第52回甲子園ボウル「59秒の真実」(3)

 

「59秒の真実」

攻撃コーディネーター  小野 宏
 


ザ・ドライブ--最後のシリーズ

 


 残り時間の表示は、「00:59」になっていた。
 ベンチに座っていた攻撃陣が腰を上げた。「よしゃ、いこうで」。主将でガードの米澤を中心にキックオフリターンに入らないメンバーがサイドライン際で集まった。すぐにキッキング担当の島野が「どっちのリターンで行きますか」と聞いてきた。迷わず「右」を指示した。
 選手たちは淡々としていた。どんな状況でも、最後の最後まで目の前のプレーに集中することだけを目標としてきた。選手は逆に「やるだけ」と迷いをふっきっていた。私は、まだ第1プレーの選択を迷っていた。残り時間から考えてとにかく敵陣に早く入らなければ1プレーごとに戦術の幅が大きく狭められていく。最初からアウト&ゴーでいくべきか。しかし、第1プレーはきちんと成功してゲインすることが大切だ。滑りだしで選手が「いける」と感じるか「苦しいな」と感じるかで、その後の展開が大きく変わる。迷ったすえに、ダッシュだがSEがフック&ゴーからさらに17ヤードの距離でアウトするプレーを選んで選手に伝えた。

 右のリターンがどれぐらいまで進むかがこのシリーズの成否を分ける、と思っていた。ところが、左のFBに入っていた島野はゴロのキックを確実にとろうとしたのか、膝をついたまま補球してしまった。受けた時点で笛がなった。思惑がはずれ、自陣24ヤード、左ハッシュからの攻撃となった。「何してんねん」。怒りが込み上げたが、実はこれが、結果的に見ると最良の方法だった。キックオフの場合は、リターナーがボールを持って走り始めてから初めて時計が動き始める。キャッチとボールデッドが同じだったので、時間をまったく使っていなかったのだ。

 第1ダウン、ツインプロで両サイドに開いたフォーメーションからFBが左のスロットにシフトした。木下をTとFB二人がかりでブロックするためだ。高橋が5歩ドロップバックした。しかし、予想以上に木下が早くQBまで来ている。一瞬高橋は予定通り外へ出るべきか、止まるべきか躊躇した。その瞬間にFB渡辺が外側から木下にとびこんでブロックし、高橋がそれを見て思い切って外に出た。レシーバーは空いていたが、躊躇した分だけ高橋は投げるべきタイミングから遅れていた。ワンテンポ以上遅れて投げた球に、SEの竹部と逆サイドから流れてきた畑が同時に飛び込んだ。どちらが取ったのかサイドラインからは分からなかった(竹部が補球)が、審判がキャッチのシグナルをし、しかも第1ダウンを更新したため時計をすぐに止めるジェスチャーをした。ところが、実際には時計は審判の指示から4秒ほど進んでしまっていた。それを主審が見逃さず、きちんと残り時間を「43秒」から「47秒」まで戻した。この4秒がどれほど大きな意味を持つことになるか、その時点で我々は知る由もない。このプレーが終わった時点では、G米澤、C奥田、G牧野の真ん中三人のラインは余裕があることと、逆に木下がかなり早く入ってきていることが印象に残った。

 続く自陣38ヤードからの第1ダウン。プレーはトリプル/1バックのフォーメーション(オープンサイドにTEとWR二人、ショートサイドにSE)からドロップでインサイドレシーバーのアウト。とにかくハッシュを右に持ってきたかった。プリベントでゾーンを敷く法政守備バックは下がっているが、、レシーバーのアウトには遅れながらも素早い動きで反応してきた。QB高橋のボールは外の奥側に大きくはずれた。この時も木下がラッシュしてきているのが分かった。

 第2ダウン。残り40秒。頭の中にあったダッシュのアウト&ゴーをコールした。再びドロップから高橋が左へ展開したものの、木下が後ろから追いかけていた。レシーバーもCB中村にぴったりと完全につかれていた。高橋はあきらめてスクランブルに入り、2ヤードゲインしてサイドラインを割った。残り33秒で時計が止まった。

 第3ダウンで8ヤード近くが残った。第1ダウンを取る必要がある。しかし、最悪の場合はもう1回攻撃は残っている。木下を考えれば、2回続けてドロップバックのパスを投げることはかなり厳しい。高橋のパスも試合を通じていつもの精度を欠いている。どちらにしろハッシュを右に動かさなければ、その後の展開が苦しくなりそうだった。頭に浮かんだのは、2バックのプロ・フォーメーションからのロール・キープだった。この試合で狙った通りゲインしている数少ないプレーのうちの一つだった。特に相手はロングパスを警戒して下がっている。コールした瞬間に第1ダウンはこれで取れるという確信があった。ところが、セットしたらメンバー交代のミスでFBが入っていない。この大事な場面で10人しかフィールドにいない。致命傷にもなりかねない失敗で頭が真っ白になりかけた。しかし、ロールアウトに対してLB二人は大きく外に流れ出て内側が空いた。フリーで待つLBのうち内側の一人をTBの猪狩が力強いブロックではじきだした。高橋がその猪狩とLBの間をくぐるようにして切れ上がり、第1ダウンを確保した。猪狩は冒頭に記したタッチダウンで、ダイブした際に法政守備のセフティに正面から強烈なタックルを受けて脳震盪を起こしていた。

  第1ダウンでは、いったん時計が止まるが、審判がボールをおいてレディ・フォア・プレイをかけると同時に再び時計は動き始める。
 すぐに、ノーハドルから持っているプレーの一つ、リトルアウトをブロックサインで伝えた。竹部が取って6ヤードを稼ぎ、外へ出た。時計が16秒で止まった。
 敵陣に入ったとはいうものの、ゴールまで41ヤード。どうしてもゴール前まで進むパスが必要だ。ハッシュが変わっていたので、もう一度、ダッシュでアウト&ゴーをコールした。ハッシュを右に寄せられたおかげでTE中川とT植田の二人が木下をブロックし、完全に封じているのが見えた。右Tの松江もうまくDEを処理してQBが完全にフリーで外に出られた。しかし、プリベントで深いゾーンを敷く法政のカバーでSE塚崎はDBを抜けずにいた。私の思惑はまたはずれたが、右に走り出た高橋は、すぐにそれを理解し、逆サイドから入ってくる畑を探し、迷わずに投げ込んだ。ボールはLBの間に飛び、畑の胸に入った。練習では高橋はこのパターンから畑にはほとんど投げていなかった。しかし、最悪の場合も考えて頭の中のイメージを準備していたのだろう。決して運動能力は高くない高橋がここまで来た理由の一つは、間違いなくこの準備能力だ。コーチである私ですら、想像の枠を越えたプレーを見て、心の中の何かがぱっと爆発したような感覚を味わった。


 第1ダウンを獲得。残り時間が見えず、一瞬タイムアウトを取るべきか取らずにボールをカット(スパイク)するべきか迷った。しかし、高橋がすぐに最後のタイムアウトを審判にコールした。通常はタイムアウトは選手にコールさせていない。コーチの特権事項だ。高橋はサイドラインに戻ってきて「(タイムアウトを取ったのは)まずかったですか」と聞いた。残りが8秒になっていたのが見え、「まず(く)ない、まず(く)ない」と高橋の判断を肯定した。

 だが、残り20ヤードで8秒。プレーが浮かんでこなかった。「コーナーしかないな。ロールでコーナーとアウトいこうや」。高橋は「いや、トリプルからTE残してオール・ストリークを2回やりますわ」。「よっしゃ、それでいけ」。1バック・フォーメーションでTEを除いた残りの3人のレシーバーが全員ストリーク(フライ)を走るパターン。ここは、実際にプレーする高橋の感覚を信じるしかない。後は選手に任せよう、とふっ切れた。高橋が、オープンサイドのインサイドレシーバーを、通常の場合の畑から、SEで中学部時代から一緒にプレーしてきた塚崎に代えたのが見えた。セットした時点で、法政は2ディープしかも、LBをオープンンサイドにオーバーさせるゾーンカバーを敷いているのが見えた。塚崎がLBを抜くまでに時間がかかるな、ラインのプロテクションがもってくれれば、と思う間にプレーが始まった。ところが、オープンサイドを見ながら下がった高橋は、突然狭いサイドに振り向くや、SEのアウトにライナーで投げた。ボールはサイドラインの外に飛び、畑がサイドラインぎりぎりに両足を残したまま、ボールをしっかりキャッチしてフィールドの外へ倒れ込んだ。何が起こったのか分からなかった。後で聞いたことだが、ハドルを解く寸前に、畑が「俺は何を走ったらええねん」と聞いたという。高橋は一瞬答えに詰まってから無造作に「アウトいっといて」と言ったらしい。おそらく本人も言った時点で投げるつもりはなかった、だろう。ところが、プリセットとスナップ後のLB,DBの動きを見て、オープンサイドのレシーバーに投げるのは無理と判断して、思い切って狙いを変更したのだった。

 残り4秒。ゴール前10ヤード。高橋に迷いはなかった。すぐにサイドラインに向かって、「ダブルタイト、フライ、タケベで」と叫ぶのが聞こえた。すぐにTEやFBをフィールドに送り込んだ。レシーバーの3人は甲乙つけがたいが、やはりエースとして塚崎は一目置かれている。しかし、特にオープンサイドのフェイドに関してはSEの塚崎はあまり練習していなかった。さらに、高橋には、大事な場面での竹部との特殊な信頼関係があった。高等部時代3年生の西宮ボウルで、兵庫県選抜チームのQBとして最後の1プレーでロングパスでTDを決め、同点に追いついた。その時のレシーバーが竹部だった。

 セットした瞬間に、竹部とCB中村が一対一になっていることがサイドラインから分かった。竹部がスタートでいったん外に押すと中村はすぐにターンして定石通りに外側の奥のゾーンを守ろうとした。高橋は完全なプロテクションに守られて、余裕をもってボールを投げ上げた。ゆっくりと弧を描いたボールは、練習より少し短い地点に落ちようとしていた。竹部は中村がターンしている間にボールを探した。そして思っていたコースよりも内側にボールが来ることに気付き、コースを変えて落下地点に寄った。ターンしていた中村はさらに一回転してボールを探そうとしたが、いったん目を離したためボールの位置を知るのが一瞬だが遅れた。内側から追いかけてきたセイフティと中村の間でボールは竹部の胸に入った。


 その瞬間、私はすべてのことから自分を解放させた。ヘッドフォーンを取り、フィールドに飛び出してQBの高橋を抱きかかえた。21-21という点数は頭になかった。勝った、と錯覚していたのかもしれない。普段そんなことをしない私が飛び出したことで、ベンチの喜びの感情はたががはずれてしまった。


(サンケイスポーツ提供)