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第52回甲子園ボウル「59秒の真実」(4)
「59秒の真実」
攻撃コーディネーター 小野 宏
最後のキック
その中で、おおげさにいえば、キッカーの太田だけが「まだ、勝ったわけではないこと」を自覚していた。すぐにフィールドに出ていったが、攻撃の選手が竹部を追いかけてエンドゾーンで抱き合い、ベンチも興奮状態に陥っていた。ホールダーの選手までもが、ベンチに戻ってきた竹部と祝福をかわし、フィールドに出遅れた。さらには、審判が、キッキングティーをセットしようとする太田をいったん制止しようとした、という。最後のプレーで逆転した場合のみ、トライ・フォア・ポイントを蹴らずにそのまま試合を終了させる場合がある。審判さえも関学が勝ったと錯覚したのだろうか。古結コーチは、スポッター席から選手を落ち着かせるようにとベンチのコーチに指示しようとしたが、攻撃コーチは全員がヘッドフォンをすでにはずしていた。まるで真空のような瞬間だった。
しかし、次の瞬間、太田の蹴ったキックが左のポール際をかすめたのが見えた。法政の選手が喜ぶのを見て、初めて点数のことを思い出し、振り返ってバックスタンドを見上げるとそこには21-21の表示があった。自分のアホさ加減に呆然とした。
しかし、うなだれる選手を見て、それは違う、という思いが沸き上がった。思わず、「ナイスゲームや」という大声でベンチに戻ってくる選手を迎えた。第3クオーター中盤まで、あの法政の爆発的な攻撃を完封した守備、終盤の数少ないチャンスを点数に結び付け、さらに最後のシリーズは59秒からタッチダウンを奪った攻撃。誇るべきゲームだ。整列しながら、まるで負けたような仕草を見せる選手には、「最後までしっかりやろうや」という声もかけた。
表彰でチームに贈られる何番目かのトロフィーを太田に受け取らせようと、何人かの選手が太田の背を押した。が、太田は首を横に振って、強く拒否した。それでも押されて、最後には出ていってトロフィーを無表情で受け取った。太田にはそうするしかなかったろう。しかし、私は「太田、笑え」とどなった。太田のリーグ戦での活躍は誰もが知っている。リーグ史上初めてキッカーがMVPに選ばれたのも、ごく当たり前のことだった。チームは甲子園までお前に連れてきてもらったのだ、という思いは共通していた。しかし、笑えるわけはなかった。すぐに選手の中から「太田、胸を張れ」とより正しい表現の言葉が飛んだ。「そうや、胸を張れ」と私も言い直した。
試合後、押し黙る太田に同期や後輩の選手たちが、代わる代わる言葉をかけにきていた。みんな決まり文句のように「お前に連れて来てもらったんや、誰もお前を責めへんがな」。太田は、自分自身にとめどなく怒りを感じているようだった。強ばりはなかなか消えなかったが、それでも、少しずつ周囲の心遣いに対応する余裕が出始めた。私は、自分の失敗を棚に上げて、これでよかったのかもしれない、と思い始めていた。
キッカーは特殊なポジションである。キックだけは、誰にも協力してもらえない。たった一人で自分の仕事を完結させなければならない。太田はキッキングチーム全般のリーダーとして単なるキッカーとは違う役割を担ってきたが、キッカーとしての練習ではグラウンドの端で一人黙々と蹴ってきた。フットボールと言っても、ボールを蹴るのはチームでもキッカーと呼ばれる数名だけだ。それ以外のものは、その難しさを本当のところは共感できない。そういう因果なポジションについた太田が、いま失敗したことで、多くの仲間に支えられ、つながっていることを実感していた。
2時間後に大阪市内のホテルで開かれた祝勝会(?)では、「立ち直ったか」と声をかけると、「はい、もう大丈夫です。家に帰ったら分かりませんけど」と言って苦笑いを浮かべた。少しずつ自分を取り戻しているようだった。壇上に立った鳥内監督は、開会のあいさつの終わりに、「キックの失敗は俺も含めてタッチダウンに浮かれたチームの責任や」とぶっきらぼうに言い、「ただ、失敗したからといってヘルメットをグラウンドにたたきつけたのはいただけない。それは関学流とちゃう。太田、反省せえ」と言った。太田がうなずくのを見て、「それだけや」と小さい声で付け加えた。太田は鳥内監督に口説かれて、高等部サッカー部から転向してキッカーになった。無表情を装う監督の心の奥の感情は、太田には全て伝わったように思う。翌日会った時には「昨晩は高等部で担任だった先生まで心配して電話をかけてきてくれました」と照れ笑いを浮かべた。