第52回甲子園ボウル「ある被災者からの手紙」


 甲子園ボウルから数日たって、一通の手紙が部に届きました。95年1月の阪神・淡路大震災では、私たちもさまざまな困難にぶつかりました。幸い部員の中に負傷者はいませんでしたが、自宅や下宿が全半壊した者も少なくありませんでした。練習もままならない時期がありました。この年、主将山田晋三がスローガンに掲げた言葉は「勇気」でした。我々もまた、被災地の中のさまざまな勇気に励まされてきたことを思い起こしました。以下に手紙全文を紹介させていただきます。


関学大アメリカンフットボール部の皆様へ

 突然お手紙を差し上げるなんて…とも思いましたが、本日の甲子園ボールをテレビで観戦して、どうしても一言アメリカンフットボール部の皆様にお礼を申し上げたくて、私の気持ちを伝えたくて手紙を書きました。

 私は、42歳のシングル女性です。あの震災で当時住んでいた家は全壊し、今は実母と二人で仮設住宅に居ります。
 私は内蔵を悪くして身体障害者認定を受けています。今迄、復興住宅の募集がある度に、祈るような気持ちで毎回申し込んで参りましたが全部落選。今回の第4次一元募集にももちろん応募し、毎日毎日今度こそ今回こそ何とぞ…と当選を祈っておりましたが、16日(火)に又も落選のハガキが届きました。身障者や高齢者は優先枠があるから、復興住宅に当たりやすい…というのは言葉ばかり。そもそも今頃迄まだ仮設に残っているのは、身障者・高齢者・母子家庭等が多数を占めるのですから仕方ありません。

 しかし、落選ハガキも4枚目ともなると、いくら落ち込んじゃいけない、あきらめちゃいけないと思おうとしてもやはり不安はどんどん募って行くし、明るい事、良い事を考えよう、希望は決して捨てては行けないと思い乍も、つい悪い方悪い方へと考えてしまうのでした。人間いつだってあきらめちゃいけない、前向きに生きなくちゃいけない、このままってコトきっとない、きっといつか笑える日が来る…と思わなくっちゃと思い乍ら「でも…」とつい下を向いてしまうのでした。

 ところが、今日の試合を見て本当に「やっぱりあきらめちゃいけない最後迄絶対あきらめてはいけない!」と思いました。本当に励まされました。一体誰が残りわずか59秒から1タッチダウンあげて同点に追いつくと思うでしょうか。「何とか!」と心から祈りましたが、ラスト4秒からのパスが通って同点になったときには、涙が溢れました。もう一点取れなくて、両校優勝というのは悔しかったでしょうが、でも勝てなくても負けなかった事が「負けない」って事が本当に素晴らしかった。

 あきらめないこと、絶対負けないって思うことが一番大切なんだよっていうメッセージが体中を包んだような気がしました。少し丸くなっていた背中をポンとたたかれたような、そしてそれで「そうだ、あきらめちゃいけない、負けちゃ行けない」って背筋がシャンと伸びたような気がしました。 アメリカンフットボール部の皆さん、本当にありがとう。「勝つ」事も素晴らしいけど、「負けない」事はもっと素晴らしいね。

 これから先、どのようになっていくのかわかりませんが、最後まであきらめないで、前向きに負けない(色々な事に)でやっていこうと思います。皆さんもこれから社会へ出る人は、社会人として、又学生さんは来年を目指して前向きに頑張って下さいね。応援しています。

 最後にもう一度。本当に素晴らしい試合をありがとう。私も、仮設を出て地に足がついた生活が出来る様になることをめざして…負けないぞ!

1997.12.20(土)

試合を見て励まされた一被災者より