのかどうかも検証できないだろう。
第一、監督をはじめコーチ陣があたふたしていない。僕のような素人がスタンドから見ていると、かなり今季は苦しそうだと見えるのだが、内部をよく知る監督やコーチから見れば、それほど心配することではないのかもしれない。例年になく2年生や1年生に成長を期待できるタレントがそろっていることで、チーム内の競争が激しくなり、夏から秋にかけてチーム力が飛躍的に上昇する手応えをつかんでいるのかもしれない。
あるいは、いまは昨年とは根本的に異なるチーム作りをしている途上であり、春の試合結果や内容は、そんなに気にしていないのかもしれない。「どうした関学」と問われても、本当のことは答えたくない、あるいは答えようがないのである。あえて答えを求めても「秋のシーズンを見てください」というのが正解かもしれない。
ならば、春のシーズンを振り返って、外野からとやかく言っても仕方がない。
それよりも、選手たちにとって、少しは実のあること、成長につながるかもしれないことを言っておく方がまだ生産的だろう。
こんな話がある。紹介したい。
先日、和歌山県田辺市で、関学の「教育フォーラム」が開かれ、関学の教授で精神科医の野田正彰さんが講演をされた。タイトルは「現代の子どもを考える」。題名の通り、現代という、子どもにとって生きにくい社会をどう生きるか、という内容の話だった。1時間半ほどの内容の濃い話だったが、その結論の部分で、野田先生は「私たちが生きていくために大切なこと」として次のようなことを話された。
一つは、情報化社会の中で、単なる知識は流れる情報と同じですぐに古くなってしまう。だからこそ知識に偏るのではなく、生きていくモチーフ、意欲が必要です。社会と接する中で、子どもは「あんな事がしたい」「こんな風になりたい」と思っています。その社会性を広げ、大人が一緒になって楽しむことが必要ではないでしょうか。だからモチベーションを持つことが最も大切なことです。自分の成長過程で得たそれぞれの物語から、自分の関心を高めていくという確かなモノを持つことが必要なのです。
もう一つある。人と人との信頼を形成する判断力を大切にすることです。「有名な会社に行っている」ということは、人を判断する材料にはなりません。自分なりの判断力を持つことが必要なのです。
そういう話だった。
これは「子どもが生きていくために必要なこと」として話をされたのだが、それを「ファイターズで成長するために必要なこと」と置き換えて考えれば、分かりやすい。
つまり、アメリカンフットボールに志したころはだれも「あんな選手になりたい」「あんなプレーがしてみたい」と思ったはずだ。自ら選んだ、その憧れというか目標に向かって意欲的に取り組むことが、自分を高めることにつながり、それが確固たる自信になって社会を生きていく力になるはずである。
もう一つの自分の判断力を磨く、自分なりの物差しを身につけることは、人と人との信頼を形成することから始まる。それもまたアメフットという競技の根底を成す事柄である。仲間への信頼、コーチと選手との信頼関係、自分自身への信頼。それを築き上げるためには、自らが立ち上がるしかない。自分自身に厳しい課題を課し、それを実現して見せなければ、周囲の信頼は得られない。口先だけでは通用しないのである。
アメフットには、まったく門外漢の先生の話だったが、こう考えると、ファイターズの諸君にとっても、示唆に富む内容が一杯含まれていた。あえて紹介させていただいた理由である。
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