石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(2)昨日とは違う風景
たまにしか練習を見ていない人間がいうのもなんだが、3月と4月とでは、上ケ原の第3フィールドの風景がガラリと変わった。
一言でいえば、練習の密度が濃くなったのである。練習のための練習ではなく、試合を想定した練習。試合に向かうための練習になりつあるといってもいいだろう。
もちろん、まだ春先である。夏の合宿に見られるようなガチンコの練習ではない。試合に向けての細かいプレーをチェックしているわけでもない。すべての基本になるような内容を練習計画に沿ってひとつひとつこなしているだけである。連日のように、他の大学から多くの選手が練習に参加していることもあって、特別なことは何一つしていない。地味な練習である。
けれども、グラウンドの空気はガラリと変わった。選手たちの取り組みも変わった。
例えば、パスのコース取りの練習で、レシーバーが当たりにきたDBを仰向けに突き倒す場面があった。それを悔しがったDBたちが、レシーバー陣により厳しいチェックをする場面も目撃した。オフェンスラインとディフェンスラインの攻防でも、これまでなら当たりあった瞬間、台になる選手が力を抜いていたのに、いまはきちんと当たりあっている。全体の練習から見れば、ほんの些細な違い、局地的なやりとりではあるが、いわば、シャドーボクシングからスパーリングへの変化。「寸止め空手」から「実戦空手」への発展と見られるような練習をしているのである。
理由はいくつか考えられる。4月1日から、全体練習が始まったこと、監督をはじめコーチも全員が顔をそろえてグラウンドに降りて練習を見ておられること、新しくフルタイムのコーチとして社会人のコーチとして実績を積んでこられた大村和輝氏が加わったこと。それらが相乗効果を及ぼして、グラウンドの空気を引き締めているのだろう。
もちろん新谷主将以下、選手やスタッフが今季にかける熱い思いを持っているからこそ、練習も熱くなるのだろう。「馬を岸辺に連れて行くことはできても、(馬が飲む気にならないと)水を飲ませることはできない」という言葉がある。選手の気持ちが高まって初めて、コーチも腕を発揮できるし、全体練習も効果が上がるのである。
さらに、もう一つ。僕の「岡目八目」では、練習の取り組みをほんの少しばかり変更したことが、想像以上にチームの雰囲気を変えているように思える。どういうことか。
一言でいうと、これまではパートの自主性を優先し、それぞれのリーダーに任せていた練習の進行を、チームの練習を優先させるようにしたことである。もちろん、パートごとの練習はそれぞれのリーダーを中心にしっかりやっているのだが、それに少しばかりチームとしての練習を繰り入れることで、グラウンドの風景が変わってしまったのだ。少なくとも昨年の春とは違うし、ほんの1週間前とも様子が違う。
まだほんの数日のことだが、その変化が練習に活気をもたらせ、チームとしてより高い次元に到達したいという願望を具体化しているように、僕には感じられる。外見的には、ほんの些細な変化だが、質的には大きな変化であり、極めて好ましい変化であると、僕には思えるのである。
この光景から、数年前、武術家の甲野善紀さんが上ケ原のグラウンドを訪れ、練習中の部員に、古武術に想を得た体の使い方を披露されたときのことを思い出す。そのとき甲野さんはファイターズの部員やOBの山田晋三氏らを相手にタックルを受けられたのだが、ヘルメットを装着したときにはまったくタックルをかわせなかったのに、ヘルメットを外した途端にすべてのタックルをかわしてしまわれた。甲野さんに聞くと、ヘルメットを着けていたときは、ガードの部分で瞬間的に目が切れるので体が思い通りに動かなかったけれども、外してみると相手の動きが「スローモーションのように見えて」すべてタックルを外すことができたとのことだった。
当事者以外には、まったく気付かない些細なことだが、その些細なことが技の切れに直接影響していたのである。この話を聞いたときに、技とは、そういう微細な部分の積み重ねで成り立っている、そういう細部を丁寧に追求するからこそ、技と呼ぶに値する体の使い方ができるのだと感心した。
ファイターズの練習も同様である。「ほんの少しのゆるみ」であっても、そこにメスを入れるのと、入れないまま漫然と前例通りの練習法を踏襲しているのでは大違いである。ちょっとした工夫が、効果を発揮し、グラウンドの風景を変えたのだと僕は思った。
これを一過性の変化に終わらせてはならない。昨年の悔しさをかみしめるだけではなく、反省を教訓として、小さくてもいい、新たな手を打ち続けてほしい。監督もコーチも、選手もスタッフも、全員が営々と「細心の注意」を払って練習に取り組み、昨年、ライバルチームが到達したレベルを超える次元にチームを作り上げてほしい。
一言でいえば、練習の密度が濃くなったのである。練習のための練習ではなく、試合を想定した練習。試合に向かうための練習になりつあるといってもいいだろう。
もちろん、まだ春先である。夏の合宿に見られるようなガチンコの練習ではない。試合に向けての細かいプレーをチェックしているわけでもない。すべての基本になるような内容を練習計画に沿ってひとつひとつこなしているだけである。連日のように、他の大学から多くの選手が練習に参加していることもあって、特別なことは何一つしていない。地味な練習である。
けれども、グラウンドの空気はガラリと変わった。選手たちの取り組みも変わった。
例えば、パスのコース取りの練習で、レシーバーが当たりにきたDBを仰向けに突き倒す場面があった。それを悔しがったDBたちが、レシーバー陣により厳しいチェックをする場面も目撃した。オフェンスラインとディフェンスラインの攻防でも、これまでなら当たりあった瞬間、台になる選手が力を抜いていたのに、いまはきちんと当たりあっている。全体の練習から見れば、ほんの些細な違い、局地的なやりとりではあるが、いわば、シャドーボクシングからスパーリングへの変化。「寸止め空手」から「実戦空手」への発展と見られるような練習をしているのである。
理由はいくつか考えられる。4月1日から、全体練習が始まったこと、監督をはじめコーチも全員が顔をそろえてグラウンドに降りて練習を見ておられること、新しくフルタイムのコーチとして社会人のコーチとして実績を積んでこられた大村和輝氏が加わったこと。それらが相乗効果を及ぼして、グラウンドの空気を引き締めているのだろう。
もちろん新谷主将以下、選手やスタッフが今季にかける熱い思いを持っているからこそ、練習も熱くなるのだろう。「馬を岸辺に連れて行くことはできても、(馬が飲む気にならないと)水を飲ませることはできない」という言葉がある。選手の気持ちが高まって初めて、コーチも腕を発揮できるし、全体練習も効果が上がるのである。
さらに、もう一つ。僕の「岡目八目」では、練習の取り組みをほんの少しばかり変更したことが、想像以上にチームの雰囲気を変えているように思える。どういうことか。
一言でいうと、これまではパートの自主性を優先し、それぞれのリーダーに任せていた練習の進行を、チームの練習を優先させるようにしたことである。もちろん、パートごとの練習はそれぞれのリーダーを中心にしっかりやっているのだが、それに少しばかりチームとしての練習を繰り入れることで、グラウンドの風景が変わってしまったのだ。少なくとも昨年の春とは違うし、ほんの1週間前とも様子が違う。
まだほんの数日のことだが、その変化が練習に活気をもたらせ、チームとしてより高い次元に到達したいという願望を具体化しているように、僕には感じられる。外見的には、ほんの些細な変化だが、質的には大きな変化であり、極めて好ましい変化であると、僕には思えるのである。
この光景から、数年前、武術家の甲野善紀さんが上ケ原のグラウンドを訪れ、練習中の部員に、古武術に想を得た体の使い方を披露されたときのことを思い出す。そのとき甲野さんはファイターズの部員やOBの山田晋三氏らを相手にタックルを受けられたのだが、ヘルメットを装着したときにはまったくタックルをかわせなかったのに、ヘルメットを外した途端にすべてのタックルをかわしてしまわれた。甲野さんに聞くと、ヘルメットを着けていたときは、ガードの部分で瞬間的に目が切れるので体が思い通りに動かなかったけれども、外してみると相手の動きが「スローモーションのように見えて」すべてタックルを外すことができたとのことだった。
当事者以外には、まったく気付かない些細なことだが、その些細なことが技の切れに直接影響していたのである。この話を聞いたときに、技とは、そういう微細な部分の積み重ねで成り立っている、そういう細部を丁寧に追求するからこそ、技と呼ぶに値する体の使い方ができるのだと感心した。
ファイターズの練習も同様である。「ほんの少しのゆるみ」であっても、そこにメスを入れるのと、入れないまま漫然と前例通りの練習法を踏襲しているのでは大違いである。ちょっとした工夫が、効果を発揮し、グラウンドの風景を変えたのだと僕は思った。
これを一過性の変化に終わらせてはならない。昨年の悔しさをかみしめるだけではなく、反省を教訓として、小さくてもいい、新たな手を打ち続けてほしい。監督もコーチも、選手もスタッフも、全員が営々と「細心の注意」を払って練習に取り組み、昨年、ライバルチームが到達したレベルを超える次元にチームを作り上げてほしい。
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