第61回(2007年度)ライスボウル特設コラム(8)

 

 



爆発(explosion) -史上最高のパスゲーム-

QB/WRコーチ  小野 宏

 
(1)“日本代表”との対決 (5)OLたちの詩 (9)ロジスティックス
(2)二つのノーハドル (6)ショットガンの5年 (10)カズタの物語
(3)人が変わる時 (7)ラン&シュートへの挑戦 (11)後世畏るべし
(4)ゴール前の罠 (8)マネジメント改革  
 
(8)マネジメント改革

コーディネーターの交代

 2007年度のオフェンスは、コーチングの体制も大きな変革を実行した。前年までOL専門だった神田コーチと攻撃コーディネーターを私と交代した。12年ぶりの交代である。コーディネーターは年間の攻撃のグランドデザインやシーズンを通じてのストラテジー、試合ごとのゲームプラン、プレイ一つ一つの吟味、そして、試合でのプレーコール――そのすべての責任を負う。フットボールは将棋とラグビーを組み合わせたような極端に戦術的なスポーツである。将棋の指し手が一手誤れば、それがそのまま試合の結果に直結する。コーチのプレーコールの質が試合の3割近くにまで反映するというのが、関学で12年間150試合近くコールを出してきた実感だ。現有の戦力を高めることもできれば、たった一つのプレーコールのミスで部員たちの1年間の努力を水の泡にすることもある。痛恨のコールを犯し、私自身、自分の無能さに打ちひしがれたことも一度や二度ではない。
 元々OL出身でOLコーチを続けてきた神田・新コーディネーターがこの高度なパッシングゲームをきちんと理解することは容易なことではない。しかし、我々のオフェンスが一段上がるためには無理にでも進めなければならない改革だった。
 神田コーディネーターは関西学院で施設部に勤務しており、2008年度には西宮上ヶ原キャンパスに人間福祉学部、宝塚キャンパスに初等部(小学校)が開設される。どちらも新しい校舎が建設され、そのすべての物品購入の担当責任者であるため、業務は今までにない忙しさになった。練習後も職場に戻っての残業が続き、コーディネーター業に費やせる時間は当然帰宅後から翌朝までしかない。横から見ていた様子を擬態語で表現すれば、「ヘトヘト」というよりも「ヘロヘロ」の方が的確かもしれない。

コーチング質量の増加

 コーディネーター役を下りたことで私自身はQB/WRのポジションコーチに戻り、パッシングゲームの向上に取り組むことができた。もちろんコーディネーターの仕事も全部預けたわけではなく2人で分担をしたり協力して神田コーディネーターの負担の軽減を図った。
 この役割分担の変更で神田コーディネーターはコーチとして大きく成長した。結果的に2人のコーチングの質×量の合計は前年の1.2倍になったと思う。
 我々よりも上にいる立命に対して勝つためには戦力を向上させなければならない。しかし、すぐれた人材が急に集まるわけはなく、コーチの人数を増やせるわけでもない。環境的な不利を選手の努力の増大でカバーしようとすれば悪しき精神主義に陥るだけだ。だから、残された道の一つはコーチングの質を上げることだった。私も毎年少しずつ自分のコーチングレベルが上がっている実感を持っているが、伸びは鈍化している。ポジションコーチを続けてきた神田コーチの方が伸び代(のびしろ)が大きい。広い視野でフットボールを見て、総合的に理解を深めることが一段上のコーチング力を獲得することにつながることは自分の経験から十分に理解していた。
 ただ、神田コーディネーターのストレスは臨界点に達しかけていたと思う。コーディネーターの責任を負いながら、年上でベテランのポジションコーチが姑のようにいちいち口を出してくるのだから。しかし、お互いに指摘し、言い合うことを遠慮すれば、その妥協のツケはオフェンス全体、ひいてはチームが被ることになる。感情的対立にならないように配慮しながらも、率直にぶつかりあわなければならない。嫁的立場のコーディネーターの苦悩が、我々のオフェンスを一歩上に押し上げたことは間違いない。

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