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プリンストン大学招待記念試合(2001年)大会ガイド~PRINCETON QUICK FACTS
プリンストン大 |
米史上初のフットボール・ゲームはプリンストン4ゴール、ラトガース6ゴールだった |
1869年11月6日。プリンストン大の約30人の選手がラトガーズ大に赴き、その日の午後に行ったのが米国で初めてのアメリカンフットボールの試合となった。ランもパスもないほとんどサッカーのような試合だったが、独自のルールで闘ったという点では史上初。ちなみにプリンストンはこのほか「史上初めて航空写真で撮影された試合」(1911年・対ハーバード大)、「史上初めてラジオで中継された試合」(1922年・対シカゴ大)などもある。 |
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1911年に初めて空撮されたプリンストン対ハーバード戦 |
ユニフォームのオレンジと黒はプリンストン大のスクールカラー。これが実は世界で最初のスクールカラーで、1868年、エール大との試合を迎えた野球部の選手達がユニフォームにつけるワッペンの色を探したのが発端。大学で最も古い校舎のナッソー・ホールにちなんだウィリアム公の名前からオレンジはすぐ決まったが、黒のほうは当時手に入る糸がたまたま黒だけだったというのが理由。74年にボート部が同じ色を使用して、正式にスクールカラーに認知されるようになった。 |
タイガー・ヘルメットが登場した年に、27回目の全米王座に輝いた |
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戦後の近代フットボールで、アイビーリーグから唯一ハイズマン杯を受賞したのが、52年卒のRBディック・カズマイヤー。50、51年には2年連続で9勝0敗の全勝シーズンにチームを導いた(この両年、プリンストンはAPランク6位)。カズマイヤーの活躍で伝説となっているのは51年の対コーネル戦。18回走124ヤード2TD、15回捕球236ヤード3TDの大暴れだった。 |
1869, 1870, 1872, 1873, 1874, 1875, 1877, 1878, 1879, 1880, 1881, 1884, 1885, 1886, 1889, 1893, 1894, 1896, 1898, 1899, 1903, 1906, 1911, 1920, 1922, 1933, 1935, 1950 |
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2000年3勝7敗(アイビーリーグ内3勝4敗5位) |
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ペンシルバニア |
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コーネル |
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イエール |
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ハーバード |
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プリンストン |
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コロンビア |
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ダートマス |
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ブラウン |
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(ブラウンは今季リーグ優勝権を持たなかった)
<><><><><><><><><>*はアイビーリーグ内対戦/OTはオーバータイム=延長
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9月16日 |
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@ラファイエット |
9月23日 |
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リーハイ |
9月30日 |
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コロンビア(OT)* |
10月7日 |
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コルゲート |
10月14日 |
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ブラウン* |
10月21日 |
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ハーバード* |
10月28日 |
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コーネル* |
11月4日 |
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ペンシルバニア* |
11月11日 |
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イエール* |
11月18日 |
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ダートマス* |
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1914年に建設されたパーマー・スタジアム(収容45750名)が96年に閉鎖。98年に現在のプリンストン・スタジアムがオープンした。パーマー・スタジアムとの大きな違いは、三方向でなく四方をスタンドが囲むようになったことに加え、スタンドが高くなったことと陸上トラックがなくなったこと。 |
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プロフット現役選手は25名。NFLカウボーイズを経て現在NYジャイアンツに所属のQBジェイソン・ギャレット(89年・写真左)と新興プロフットXFLのNY/NJヒットマンRBキース・エライアス(94年)がいる。 |